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特定生命終止許可制度  作者: 御影のたぬき


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三倍の背中

 不許可の通知が届いたのは、朱音の四十九日が明けた週の火曜だった。


 父は出勤していた。母は買い物に出ていた。誰もいない実家のリビングで、私は去年まで朱音が使っていた勉強椅子を引き、そこに腰を下ろして封筒を開いた。


 差出人は、内閣府倫理均衡局・東海第一区審査課。


 件名は一行だけだった。


 **一殺権申請に関する事前審査結果通知**


 **申請番号:T1-0882-17**

 **申請者:神田拓海**

 **対象者:倉橋礼二**

 **事前審査結果:不許可**


 息が、漏れた。


 怒りか、安堵か。判別はつかなかった。ただ、部屋の空気の密度がわずかに変わった気がした。洗濯籠の中には、朱音が最後に使ったタオルケットがまだ入っている。母が捨てられずにいる。もう朱音が使っていたシャンプーの匂いは消えているはずなのに、その布だけには、まだ何かが残っている気がした。私は今でも、その洗濯籠の前だけ、足を少し緩めて通る。


 続きを読んだ。


 **不許可理由:純善値要件未達**

 **申請者純善値:百八十三**

 **対象者純善値:八百七十一**

 **許可基準値:二千六百十三以上**


 二千六百十三。


 私の値の、十四倍以上。


 倉橋礼二という男が、八百七十一。


 朱音が運ばれた病院の外科部長。術後の管理体制について「やむを得なかった」と会見で言い、裁判で「当直体制には問題なかった」と証言し、和解後に「真摯に受け止める」とだけ言った男が。


 その三倍が、二千六百十三。


 笑いもしなかった。泣きもしなかった。


 通知の末尾には、再申請の案内があった。六か月後。倫理改善プログラムの案内もある。「任意」という文字に、しばらく視線が止まった。


 この国では、人を殺したいと思う感情は否定されない。ただし、資格が要る。資格が足りなければ、任意で補うことができる。任意で補うかどうかは、あなたが決めていい。国は関与しない。


 ただ、朱音の名前だけが、頭の中で動いていた。


 朱音。


 どこへも行けない名前だった。


     *


 朱音が腹痛を訴えて救急車を呼んだのは、二月の深夜だった。


 私はそのとき、名古屋から離れた場所に住んでいた。就職して二年目。連絡が来たのは翌朝だった。朱音が入院した。急性虫垂炎。でも手術は成功したから、すぐに帰省しなくていい。母はそう言った。


 緊急手術は成功した、と担当医も言った。術後の経過も良好です。三日後には一般病棟へ。


 六日目の夜、急変した。


 腹腔内出血だった。手術中か術直後に出血が始まっていたとされたが、夜間の当直医は「様子見」と判断した。その判断が五時間続いた。朝になって担当医が来たときには、すでに処置できる状態を超えていた。


 高次機能病院へ搬送。緊急処置。意識を戻さないまま、三日後に死亡。


 二十歳だった。名古屋の大学に進んで、初めて一人暮らしをしていた。


 私は翌朝、新幹線で駆けつけた。間に合わなかった。会えたのは、もう動かなくなった朱音だった。


 担当医が謝った。院長も謝った。顔がたくさん並んだ。でも、顔は覚えていない。廊下の床の模様だけが、妙に鮮明に残っている。グレーの、細かい菱形模様。廊下を歩くたび、足の下でそれが延々と続いていた。


 医療訴訟を起こした。弁護士は「因果関係の立証が難しい」と言った。それでも進めた。当直医は当時二年目の研修医だった。判断の遅れを問われた。担当医は術後の説明が不十分だったと認めた。だが、誰が決定的な責任者なのかは、最後まで曖昧なままだった。


 一年半かけて、和解になった。父は「もう終わりにしよう」と言った。


 終わりにはならなかった。


 倉橋礼二。その名前は、手術記録に外科部長として記載されていた。執刀は別の医師だった。しかし倉橋は、術後管理の体制において責任ある立場だった。当直医に指示を出せる立場だった。当直医は後に「倉橋部長に連絡した」と証言した。倉橋は「記憶にない」と言った。


 記憶にない。


 その言葉を、私は三年間持ち歩いた。


 電車に乗っているとき。コンビニでレジを待っているとき。仕事のデスクで画面を見ているとき。不意にその言葉が浮かぶ。記憶にない。繰り返しても磨耗せず、むしろ角だけを保ち続けた。


 申請は、和解から一年後にした。理由の欄は、空白にした。


     *


 窓口は、名古屋市内の古いビルの五階にあった。受付の男は三十代後半で、名札に「黒岩」とあった。声が静かで、説明は丁寧で、私の顔をあまり見ない。ただ端末を見ながら話した。


「神田さんは純善値要件の未達です。かなりの大幅未達ですが」


「知ってます」


「倫理改善プログラムは、ポイントの操作ではありません。日常行動の設計支援です」


「分かってます」


「対象者の純善値が非常に高い。八百七十一は、同年代男性の上位〇・三パーセント以内です」


「それも知ってます」


「ご存知の上で」


「やれることは全部やります」


 黒岩は少し間を置いてから、紙を一枚差し出した。献血、介護施設補助、子ども食堂、通学路の見守り、災害支援、保護動物の一時預かり、フードバンク仕分け、夜間巡回。


「継続性が重要です。純善値は、一度の大きな行為より、小さな行為の積み重ねに反応しやすい傾向があります」


「傾向、ですか」


「誰も仕組みを知りませんから」


「倉橋の値が高い理由は、何だと思いますか」


 黒岩は少し止まった。


「私には分かりません」


「でも、外科医だから、ということはありますか」


「職業別の統計は非公開です」


 私は聞き方を変えた。


「命を救う行為が、継続的に積まれる。それだけ純善値は上がりやすい。そういうことはないですか」


 黒岩は答えなかった。


 答えなかったことが、答えだった。


「一つだけ、個人的なことを言います」


 黒岩が、珍しく前置きをした。


「純善値を追う、という考え方で善行を続けると、たいてい途中で理由が変わります」


「変わったら困りますか」


「困りません。変わることを覚悟しているかどうか、です」


「どういう意味ですか」


「最初の理由が、どこかに落ちることがある。長い道の途中で。拾い直せるかどうかは、人による」


「落としても構わないと思うなら?」


「それも一つの答えです」


 その言い方が、頭に残った。


 落としても構わない。


 私には、まだその答えが出ていなかった。


     *


 その週、会社を辞めた。IT企業に勤めて二年目だった。上司は「休職という選択肢もある」と言った。私は「辞めます」と言った。人事の担当者が「何かあったんですか」と聞いた。「家族のことで」と答えると、それ以上は聞かなかった。


 善行、という言葉が気持ち悪かった。でも、他に言葉がなかった。


 最初の一か月は、ただこなした。


 週に三度、老人ホームの食事補助。隔週で献血。土曜の朝は子ども食堂の準備。日曜は通学路の清掃。月に一度、フードバンクの仕分け作業。


 朱音のためだ、とは思わなかった。


 思えなかった。


 これをやるために朱音が死んだわけではない。これをやれば朱音が戻るわけでもない。倉橋を殺せるわけでもない。ただ、数字を積み上げるための作業として、体を動かした。


 老人ホームで、九十二歳の男性にお茶を運んだ。男性は「ありがとうございます」と言った。その礼の丁寧さが、かえって重かった。感謝される理由が、自分の動機とまるで噛み合っていなかった。


 子ども食堂で、小学二年生の女の子に食器の並べ方を教えた。女の子は二回間違えて、三回目に正しくできて、笑った。その笑いが、腹に刺さった。


 何かを感じるたびに腹が立った。感じるために来ているわけじゃない。数字のために来ている。そう言い聞かせた。


 だが、だんだんと言い聞かせる必要が薄れていった。


 それが怖かった。慣れることが、朱音への裏切りのように思えた。


 二か月目の終わり、老人ホームの廊下で、八十五歳の男性に声をかけられた。骨盤を骨折して入所して一年になると言った。頭は明瞭だった。


「あんた、最近来てるな」


「そうですね」


「理由があるんだろう」


 私は曖昧に頷いた。


「俺も昔、医者に頭に来たことがある」


「そうですか」


「妻の処置を間違えられた。大したことにはならなかったが、腹は立った。訴えてやろうと思った」


「やめたんですか」


「やめた。一年後に同じ医者が、俺の息子を助けたから」


「……同じ医者が」


「同じ医者だ。だから、どうにも言えなくなった」


 男性は、窓の外を見た。


「人間は、一つのことだけじゃないから」


 その言葉が、午後いっぱい頭に残った。


 人間は、一つのことだけじゃない。


 倉橋礼二も、そうなのか。


 答えは出なかった。だが、問いの形が少し変わった気がした。


     *


 六か月後、再申請した。


 対象者は同じ。倉橋礼二。


 通知は、前回と同じ火曜に届いた。今度は実家ではなく、名古屋市内に借りたアパートだった。


 **事前審査結果:不許可**


 **申請者純善値:二百四十一**

 **対象者純善値:九百二十八**

 **許可基準値:二千七百八十四以上**


 私は五十八上がった。


 倉橋は五十七上がった。


 差は、縮まっていなかった。むしろ絶対値では、わずかに広がっていた。


 私は封筒を机の上に置き、洗面台に行き、顔を洗った。水が冷たかった。鏡に映る顔が、見たことのない顔みたいに見えた。


 倉橋礼二は、この半年で何をしていたのか。


 外科医として、毎日、誰かを切って縫っていた。それだけで積み上がっていく。


 私がゴミを拾い、皿を運び、一日かけて積んだものを、あの男は手術一件で超えているかもしれない。そういう計算が正確かどうかは分からない。仕組みは誰も知らない。でも、そういうことだ、と思った。


 倉橋の純善値を調べた。申請時に開示されたその値と、倉橋の公的な記録を照らし合わせた。


 倉橋礼二。在職二十七年。地域の救急医療体制に長く関わる。災害時の医療支援に三度参加。医療支援のNPOの理事も務めている。


 命を救う行為が、継続的に積まれる。


 黒岩の言葉が正しければ、倉橋の八百七十一は、三十年近い外科医としての日常の積み重ねだ。私が六か月で五十八しか積めないのは、あの男が三十年かけて積んだものの前では、砂粒を一つ置くようなものだった。


 そう考えたとき、初めて別のことを思った。


 私が医師になれば、同じ条件で積み上げられる。


 黒岩に会いに行ったのは、二度目の不許可から三日後だった。


「差が広がりました」


「そうですか」


「私が医師になれば、純善値は積み上げやすくなりますか」


 黒岩は少し間を置いた。


「職業別の統計は非公開です」


「答えになっていません」


「……そうですね」


 今度は沈黙が長かった。


「個人的な見解として、命と継続的に関わる職業は、純善値の積み上げに有利な傾向があると思います。ただし、失敗した場合のリスクもある」


「追いつけると思いますか」


「難しいということです」


 難しい。


 難しい。だが、他に思いつかなかった。


 医師を目指すことを決めたのは、そのとき、その部屋の中だった。


     *


 両親に話したのは、その週の土曜だった。


 夕飯のあと、テーブルに三人で座った。父はビールを飲んでいた。母は麦茶を持っていた。テレビは消えていた。


「医学部を受けようと思う」


 沈黙があった。


 父が「いくらかかる」と言った。私は私立医大の学費を調べてきた数字を出した。父はまた黙った。十分ほど黙ってから、「俺たちに出せる分は出す」と言った。


 母は何も言わなかった。何も言わないことが、許可だった。


「なんで急に」


 父が聞いた。


「朱音のことで、医療のことを考えるようになって」


「医者になって、どうする」


「分からない。でも、やらないといけない気がして」


 父は何かを察したのか、それとも何も察さずに納得したのか、分からなかった。ただ「そうか」と言って、ビールを飲んだ。


 その夜、朱音の写真を見た。高校の卒業式の写真。制服を着て、笑っている。大学の入学式の写真もある。サークルの友達と撮った写真もある。スマートフォンの中に、送られてきたまま残っている。


 朱音はまだ、名古屋に住んでいるような気がすることがある。送ってくれた写真が残っているから。返信が止まっているだけで、まだ向こうにいるような気がすることがある。


 そういう気がするたびに、腹が痛くなる。


 腹が痛くなることが、まだ続いているうちは、朱音は死んでいる。


 当たり前のことを、何度も確認している。


     *


 二十七歳で予備校に入った。


 医学部受験専門の予備校は、十八歳や十九歳の浪人生が多かった。私は明らかに年上で、明らかに事情が違った。同じ班の誰も、私に理由を聞かなかった。私も聞かなかった。


 同じ班に、二十四歳の男がいた。渡辺という名前で、三浪目だった。


「また受けるんすか、来年も」


「受けます」


「しんどくないですか」


「しんどいです」


「なんで受けるんですか」


「理由が、まだ残ってるので」


 渡辺は「そっすか」と言って、テキストに目を戻した。


 その返事が、妙に楽だった。理由を聞かない。聞かないことで成立している関係が、受験の場には多かった。みんな、何か抱えていた。その中身まで共有する必要はない。


 化学の授業は担当の講師が早口で、ついていくのが精一杯だった。生物は量が多かった。数学は久しぶりすぎて最初から戻った。毎日、九時間以上机に向かった。


 善行は続けていた。子ども食堂は週に一度に減らした。献血は続けた。老人ホームは月に二度だけ残した。減らしたことへの罪悪感は、最初だけだった。


 その年は不合格だった。


 次の年も落ちた。二度目の不合格通知を見たとき、予想していたのに体が重くなった。食欲がなかった。三日間、ほとんど何も食べなかった。


 四日目に、老人ホームへ行った。習慣だった。


 配膳をしていると、常連の入所者の女性が「お兄ちゃん、顔色悪いで」と言った。


「食欲がなくて」


「なんかあったん」


「試験に落ちました」


「何の試験」


「医学部です」


 女性は少し間を置いた。


「何回目」


「二回目です」


「そうか。うちの息子は五回落ちてから受かった」


「医学部ですか」


「歯学部やけど」


 思わず笑った。


「笑えた」


 女性が言った。


「笑えるうちは大丈夫や」


 根拠のない言葉だったが、少し楽になった。


 三年目、三十歳で、国立大学の医学部に合格した。


 合格通知を見て、泣けると思っていた。泣かなかった。ただ、腹の底が少しだけ緩んだ気がした。


 倉橋に追いつける。そう思ったかというと、思わなかった。


 思わなかった理由が、自分でも少し分からなかった。


     *


 医学部の一年目は、ほとんど教室の中で終わった。


 生化学、解剖学、生理学、病理学、微生物学、免疫学。数字と図と言葉。人体を分解し、並べ替えた知識の集積。覚えた端から、別の知識に押し出されていく。


 同級生の多くは十八歳か十九歳だった。私は三十歳だった。年齢の差は、最初の数か月で気にならなくなった。みんな、同じように追われていたからだ。


 同じグループの橋本という女性が、よく隣に座った。二十歳で、覚えが早かった。


「神田さん、なんで今から医学部に」


「少し遠回りしてたので」


「遠回り、ですか」


「そういう言い方が一番正確です」


 橋本はそれ以上は聞かなかった。ただ、たまに「ちゃんと食べてますか」と言った。その問いが、食事の量を心配していたのか、他の何かを気にしていたのかは、分からなかった。


 二年目の後期から、解剖実習が始まった。


 遺体は一班に一体。四人で担当する。


 献体された方の体だ、と教授は最初の授業で言った。この体を提供された方は、生前に自ら申し出られた。それが何を意味するか、考えながら実習を進めてほしい。


 初めてメスを入れたとき、手が震えるかと思っていた。震えなかった。


 怖いという感覚は、最初の一週間で消えた。代わりに来たのは、集中だった。


 皮膚を開く。脂肪がある。脂肪の下に筋膜がある。筋膜の下に筋肉がある。筋肉の間に神経と血管がある。それぞれが教科書の図と一致していて、一致しきれていない。一人一人、微妙にずれている。その微妙なずれが、その人の生涯だ、と誰かが言った。


 献体された方の年齢は、七十八歳だった。男性だった。


 その手を見たとき、初めて、この人がかつて生きていたという実感が来た。


 爪の形。指の太さ。皮膚の質感。この手は何かをつかんだことがある。誰かの手を引いたことがある。


 実習の最後に、チームで礼をした。教授は「感謝の気持ちは、これからの医師としての行動で示してほしい」と言った。


 私は、その言葉を聞きながら、倉橋礼二の顔を思い出していた。


 あの男も、こういう実習をしたのだろうか。この手みたいな手を、三十年近く切り続けた男が。


 分からなかった。


 分からないことが、少しずつ増えていた。


     *


 三年目に、医療倫理の講義で、一殺権制度が取り上げられた。


 教授は六十代の男で、声に張りがあった。


「制度の設計自体は、ある種の合理性を持っている。だが医療者にとって、この制度は特殊な意味を持つ。医師は、日常的に命と関わる職業だ。純善値を積み上げやすいということは、同時に対象者になったとき、申請者のハードルが非常に高くなるということでもある」


 教室が静かだった。


「しかし、問わなければならない。誠実さと純善値は、本当に一致しているのか。数値化された善が、本物の善と等しいのか。医師という職業の特性上、われわれはこの問いから逃げることができない」


 橋本が小声で言った。


「先生、これ試験に出るんですかね」


「たぶん出ません」


「じゃあ聞かなくていいか」


 橋本はシャーペンを置いた。


 私は、教授の言葉を書き留めた。


 誠実さと純善値は、本当に一致しているのか。


 その問いは、私のためにある気がした。


 倉橋礼二は、誠実だったのか。数値は高い。でも、朱音は死んだ。


 その両方が、同時に事実だ。


 どちらが正しいか、ではない。両方が同時に本物だ、ということを、私はまだうまく処理できなかった。


     *


 四年目の冬、臨床実習が始まった。


 初めて病棟に立ったとき、においが違った。消毒と体液と、空調の冷たさが混ざった独特のにおい。慣れないうちは気になる。慣れたときに気をつけろ、と後で指導医が言った。慣れると、異常のにおいを見逃すことがある。


 内科の病棟で、七十一歳の男性患者を担当した。消化器の疾患で、入院して二週間目だった。


 その患者は、毎朝、病棟の廊下を歩いていた。リハビリではない。ただ歩いていた。いつも、ゆっくりした歩幅だった。


「歩くのが好きなんですか」


「動けるうちに動かんとな」


「どこを歩くんですか、普段は」


「家の近くの公園。毎朝、一時間くらい。桜が綺麗でな」


 患者は写真を見せてくれた。スマートフォンの中の、公園の写真。春の桜並木だった。


「毎年、花見をするんですよ。娘家族と。孫がうるさくて、ゆっくり飲めないんだけどね」


「いいですね」


「来年もできるかどうか、それだけ考えてる」


 その患者は、私が実習を終えて一週間後に亡くなった。別の病棟に異動したあとに聞いた。転移が発見されたと、担当の看護師が言った。


 桜の写真を思い出した。来年の花見には、間に合わなかった。


 指導医に話すと、「それは、お前が考え続けることだ」と言った。


「忘れろということではない。引きずれということでもない。ただ、考え続けることだ」


「どういう意味ですか」


「患者が死ぬたびに、なぜここではこうなったのか、自分は何ができたのかを問い続けるということだ。その問いを止めた瞬間、医師は機械になる」


 そうですか、と言うしかなかった。だが、そのまま覚えた。


 問いを止めた瞬間に、機械になる。


 倉橋礼二は、あの夜、問い続けていたのか。


 その問いが、また少し変質した気がした。


     *


 五年目の夏、外科の実習で、初めて手術室に立った。


 執刀するわけではない。見て、学ぶ。立っているだけで精一杯だった。


 チームは六人。術者、助手、麻酔科医、器械出し、外回り、そして私。患者は五十三歳の女性。大腸の腫瘍だった。


 手術は三時間かかった。


 私は、ほとんど動かなかった。集中していたというより、動く余地がなかった。チームの動きが速く、正確で、声が少なかった。必要なものを必要なタイミングで渡す。切るべき場所を切り、縫うべき場所を縫う。出血を抑え、視野を確保し、患者の状態を把握し続ける。


 その速さと正確さの中に、恐ろしいほどの集中があった。私には立っていることしかできなかった。それが、この場所の本物の密度だった。


 三時間が終わり、患者が手術室を出た。


 術者の医師が、マスクを外しながら言った。


「どうだった」


「すごかったです」


「すごいとか、そういう感想は、後にしろ」


「はい」


「何か気になったことは」


 私は少し考えた。


「術者の先生が、出血の量を声に出して確認していました。あれは、チームに共有するためですか」


「それもある。でも、主に自分のためだ」


「自分のため?」


「声に出すと、見えなくなるものが見える。集中すると視野が狭くなる。声を出すことで、一歩引いた視点が作れる」


 その説明が、頭に刻まれた。


 声を出すことで、見えなくなるものが見える。


 あの夜、倉橋礼二は当直医から連絡を受けた、と証言がある。その内容を、倉橋は「記憶にない」と言った。


 あの夜、倉橋は声を出したのか。確認したのか。一歩引いたのか。


 分からない。


 だが、三時間の手術を見たあと、私の怒りは少し変質していた。より正確になった、というのが近い。


 朱音が死んだことへの怒りと、あの夜の判断への怒りと、倉橋礼二という人間への怒りは、同じではない。別々のものだ。私はずっと、それを一つに束ねていた。


 外科の実習の帰り道で初めて、それをばらばらに認識した。


 ばらばらになったことが、何を意味するのかは分からなかった。


     *


 六年目の秋、研修先の病院が決まった。


 研修先一覧を眺めていたとき、ある名前が目に入った。


 外科部門の指導医一覧。


 倉橋礼二。


 名古屋の病院を辞めて、この病院に来ていた。


 私は、その名前を三秒見た。


 久しぶりに申請書類を引き出した。最後に再申請したのは、二年前だった。医学部の勉強が始まってから、申請のことを考える時間は急に減っていた。善行も続けていたが、それはもう生活の一部になっていて、数字のためという意識は薄れていた。


 最後の審査結果を確認した。


 **申請者純善値:五百八十二**

 **対象者純善値:一千二百四十七**

 **許可基準値:三千七百四十一以上**


 差は、三倍以上のままだった。


 倉橋の値は、私が医学部にいる間も上がり続けていた。


 そうだ、と思った。


 倉橋は、医師であり続けている。私が追い始めた日から今日まで、あの男は医師でいた。走っている人間に追いつくために走り始めても、相手が止まらなければ差は縮まらない。当たり前のことが、数字になって初めて分かった。


 私は申請書類を、机の引き出しに戻した。


 それから少しだけ笑った気がした。笑った理由は、自分でも分からなかった。


 マッチング先は、その病院を選んだ。倉橋がいる病院を。


 なぜそうしたのか、うまく言葉にならなかった。終わりを確認したかったのか。始まりを見たかったのか。どちらでもなかった気がするが、どちらでもなかったと言い切れる根拠もなかった。


     *


 研修医として病院に入ったのは、三十一歳の春だった。


 研修医は病棟を飛び回る。外科、内科、小児科、救急、精神科。半年ごとにローテーションが変わる。全部が新しく、全部が本物だった。


 外科のローテーションに入って三週間目、初めて倉橋礼二と直接顔を合わせた。


 廊下だった。倉橋はカルテを見ながら歩いていた。私を見た。私の名札を見た。止まった。


「神田」


「はい」


「神田拓海か」


「研修医です」


「知ってる」


 倉橋は、私の顔をしばらく見た。年齢より老けて見えた。髪に白いものが増えていた。裁判のときに何度か見た顔より、全体に線が細くなっていた。


「話ができるか」


「はい」


 処置室の隅で、二人になった。


「申請していたな」


「はい」


「二回」


「二回です」


 倉橋は腕を組んだ。


「三年前に、ここへ来た。名古屋の病院は辞めた」


「知っています」


「お前のせいじゃない。関係ない理由だ」


「分かってます」


「なぜ、ここへ来た」


「マッチング先です。先生がいると知っていました」


「殺しに来たか」


「申請は、二年していません」


「なぜ」


「考える頻度が、減りました」


 倉橋は少しだけ目を細めた。


「医師になれば純善値が上がる、そう考えたことはあるか」


 私は答えなかった。


「そう考えたな」


「……はい」


「追いついたか」


「追いつきません。先生も上がり続けるので」


 倉橋は何も言わなかった。


「先生の値は、私が医学部にいる間も上がり続けた。当然ですよね。先生は医師でいたんだから。走っている人間に追いつくために走り始めても、相手が止まらないと差は縮まらない」


「そうだな」


「制度の設計ミスだと思います」


 倉橋は少しだけ口元を動かした。笑いかけて、やめたような動きだった。


「妹さんのことを、謝る気は今もある」


 倉橋が言った。


「謝って何になりますか」


「何にもならない」


「なら、聞きません」


「そうか」


 倉橋は腕を組んだまま、窓の外を見た。


「俺は、あの夜のことを覚えていない。本当に覚えていない」


「知ってます」


「信じていないか」


「分かりません。信じたいとも思わないし、信じたくないとも思わない。どちらでもいい、という気持ちに少しずつなっています」


「どういう意味だ」


「信じるかどうかが、私の問いの中心ではなくなったということです」


 倉橋は少し間を置いた。


「俺も、似たような夜が他にもある。覚えていない夜が。それが怖い」


「怖い?」


「医師として三十年近くやっていると、覚えていない判断が積み重なる。覚えている判断より、覚えていない判断の方が多い。それがいつ、誰かの命に直接関わったか、全部は分からない」


「覚えていないということは、問いを止めたということですか」


「そうではない。問い続けながら、覚えていない部分が増えていく。それが、長く続けるということの意味の一つだ」


「それは、言い訳ですか」


 倉橋は少し止まった。


「言い訳と、実態は、同じ形をしていることがある」


 その答えが、妙にまっとうだった。


「お前は、俺より善い人間になれるか」


 倉橋が聞いた。


「分かりません」


「なれたとして、それで十分か」


「分かりません」


「俺も分からない。ずっと分からないまま、ここにいる」


 処置室を出て、倉橋は廊下を戻っていった。


 私は、しばらくそこに立っていた。


 怒りが消えていたわけではない。


 ただ、怒りと一緒に、別のものが増えていた。まだ名前のつかないものだった。


     *


 研修医一年目の冬、夜間救急に当直した。


 午前二時に、交通事故の患者が運ばれてきた。二十歳の女性。バイクで車に巻き込まれた。腹部と頭部に外傷。意識は薄い。


 チームが動いた。私は、指示に従いながら走った。


 処置が始まった。血圧が下がる。出血源を探す。腹腔内出血の可能性。超音波で確認する。


 開腹の判断が出た瞬間、私は自分の体が硬直したのを感じた。


 腹腔内出血。


 朱音と、同じだった。


 一秒だけ、手が止まった。


「神田!」


 指導医の声で、手が動いた。


 手術は三時間。患者は助かった。


 廊下に出て、壁に寄りかかったとき、指導医が隣に来た。


「大丈夫か」


「はい」


「手が止まった」


「すみません」


「理由は聞かない。ただ、一秒止まった」


「はい」


「次は止まるな」


 それだけ言って、指導医は去った。


 私は、冷たい壁に背中を預けて、天井を見た。


 助かった。


 二十歳の女性が、助かった。


 朱音と同じ年齢だった。


 泣きそうだった。泣かなかった。


 翌朝、患者の病室を覗いたとき、女性が目を開いていた。担当の看護師と話していた。


 私は廊下から少しだけ見て、そのまま通り過ぎた。


 通り過ぎながら、朱音のことを思った。


 泣けなかった夜に、泣けなかったこと自体が何かだ、という気がした。何かが何かは、分からない。でも、何かだった。


     *


 年が明けて、一殺権の申請期限が近づいていた。


 不許可になってから六か月ごとに再申請できる制度では、継続して申請し続ければ権利は維持される。私は二年間申請しなかった。二年間申請しなければ、権利は失効する。


 失効まで、あと三十日だった。


 私は申請書類を引き出しから出した。机の上に置いた。


 見た。


 倉橋礼二。対象者の欄に書かれた名前。


 処置室での会話を思い出した。覚えていない夜が、怖い。その言葉が本物だったかどうか、今も分からない。でも、本物かどうかは、もうそれほど重要ではなかった。


 倉橋は今日も手術をしている。今日も誰かの腹を開いて、縫っている。問い続けながら、覚えていない部分を積み重ねながら、明日もそうするだろう。


 私は今日、夜間救急があった。患者が運ばれてきた。処置をした。患者は安定した。明日もそうだろう。


 朱音の顔を思い出そうとした。


 病院で見た顔ではなく、生きていた顔を。


 名古屋の大学に進んで、初めての一人暮らしが嬉しかったと電話で言っていた声。大学の友達ができたと報告してきたライン。帰省したとき、台所で夕飯を一緒に作りながら笑っていた背中。好きな俳優の話を止まらずにしていた、新幹線の中。


 朱音は、私に人を殺してほしかっただろうか。


 その問いへの答えは、出なかった。


 出なかったが、私は申請書類を引き出しに戻した。


 戻した理由は、きれいなものではなかった。


 怒りが消えたわけではない。倉橋を許したわけでもない。


 ただ、今夜運ばれてくる患者のことを考えた。次の夜のことを考えた。手が止まらないように、次は止まらないように、それだけを考えた方が、ずっと正確に体が動く気がした。


 それだけだった。


 朱音のためではなかった。


 でも、それだけが、今の私にできることだった。


     *


 失効の通知は、三十日後の朝に届いた。


 **申請番号:T1-0882-17(継続申請番号含む)**

 **権利未行使継続につき、申請権失効**


 機械的な文面だった。


 私はそれを一度読んで、削除した。


 その朝、回診があった。


 ナースステーションを出て、病棟を歩く。患者の顔を見て、状態を確認して、処置を考える。廊下の先に倉橋がいた。倉橋も回診中だった。


 目が合った。


 倉橋は何も言わなかった。私も何も言わなかった。


 すれ違った。


 それだけだった。


     *


 この国では、人を殺す資格は数字で決まる。


 私は七年かけて、その数字に近づこうとした。


 近づいた。だが、届かなかった。


 届かなかった理由は単純だ。倉橋は止まらなかった。私が追い始めた日から今日まで、あの男は医師でいた。手術をし、患者を診て、失敗を恐れながら、数字を積み続けた。


 善行を積む動機は、人によって違う。


 倉橋のそれが、朱音の死に対する贖罪だったのかどうか、私には分からない。今も分からない。倉橋自身にも、分からないかもしれない。


 ただ、倉橋は今日も外来にいる。手術室に入る。夜間の呼び出しに応じる。覚えていない夜を積み重ねながら、問いを止めずに、ここにいる。


 私も、そうしている。


 それが答えかどうかは、分からない。


 分からないまま、今日の分を積む。


 そういうことだと思っている。今は。


 朱音の四十九日が明けた週に開いた封筒のことを、今も時々思い出す。あの洗濯籠の中のタオルケットがどうなったのか、私は知らない。聞いていない。聞けないというより、聞く必要がなくなった気がしている。


 それが何を意味するのかは、まだ分からない。


 分からないまま、明日の当直に備えて、少しだけ眠る。


 窓の外で、誰かの救急車が遠ざかっていく。


 あの車の中にいる人間が、明日も生きていればいいと思う。


 思うことが、いつから始まったのかは、覚えていない。

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