第9話「秘宝か、ただの綺麗な石か」
地下4層。
そこは、通常の探索者であれば、死を覚悟して踏み込む暗黒の領域だった。
空気は粘り気を帯び、壁からは常に不気味な心音が響いてくる。
しかし、サトウの目には、そこは単に「長年放置された物置」にしか見えていなかった。
「ここは、少し換気が悪いな。カビの臭いが鼻につく」
サトウは、拾った球体を空中に固定すると、本格的な清掃準備に取り掛かった。
配信はすでに開始されており、同時接続数はついに30万人を突破していた。
世界中の視聴者が、彼がこの死地で何をするのかを固唾を呑んで見守っていた。
サトウは、壁の隅に溜まった埃を掃き出していた。
すると、その奥から、眩いほどの光を放つ宝石のような物体が転がり出てきた。
それは、伝説に語られる「深淵の涙」と呼ばれる、魔力の結晶体だった。
一つあれば小国を買えるほどの価値があり、手にした者に強大な魔力を与えると言われている秘宝だ。
『おい、あれ……嘘だろ?』
『深淵の涙!? 国宝級のアイテムじゃないか!』
『なんであんなところが埃にまみれて落ちてるんだよ!』
『サトウ、拾え! 早く!』
コメント欄は、未曾有の熱狂に包まれた。
しかし、サトウの反応は、視聴者たちの期待を大きく裏切るものだった。
「おっと……。なんだ、こんなところにガラスの破片が落ちているじゃないか。危ないな」
サトウは、顔をしかめてその秘宝を拾い上げた。
彼にとっては、その光り輝く宝石も、清掃の邪魔になる「ゴミ」の一種に過ぎなかった。
彼は秘宝の表面を指でなぞり、表面が曇っているのを見て、チッと舌打ちをした。
「せっかくの飾り物なのに、手入れがされていない。これじゃあ、ただの石ころと変わらないよ」
サトウは、バケツから研磨剤を取り出すと、あろうことか「深淵の涙」を激しく磨き始めた。
視聴者たちは、その光景に絶叫した。
本来、秘宝に不用意な刺激を与えれば、蓄積された魔力が暴走し、周囲数キロメートルを吹き飛ばす爆発が起きるはずだ。
『やめろ! 死ぬぞ!』
『暴走する! 逃げろ!』
しかし、現実は異なった。
サトウが磨けば磨くほど、宝石の放つ光は、禍々しい紫色から、透き通るような純白へと変化していった。
魔力の暴走? そんなものは起きなかった。
宝石の中に澱んでいた不純なエネルギーが、サトウの「浄化の指先」によって、完全にろ過されてしまったのだ。
「うん、これなら照明代わりに使えそうだ。球体君、君もこれを見習って、もっと明るく光ってよ」
サトウは、価値にして数千億円の秘宝を、適当な出っ張りに置いて、周囲を照らすライトとして使い始めた。
画面の向こう側では、アンチたちが一斉に沈黙した。
「ヤラセだ」と言い張っていた者たちも、その圧倒的な現象の前には、言葉を失うしかなかった。
物理法則も、魔力の定説も、サトウという「掃除屋」の前では、何の意味も持たなかった。
その時、コメント欄に一つの書き込みが現れた。
『……待て。彼が今、秘宝を置いた場所……。あれ、未発見の「真なる深層」への扉の鍵穴じゃないか?』
その指摘通り、サトウが秘宝を置いた瞬間、壁一面に刻まれた模様が青く発光し始めた。
巨大な地鳴りが響き、何千年も閉ざされていた「人類未踏の領域」への道が開こうとしていた。
しかし、サトウは開いた扉の奥から吹き出してきた大量の塵を見て、深く、深くため息をついた。
「……ああ、もう。せっかくここまで綺麗にしたのに、また奥からゴミが出てきた。ここは、本当に終わりがないな」
彼は、嫌な顔をしながらも、モップを握り直した。
その瞳には、未踏の領域への冒険心など微塵もなく、ただ「新しい汚れ」に対する義務感だけが宿っていた。
同時接続数は、ついに50万人を突破した。
世界で最も有名な掃除屋が、今、神の領域へと足を踏み入れようとしていた。




