第8話「スカウトメールはゴミ箱へ」
翌朝、サトウのスマートフォンのメールボックスは、文字通りパンク状態にあった。
世界各国の探索者ギルド、政府機関、果ては一流ブランドの広告代理店から、膨大な数のオファーが届いていた。
その中でも、国内最強のギルド「天翼」からのメールは、他を圧倒する威圧感を放っていた。
『サトウ様。貴殿の持つ稀有な才能を、我がギルドは高く評価しております。年俸五億円に加え、専用の清掃チームと最新の装備を提供することを約束します。至急、面談の機会を……』
サトウはトーストをかじりながら、そのメールを一瞥した。
そして、流れるような動作で「ゴミ箱」へとドラッグする。
「専用の清掃チーム、か。自分の掃除は自分でするのが一番綺麗になるのにな。分かってないなあ」
サトウはため息をついた。
彼にとって、掃除とは他人に任せるものではなく、自らの魂を込めて行う聖域だった。
それを他人に分担させるという提案は、彼にとって侮辱に等しかった。
それに、「年俸五億円」という数字も、彼には現実味がなさすぎた。
彼が知る最高級の洗剤は、一本二千円だ。
五億円もあれば、一生かかっても使いきれないほどの洗剤が買える。
そんな事態になれば、保管場所に困るだけだと、彼は真面目に考えた。
その頃、ギルド「天翼」の本部ビルでは、重苦しい空気が漂っていた。
会議室の長テーブルには、スカウト部門の責任者たちが顔を揃え、誰一人として口を開こうとしない。
上座に座るギルドマスターの剣崎は、指先でテーブルを叩きながら、冷徹な視線を部下たちに向けていた。
「……返信はないのか」
「は、はい。すでに20回以上の連絡を試みましたが、すべて無視、あるいは拒否の設定にされているようです。宛先が間違っているのかとも思いましたが、間違いなく彼のアカウントです」
スカウト部長が、震える声で答えた。
剣崎は、鼻を鳴らした。
彼にとって、金と名声で動かない人間など存在しないはずだった。
この「サトウ」という男は、よほど強欲なのか、あるいは計算高い策士なのか。
「直接、会いに行くしかないな。彼が今、どこにいるか特定出来ているのか」
「それが……。GPS信号は常にダンジョン内で消失しており、唯一の手がかりは、今も続いているライブ配信の映像だけです」
剣崎は、モニターに映し出されたサトウの背中を睨みつけた。
画面の中では、サトウがバケツを持って地下4層への階段を降りようとしていた。
その足取りは軽く、これからピクニックにでも行くかのような無防備さだった。
一方、サトウはダンジョンの入り口で、一人の男に呼び止められていた。
男は「天翼」のロゴが入った豪華な防具を身に纏い、いかにもエリートという雰囲気を漂わせていた。
「君が、あの配信の掃除屋か?」
男は傲慢な態度でサトウの前に立ち塞がった。
サトウは、困ったように眉を下げた。
「すみません、急いでいるんです。階段の踊り場に、昨日の雨で泥が溜まっているはずなので」
「話を聞け。我々『天翼』が、君を特別待遇で迎え入れると言っているんだ。この契約書にサインしろ。そうすれば、君はもうこんな薄汚い場所で掃除をする必要はなくなる」
男が差し出した革張りのバインダー。
サトウは、その表面に付着した小さな指紋を見逃さなかった。
「……そのバインダー、少し汚れていますよ。触る前に、アルコールで拭いた方がいいです」
「はあ!? 何を言っているんだお前は!」
サトウは、男の言葉を待たずに、シュッ、と自前の霧吹きをバインダーに吹きかけた。
そして、手際よく布で磨き上げる。
「よし、これで綺麗になりました。それでは、失礼します」
「待て! おい!」
サトウは、唖然とする男の横をすり抜け、軽快な動作で地下へと消えていった。
彼にとって、ギルドの勧誘よりも、バインダーの指紋の方がよほど重大な問題だったのだ。




