第7話「切り抜き動画の衝撃」
世界が、一つの映像によって塗り替えられようとしていた。
深夜の静寂を切り裂くように、動画投稿サイトのサーバーは悲鳴を上げていた。
画面の中で、作業着を纏った名もなき青年が、伝説級の魔物をモップ一本で磨き上げ、塵へと変えていく。
その映像は、公開からわずか数時間で数千万回の再生を記録し、主要なSNSのトレンドを独占した。
青白いスマートフォンの画面を見つめる何億という瞳が、信じがたい光景に釘付けになっていた。
探索者管理公社のオフィスでは、氷室ひなこがキーボードを叩く音だけが、乾いたリズムを刻んでいた。
彼女の周囲には、栄養ドリンクの空き瓶が散乱し、空気には濃いカフェインの香りが漂っている。
彼女は、モニターに映し出されたサトウの「掃除」を、コマ送りで解析し続けていた。
『……やっぱり、何度見てもおかしいわ。この身体操作、単なる武術の域を越えている』
ひなこは、サトウが巨大百足をあしらった瞬間の、足首の角度に注目した。
普通の人間であれば、あれだけの衝撃を受ければ骨が砕け、関節が外れるはずだ。
しかし、サトウは衝撃を「受け流す」のではなく、自らの筋肉の振動によって「打ち消して」いた。
それは、床のワックスを均一に塗り広げる際に行う、微細な体重移動の応用だった。
「氷室君、ネット上の反応はどうなっている」
背後から、重厚な声が響いた。
公社の理事長である初老の男性が、厳しい表情で立っていた。
ひなこは姿勢を正し、いくつかのウィンドウを並べて表示した。
「混沌としています、理事長。大多数の視聴者は、これを『世紀の発見』として熱狂的に支持していますが、一部の専門家や既存のトップ探索者たちは、これを巧妙なCGだと断じています。特に、アイアン・ゴーレムが鏡のように磨き上げられたシーンは、物理法則を無視しているとの指摘が相次いでいます」
画面上では、有名な検証系配信者が、サトウの映像を執拗に叩いていた。
『こんなのは詐欺だ』『最新のホログラム技術を使えば、この程度の映像は作れる』。
そんな根拠のない否定の言葉が、何万もの「いいね」を集めている。
しかし、その一方で、現場を知る実戦派の探索者たちは、沈黙を守っていた。
彼らには分かっていたのだ。
あの映像に宿る圧倒的な「熱量」と、青年の瞳に宿る、汚れに対する純粋なまでの殺意を。
一方、当のサトウは、自分の部屋で古い洗濯機の唸り声を聞いていた。
ガタン、ゴトンと規則正しく響く振動が、彼にとってはどんな音楽よりも心地よかった。
彼は、ベランダから差し込む柔らかな月光を浴びながら、今日一日使い込んだモップの毛先を一本ずつ丁寧に解きほぐしていた。
『明日は、もう少し強力な界面活性剤を用意した方がいいかもしれないな。3層の奥は、油分を含んだ煤が多い気がする』
サトウの頭の中は、明日の清掃計画でいっぱいだった。
スマートフォンが枕元でチカチカと光り、未読通知が数千件を超えていたが、彼はそれを「システムの不具合」だと思い込み、一度も画面を開かなかった。
彼にとって、ネット上での名声は、手に触れることの出来ない実体のない霞のようなものだった。
それよりも、指先に残る石畳の質感や、汚れが落ちた瞬間の爽快感こそが、彼にとっての真実だった。
「よし、これで明日も真っすぐな線が引ける」
サトウは、手入れを終えたモップを壁に立てかけ、満足そうに頷いた。
部屋の空気は、彼が磨き上げたフローリングから発せられる微かな木の香りで満たされている。
世界が自分を中心に狂騒を始めていることなど、露ほども知らない。
彼はそのまま、一点の曇りもない清潔なシーツに身を沈め、深い眠りへと落ちていった。




