第6話「粗大ゴミ(ボス)の処分」
通路の先から、重い足音が響いてきた。
地面が小刻みに震え、バケツの中の洗浄液が波紋を描く。
現れたのは、地下3層の守護者とも呼ばれる「アイアン・ゴーレム」だった。
全身が黒ずんだ古鉄で構成された、高さ3メートルを超える巨躯だ。
その体には、長い年月をかけて蓄積された煤と、不吉な魔力の滓がこびりついている。
視聴者たちは、画面越しに悲鳴を上げた。
物理攻撃がほとんど通用しない、この階層最強の門番だ。
それを前にして、一人の青年がモップ一本を手に立っている。
あまりにも絶望的な構図だった。
だが、サトウの瞳に映っていたのは、恐怖ではない。
純粋なまでの、憤りだった。
「……汚い。なんて汚いんだ。君、最後にいつ体を洗ったんだ?」
サトウの声は、静かだが厳しかった。
ゴーレムの表面に固着した錆や、関節に詰まった泥。
それは、彼にとって存在自体が罪悪であるかのような、許しがたい汚れだった。
ゴーレムはサトウの言葉を無視し、巨大な鉄の拳を振り上げた。
空気を切り裂く轟音が響き、一撃で石床を粉砕しようとする。
しかし、その拳が届くよりも早く、サトウの姿が消えた。
「まずは、その頑固な煤から落とさせてもらうよ」
サトウの声が、ゴーレムの背後から聞こえた。
彼はいつの間にか相手の懐をすり抜け、背中の最も汚れている部分へと跳躍していた。
手に持ったモップの先端が、超高速で回転を始める。
サトウが込めた魔力は、摩擦熱を一切出さず、ただ汚れの分子結合だけを断ち切る鋭利な刃となって、ゴーレムの全身をなぞった。
激しい打撃音が通路に響き渡る。
いや、それは攻撃の音ではなかった。
それは、研磨機が鋼鉄を磨き上げる、浄化の音だった。
『おい見ろよ! ゴーレムが……光り輝いてる!』
『嘘だろ、あんな硬い鉄の皮膚を、モップで削り落としてるのか!?』
『違う、削ってるんじゃない。磨いてるんだ……!』
コメント欄が狂喜乱舞する。
サトウの動きは、もはや人の目では捉えきれない速度に達していた。
ゴーレムが振り回す拳を、紙一重の差で回避しながら、彼は一秒間に数百回の打撃……もとい、ブラッシングを叩き込んでいく。
ゴーレムの重厚な一撃は、サトウが纏う清潔な空気の渦に弾かれ、かすりもしない。
やがて、サトウが最後の一仕上げとばかりに、ゴーレムの頭部をバケツの水で豪快に洗い流した。
直後、ゴーレムの巨体は膝をついた。
その全身は、先ほどまでの黒ずんだ古鉄ではなく、鏡のように周囲を映し出す、純銀のごとき輝きを放っていた。
汚れという名の「呪い」を取り除かれたゴーレムは、そのまま満足したかのように粒子となって霧散した。
後に残ったのは、最高品質の純鉄の塊と、巨大な魔石だけだった。
「よし。ようやく本来の輝きを取り戻したな。物は大切に扱わないとダメだよ」
サトウは額の汗を拭い、満足そうに頷いた。
その瞬間、彼の脳内で一つの機械的な音声が響いた。
『世界ランキング、変動を確認。第98位、SATO』
それは、世界で百人しか存在しない「トップ探索者」の仲間入りを果たしたことを告げる通知だった。
しかし、サトウはそれを、自分が使っている洗剤の成分表示か何かだと勘違いし、特に興味を示すこともなく聞き流した。
「さて、通路の掃除もあと少しだ。今日は早めに切り上げて、新しい雑巾を買いに行こうかな」
彼は再びモップを手に取ると、誰もいない通路に向かって、軽やかなステップで進み始めた。
配信の同時接続数は、ついに10万人を突破していた。
画面の向こうでは、プロの探索者たちが絶句し、投資家たちが彼の正体を探るために私立探偵を雇い、軍関係者がその戦闘力の分析を開始していた。
世界が彼を中心に回り始めた。
しかし、当のサトウは、ただ床のタイルの継ぎ目に溜まった汚れをどう落とすか、それだけを真剣に悩んでいた。
彼にとっての世界平和とは、すべての床が鏡のように磨き上げられている状態に他ならなかったからだ。




