第2話「拾った珠は、神の眼だった」
深夜2時。
都心の高層ビルにある、探索者管理公社の監視室。
氷室ひなこは、睡魔と戦いながら、数百枚のモニターに映し出される配信映像をチェックしていた。
ほとんどが、自称天才たちの無謀な突撃か、あるいは中堅探索者たちの退屈な自慢話だ。
そんな中、彼女の視界の端で、一つの画面が異常な輝きを放った。
「な、に……これ……?」
彼女の指が、キーボードを叩く。
拡大された映像には、暗いダンジョンの通路で、ただ黙々と床を磨く一人の青年の後ろ姿が映っていた。
驚くべきは、その画質だった。
現在の最高級カメラですら不可能な、毛穴の一つ一つまでが見えるほどの超高精細な映像。
そして、カメラワークだ。
まるで、超一流の映画監督が撮影しているかのように、光の入り方、青年の手の動き、滴り落ちる汗の質感を完璧に捉えていた。
「IDは……未登録? タイトルは『深夜の地下2層、清掃中』。視聴者数は、現在……一人。私だけ?」
ひなこは息を呑んだ。
画面の中の青年、サトウは、自分が撮影されていることなど全く気にしていない様子で、古びたモップを動かしている。
しかし、その動きを見た瞬間、ひなこの背筋に電撃が走った。
モップが描く軌道。
それは、重力や空気の抵抗を計算し尽くした、数学的なまでに美しい円運動だった。
彼が汚れを擦るたびに、周囲の空気が微かに震えている。
それは、熟練の剣士が放つ「剣気」に似ていたが、より純化され、研ぎ澄まされていた。
『この人、ただ掃除をしているだけじゃない。身体操作の極地を……無意識に実践している?』
ひなこは、自分の直感を信じて、その配信のリンクを公社の公式ポータルサイトの「注目枠」へと放り込んだ。
通常、権限のない一職員がしていいことではなかったが、彼女の指は止まらなかった。
この映像は、世に出さなければならない。
いや、自分一人で独占するには、あまりにも惜しすぎる芸術だった。
一方、ダンジョンの底でサトウは、ようやく通路の半分を磨き終えていた。
額に滲んだ汗を手の甲で拭い、満足そうに振り返る。
そこには、先ほどまでの湿り気と不潔さが嘘のような、清潔で清らかな空間が広がっていた。
「ふう、ようやく石の本来の色が見えてきたな。ここの管理者は、一体何を考えているんだか。これじゃあ、魔物だって不機嫌になる」
サトウは独り言をいいながら、バケツの水を交換するために立ち上がった。
彼が拾った球体は、その一挙手一投足を、ドラマチックなスローモーションを交えて全世界に送り届けていた。
コメント欄が、動き始めた。
『待て、この画質なんだよ。映画か?』
『掃除? ダンジョンで掃除してるの? 頭おかしいだろ』
『いや、ちょっと待て。今の立ち上がり方見たか? 膝の角度が全く変わってない。重心移動が完璧すぎる』
『ヤラセだろ。CGに決まってる』
『でも、この空気感……本物のダンジョン2層だぞ。俺昨日あそこ通ったけど、こんなに綺麗じゃなかったぞ』
書き込みは、最初こそ半信半疑だったが、数分もしないうちに爆発的に増え始めた。
視聴者数は、100人、500人、そして一気に3000人を突破した。
サトウは、自分の足元で点滅する球体のランプに気づいた。
「ん? なんだ、電池切れか? まだ使い始めたばかりなのに」
彼は球体に顔を近づけた。
その整った顔立ちが画面いっぱいに映し出される。
コメント欄は、阿鼻叫喚の嵐に包まれた。
『うわ、イケメンかよ!』
『肌が綺麗すぎる。掃除してるからか?』
『おい見ろ、後ろの暗闇! 何かいるぞ!』
ひなこも、モニターの前で身を乗り出した。
サトウの背後、闇の中から、ゆっくりと巨大な影が這い出してきた。
それは、地下2層の主とも呼ばれる、猛毒を持つ大百足「ヴェノム・センチピード」だった。
本来なら、十人以上のCランク探索者がチームを組んで挑むべき相手だ。
「……ちっ、またか」
サトウは、振り返ることもなく、舌打ちをした。
視聴者たちは、彼が死を覚悟したのだと思った。
しかし、彼の不機嫌そうな言葉は、予想もしない方向から放たれた。
「せっかく床を拭いたばかりなのに、そんなにベタベタした足で歩き回るなよ。これだから、不潔な連中は困るんだ」
彼は、手に持っていた汚水まみれのモップを、無造作に後ろへと振り抜いた。




