第12話「世界一の称号と、安いカップ麺」
ダンジョンの外に出ると、そこはすでに夜の帳が降りていた。
入り口付近には、昼間よりもさらに多くの人々が集まっていた。
記者、カメラマン、そしてサトウの正体を一目見ようと詰めかけた熱狂的なファンたちだ。
彼らは、地下から現れる「英雄」を、今か今かと待ち構えていた。
しかし、サトウはいつものように、裏口の清掃員専用通路を通って、静かに外へと抜け出した。
彼は、群衆の喧騒を背に、夜の街を足早に歩いた。
『今日も疲れたな。やっぱり、地下3層の油汚れは手強かった』
サトウの頭の中は、今すぐにでも温かい風呂に入り、体を清めたいという欲求で占められていた。
彼は途中、角にある小さなコンビニに立ち寄った。
店内に入ると、テレビモニターには「世界ランキング1位、SATO」という大見出しが踊っていた。
店員も客も、皆そのニュースに釘付けになり、すぐそばに本人がいることなど微塵も気づいていない。
サトウは、棚から一番安いカップ麺と、明日のためのゴミ袋を手に取った。
レジで会計を済ませる際、店員が興奮気味に話しかけてきた。
「お客さん、見ましたか? あのSATOって人。凄いですよね、モップで魔物を倒しちゃうなんて。俺も、あんな風になれたらいいのになあ」
サトウは、少しだけ照れくさそうに笑いながら、お釣りを受け取った。
「ええ、凄かったですね。でも、掃除は基本が大事ですから。毎日コツコツやるのが、一番の近道ですよ」
「はは、確かにそうっすね。お疲れ様でした!」
サトウは袋を下げて、店を出た。
ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
彼は自分のボロアパートへと戻り、階段を一段ずつ、丁寧に踏みしめながら上っていった。
その姿は、数時間前に神の領域を浄化した男とは到底思えないほど、質素で、ありふれたものだった。
部屋に入ると、彼はまず、脱ぎ捨てた作業着を洗濯機に放り込んだ。
そして、シャワーを浴びて、今日一日の汚れを綺麗に洗い流した。
鏡に映る自分の顔を見て、彼はふと思った。
『ランキング1位、か。……よく分からないけど、これでもっと広い範囲の掃除許可がもらえるなら、悪くないな』
彼は、世界が自分をどう評価しているのか、いまだに正確には把握していなかった。
彼にとって重要なのは、自分が決めた「清潔さの基準」を、どれだけ高く維持出来るかということだけだった。
サトウは、お湯を注いだカップ麺を机に置き、三分待つ間にスマートフォンを手に取った。
相変わらず通知は止まっていないが、彼は設定画面を開き、すべての通知をオフにした。
そして、唯一気になっていた「配信収益」の項目をチェックした。
画面に表示された数字を見て、サトウは危うくカップ麺をひっくり返しそうになった。
「……は? いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……。八千、五百万円!?」
彼の手が、激しく震えた。
たった一日の配信で、彼がこれまで貯金してきた額の数百倍もの大金が振り込まれていた。
彼は目を擦り、何度も数字を確認したが、現実は変わらなかった。
「な、なんだ、これ……。システムのバグか? それとも、誰かの間違いか?」
彼は慌てて、拾った球体に目をやった。
球体は、棚の上で静かに明滅しながら、まるで「それが君の価値だ」とでも言いたげに、柔らかな光を放っていた。
サトウは、しばらくの間、信じられない思いでその画面を見つめていた。
しかし、三分を知らせるタイマーの音が鳴ると、彼はすぐに現実に引き戻された。
彼はスマートフォンを置き、割り箸を割った。
「……まあ、いいか。とりあえず、これでお徳用の洗剤をたくさん買えるな。あと、もう少し性能のいい掃除機も」
彼はズズッと麺をすすり、その素朴な味に安堵した。
世界最高の探索者が、安アパートで独り、カップ麺を食べる夜だ。
その矛盾に満ちた光景こそが、サトウという男の真骨頂だった。
明日になれば、また新しい汚れが彼を待っている。
世界がどれだけ彼を崇めようとも、彼の本質は変わらない。
彼はただの掃除屋であり、世界を綺麗にしたいと願う、一人の潔癖な青年だった。
「よし、明日は地下5層だな。あそこは確か、かなり換気扇が詰まっていたはずだ。徹底的に分解掃除してやるぞ」
サトウは、スープを飲み干すと、満足そうにため息をついた。
彼の夜は、静かに、そして清潔に更けていった。




