重なり溶けない声
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空を見上げると、雲がズシッと重そうだ。きっとたっぷり雪を纏っているのだろう。鼻も耳も酷く冷たい。
古びたマフラーを赤い髪ごと巻いて、クロシェットは職場の古いドアを開けた。
「クロシェット、こっちに来い」
「只今参ります」
昨日は休みだったが、碌に眠れていない。背中が引き攣れたかのように痛む。
寮には姿見がないので、傷の有無は確認出来なかった。何処かでぶつけたのだろうか。
上司に促され、クロシェットはノロノロと彼の机へと歩を進めた。
「偏りグイル子爵の坊ちゃんの話を聞いてきたぞ」
「……申し訳ありません。私の不手際で」
「自称女が苦手らしいからな。その割に、例のペトラルカ嬢とは懇ろらしいが」
塗料の剥げた机に載った新聞には、その場で見てきたかのような過激な見出しが書いてある。
王女の存命中から、王女の寝台や王女の部屋からよく見える黒い百合の咲く裏庭で仲良くしていた、とか。
王女の存在を糧に、王宮の人気の無い第二廊下で密会して不貞の炎が盛り上がっていた、とか。
未だ煙が収まらない北の離宮の柱の陰が待ち合わせ場所だった、等とやけに具体的だった。
「ですが、昨日の子爵令息の報告書を読ませて頂くと……お互い嫌い合っているようですね」
「自己愛が強い者が本当のことを喋っているとは限らんよ。
大体、怯えている相手……しかも初対面に近い人間に献身的に尽くすかね?」
「となると……ペトラルカ嬢と王女リンの、愛を育んだという戯言話もですか?」
「ペトラルカ嬢は愛を告白された、と言っているが……果たしてなあ。
例の修道院と内戦で子爵令息を持ち上げた解放軍にも聞いてみないと」
もしかして、修道院と解放軍の中に、誰か告発者が居るのだろうか。
「具体的ですものね」
「そうなんだよな。わざわざ場所を指定してるってことは、見た奴が居るんだろう。不貞ってのは、密かにやるもんじゃないのかねえ」
「あの人達は、平民のことを居ないものと思っていそうですから……」
「成程ねえ……。同じ生き物じゃないから、売られたとしても理解出来ないのかもな」
「同じ生き物だと思えないのは、あのふたりですけれどね」
「違いない。お、寒いと思ったら雪か」
クロシェットは、雪を見た途端に身を裂くような痛みに襲われ、淡く、短く息を漏らした。
「どうした」
「いえ、背中が……運動不足でしょうか」
「具合が悪いなら、医者に掛かれ。前の職場と違ってまだ軍医はいるぞ」
「ええ……軍医、お医者……」
痛みで脂汗がヒタヒタと湧き出てくる。目の前が白く濁ってきた。
頭痛も酷くするし、今此処が何処か分かりにくい。
「あれ……前の職場って、なんでしたっけ」
「……しっかりしろよ。名前は? 言ってみろ」
「ええと、ぃ……」
反射的に答えようとして、舌がもつれる。彼女の背中に誰かの手が触れた。支えてくれたらしい。
「そうだ、お前はクロシェットだろう? 前の職場の重労働のせいで背中を痛めて此処に赴任してきたんじゃないか」
「背中を……」
「そうだ、辛いんだろう? 」
辛い。
でも、やらなければならなかった。
やりきらなければ、愛しい……誰かが罪に問われる。
そう彼女の脳裏に何かが浮かぶ。
だが、思い出せそうで掴み取れない。
「ですが、……の為に」
「……やかったか……」
「焦ってはダメよ、愛しい……」
上司の声に重なって、誰かの声が響いた。
掠れた、少女の声、年嵩の女性の声にも聞こえる。視界も体ももやもやする中、クロシェットは、意識を失った。
誰しも胡散臭いようです。




