9 愛の告白
王立大学で博士との面会を済ませたその夕方、僕は、ペンブルック伯邸に車を行かせた。
この前、メアリとは気まずい雰囲気で別れたが、彼女はいつもように古風なデイドレスに身を包み、僕を迎えてくれた。微笑みがぎこちない。
伯爵夫妻を交えて、僕はサイ・クマダ博士の治療を提案した。
「『生まれ変わり』を、今は心の病気というのですか」
伯爵が眉を寄せて首を傾げている。
「殿下、私も授賞式でクマダ博士をお見かけしましたが、個性的な方でいらして……」
夫人も案じている。
無理もない。博士は、イリス勲章受章者とはいえ、異国出身でかつ教会の史司たちから反感を買っている男だ。ネールガンド建国時からの名家の貴族にしてみれば、不信感を持つのはもっともだ。
と、俯いていたメアリが頭を上げた。
「私は、この世界ですでに脳科学という学問があることに驚きました。殿下が懇意にされている博士ですから、優れた方と存じます。お願いいたします」
伯爵夫妻は目を丸くして娘を見つめる。
ペンブルック伯は僕に向き直った。
「すべて殿下にお任せいたします。捨てられて当然の娘をここまで気に掛けてくださり、感謝しかございません」
伯爵夫妻が気を利かせてくれて、僕とメアリはこの前と同じように二人きりとなった。ソファに並んで座る。
「メアリ……この前僕は、きついことを言った……すまなかった」
このソファで、僕はメアリと初めて口づけを交わした。なのに彼女は、僕にクシナダを勧めたのだ。
「殿下、私こそ申し訳ございません……少しお話してもよろしいですか?」
僕は小さく頷いて、彼女の肩を抱き寄せた。
メアリの震えが、僕に手のひらに伝わってくる。
「私は光栄にも殿下の妃に選ばれましたが、いずれ断罪されるだろうと覚悟をしていました。それならせめて、私の尊敬するクシナダ様と結ばれてほしくて……」
「断罪されると思ったのは、前世の影響か?」
「はい。私は、転生者が現代文明の知識で世界を救う物語が好きでした。平凡な独身中年派遣社員が、異世界では英雄になれる……ずっと憧れていました」
メアリ、それは君の思い込みだ。
「でも、いざ自分がその立場になってみると、間違っていました」
どうやら自分の思い込みに気づいたらしい。
「私の世界にも『前世はナポレオンだ』や『地球を乗っ取りに来た宇宙人』など、冗談ではなく本気で思いこんでいる人がいました。大学の同期とかお客様とか……適当に話を合わせていましたけど」
宇宙には太陽と同じ様な星が無数にあるという。学者たちは今、宇宙人の存在の可能性を議論している。
「日本の皇族が『前世はタイタンの戦士だ』とマスコミの前で話したら……とんでもないスキャンダルになります。皇族のお妃候補が『自分はハイリアのゼルダ姫』と本気で発言されたら、もちろん結婚は認められず、SNSで炎上でしょう」
たとえが謎すぎてまったくわからないが、彼女なりに自分の立場を理解しようとしているのだろう。
「どのような世界でも誰もが真剣に生きているのに、私は浅はかにも、ここは作られた物語世界だと申しました。殿下がお怒りになるのは当然です」
ようやくわかってくれたようだ。君の前世こそ、作られた物語世界なのだ。
「ここはニホンではない。ネールガンドだ。君の名はただひとつ、メアリ・カートレットだ」
「はい、私はメアリです。これからはネールガンドに生まれた女として、正直になります」
「君は正直すぎるほど正直だよ。だから、前世を告白したんだろう?」
「いいえ! 私は傷つくことを恐れて心を隠す卑怯者です」
「君が卑怯者のはずがない」
メアリが大きく頭を振り、僕の腕を強く掴んだ。
「あ、あの……聞いてくれますか」
全身を震わせるメアリの頭を、そっと撫でた。
彼女の美しい唇も震えている。
「殿下をお慕い申し上げております。たとえ結ばれなくても、一日でも長く殿下の傍にいたいのです」
応接室の時が止まる。
メアリは今、なんと言った?
僕はどうしたらいい? 駄目だ。なにも考えられない。
「メアリ、君が好きだ! 大好きだ! 君を愛している!」
婚約者の背中に腕を回して強く抱きしめた。
彼女も応えて、僕の背中にしがみついてきた。
「はじめて……殿下にそう言われたの……私、幸せ……世界で一番幸せ……」
星の瞬きのような声が、耳をくすぐる。
そうだ。僕は彼女に一度も愛を伝えていなかった。情けないことに。
「僕は宇宙で一番幸せだよ」
見つめ合い、頬と額に唇を寄せる。
メアリが「あ、あの、お恥ずかしいのですが……」と、小さく切り出した。
「私、クシナダ様の帰国前にお詫び申し上げました。嫉妬のあまり意地悪をしたと……なのにあの方は、笑って私を励ましてくれて……」
「クシナダ嬢は、君が留学生に優しいと褒めていたよ。それに君の嫉妬は僕に嫌われるための演技だったんだろう?」
「嫉妬したのは本当です。私は大学入学時から殿下を見つめていました。なのに後からいらしたあの方は、すぐ殿下と仲良くされて……クシナダ様は私よりなにもかも優れてらっしゃるからとわかっても、苦しくて……」
心臓がさらに跳ね上がる。メアリはずっと前から僕のことを想っていたのか。
「大学で僕に声をかけてくれれば良かったのに」
「そんなこと無理です……そうしたら、クシナダ様に叱られました。自分から動かないで諦めるのは卑怯者だと。私、正直になります」
ブルネットの巻き毛、意思の強そうな目と眉、ふっくらした唇、透き通った声。なにもかも愛おしい。
「あの留学生がなにを言おうが、気にするな」
が、喜びもつかの間、メアリが僕の腕の中から離れ、重々しく頷いた。
「ですから私、殿下のお勧めに従い、クマダ博士の治療を受けることにしました。記憶を消すのは怖いけど」
「心配しなくても、博士は、前世の記憶を消す必要はないと言っていたよ」
メアリがはっと顔を上げた。緑色の眼が輝いている。
「認識を変えればいいらしい。君の前世はね、テイラー女史の小説と同じように、君の空想に過ぎないんだ」
緑色の輝きがたちまち失せてしまった。
「殿下……そのように自分の考えを変えることができるのでしょうか?」
ブルネットの巻き毛を指に絡ませた。
「怖がらなくていい。愛があれば乗り越えられるんだろう?」
「かしこまりました、殿下。私、自分を変えてみます」
婚約者は、寂しげに微笑んだ。まだ前世に未練があるのだろう。
「もう『殿下』は止めてくれないか。史師エリオンは、夫と妻は等しいとおっしゃっているだろう?」
「はい……ロバート様……恥ずかしいですね」
メアリの形のよい唇に誘われ、僕は唇を重ねる。
「メアリ、愛しているよ……」
「ああ、ロバート様……嬉しい……ずっとこうして……」
婚約者の囁きが僕の全身に火を着ける。
伯爵邸の執事がドアをノックしなければ、僕はエリオン教の守護者として許されざる行為を完遂しただろう。