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6 婚約破棄まであと二か月

 メアリと抱き合いたい。なにも考えず触れ合っていたい。

 しかし、二か月経ってもメアリが今のままなら、この関係は終わる。


「……どうしても前世を忘れないといけないのですか?」


「『聖王紀』は読み直したか? 五十年前なら、君のような人間は、間違いなく過酷な悪魔祓いの儀式を受けていた」


「……頭を何かで殴れば、記憶喪失になれるのでしょうか……」


「だから、そういうおかしなことを言うな。そもそも僕が調べたところ、『ニホン』という国は、どこにも存在しない」


「ええ、私の前世にも、ネールガンド王国はなかったので……私の親しんだ物語にあったかもしれませんが」


 彼女の言動の端々に、前世への執着が感じられる。面白くない。


「メアリ。千年に渡って王家に仕えたカートレット家の令嬢として、国家の命運を考えてほしい」


 彼女は不満を隠そうともせず、口を尖らせていた。先ほど味わったあの柔らかい唇を。


「私が前世で親しんだ物語だと、婚約破棄を告げた愚かな王太子は、素行の問題で王位継承権をはく奪され、遠方に追いやられる場合が多いのですが」


「僕が愚かな王太子だということは、嫌というほど認めるよ。が、廃嫡されるほどひどい素行とは思っていないけどね」


「いいえ! ロバート殿下は物語の愚かな王太子とは違います。あなた様は幸せになるべきお方です」


 メアリは唾を飲み込んだ。


「クシナダ様とはいかがですか?」


 先ほど僕の唇を奪った女の名が、唐突に出てきた。メアリは前から、僕とクシナダの関係に嫉妬していたはずだが?


「クシナダと僕が幸せ? 君は、彼女に怒っていたよね?」


「悪役令嬢は、婚約者に近づく女に意地悪するものです。王子様は嫉妬深い婚約者に呆れ婚約破棄をして、真に愛する人と結ばれるのです」


 よくわからないが、メアリがクシナダに嫉妬したのは演技なのか? 僕にわざと嫌われようとしたのか? 僕とクシナダを結びつけるために?


「……クシナダ様は、女性の身でありながら遠くからいらした方。カリンダの美しい衣装をお召しで……富豪の姫君なのでしょう。殿下とお似合いと存じます」


 クシナダが姫かもしれない? 僕には興味がない。礼儀知らずの留学生としか認識していない


「似合いもなにも、彼女はまもなく国に帰る。君が心配することはない」


「帰る? ま、まさか、殿下が大学に働きかけたのですか?」


「メアリ。僕が以前、そんなに彼女が嫌いなら帰国させようかと提案したら、反対したじゃないか。帰国は彼女の都合だよ」


「そ、それならいいのですが……いえ、よくありません。クシナダ様が帰国されたら、殿下とどのように愛を育むのです?」


「何度も言っているが、彼女は同じ研究室の仲間というだけだ。第一、マラシア大陸の女性を僕の妃にはできない。国民が納得しない。仕える神が違い過ぎる」


 そう、根本的に違う。

『前世』を騙る者が魔王の手先とされる我ら。来世の幸福を目指し現世を生きるカリンダ国。


「愛があれば、神の違いは乗り越えられるかと……殿下には、真実の愛を貫き通して欲しいのです。私の役目は、その手助けをすることです」


 愛があれば乗り越えられる? 愛があれば、前世を忘れようとするはず。つまり……わかっている。彼女は僕を愛していない。王室が命じたから、婚約に応じただけ。

 別に構わない。僕は妃に愛を求めない。良家出身で美しければ問題ない。大切なのは国民が納得できる王太子妃であることだ。


「克服すべきは、君の前世だ! それさえなければ、国民は僕らの結婚を祝福するはずだ」


「で、でも……殿下の真実の愛が……」


「真実の愛? 僕個人の感情のために、国家を誤らせたくない」


 途端、メアリの大きな眼に涙があふれてきた。


「どうした? 僕は君を傷つけたのか?」


 婚約者は泣きながら、言葉を紡ぐ。


「うっ、うう……そんなの悲しすぎます……殿下は幸せになるべきです……」


「メアリ、そこまで僕の幸せを想うなら、君こそ僕を……」


 ん? 僕はなにを言おうとした? なにを彼女に求めている? 違う。僕が彼女に求めているのは、国民が納得できる王太子妃としての形。


「泣くなメアリ。前世を忘れ、楽しかったことを思い出すんだ。ほら、イリス勲章授与式が楽しかったんだろ?」


「え、ええ、テイラー先生と話せて……」


 テイラー女史は、いわゆるロマンス小説と呼ばれる分野の作家で、我が国の女性たちから絶大な支持を得ている。

 しかし、良家の淑女はみだりにテイラー女史への憧れを表に出したがらない。僕は読んでいないが、男女の交わりについてかなり直截的な描写をしているらしい。

 メアリがそれを好むということは、やはり内心、口づけ以上の行為を望んでいるのか? いや、どうでもいいことだ。


「『聖王紀』ばかり読んでいては、疲れるだろう? 君の大好きなテイラー女史の作品を読んで、心を癒すがいい。君は今まで『前世』などなくとも生きていけただろう?」


 まだ何か言いたげなメアリを残し、僕は伯爵邸を後にした。



――メアリは僕を愛していない。

 揺れる蒸気自動車の中で、鬱々とした気持ちが広がる。


 やめろ。無意味な感情の奴隷になってはいけない。

 僕も、オペラの主人公のようにメアリを愛しているわけではない。彼女が僕の、いや王家の求める妃の条件を満たしているから、固執しているに過ぎない。

 先ほど彼女に触れたのは、ただ欲望をぶつけただけだ。

 互いの感情より、もっと重要な問題が立ちはだかっている。

 父から与えられた二か月で、彼女の口から『前世』という言葉を消さなければ。


「メアリは、イリス勲章授与式が楽しかったと言っていたな。ああ、僕も楽しかった」


 式典の会場に国中の選ばれた才能が集結した。ただただ圧倒された。


「そうだ! 才ある授与者の誰かが、メアリを救うはずだ」


 車が宮殿の裏門を通過した。


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