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5 婚約者との出会い

 メアリとの出会いに、新聞記者を喜ばせるような物語はない。

 僕が王立学園に入学したころから、新聞記者たちは同級生の女子たちを妃候補だと書き立てた。大学に進学してから、一層、記者たちは僕の醜聞を暴こうと躍起になった。

 先ほど僕の初めての口づけを奪った彼女は、何度も記事に取り上げられた。


 だから僕は、必要以上に女性に近づかなかった。

 父の命令で貴族令嬢が集まるダンスパーティーに参加したが、いずれ王妃となる女性の選択には、慎重にならざるを得ない。


「ネールガンドの男子たるものが、伴侶ひとり選べないとは情けない!」


 父があまりにしつこいから、僕は反論した。


「生涯の伴侶の選定には時間がかかります。それに僕に子供ができなくても、叔父上がいらっしゃるではありませんか」


「あれは駄目だ。未だに絶対君主制の復活を夢見ている」


 ついに大学卒業の三か月前、父は何枚もの写真をテーブルに並べ「この中から選べ」と僕に迫った。

 だから僕は、一番美しいメアリを選んだ。他の令嬢は、首筋や肩がむき出しのドレスを身に着けていたが、メアリは古風な袖の長い無地のドレスに身を包んでいた。

 母は「上品なお嬢様だけど、ファッションセンスがどうかしら?」と首を捻っていたが、むしろ僕は好ましく感じた。肌を見せる流行りの服より、清楚な女性の方が国民の理解を得られるに違いないから。


 すぐメアリとペンブルック伯夫妻を宮殿のディナーに招き、話し合った。

 写真と同じような古風なドレス。背が高く、立つと僕とあまり変わらない。豊かな胸に引き締まった腰。昔の彫刻……かの聖妃アタランテの像を思い出す。目鼻立ちがはっきりして、穏やかに微笑む聖妃像とは違うのに。

 伯爵夫妻は「滅相もない」「娘は気がまわらないので」と、恐縮するばかりだった。

 メアリは、意志の強そうな顔に反して大人しく、その場でほとんど口を開かなかった。ただ一言「大役、務めさせていただきます」と答えた。


 母は、背が高いだの性格がおとなし過ぎるだの、王太子妃に求める資質としてはどうでもいいことを口にしたが、父は「お前が気に入ったのならそれでよい」と認めてくれた。

 大学卒業と同時に婚約し、記者に気づかれる前に発表した。


 僕とメアリは、エリオン教徒として節度ある関係を保った。彼女の頬や額に軽く唇を寄せ抱きしめたが、それ以上進むことはなかった。

 なのに、僕が強靭な意志力で踏みとどまっていた関係が、あっさり崩された。学生たちが集まるカフェのテーブルで、他の女に唇を奪われた。

 こんなことになるなら……無理に我慢せず、メアリともう少し接近すればよかった。彼女のふっくらした唇を思い浮かべる。

 迎えに来た車の中で、僕は思わず呟く。


「メアリ……君に会いたい」


 いつの間にか車は停まっていた。見回すと宮殿ではなくペンブルック伯邸の裏庭だった。


「ここは……どういうことだ?」


 運転手がドアを開けながら答えた。


「殿下のご指示に従いました」

 

 僕のこぼれた独り言に、忠実な宮殿の運転手が、実直に答えてくれたわけか。

 迂闊に独り言をこぼせる立場ではないと自覚していたのに油断した。


 突然の訪れにも関わらず、伯爵夫人が「殿下! もったいのうございます」と歓迎してくれた。

 夫人の好意をいいことに、僕は伯爵邸のソファに腰を下ろす。

 歴史学者である館の主人は、先ほど僕がいた王立大学の研究室で、学生たちにネールガンド建国史について説いているかもしれない。



 今、僕とメアリはソファに並んで座っている。応接間に僕ら二人だけ。


「殿下、その、私……」


 俯いて瞬きを繰り返す彼女の頬を包み込む。薔薇の蕾のような唇に、何度も指を這わせる。

 ずっと前から欲しかったもの。

 史師エリオンの教えはどこかへ消えてしまった。


「あ、あの、殿下」


 メアリが長いまつげを震わせている。彼女の怯えに吸い寄せられるように、唇をそっと触れあわせた。

 柔らかく甘いしびれが僕の全身を駆け巡る。年代物のワインに酔ったかのよう。


「で、殿下、あ……」


 メアリが顔を背けようとしたので、両の滑らかな頬を挟み、こちらに向けさせる。

 今度はもっと噛みつくように唇を奪った。

 ソファにメアリの背中を押し付けた。彼女の白い額、赤みのさした頬、鼻の先、瞼……全てに跡を残す。


「あ、殿下、待って、あ……だ、だめ……」


 彼女が腕を突っ張り、勢いよく手のひらでペチっと僕の頬を叩く。


「申し訳ございません!」


 婚約者の泣きそうな叫びで、我に返った。

 僕の右手は布越しだが彼女の鎖骨の下に置かれ、左手はスカートの裾をめくり、奥に侵入を始めていた。

 僕は今、なにをした?

 軽く唇を触れ合わせるつもりが、いつの間にかそれ以上の行為に及んでいた。

 未婚の貴族令嬢に、しかも今となっては結婚が危ぶまれる女性に、僕はなにをした?


「メアリ、すまない!」


「い、いえ、私こそ申し訳もありません」


「謝らないでくれ! 僕は、君にナイフで刺されても当然のことをした」


 メアリは軽く首を降り、ソファに座り直した。


「そんなことおっしゃらないで……突然で驚いただけです……殿下も男の方なのですね……」


 先ほど触れ合った唇に怒りの影はどこにも見当たらず、優しく笑っている。


「僕が女に見えるか?」


「まさか……でも殿下は今まで私に触れてくださらなかったから……」


 彼女は僕の行為を喜んでいるのか? それはそれで困る。そんな笑顔を見せられたら、先程の続きを進めたくなるではないか。

 史師エリオンが、結婚前の口づけを禁じた理由がわかった。一歩踏み出せば、一歩で留めることは難しいからだ。


 このまま進めば、メアリは未婚のまま子供を産む羽目になるかもしれない……メアリが僕の子供を? ああ彼女は優しい母親になるだろう。大きなお腹のメアリが僕に微笑み……なにを考えている!

 自分はただの男ではない。ネールガンド王国の王太子だ。無責任に子供を作っていい立場ではない。


 メアリとこれ以上進むのは危険だ。が、彼女の大きな緑色の眼が、僕を誘っている。

 どうにも離れがたくて肩を抱き寄せた。互いに頭を寄せあう。

 この前二人で観たグランドオペラを思い出す。ソプラノとテノールが寄り添い、愛の喜びを高らかに歌い上げる。


「男の方とこのように触れ合えるなんて、夢のようです……やはりこの世界は、神様のプレゼントなのですね」


 今度こそ、僕は本当の意味で我に返った。神のプレゼント!? 冗談ではない!

 このように触れ合っても、事態は一向に進展しない。


「メアリ! あと二か月で前世を忘れられるか?」


 僕は、父との約束を彼女に告げた。


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