4 『生まれ変わり』が断罪される理由
大学のカフェで、僕はクシナダの分と合わせて紅茶を二杯注文した。
「あたし、メアリさんとロビーの結婚は祝福するけれど、王子様が女ひとりってつまらなくない?」
「クシナダ嬢、僕はエリオン教徒として妻一人を大切にしたい」
「あたしたちの国カリンダではね、金持ちの男は何人も妻を持つんだよ」
「この国にも、妻とは別に隠れて愛人を持つ男はいるよ。恥ずべきことだが」
「ちょっと違うんだよね。愛人みたいに隠れた存在じゃなくて、第一夫人も第二夫人も、ちゃんと式を挙げるの」
「エリオン教徒でないのなら、何人女性を囲おうが責められることではないね」
マラシア大陸から来たクシナダは、もちろんエリオン教徒ではない。移住者の多くはエリオン教に改宗するが、なかには故国の信仰を貫くものもいる。
「そのエリオン教って、いまいちわかんないよね」
「そうか。僕らは幼い時から聞かされていたから……今から二千年前、このゴンドレシア大陸はひとつの国で、聖王アトレウスが聖妃アタランテと共に治めていた」
大学に入り留学生と接するようになり、自国の宗教や文化を説明する機会が増えた。
「大陸は聖王の末裔によって代々統治されていたが、千年経ち国が乱れた。今からだと千年前だね。その乱れを収めたのが、聖王の生まれ変わりと称したネクロザールという男だった」
クシナダは興味深く頷いている。
「しかし、ネクロザールは国を統一した途端、残虐な王となった。聖妃アタランテを復活させるためと称し、罪のない幼い子供らを何千人も殺めた」
ネクロザールの残酷な仕打ちで、多くの人々が命を落とした。
実際に千年前の遺跡から、子供の骨が大量に見つかっている。ネクロザールの圧政を裏付ける証拠だ。
「この状況を歎いた青年エリオンは、大陸中をめぐり、古老たちから聖王アトレウスの伝説を聞きまわった。エリオンは伝承をつぶさに検証し、ネクロザールが聖王の生まれ変わりではなく、魔王だと確信した」
その後エリオンは、ネクロザールが聖王を騙る魔王だと説いて回る。やがてエリオンの元に、大陸中から七人の勇者が集まった。
勇者たちは、エリオンの教えを刻んだ石を胸に抱き、魔王ネクロザールを倒す。
七人の勇者はエリオンを史師と崇めた。魔王の復活を阻止するため、史師エリオンの教えを広めるため、七人の勇者各々が国を起こした。
ゴンドレシア大陸の王たちは勇者の末裔であり、我がネールガンドは、勇者セオドアを祖とする。
「人は一度の人生を全うする。死後は、聖王アトレウスが、死者の行いから天国へ行くか地獄へ行くか決める。『生まれ変わり』とは、魔王の手先を意味する」
聖王の生まれ変わりを騙った者に、ゴンドレシア大陸は苦しめられた。そのため史師エリオンは、『生まれ変わり』を騙る者に気をつけろ、と繰り返し訴えた。
史師エリオンの教えを守るべき王家が、ニホンジンとやらの『生まれ変わり』と称するメアリを、受け入れるわけにはいかない。
「へー、あたしのカリンダ国とは全然違うなあ」
「君の国には聖王や魔王といった伝説はあるのか?」
「うん、善の神と悪の神の戦いといった話はあるけれど、『生まれ変わり』が魔王の手先ってところが、全然違うね」
クシナダが口元を歪めて笑った。思わせぶりな彼女の顔つきに、僕は警戒心を高める。
「だってあたしたちは小さい時から、現世で善い行いをして徳を積むと、来世で幸せになれるって教えられるの。人間は、ううん、あらゆる生き物は何度も生まれ変わるのよ」
ガタンと大きな音がカフェに響いた。椅子が倒れたからだ。
僕は思わず立ち上がり「なんと言った!」と声を張り上げた。
「ちょっとロビー、大声出さないで。あたしが悪いことしたみたいじゃない」
「す、すまない」
僕は椅子を立てて周囲に「失礼した」と詫び、座り直した。
「い、いや……大陸が変われば教えも変わるのか……では、君は誰の生まれ変わりなのだ?」
「覚えてないよ。前世を思い出せる人は滅多にいないもの」
国が変われば教えも変わる。この国がエリオン教でなければ、僕が王族でなければ、メアリとの結婚になにも問題はないのに。
「ねー、ロビーは王子様なのに、本当に奥さんひとりだけで我慢できるの?」
話題が元に戻った。クシナダにこの質問をされるのは何度目だ?
「当たり前だ。聖王アトレウスは、聖妃アタランテだけを愛された。史師エリオンは生涯独身を貫き、結婚とは聖なる誓いだと説いている」
「ロビーって真面目な王子様なんだね。この国の王様って、みんな愛人いるんでしょ?」
さすが留学生だけあって、ネールガンドのことをよく勉強している。できれば知られたくなかった王家の汚点だ。
「昔はともかく、今の僕には許されないよ」この国の王様も、愛人持ってたじゃない」
「ロビー、本当にメアリさん好きだよねー。あたしがこれだけ迫っても堕ちないし、メアリさんが他の男と笑ってると、すごい怖い顔して睨んでるし」
え?
ティーカップをテーブルに置く。
僕は、婚約者が他の男と話しただけで睨み付けるような、狭量な人間ではないはずだ。
「自覚なかったんだあ。本気で愛しちゃったんだねえ。残念」
クシナダは席を立った。
王太子は国民の規範となるべきなのに、器の小さな男と指摘され動揺し、僕は硬直していた。
だから油断していた。
気づいたときは遅かった。
僕の唇に柔らかい感触が押し付けられた。
「ふふ、ご馳走様。あたしね、来週カリンダに帰るの。いい思い出ができたわ」
クシナダが去っても、僕はしばらく動けなかった。
今の時代、結婚前に口づけする男女が多い。いや、口づけどころか、結婚する気もないのに男女の交わりを楽しむ者もいる。
しかし史師エリオンは、口づけは、夫婦の誓いを立ててから許される、と説く。
僕は、エリオン教を守護する者として、貞節を守っていた。
初めての口づけは、異国の女性に奪われてしまった。