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3 婚約者の嫉妬

「ない……ない……ないな。『ニホン』なんて国は、どこにも記録がない」


 王立大学の図書館に、僕は朝から籠っていた。

 僕は、三か月前に大学を卒業したが、今も一研究員として、公務の合間に通っている。専門は科学史だ。

 かつて物質の変化は、風火水土の動きで表された。しかし現在、そのような古典論は消え去った。あらゆる現象は、原子同士の結びつきという化学反応で記述される。

 僕の関心は、四元素論から原子論へ変化する過渡期の解明にあった。


 が、今の僕は化学反応とは関係ない文献を漁っている。羊皮紙を含めた古い文献に埋もれ、息を吐く。

 背中を軽く叩かれた。

 振り返ると、派手な帯で身を飾った若い女性が笑っている。ネールガンドの服ではない。


「あら~、ロビーったら、彼女を放置してお勉強?」


「クシナダ嬢。君の国ではどうか知らないが、若い女性はみだりに男に触れてはいけない」


 彼女は新大陸マラシアからネールガンドにやってきた留学生だ。馴れ馴れしいことこの上ない。


「あたしは、あなたたち流に言えば、礼儀知らずのマラシア人だもん。それにみだりには触ってませーん。私が触るのはロビーだけだよ」


 この留学生と僕は、同じ研究室に属している。

 彼女なりの冗談だろうが、何度も「正妃は諦めるから、愛人にして」と迫ってくる。

 大人しいメアリも、クシナダについては苦情を訴えた。


『殿下、クシナダ様に、お近づきすぎではございませんか?』

『私は、殿下に媚びを売るクシナダ様が、嫌いです』


 婚約者に嫉妬される……悪い気持ちではなかった。研究室のただの同僚だといっても、メアリは納得してくれない。清楚な令嬢がクシナダの態度を不快に思うのも、無理はない。

 だから僕は提案した。


『教授に言って、クシナダ嬢を別の研究室か他の大学に行かせよう。教授に断られたら、陛下にお願いして彼女を帰国させよう』


 するとメアリは真っ赤な顔をして目を吊り上げる。


『殿下、やめてください! 婚約者が醜い嫉妬を殿下にぶつけたからといって、真に受けてはなりません! 留学生にそんな仕打ちをすれば、殿下の名を地に貶めるだけです!』


 問題の解決策を提案したのに、なぜ頑なまでに拒否するのだ? メアリの気持ちがわからなかった。

 太子侍従長の老セバスチャンに聞くと、「女性とは、具体的な解決策ではなく、同情や共感を求めるものです」と返ってた。

 だから、メアリがクシナダへの苦情を訴えたときは『気にするな。僕には君だけだ』と抱きしめた。メアリは僕の腕の中で『そういうことを言わないでください』とすすり泣く。

 そんなメアリも、僕は嫌いではなかった。



「ちょっとー、ロビー。なにボケッとしてんの?」


 しつこい留学生が、少々疎ましくなってきた。


「君の国の図書館では、賑やかに歌い踊り明かすのだろうね」


 途端に、クシナダの顔が険しくなった。


「あーいやだ! ネールガンド人の差別意識って。あたしらのこと原始人って思ってるよね。マラシア大陸だっていろんな国があるの。あたしの国カリンダは三千年前からあるけど、知らないでしょ?」


 ゴンドレシア大陸と新大陸マラシアの交流が始まって、百年ほどだろうか。

 かつて我がネールガンド国は、国外の人間を積極的に受け入れてこなかった。しかし立憲君主制に移行してから国を開いたため、近年、新大陸からの移住者が増えている。


「大体さあ、『新大陸』ってなによ。ネールガンドって、たかが建国千年じゃない。あたしの国の方がずっと古いのに。あたしに言わせれば、こっちの方が『新大陸』よ」


「クシナダ嬢。それは知らなかった。お詫びする」


 留学生の態度はともかく、言うことは筋が通っている。『新大陸』という言葉は、控えるべきだ。


「きゃああ、王子様から謝られちゃった。大学のカフェでご馳走してくれたら、許すわ」


 普段の僕は、この手の誘いを断っている。新聞紙が、僕とクシナダが秘密の関係だと何度も書き立てたからだ。僕は指一本、彼女に触れていないのに。


「クシナダ嬢、ミルクティー一杯でいいか?」


 僕は立ち上がって資料を抱え、司書のいるカウンターへ移動した。「やったー! これであたしは王子様の愛人決まり!」と甲高い声が背中に響いた。


 いつもの僕なら彼女の誘いを断った。

 が、事態に煮詰まっていた僕は、異国の留学生との会話に活路を見出したかった。また、自分の新大陸……いや、マラシア大陸への差別意識を払拭しようと思った。

 決して、婚約者に問題があるから、気晴らしに他の女と付き合いたくなったわけではない。



「他のネールガンド人と違ってメアリさん、あたしたち留学生にも優しいよね」


「え? 君とメアリは仲良くないよね。僕とメアリが大学で歩いていたら、君、絡んできただろう?」


 よく覚えている。あれはニか月前のことだった。



 僕とメアリは同い年で、この王立大学の学生だった。メアリと婚約したのは、大学で知り合ったからではない。彼女が王立大の学生だと知ったのは、婚約してからだ。

 彼女の専攻は近代文学、僕は科学史と担当教授が違っており、広い王立大学ですれ違うことはなかった、おそらく。

 二人とも同じ季節に大学を卒業したが、僕も彼女も時々大学に通い研究を続けている。

 婚約してからは学内を二人で散策し、時にはこのカフェで語り合った。


 あのとき僕は、大学の噴水広場をメアリと歩いていた。するとクシナダが駆け寄り、「ロビー! 最近、冷たいよね~」と腕を絡ませてきた。


「やめてくれ、クシナダ!」


 僕は慌てて腕を解き、メアリの肩を抱き寄せた。が、メアリは僕から離れ、クシナダを睨み付けた。


「クシナダ様、殿下の婚約者は私でございます。淑女としてその態度は、いかがなものでしょうか」


「メアリ、君が言うことはないよ」


 婚約者が不快に思うのはもっともだが、大学の広場で目を吊り上げるメアリを衆目に晒したくない。

 が、すでに時は遅く、学生たちが集まりクシナダにヤジを飛ばしだした。


「新大陸人は恥を知らないのね」「国に帰れよ」


 今、マラシア大陸からの移民や留学生が増えているが、国内で、言語や慣習が違う彼らへの反発が高まっている。総じて移民は優れた者が多いため、昔からのネールガンド人は危機感を覚えるのだろう。

 これを見過ごしてはならない。

 が、僕が乗り出す前に、メアリは僕の腕から離れ躍り出た。


「やめてください! 遠い国から言葉が違う国に来て学んでいる留学生を、どうして傷つけるのですか! それに婚約者がいようがいまいが、愛は尊いものです!」


 僕の頭に疑問符が浮かんだ。メアリはクシナダを嫌っていたのではなかったのか?

 ともあれこの状況を放置するわけにはいかず、僕はメアリのとなりに並んだ。


「真の紳士淑女なら、人の生まれた土地や先祖を尊ぶべきだ。王立大学で学ぶ者はみな平等であることを、忘れてはならぬ!」


 悪口を飛ばした学生たちは消え去った。


「きゃ~、ロビー、カッコいい」と、クシナダはすり寄ってきたが、僕はすっとかわし、メアリの手を取って広場を立ち去った。



 二か月前を思い出す。メアリはクシナダを嫌っていたが、それ以上に外国人差別者を嫌っていた。


「メアリさん、あたしにチクチク言うけど、マラシア大陸を馬鹿にする人から庇ってくれるの。だから、嫌いになれないなあ」


 そういうメアリの優しさも、王家の妃にとって好ましい性質だった。なのに……なぜ彼女はおかしくなった?


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