21 博士の研究
「私は、人体が原子論に従って動いていることを証明したかった。だから、精神病患者の死後の脳を解剖したり、頭に重傷を負った患者の行動を観察したり、そんなことから始めたんですよ」
サイ・クマダ博士は、テーブルに肘をつき手を組んだ。
彼の研究の基本は知っている。
「あなたの著作に書かれていたな。脳は、運動を司るところ、感情を抑制するところなど、役割に分かれていると」
「でも研究に都合のいい患者には、なかなか巡り合えない。確実なのは、生きている脳を調べることです」
「頭蓋骨を開けて調べるのか? そんなことをして被験者はどうなった?」
「今、殿下にお見せした通りです。なかには軽度の障害ですんだ者もいます。」
あの虚ろに叫ぶ者、壁を見つめる者は、彼の人体実験の慣れの果てか。
博士は微笑みを崩さない。『なかには』ということは、多くが重篤な障害を負ったか、死んだのか?
「あの者たちは、心の病だったのか? それとも病気ではないのに、あなたの検査のため身体を提供したのか?」
男は微笑み、ゆっくりと頷いた。
新聞記事では、貧者の心の病を治療するため、実験まがいの無謀な手術を試みたとあった。無謀とはいえ、病が治る可能性にかけたのなら、わからなくもない。
が、実験のために、なにも問題のない健康な脳に傷をつけ、死亡させるなど、許されることではない。
「睨まないでください。ちゃんと被験者は選んでいますよ。殿下のような高位の方にそんなことをすれば、私は実験が続けられなくなる」
「だからわざわざ貧しい者を選んで実験をしたのか! なんと卑怯な!」
「故国のカリンダでも、このネールガンドでも、身寄りのない困窮者、力がなく厄介払いされる者は、いくらでもいますからね」
思わず椅子を鳴らして僕は立ち上がった。が、セバスチャンに袖を引っ張られ、元の姿勢に戻る。
「職がなく乞食で飢えを凌ぎ生き甲斐を見失った彼らに、私は大きな役目を与えたんです。あなたたちの献身が人類を幸福に導くとね。みな喜んで、手術台に乗りましたよ。聖王アトレウスは天国へ連れて行ってくださる、とね」
男の目が輝きだした。発言になにか違和感を覚える。
「天国? あなたは天国と地獄を否定したではないか! なのに貧者をそのようにそそのかしたのか!」
博士は立ち上がり壁に向かった。書棚からファイルを二つ取り出して、テーブルに戻った。
青い表紙のファイルを開いて、僕に見せた。
何十枚もの誓約書が束ねられている。検査でどのような事故が起きても一切の賠償を求めない旨が書かれており、下部に、拙い筆跡の署名が添えられている。報酬は、僅か十万サルートだ。庶民の一か月分の生活費に過ぎない。
「彼らは自らの運命を受け入れた証拠です。この誓約書があれば、法的に問題ないはずだ」
「問題ないだと? そんなこと、あるものか!」
「それに私はちゃんと、研究成果を社会に還元していますよ」
クマダ博士は、もう一つ、黒い表紙のファイルを開いた。
「名前は伏せますが、私が治療した患者の一覧です」
一覧表の氏名の欄は紙で隠されているが、職業と病名が記されている。貴族に政治家、財閥の主、その家族など、裕福な者で占められている。
「あなたは貧者を犠牲にして、富める者を救ったのか」
「当然でしょう。この施設の維持にはお金がかかりますからね。みなさん気前良くて助かりました」
「こんなおぞましい実験がされていると知ったら、誰も寄付しなかったはずだ!」
「大学は、中でなにをしているか気づいていたはずです。それでも私に実績がありましたから、干渉を受けませんでした」
新聞記者は、政府にも責任があると糾弾した。保健省の役人が立ち入り検査すれば、もっと早く発覚したはずだ。
「記者に告げ口したのは、移民の私の成功を妬む、医学カレッジの教授でしょうね。私のスタッフではありえない」
先ほど通路から駆け付けた看護婦は、この男に心酔していたようだった。
「……犠牲にした患者は、ずっとこの施設で面倒を見るのか?」
「もう一度、頭を開いたり、新薬を試したり、使い道は様々ですよ。どうにもならなくなったら、彼らの願う天国に行けるよう、安らぎを与えます」
僕は再び立ち上がり、博士の襟首を捕まえた。
「使い道だと! 散々利用して、最後は用済みと捨てるのか!」
「その辺にしておきなさい」
僕に命じたのは、セバスチャンだった。
我に返り、あの看護婦と博士のやり取りを思い出す。
「……あの看護婦に、なんと指示をした?」
「もう、おわかりでしょう?」
僕は部屋を飛び出し、通路に戻った。
通路の奥に目を凝らす。あの看護婦が個室から出てきた。僕は彼女に駆け寄った。
「今、君は、その部屋でなにをした?」
が、看護婦は怪訝そうな顔を見せるだけ。僕の問いに答えず、後ろに近づいてきた人物に呼び掛けた。
「先生! なんです、このじいさん! 掃除夫を雇うなら、私が面接するって言ってたのに、最後まであなたは……」
僕を追ってきたクマダ博士が、看護婦を宥める。
「婦長、すまないね。知り合いから頼まれたんだ」
忘れていた。僕もセバスチャンも、今は、老いた掃除夫の扮装をしていた。
「それより君は、書庫のファイルを……わかるね?」
看護婦は無言で頷き、僕らが来た方向に走っていった。
「博士、入ってもいいか?」
彼は、鍵束を取り出し、ドアを開けた。
粗末なベッドには、中年の男が眠っている。身動きひとつしない。胸元も全く動かず、息をしていないようだ。
「ま、まさか……これは……」
「実に安らかな顔でしょう?」
役に立たなくなった被験者を死亡させただろう。なぜ笑える?
「たとえこの男の人生が苦難に満ちたものであっても、いたずらに命を弄んではならない!」
「はあ? あなた方の無策で絶望していた彼らに、私は希望を与えただけだ。戦死者は英雄と称えられるではないか。彼らも英雄だ!」
「英雄ではない! お前の身勝手な欲望の犠牲者だ!」
と、セバスチャンが割って入った。
「この男の追求は他の者に任せましょう」
新聞記事が事実なのか知りたかったが、もう充分だろう。
僕の本来の目的は別にある。
「メアリは本当に無事か? ここにいるんだな?」
「私も困ってるんですよ。何度帰れと言っても聞かない。だからこの施設に連れて患者に会わせた。逃げだすかと思ったら……」
博士は通路を進み、階段の前で止まった。
「彼女はこの上にいます。でも、あなた方は変装したまま口を聞かないこと」
「な、なぜ!」
が、セバスチャンに肩を叩かれた。
「ここは博士に従いましょう。あの方は私らの正体を知ったら、逃げるかもしれませんよ」
セバスチャンの答えに、博士は大きく頷いた。
無機質な階段を上る。と、微かに歌声が聞こえてきた。ステップを踏むごとに、その声は大きくなる。
済みきった優しい女の声。間違いない。
「メアッ! む、むぐ!」
セバスチャンが無礼にも僕の口を塞ぐ。
「口を聞かないと、博士に言われましたよね」
侍従長は厳しい口調でささやいた。
二階の通路に出ると、博士がボソッと告げた。
「あなた方はその辺で、掃除しててください」
僕がなにか言いたそうにすると、セバスチャンに肩を突かれた。
持ってきたモップを床に擦り付けながら、博士をうかがった。
博士が通路の扉を開く。開け放たれたままの入り口に、モップを動かしつつ近づく。
中は開放的なフロアになっている。患者の呻き声があちこちから聞こえ、看護婦たちがセカセカと走り回っている。
その看護婦たちは博士に気がつくと一斉に集まったが、彼が無言で顎をしゃくると、また元の位置に戻った。
人の群れが消え去ると、美声の持ち主が現れた。
粗末な身なりの少年がしゃがみこみ、車椅子に座った老婆の手を握って、子守唄を歌っている。
間違いない!
「メアッ!」
またセバスチャンに、口を押さえられた。




