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1.弟からの手紙とピクニック

 







 言い出せないまま、数日が経った。聞かない方がいいのかもしれない。だって、言いたくなったら、向こうが勝手に言ってくるだろうし……。心が晴れない。普段通りの顔をするレナード殿下が嫌だ。心の奥底ではモヤモヤしているくせに。


 ベッドの中でごろんと寝返りを打つ。窓から降り注ぐ朝陽が、天井にある銀の葉のシャンデリアを照らしていた。起きたくない。もう起きなくちゃいけないんだけど。


(ローザ様は今、どうしてるんだろう。豪華な朝ご飯、食べてるのかなぁ)


 すっごく細いから食べてないかも。折れそうな手足だった。もう一度、ベッドの中で寝返りを打つ。なかなかやってこない眠気を待ちながら、静かにまぶたを閉じていると、ふいに扉が開いた。聞き逃しそうなほど、小さな音。振り返らなくても、何となく分かった。バーデンだ。


「まだ起きないからね!!」

「何も言ってないだろ? 朝から怒鳴るなよ、お姫様」

「その呼び方、嫌味っぽくて嫌い……」


 バーデンが呆れた表情で、持っている白い便箋をぷらぷらと振った。いつもと違って瞳が赤い。何も言わないでいると、黒いローブを揺らし、ベッドのすぐそばまでやって来る。起こすつもりなんでしょ、私のこと。知ってるもん。ベッドが軋んで、揺れる。振り返ると、バーデンがベッドに腰かけていた。


「大好きな弟から手紙がきたぞ。どうする? 読むか?」

「……捨てて」

「ふん、容赦がないな」

「本当に、私に伝えたいことがあるのなら何度でも送ってくるはず」

「なるほど。じゃあ、捨てるぞ? いいんだな?」

「気が咎めるのなら、バーデンが私のふりして返事を書けば?」

「……どうして、そんなことをわざわざしなくちゃいけないんだ? あんな小僧のために」


 私を責めるような声音だったから。理由を言う気にはなれなくて、そっぽ向き、タオルケットの中へ潜り込む。最初に拒絶したのはユーインでしょ? どうして同じことをしたら責められるの? 反抗的な態度を取りたくなって、タオルケットの中でさらに丸くなる。バーデンが私の背中をぽんぽんと叩き、溜め息を吐いた。


「嫌なら書かなくてもいい。眠って起きただけなのに、どうして機嫌が悪いんだ?」

「……別に、何もないから気にしないでよ」

「はあ? 寝言は寝てから言え! 真に受けて、放置したら拗ねるくせに」

「サンドバッグになって、じゃあ」

「まったく意味が分からん……。いいのか? 王子様を放置して。芝生で昼寝してるぞ」

「昼寝!?」


 塔の周りに魔術が張り巡らされているけど、完璧に安全だとは言えない。目の前が真っ暗になっちゃった。どうしよう? レナード殿下が誘拐でもされたら。がばっと起き上がって、その場でネグリジェを脱いだら、タオルケットをかぶせられた。


「やめろ!! 俺が立ち去ってから脱げ!」

「どうして? 私、バーデンと浮気するつもりなんてないよ」

「……王子様に振られてもいいのか?」

「殺す」

「生かすか、殺すかの二択で考えるのはよせ。上手くやっていきたいのならな」


 バーデンが腐りかけのワインをうっかり飲んでしまったような表情を浮かべ、くちびるの端を歪めた。そこまで嫌そうな顔をしなくたっていいじゃない! 文句を言おうと思って身を乗り出したとたん、瞬く間に、黒い煙となってかき消えた。部屋に沈黙が落ちる。


(こうしてる場合じゃない。私が遅くまで寝ていたから? 非常識だわ)


 最近、襲撃されてないから、すっかりレナード殿下の気が緩んでる。いっそ、私が変装して誘拐した方がいいのかな。恐怖心を植えつけたら分かってくれる? 


 乱暴にベッド下のスリッパへ足を突っ込み、洗面所へ行って、手早く、歯磨きと洗顔を済ませたあと、適当に黒いTシャツとズボンを引っ張り出して着替える。ふと、ドレッサーに置いてある白い便箋が目についた。懐かしいユーインの文字。手に取るつもりはなかったのに、自然と吸い寄せられ、持ち上げる。


「住所が書いてある……。ふーん、会いに行ってもいいってこと?」


 ここから大体、二時間で辿り着ける場所に住んでいた。会いたいと思ったら、会いに行ってもいい? いつその気になるか分からないけど。バーデンが届けてくれるんだから、住所なんて書かなくてもいいのに……。いつでも会いに来ていいよ、って言われたような気がした。涙が出そうになった。ごしごし目元を擦って、鏡の中の自分を強く睨みつける。


「早く用意しないと。私の王子様が襲われちゃう前に」


 芝生で昼寝なんてありえない! 階段をちまちま降りるのが面倒臭くなって、部屋の窓を開け放ち、外へ飛び出る。回転しながら降りて、着地する時に魔術を使えばいいや。ふわっと一瞬だけ体を浮かせ、芝生の上に降り立つ。気配を感じ、振り返ってみると、レナード殿下が全速力でこっちへ向かってきていた。あれ?


「どうしたんですか? レナード殿下。守られるためにちゃんと来たんですか?」

「違う! 心配になったんだ……!! あぶっ、あぶな、げほっ、ごほっ」

「走るからですよ。落ち着いてください」


 背中を擦ったら、恨みがましい目で睨みつけられた。心配って何が? とりあえず、咳が落ち着くまで背中を擦る。こうしていると、本当に病弱な王子様みたい。公務ができない第一王子。でも、本当は、限界まで血を搾り取るため、塔に幽閉されている。胸に冷たくて嫌なものが広がっていった。


(……こうして、今、のんびりお昼寝できるのも、全速力で走れるのも、血を抜き取られていないから?)


 前と比べて活発的になった。憂鬱そうな表情も減った。すごく幸せそう。血を抜き取られさえしなければ────……。ふいに、頬へ手を添えられる。見上げると、心配そうな蜂蜜色の瞳に見つめ返された。心臓が跳ねる。もしも、心臓がジャンプできるのなら、左上にびょんとジャンプしていた。まだぜんぜん慣れなくて、体が硬直してしまう。


「何かあった?」

「な、にも……」

「悩みごとでも? つらそうな顔をしてる」

「だって、レナード殿下が幸せそうな顔をしてるから」

「分かった。シェリーが寝ているのに、俺一人で芝生の上に寝転がっていたから、怒ってるんだろ?」

「半分不正解です」

「えっ!? 違ったか」

「……血を、抜き取られていないからでしょう? 幸せそうな顔をしているのは」


 今まで深く考えたことはなかった。モリスさんやレナード殿下が苦々しい顔で、王太子の座を奪われた、家畜のような扱いを受けていると話していたのは、元気に走れないほど、公務ができないほど、限界まで血を奪われ続けているから……。


 他国へ輸出するために、利益のために、陛下はレナード殿下を病弱な王子に仕立て上げ、塔へ追いやったんだ。知っていたけど、理解できていなかった。今、私はようやく、モリスさんがレナード殿下の血を飲まずに死んでいった理由が分かった。禁術に手を出した理由も。


 遅い、遅すぎる。私は何も分かっていなかったんだ。健康に支障が出るほど、毎日血を採られていたんだ。うつむく私の肩に、レナード殿下が手を添える。


「シェリー? 何も分かってないんだな」

「はい。ごめんなさい……」

「責めてるわけじゃないよ。俺が幸せそうな顔をしているのは、シェリーと付き合えたからだ」

「んん!?」

「っはは、そこまで驚くようなことじゃないだろ! 可愛い」

「え~……活発的に動けるのは、血を採られてないからでしょ!?」

「鉄分補給してたし、平気。まあ、楽と言えば楽だけど、今は」


 嬉しそうな顔して、私を抱き寄せる。なーんだ、良かった。でも、前よりも顔色が良い。負担になっていたんだ。じわじわと、夏の太陽が頭皮を焼いてゆく。暑い!! レナード殿下も暑かったみたいで、無理やり離れても、がっかりしなかった。


「木陰へ移動しようか」

「朝ご飯、まだなんです……」

「そうだった。じゃあ、ピクニックでもする?」

「します!! で、でも、塔の中にいた方が」

「心配いらないよ。ノーマンの魔術は完璧だから。モリスの弟子なだけある」

「はい……」


 拒絶するべきだったのかもしれないけど、拒絶したくない。だって、今日はこんなにも空が青くて眩しい。レナード殿下が微笑みながら、差し出してきた手を掴んで歩き出す。安全のため、できる限り塔の中にいるべきだって分かってるんだけど。レナード殿下と木陰でまったりピクニックしたい。


(多分、私は死ぬまでレナード殿下のために戦い続けるから)


 いつか私がうっかり殺されちゃった時、レナード殿下がこの日を思い出して笑ってくれるといいな。血にまみれた記憶だけ残さないよう、いっぱい楽しい思い出を作りたい。きっと、モリスさんも同じ気持ちだった。塔の中に残された魔術道具の数々が、モリスさんの気持ちを雄弁に語っている。


「エナンド、一緒にサンドイッチを作ろう!」

「急ですね!? あ、シェリーちゃんが起きたからか。突然、ご機嫌になったから何があったのかと」

「うるさいなぁ」


 明るい時間帯だからリビングに入ってすぐ、シャンデリアの眩しい光が目を焼いた。今日は瑞々しい葉の間に、白い花々が咲き誇っている。本物の葉と花が太陽を取り囲んでいるみたい。私も二人と一緒にサンドイッチを作ろうと思って、袖を捲り上げたら、急にジュードが飛びついてきた。


「シェリー、おはよう!」

「おはよう」


 とっさによけながら返事する。ひどく残念そうな顔をしていた。私におはようのハグをするだなんて百年早い! でも、諦めきれないようで、ほくそ笑みながら距離を縮めてきた。相変わらずね、気持ち悪い。レナード殿下が私の手を掴み、ジュードの肩を押す。


「ちょうど良かった、ミントを摘んできてくれ。ミントティーが飲みたい気分なんだ」

「……分かりました。あーあ、ご主人様がレナード殿下の命令も聞けって言わなきゃ、」

「やめろって! 男にご主人様って言われてもさぁ、嬉しくないんだよ!!」

「命令すればいいじゃないか」

「あ……」

「エナンドさんって感情的なバカですよね」


 だから、いつまで経ってもジュードの上に立てない。私ならその日の内に支配する。命令したいことを全部紙に書き出して、こと細かく命令して、絶対逆らわないよう、逃げ出さないよう、必死で考えて支配する。


 ジュードの怪しい態度を見て、警戒したレナード殿下がひそかに隷属の首輪を購入し、全員に配って、ジュードが問題を起こしたらつけろと命じたって聞いたけど……。普通、私に配るよね。


「隷属の首輪はとっても扱いが難しいんです。意識せずに命じると無効になる、独り言は命令に含まれない、わざとじゃなければ、禁止されていることでもやれるなど……。首輪は意思に反応するので、無意識の言動は制限できません」

「こういう話題になると、シェリーはいつも淀みなく喋るなぁ」

「本当に。あ、具材、何にしますか?」

「トマトとベーコン、玉子とチーズ、ハム、冷蔵庫にある野菜」


 レナード殿下が器用に薄く、トマトを切りながら答える。まな板にぐじゅぐじゅした残骸が広がらないの、すごい。エナンドが「はいはい、玉子ですね。茹でます? それとも焼く?」と聞きながら離れ、奥にある冷蔵庫を開けた。


「以前、とあるマフィアのボスがしくじって殺されました。面白がって、威勢が良い男を奴隷にしてしまったんです。ほんの遊び心のつもりだったらしく」

「今、トマト切ってるから……」

「大丈夫、分かってますよ。隷属の首輪がどんなに危険か、知ってほしいんです」

「やめてよ、シェリーちゃん! 俺、どうしたらいいの!? もうつけちゃったのに!」

「……隷属の首輪は扱いづらく、始めこそ高値で取引されましたが、今ではみんな、危険性と厄介さを理解しているので手を出しません。裏社会の人間が必要としなくなったから、余りものが比較的安い値段で出回るようになったわけです」

「よく喋るなぁ! 物騒な話題になると、別人のように語り出す……」

「他にも何か言うことがあるでしょ!?」


 レナード殿下がひょいっと肩をすくめ、切ったトマトをお皿へ移す。もー、なんで他人事? 私に任せるべきだった。私がやれば、完璧に支配できたのに……。


 泡だらけのスポンジを握り潰し、力いっぱい、お鍋の内側を擦って洗う。もういい、知らない! 玉子を持ってきたエナンドが呆れ、「指で磨いてるんじゃないの? それ」って言ってきたけど、無視、無視。ちゃんと洗えてるから。


「嫉妬だよ。ジュードに関わってほしくなかった」

「えっ?」

「どうせ、シェリーのことをご主人様って呼んでつきまとうだろ? 耐えられないし、目障りだから」

「……」

「シェリーちゃん、水! 水、止めた方がいいよ。出しっぱなしになってる」


 エナンドが腕を伸ばし、蛇口をひねって止めた。嫉妬……? 言いようのない感情に飲み込まれる。喉の奥がそわそわしてきた。何だろう、言いたいことが沢山あるのに出てこない。


「おおっ、シェリーちゃんが照れてるの珍しいなぁ。いてっ!?」

「玉子と一緒にエナンドさんのことも茹でますよ」

「いいね! 手伝おうか?」

「うわぁ、出た!!」

「失礼な。あなたの奴隷ですよ」


 いきなり現われたジュードを見て飛び跳ね、逃げていった。首輪があるのに、どうして怖いの? 一応助けて貰ったんだし、今度、みっちり命令の仕方教えてあげようかな……。気が進まないけど。逃げていったエナンドには目もくれず、ジュードがハンカチを広げ、レナード殿下に見せた。


「ミントを摘んできました。これぐらいの量で大丈夫でしょうか?」

「大丈夫、ありがとう。頼んだことはしっかりやってくれるんだけどなぁ」

「嫌いだからと言って、手を抜いたりはしませんよ」

「血の繫がりを感じる。シェリーにそっくりだ」

「どこがですか!?」

「俺達、顔も中身もそっくりだよね! だから仲良くしようよ、シェリー」

「……私は最初から仲良くするつもりだった。私の大事なテディベアを切り刻んだのは一体誰?」


 ジュードは昔から、私の大事なものを奪おうとする。忘れてないからね、これまでのこと。強く睨みつけてやったら、ジュードが赤紫色の瞳を見開き、意外そうな表情になる。レナード殿下がそっと優しく、私の腰を抱き寄せた。


「一緒にサンドイッチ作ろう。気にしなくていい」

「……分かりました」

「恨みますよ、レナード殿下。さっ、ご主人様に遊んで貰おう」

「ほどほどにしてやってくれ。エナンドは胃が弱いんだ」

「幻獣なのに……?」

「関係ないと思うよ。幻獣だって腹を壊すし、胃薬を必要とする」


 不思議に思って見上げたら、レナード殿下が微笑み、私のおでこにキスしてくれた。……ご機嫌なお母さんがしてくれたキスを思い出す。


 いつも、ユーインのことだけ可愛がってたお母さんだけど、機嫌が良い時は優しくキスしてくれた。それは大体、こんな感じのよく晴れた暖かい日で、ふいに私を抱きしめ、キスしてくれた。青い瞳が青空と重なる。


(お母さんは、青空とまったく同じ色の瞳を持っているから、青空を見たらご機嫌になって、キスしてくれるんだと思ってた……)


 今なら分かるよ、お母さん。私のこと、好きじゃなかったんだよね。やっぱり、ユーインには会えないし、返事が書けないや。読まずに捨てよう。気が向いたら返事を書いてあげる。黙々と食パンの耳を落としていれば、レナード殿下が話しかけてきた。


「大丈夫か? 嫌なことでも思い出した?」

「……気にしないでください、大丈夫です」

「トマト、薄く切っておいたから。シェリーの好きなゆで玉子も入れよう」

「はいっ!」

「うわ、待って、今、包丁持ってるのに……」


 包丁を持っている時に抱きついたらいけませんって、怒られた。しぶしぶ謝ったあと、ゆで玉子を半分潰しながら殻をむいて(取り上げられた)、ベーコンをレナード殿下が望んだ分厚さにする。よし、完璧!


「切るのだけは上手いよな」

「はい。慣れていますからね! 肉を切るのは私に任せてください」

「うーん、嫌な慣れだ……」

「生きたまま、肉を薄く切る必要があったんです。間違って分厚く、」

「やめてくれ、食欲がなくなる。これから食べるんだぞ」

「……私が責任持って、全部食べますね!」

「もしかしてそれが狙い?」


 笑い合いながら食パンに、トマト、ベーコン、ハムとチーズ、ゆで玉子と玉ねぎ、レタスを挟んで紙に包み、ピクニックバスケットに詰め込む。温かい液体を淹れるための水筒と一緒に。バスケットの中に顔を突っ込んで、ふんふん嗅ぐと、ほのかに爽やかなミントの香りがした。


「ピクニックバスケットに入れる必要ってあるんですか?」

「あるさ、気分が上がる。行こう」

「待ってください。武器を仕込んできます」

「いらないと思うけど!?」


 考えが甘い! ピクニックに武器はつきもの。あーあ、叔父さんが私に銃を触らせてくれたら、銃を持って行くのにな。銃弾に金を払いたくない、無料の魔術で何とかしろって言われた。ケチケチ、ドケチの叔父さん。


 そのせいで私はいまだに銃を上手く扱えない……。武器を仕込み、木陰の下でのんびり足を伸ばしているレナード殿下のもとへ行ったら、笑顔で手を振ってくれた。


「こっち、こっち! 遅かったな」

「すみません。ピクニックに最適な武器を選んでいました」

「……待たされて寂しかった」

「え? わあっ」


 軽く手首を引っ張られ、膝の上に乗せられる。どうしてこうなったの? レナード殿下が上機嫌でお腹に手を回してきた。文句を言おうと思ったけど、夏風に揺れる木の枝が綺麗だからやめておいた。葉の隙間から青空と白い雲が見える。汗ばんだ首筋を、風が乾かしてゆく。


「たまにはこういうのもいいだろ? 怒ってる?」

「いいえ。黙って座っているじゃないですか」

「良かった、怒っているのかと思った」

「……今日は青空が綺麗ですね。母を思い出します」

「事故で亡くなったんだっけ?」

「はい。事故……? 建物の崩落に巻き込まれて亡くなりました」

「つらかったな。分かるよ」


 レナード殿下のお母様は、レナード殿下のことを愛していたけど、私のお母さんは違う。同じくらいのつらさじゃないと思う。否定したら、悲しむような気がしてやめた。レナード殿下が突然、私の髪の毛に鼻を突っ込む。


「どうしたんですか?」

「良い香りがする……。不思議だな、同じシャンプーを使っているのに」

「ドキドキするからやめてください。食べましょうよ」

「んー、離れたくない」

「今日は午後からジュードと手合わせする約束なんです。筋トレしてから走りたいし、早く食べちゃわないと……」

「筋トレばっかして! 俺との時間は?」

「夜、寝る前に話してるでしょ? 我慢してください」

「嫌だ。少しの間だけ、頼む」


 切ない声で頼まれたら、嫌だと言えない。まったく、甘えん坊なんだから。蜂蜜色の瞳が見えなくて、ちょっとだけ淋しいけど我慢した。青空が綺麗。お母さん、ユーイン、私、二人がいなくても平気だよ。王子様がそばにいてくれるんだ。きゅーっ、ぐるるって、お腹が小さい音を立てる。レナード殿下が肩に顔を埋め、声を押し殺して笑う。


「ご、ごめん、食べようか……」

「はい。もーっ、だから早く食べましょうって言ったのに!」

「ごめんごめん。俺は朝ご飯食べたけど、シェリーは食べてないんだよな」

「わがまま甘えん坊王子!」

「ん? 俺の悪口?」


 ピクニックバスケットを覗いて、二つ、サンドイッチを取る。確かに気分が上がるかも。芝生の上にピクニックバスケットが置いてあるだけで嬉しくなっちゃう。舌に火傷を負いながらもミントティーを飲み干し、サンドイッチにかぶりつく。私を見ていて楽しいのか、レナード殿下はずっとにこにこしていた。


「んーっ、美味しい! ふわふわ!」

「口にあったようで何より。今までとは違う店からパンを買うことになったんだ」

「……レナード殿下を従順にさせる薬、もしくは」

「大丈夫だから! 食材は一度、全部カイが調べてる」

「……」

「分析するのが得意なんだよ。悩まずに食べて、シェリー」

「キスするか、サンドイッチ食べるか、どっちかにしてください……。ほっぺたが汚れそうで嫌です」

「じゃあ、キスだな」


 しれっと、食べかけのサンドイッチを口へ押し込みながら言う。その冗談は心臓に悪い。レナード殿下がサンドイッチを咀嚼し、飲み込んだあと、ミントティーを口に含む。


 さらさらの焦げ茶混じりの茶髪は、陽射しに当たると金茶色へ変わる。木漏れ日を浴びたレナード殿下はいつもより綺麗で、かっこよくて、見惚れちゃう。覗き込めば、葉の模様が浮かび上がっていそうな蜂蜜色の瞳に見つめられた。動揺して肩を動かすと、にじり寄ってきた。


「シェリー、今、ここでキスしたら逃げる?」

「前、部屋から逃げたの、根に持っているんでしょ……」

「違う、トラウマになってるんだ。悲しかった」


 私の許可を得る前に、キスしてきた。夏の匂いと汗の匂い。ミントティーとシャンプーの香りが混ざって立ち昇る。あ、本当だ。ぜんぜん違う、同じシャンプーなのに。ミントティーのせいかな? 聞く暇はなかった。結局、聞きそびれちゃった。


(……不気味だって言われて、どう感じた? 悲しかった? って一生聞けないような気がするわ)

















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