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元暗殺者と魔術師殿下による、癒しのティータイム  作者: 桐城シロウ
二章 禁術の行使で変わった運命
73/74

37.待っているよ、シェリー。いつでもおいで

 





「……バーデンがきた」


 窓際にある俺のベッド。かなり気に入ってはいるけど、夜更かしした次の朝、カラス姿になったバーデンがくちばしで窓をつつけば、すぐに目が覚めてしまう。人が起き上がったのを見て、うるさく騒ぎ出した。


「こら! 待ってくれ、ガラスが割れたらどうしてくれるんだ」

「割れるわけないだろう。シェリーから手紙だ」

「へ~……。想像つくけど」

「甘いな。恋人とのイチャイチャに夢中だから、弟のことなんかどうでもいいさ」

「恋人!? 騙されてないよね。顔だけは良いから心配だ」

「他に言うことはないのか?」


 あるわけがない。大抵の男は殺されて終わりだ。妙な男に引っかかって騙されたとしても、報復して終わり。金を取られてなきゃいいけど……。バーデンが黒い翼を震わせ、飛び立った。床に着地するのかと思いきや、人の姿へ変わった。漆黒の霧のようなローブを翻し、満足げな表情で見てくる。


 手元にあるのは、何の変哲もない白い手紙。思ったよりも遅かった。もっと早く、手紙がくるかと思っていた。どんな恨み言が綴られているんだろう。姉さんのことだから、いつ帰ってくるのって記されているかもしれない。


「読まないのか? ユーイン。待望の手紙だぞ」

「……別に待っていたわけじゃない」

「素直じゃないな、シェリーにそっくりだ」

「おい! やめろよ。手紙のやり取りなんてしたら、俺が言いたいこと、少しも伝わらないような気がして……」

「伝わるんじゃないか? 今は違う」

「だといいけど」


 俺のために体を削らなくてもいい。夜な夜な出かけて、人を殺さなくてもいい。どれ一つ伝わらなかった。笑顔で「ただいま!」と言う姉さんからはいつも、血の匂いがした。別にいいよ、足が戻らなくても。走れなくても。


 俺の足を再生した、何も知らない一等級国家魔術師が「良かったな、両親に感謝しろよ」と言ってきた時、吐き気がした。違うんだ。姉さんが人を沢山殺して、手に入れた金なんだ。姉さんは多分、俺の足が血にまみれてるってこと、知らないと思う。


 人の屍を築き上げた結果、手に入った足だから血で汚れてる。ベッドの上に投げ出されたこの足は、姉さんから多くの時間と金を奪い取った。俺はのんびり学校に通うだけ。


「なんでだと思う? バーデン。読む勇気が湧かないんだ」

「……肩透かしを食らうぞ」

「ならいいけど。俺は最初から間違えていたんだ。もっと早くに気付いて止めるべきだった」

「姉弟揃って、よく分からないことを言う」

「姉さんを止めて、旅行にでも行くべきだったんだ……。義足でも歩き回れるって、姉さんは理解してなかったかもしれない」

「遅いさ、もう。お前は足を手に入れた、シェリーは一流の暗殺者になった。ああ、元か。元暗殺者って言わないと、シェリーがキレちまう」

「本当に? 変わったんだね」


 手紙の封を破る。鼓動が速くなった。読みたいけど、読みたくない。肩透かしを食らうってどういう意味だ? 俺に縛られず、自分の人生を歩んでほしい。何度か言ってみたけど、通じなかった。離れることで通じるかもしれないって思ってたけど、違うかもしれない。


 ああ、そうか。俺は答え合わせをするのが怖いんだ。心臓が痛む。手紙を開けば、自分の選択が間違っていたと思い知って、後悔するかもしれない。手紙を出そうとして、数秒間硬直し、結局戻したらバーデンが怒った。


「読めよ! どうして戻す!?」

「……今日はジェフさんがいるよ。会ってきたら?」

「なに? 追い払うつもりだろう」

「今なら、他の人外者がいないから独占できる」

「っくそ! 大目に見てやる。次はこんな手口に引っかからないからな!」


 バーデンが慌ただしく、部屋から出て行った。俺の楽園が静まり返る。白い漆喰の塗り壁と、ダークブラウンに染まった床材。質素なランプ、あちこちに積み上げられた本、今にも飛び出てきそうなほど、本が詰まった本棚は壁際に佇んでいる。


「どうしてあんなにジェフさんのことが好きなんだろう。妙な吸引力がある人だけど……」


 背が高いチェストに、木製の扉がついたクローゼット。古い勉強机には、シェードランプを置いた。細く裂いた糸のような飾りがついてる。ここは俺の楽園。とても居心地が良い。ようやく静かになってくれた……。便箋から手紙を出して、慎重に開く。最後に見た時よりも綺麗な文字で、近況報告が綴られていた。


 ユーインへ


 元気? 私は元気になったよ。帰るつもりはないから安心して。今はお城に住んでる。でも、明日、前に住んでいた塔に帰る予定なの。最初は王子様の護衛をして、子どもを生んでって言われてたけど、たまにくる侵入者を追い払って、毎日お菓子を食べてのんびりしてる。レナード殿下を守るために禁術をかけてもらったんだ。詳しくは書いちゃいけないような気がするから、書かないけど、レナード殿下の怪我を肩代わりする禁術。感情の共有もできるようになった。


 私、少しは普通になったよ。浮気者のレナード殿下がユーインは心配して、離れていったんじゃないかって言ってたけど、本当に? でも、甘やかさないからね。何かしたら喜んでくれるレナード殿下に尽くすって決めたんだ。ばいばい! でも、不安にさせちゃってたのならごめんね。お母さんにユーインを守ってねって言われたから、守りたかったんだ。私はお姉ちゃんだから! 今までごめんね、本当にありがとう。                  

                             元お姉ちゃんより



 頭が痛くなった。予想通り、騙されていた。浮気者だって? 王子? ジェフさんは把握しているんだろうけど、俺は何も聞いてないぞ。さすがに見過ごせない。ベッドから降りて、スリッパを履いたところで気が付く。まだ身支度が済んでいない、パジャマ姿のままだ。


 クローゼットを開き、中にも置いてあるチェストから、黒いTシャツとズボンを引っ張り出して着替える。くすんだ真鍮のドアノブを掴んで、重たい木の扉を押し開けば、廊下のステンドグラス窓から入り込む眩しい陽光が、俺の目を焼いた。


 数年かけて、ジェフさんがこつこつ修繕しているせいか、古い一軒家なのに使い勝手が良い。どこか懐かしい雰囲気が家全体に漂っている。廊下の窓と同じ、赤と青のステンドグラスが嵌め込まれた洗面所のドアを開くと、洗濯機が音を立てて、回っていた。


 魔術で何とかなるだろうに、ジェフさんは丈夫だからと言って、古いドラム式の洗濯機を好んで使ってる。ラフに塗られた漆喰壁、焦げ茶色のフローリング、水はね防止で張られた青タイル、陶器の丸い洗面ボウル、やたらと長くて曲がってる蛇口、アンティークショップで見つけたというオーバル形の鏡。


(姉さんが見たら喜びそうだ……。きっと、ここに住みたいって言うだろうな)


 俺が目を覚ませ、騙されているんだって言えば、姉さんのことだから素直に従ってくれると思う。誰だ、王子って。この国の王子と同じ名前だから、王子と名乗っているのか、姉さんが勘違いしているのか分からないけど、ろくなやつじゃない。


 アンティークの鏡を睨みつけながら、歯を磨く。会いに行こうか、姉さんに。口をゆすごうと思って、俺専用の何とも言えない、青緑色のコップに水を注いでいる最中、ふいに手紙の一文を思い出した。


「……子ども? 生めって、おい」


 姉さんは子どもがどこから生まれてくるのか、ちゃんと知っているのか? 筋トレを頑張ったら生まれてくると思ってそうだな……。そういう話は一度もしたことがない。姉さんは学校に通っていないし、まさか、何も知らないで性的なことをさせられているんじゃ……。


 のんびり歯を磨いてる場合じゃないだろ、俺! 速攻で水を吐き出し、年季が入った急な階段を駆け下りる。埃が舞った。リビングに駆け込むと、エプロン姿のジェフさんがソファーでくつろぎながら、尻尾をちぎれんばかりに振る犬と化したバーデンを撫でていた。


「どうした? ユーイン。階段が傷むから、もう少しゆっくり降りてくれると」

「大変だ! 姉さんが詐欺師に騙されてる!!」

「……思い込みが激しいユーインのために、コーヒーを淹れてあげたいから、俺の代わりに説明してやってくれ」

「仕方ないなぁ! まったく。あれを読んで、どうして詐欺師だって思ったんだ?」

「一般人が王族と顔を合わせる機会なんて早々ないからさ。バーデン、頼んだよ」

「分かった、任せろ」


 久々にご主人様と会えて嬉しいのか、立ち上がるジェフさんをまっすぐ見上げながら、黒い尻尾をぶんぶん振っていた。すごいな、姉さんが見たら驚くだろう。エプロンの紐を結び直したジェフさんが、何事もなかったかのように柔らかく微笑み、奥にあるキッチンへ向かう。


 なんだか毒気を抜かれた気分だ。無言でソファーに腰かけると、バーデンが飛び乗ってきた。荒々しく座り、まだ揺れている尻尾をどうにか落ち着かせようとしている。


「で? あの手紙を見て、どうして騙されていると思ったんだ?」

「いいからもう、行ってきなよ……。ジェフさんに飛びつきたいんだろ?」

「そっちこそ気にするなよ! 早く言え、尻尾のことは気にするな」

「尻尾じゃなくて、視線が合わないのが気になる。ずっとジェフさんに固定されたままだ」

「ふん! 仕方ないな、これでどうだ?」

「ありがとう。……子どもを生むという一文が気になって」

「最初の頃は積極的に襲ってたぞ。今じゃ恥ずかしくて無理だそうだ」

「はあ!?」


 誰が誰を襲ってたって? あ、王子か。自称王子が姉さんを襲ってたのか。恥ずかしくて無理、ということは途中で好きになったから……? 見た目だけは可愛いし。話が通じなくてだらしないけど。


 それにしても、女慣れしているのか、していないのか、よく分かんないなぁ。首を捻っていたら、バーデンがくるくると回り、ソファーに寝そべった。完全に犬だ。


「それにしても、襲ったって……返り討ちに遭いそうだけど?」

「は? 返り討ちされるわけないだろう。強いんだから」

「そんなに強いの!?」

「ああ、強い。お前は戦っているところを見たことがないから、そんな風に思うんだろう。あいつは飛びぬけて強いぞ」

「へ~……。待って、じゃあ、嫌がったとしても無理やり?」

「おう。話が通じないからな、いつものことだけど」

「え、ええっ!? 話が通じないって?」

「犯罪だと言っても聞きやしない。王妃様に許可を貰っているから大丈夫の一点張り」

「そんな……」


 王妃? 許可? 待ってくれ、理解が追いつかない。詐欺師じゃないのか。姉さんよりも強い筋肉バカで、優しさの欠片もない王子ってことか。待て、確認しなきゃ。本当に王族なのかと聞けば、静かに頷いてみせた。嘘だろ、どうしようもない。


「俺は、姉さんには、幸せになってほしかったのに……」

「手紙を全部読んだ上での感想はそれか? 大丈夫、幸せそうにしてるぞ」

「本当に!?」

「ああ、心配いらない。浮気者だと言って王子様を責めていたが、何とか落ち着いて」

「浮気までするのか!? くそっ、幸せじゃなくて洗脳されてるだけだろ!? 良いところが一つもない!」

「会ったことがないくせに、何を言ってるんだ? 温室育ちの良いやつだぞ」

「え? 筋肉バカの女好きで、分かった、姉さんを甘やかすのが上手いんだな?」

「正解だ。しかし、筋肉バカじゃない。どうしてそうなった?」


 どうしよう。相手が王子なら勝ち目はない。でも、姉さんのことだから、俺が騙されてるって言い聞かせれば、きっとすぐに目を覚ましてくれる。会いに行かなくちゃ。バーデンは人外者だから、姉さんの苦しみや痛みが分からないんだ。


 ジェフさんにも報告しないと。ふいに、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。見上げると、ジェフさんが赤い瞳を細め、穏やかに笑いながら、白いマグカップを差し出してきた。


「あ、ありがとうございます……」

「どうだ? 納得できたか?」

「いえ、納得いきません! 姉さんは無理やり襲ってくる筋肉バカのどこがいいのか……。洗脳されているだけです。今すぐ連れ戻さないと」

「……俺が聞いていた話とやけに違うなぁ。バーデン、どんな説明をしたんだ?」

「勘違いしてやがる。シェリーと一緒だ、思い込みが激しい」

「王妃もグルになって、姉さんを縛りつけようとしているんですよ! 勘違いじゃない!」

「まあ、縛りつけようとしているのは事実だ。おいで、バーデン。膝の上にのせてあげよう」


 バーデンが喜んで飛び降り、ジェフさんがソファーにゆったりと腰かける。すぐさま、猛烈な勢いで尻尾をぶんぶん振り回しながら、膝へ飛び乗って、顎を舐めていた。ジェフさんが笑いながらバーデンを撫でて、強引に引き離す。あのバーデンがきゅうん、きゅうんと鼻を鳴らしながら、大人しく膝の上に寝そべる。すごいな、本当に。


「いい子だね、バーデン。あとでブラッシングしてあげよう。……さて、まずはユーインの誤解を解かなくちゃな」

「だって、無理やり襲われてるんですよ!? 姉さんは人と深く関わったことがないから、よく分からないんだと思います」

「幸いなことに、シェリーが襲っているんだ」

「えっ、ね、姉さんが!?」

「そう。返り討ちに遭ったみたいだけどね。警戒した方がいいのはジュードだったけど、落ち着いたようだ」

「ああ、ジュード……。どうしてジュードの話が出てくるんです?」

「一方的にシェリーを慕ってる。あの二人は今、城で生活してるから」

「うえっ!?」

「城の片隅にある塔で生活中らしい。レナード殿下と、初めて出来た男友達が守ってくれるから心配いらないだろう」

「男、友達……」


 まだ揺れている尻尾の付け根を撫でて、ジェフさんが憂鬱そうな笑みを浮かべる。本当は俺達二人をこの家に招きたかったんだ。今からでも遅くはない、姉さんとここで生活した方がいいかもしれない。そう言おうとしたら、ゆっくりと手を動かして、今度はバーデンの頭を撫で始める。


「シェリーは今、幸せなんだ。恋人が出来て浮かれてる」

「筋肉バカと幸せになんて……」

「話聞いていたか? レナード殿下は実に紳士的だそうだ。あーあ、父親にでもなった気分で落ち着かない。シェリーさえ頷けば、そいつらの記憶を消して連れ帰るのに」

「そうしましょうよ!」

「だめだった。シェリーに泣き落としは通用しないんだ」


 いたずらっぽく笑い、肩をすくめる。泣き落とし? ジェフさんが普段どこで何をしているのかなんて把握してないけど、いつ姉さんに会ったんだろう。謎は深まるばかりだ。父さんに命を助けられたって言ってるけど、それも本当かどうか……。危うく、考えが暗い海に沈みかけた時、ジェフさんが物憂げな表情で呟いた。


「もしも、レナード殿下がシェリーをボロ雑巾のように捨てたら復讐するよ。今はまだいい、今は。引き続き、バーデンに監視させる」

「……姉さんにはバレてないよね?」

「ああ、バレていない。勘付いてはいるようだが」

「シェリーは賢いから、割り切ってるんだろう。頼んだよ、バーデン」

「任せろ! だが、子どもが出来たらどうする?」

「シェリーの意思を尊重したい。……そうだな、危ない目に遭ったら教えてくれ。引き離す」

「分かった。でも、あいつと暮らしたいんだろう?」


 バーデンからの質問には答えず、にっこり微笑みながらブラシを取り出した。とたんに落ち着いていた尻尾が激しく揺れ始める。邪魔だな、俺。退散しよう。


 マグカップ片手にソファーから立ち上がると、バーデンが豪快に腹を向けた。ソファーを占領する気満々だ。ジェフさんはどうしてか、一番手強そうな尻尾から梳かしたいみたいで、笑いつつ、揺れる尻尾を掴んでいる。


「こらこら、大人しくしなさい! シェリーに梳かして貰っているか? 毛玉が出来てるぞ」

「あいつ、乱暴なんだ! 人の姿でも犬の姿でも、強引に梳かしやがる」

「なるほど、酷くもつれている理由がよく分かったよ。せっかくの、綺麗な黒い毛皮なのに……。優しく梳かしてあげよう」


 鼻をふんふん鳴らして、甘い鳴き声を上げた。ジェフさんって不思議な魅力がある人だよなぁ。俺もよく分かってないくせに、こうしてお世話になっちゃってるし。モテるのもそのせいなんだろう。穏やかで優しいのに、時折、人の背筋をぞっとさせる。そのくせ、お年寄りにも優しい。


 歩きつつ、ちびちびとコーヒーを飲んでみたら、少しだけぬるくなっていた。角砂糖が二つと、ミルクが少々入った味わい。俺の好きな味だ、きっちり覚えてる。ジェフさんが作った小さめの、節がところどころある木のダイニングテーブルを見てみると、楕円形の白い皿に俺の好物が並んでいた。


(……チョコチップパンと、ハムときゅうりのサンドイッチ。昨日、久々におばあちゃん店主がやってるパン屋のパンが食べたいって言ったの、聞いてたのか)


 初めて家族以外の人と暮らすことになったけど、こうしてジェフさんが気を使ってくれるから、まるでストレスがない。家が素敵だからかもしれないけど。特にリビングがお気に入り。


 低めの白い天井に、等間隔でダークブラウンの木が並び、白い壁には風景画が飾られている。リビングに面したウッドデッキには、観葉植物が置いてあった。布張りのソファーとオットマン、黒いステンレス製のフロアランプ、みっちり本が詰まった本棚。


 奥にある、コの字型のキッチンは大人が集うバーカウンターのようで、そこだけ一段高くなっていた。天板はマーブル模様の白い石だけど、他は全部黒色。コンロ近くの壁だけ、オレンジ色のタイルが張ってある。皿に置いてあったサンドイッチを食べたら、柔らかいパンが歯の裏にこびりついた。


(ここは居心地が良い。姉さんも来たらいいのに……)


 ウッドデッキにはハンモックが置いてあって、寝転がると、最高の気分になれるんだ。姉さんも絶対気に入ると思う。きゅうりは新鮮で、噛むと面白い音を立てた。俺は猫舌だから、コーヒーはぬるい方がいい。学校は休みだし、今日、午後から友達と遊ぶ約束をしてる。姉さんがいなくても平気なんだ。


 学生は勉強に集中するべきだと言って、ジェフさんが家事を全部やってくれるし、お金の心配もいらない。全部上手くいってるんだ、最高なんだよ。バーデンの毛玉と格闘し終えたジェフさんがやって来て、椅子を引いた。俺の顔を見て、ぎょっとする。


「泣いているのか!? どうした? サンドイッチがまずかったのか?」

「いえ、大丈夫です……。すみません」


 この年にもなって情けない。ホームシックだなんて。姉さんに会いたい。俺は幸せになってほしくて離れたのに、勘違いされちゃってるし、恋人が出来て、新しい生活を謳歌してるなんて……。困惑しているジェフさんの隣に、ジェフさんそっくりの赤い瞳と黒髪を持つ男に変身したバーデンが立って、迷惑そうな表情を浮かべる。


「すぐに意地を張るところがシェリーにそっくりだ! さあ、早く言え! ジェフが困惑しているだろうが」

「バーデン、子ウサギになってみる気は?」

「あ!? え~……な、ないが、変身しろと? 子ウサギに!?」

「俺の姿より似合うと思うんだ。手のひらサイズになってみてくれ。手のひらに乗せて愛でたい」

「……」

「バーデン?」

「分かったよ、変身すればいいんだろ、変身すれば! ちくしょう!」


 半ば自暴自棄になって叫び、目つきが悪い、むっくむくの黒い子ウサギへ変身した。ジェフさんってかなり酷い人だよなぁ、知ってたけど。満足げな表情で凶悪な子ウサギになったバーデンを抱き上げ、手のひらに乗せる。……俺なら乗せようとは思わないね。中身を知ってるから。


 人を殺して食べることもあるという、金等級の人外者をそんな風に扱えるのはジェフさんだけだと思う。しかし、子ウサギになったバーデンは俺の心配をよそに、ジェフさんに頬擦りされ、うっとりしていた。こいつ、ジェフさんになら何をされてもいいのかよ……。


「で? どうしたんだい、ユーイン。話してみる気になったかな?」

「気力が削がれました。愛玩動物がほしいのなら、飼えばいいじゃないですか」

「バーデンが嫉妬しちゃうんだよ。他の人外者もね」

「ふぅん」

「……シェリーからの手紙に傷付くことでも書いてあった? 泣くなんて珍しい」


 片手でバーデンを抱きながら、俺に歩み寄り、ごくごく自然な動作で目元の涙を拭う。いきなり目元を触られても嫌じゃない。そういえば、最初からこんな感じだった。昼下がりのカフェに現われ、鷹揚な笑顔を浮かべつつ「好きなものを頼んで」と告げ、俺の相談にじっくり耳を傾けたあと、簡潔に述べた。


『シェリーから離れた方がいい。君たち姉弟は離れて過ごす時間が必要なんだ』


 あの時は頼れる大人に見えた。彼こそが、俺たち姉妹の歪みを直し、こう着状態を何とかしてくれる救世主だと思った。心酔してると言ってもよかった。時々、涙ぐみながら、俺の話に耳を傾けてくれるジェフさんは到底悪い人に見えなかったし、話が通じない姉さんとの会話に疲弊していた俺にとって、ジェフさんの優しく、理解ある言葉が胸に染みた。


 これでいいんだ! 俺はジェフさんの言う通り、離れたらいいだけ。何もかもよくなる。姉さんのことはバーデンに任せて、学校へ行けばいい。……これで本当によかったのか? それまで何の疑問も抱いてなかったのに、突然、不安と猜疑心が首をもたげる。


 父さんは昔、ジェフさんを助けた。命の恩人だから恩返しがしたい。俺たち姉弟を守りたいって言ってるけど、本当か? 黙りこくっていたら、ジェフさんが俺の肩を掴んできた。見上げれば、眼前に凶悪な顔つきのバーデンがいる。


「うっ……」

「どうした? 撫でるか?」

「バーデン、目が死んでるよ! いいの? 俺が撫でても」

「仕方ない、命令だ……」

「いいよ、もう、無理しなくて。ホームシックになっているだけだから、気にしないでください」

「ユーインだけ、シェリーに会いに行くか?」

「だめだ。今日、あいつ城にいないから。元婚約者に会ってるんだよ、王子様の」

「えっ!?」


 どうしよう、姉さんが勝てるわけない。服に興味がないし、笑われて終わりだ。子ウサギ姿のバーデンを奪ったら、ジェフさんがあっと、残念そうな声を上げる。俺の両手におさまり、バーデンがさらに凶悪な顔つきになった。


「どういうことだ!? 姉さんが勝てるわけない!」

「勝敗を気にするあたり、血の繫がりを感じる。そっくりだ」

「ふざけてないで答えろ! いじめられたらどうしよう……。バーデン、今すぐ帰って伝えてくれ。いじめられたら、多少痛めつけても構わないって」

「姉離れが出来てねぇな。おい、精神的に自立するんだろ? おんぶに抱っこで暮らすのはやめると言ってたじゃないか」

「出来てるよ。今すぐ姉さんのもとへ行って、連れて帰ってくる!」

「待て、ユーイン。落ち着きなさい」


 ジェフさんがもう一度、俺の肩を掴んだ。こうしちゃいられない。元婚約者にわざわざ会わせるなんて、誠実な男のすることじゃない。きっと、バーデンも騙されているんだ。俺が姉さんを取り返す。姉さんを説得して、連れて帰る。いいじゃないか、もう、会ったって。早く会うべきだった。俺はどうして、今まで姉さんのことを気にしていなかったんだ────……。


 暗く、感情が抜け落ちた赤い瞳に見つめられる。ジェフさんが俺の肩を掴み、覗き込んでいた。虹彩は黒。赤い眼球の中に、黒い点が浮かんでいるように見える。思考も、時間さえも、一瞬で止まった。くちびるを動かし、低い声で語りかけてくる。


「だめだ、ユーイン。落ち着け」

「……はい」

「まだ会うべきじゃない。そうだろ?」

「はい。勝手な真似をしようとして、すみませんでした……」

「今すぐ、部屋に戻ってシェリーへの手紙を書くんだ。いいな?」

「はい」

「久々に見たなぁ、力を使うところ」


 黒い、ふっくらむちむちの毛皮に包まれたバーデンが呆れたような、しかし、感嘆が混じった声で言う。すっかり目から光を失くしたユーインを見て、ジェフが整った顔立ちを歪め、後悔している様子で首を振った。


「あれだけ嫌悪していたのにな……。俺は違う。父親とは違うんだ」

「そうさ、お前は清廉潔白な人間だ。人をしこたま食ってきた俺が保証してやろう」

「嫌がらせか? バーデン。もう撫でないぞ?」

「うわっ、こいつ、いきなり動き出しやがった! どうにかしてくれよ」


 命令されたユーインがやけにきびきびと、木製のドアへ向かって歩き出した。ふたたび命令して、パニック状態に陥っているバーデンを奪い返す。手のひらに温かい毛皮が触れた。黒く、柔らかな毛皮。


 人外者にそこまで温度はないはずのに、温かく感じる。注意深く触れると、感じられる温度。だから、俺は人外者の肌が好きなのかもしれない。黙って胸元に顔を埋めると、さすがに暴れ出した。


「おい! おい! もう嫌だぞ、こんな情けない姿は!」

「……何だよ、俺を慰めてくれるんじゃないのか」

「美女の姿にでもなってやろうか?」

「いい、足りてる。なあ、バーデン。もっと早くシェリーを連れ出すべきだった。禁術をかけられてしまう前に」

「仕方ない。まだ怖いんだろう? ハウエル家の当主が」

「まさか、死人だぞ。もうあいつは死んだんだ。どこにもいない。現当主は俺に興味が無いようだし……俺は、シェリーの意思を尊重したかった。すぐに仕事から引き離せば、あの子はパニックに陥るだろう」


 似ていないように見えて、あの二人は実によく似ている。やっぱり、親子だからかな。シェリーの父親、アントニーさんは物静かで、落ち着いていて、さりげない気配りができる人だった。当時、腹が減っていて、食うことしか考えられない、人間不信の俺からすれば、アントニーさんは不思議な存在だった。


『……これ、食べられる? 嫌いな食べ物が入ってるんだ』

『いらない』

『じゃあ、捨てて。毒なんか入ってないよ。君みたいな子どもを殺したって、何の得にもならないし。命令されてない』

『命令されたら殺すのか?』

『うん。だから、大きくならないといけないよ。力をつけるんだ。そうすれば、ここで生きていける』


 寒空の下、放り投げられた俺の頭に毛布をかけて、レーズン入りのパンをくれた。必死でそれを齧った。優しい言葉を言ってくれるわけじゃない。でも、俺のことを殴らなかったし、目の前でわざとらしく財布から金を落とす時もあった。動きが笑ってしまうほど間抜けで、せせら笑えば、振り返って苦笑する。


 どんなにバカにしても、決して怒らなかった。金を拾っても咎めなかった。いらないから食えと言って、押し付けられる温かい食事。俺が殴られたら、黙って怪我の手当てをしてくれた。


 これは優しさなんだ。気が付くのに時間はかからなかった。言葉ではなく、行動で君の味方なんだよって示してくれた。ヘマをして、だだっ広い夜の中庭に放り出された時は、必ず木の枝に登らせてくれた。


『いいか? この毛布に包まって朝まで過ごすんだ。絶対に降りてきちゃいけないぞ』

『……なんで?』

『酔っ払いどもに目をつけられたくないだろ? 通りすがりに殴られる』

『分かった。こんなことして大丈夫なのかよ』


 四人兄弟の中で、一番出来損ないの真ん中。アントニーさんは穏やかで、気が弱かったから、いつもそう呼ばれていた。この家では立場が弱いはず。俺を助けて大丈夫か? 毛布に包まり、木の枝に座っている俺を見上げ、うっすらと笑みを浮かべた。


『不安? ジェフ。僕のことを心配してくれるんだ』

『茶化してないでさっさと言え! あんたも殴られるんじゃねぇの?』

『……昔から、父に殴られているから平気だよ』

『容赦ないんだな、自分の子どもにも』

『ジェフのお父さんと一緒だね』

『うん……』

『明け方、おはようって言いに来るよ。おやすみ』


 決して俺のことを慰めなかったが、それが心地良くて安心できた。俺は可哀相な子どもじゃない。アントニーさんの前だと、プライドも、棘も、怒りも、復讐心も、すべて抱えたクソ生意気なガキでいられた。ひとりの人間として扱って貰えたんだ。黒い子ウサギ姿のバーデンを抱え、足元を見つめる。


(まだまだ俺は子どもです、アントニーさん……。どうするのが正解か、よく分からない)


 あなたならこういう時、どうしますか。シェリーに殺しをさせたくないと言っていたのに。普通の幸せを娘には味わってほしいと言っていた。王城にいたら、シェリーは危ない目に遭う。


 だけど、王子のそばにいるのが幸せなんだ。無理矢理にでも引き離して、学校に通わせて、真っ当な職に就けるよう、サポートしていった方がいいのか? 思いっきりバーデンの頭に顔を埋めると、嫌そうに身じろぎした。


「ああ、もう、どうしようかな~……。思いの外、ジュードが使えなかったね。次は女でもあてがう?」

「無理だろ。王子様はシェリーにべた惚れだ」

「あーあ、もっと早く引き離すべきだった。アントニーさんの娘なんだ。絶対に誰も彼もが好きになる」

「はいはい、妄信的だな。アントニーさん、アントニーさんって」

「当然。命の恩人なんだから……。俺はアントニーさんを助けられなかった。シェリーとユーインは絶対に助ける」


 地獄のような家から逃がしてくれた時、アントニーさんは穏やかに笑っていた。恩返しなんかいらないよ、元気でね。二度とこの近くに来ちゃいけないよと言ってくれた。別れるのが名残惜しくて、何度も何度も振り返ったら、そのたびに苦笑して、大きく手を振ってくれた。


 今、この世にいないのが信じられない。俺の弱さとトラウマが招いた不幸な結末。二度と間違えたりしない、二度と。


「……バーデン、王子様に伝えてくれ。シェリーを粗末に扱ったら、返して貰うと」

「分かった、伝えておく。心配する必要はなさそうだが」

「もし、何かあったら両目を抉り出せ。欠片も残さず! 完璧に取ってしまえば、治癒魔術で再生できない」

「お前は心配しすぎだ!」

「いーや、足りないね!! 今すぐシェリーの記憶を奪って、連れて帰ってもいいんだぞ。それをしないのは、シェリーの恋人だからだ。シェリーを大切にしているからだ……」


 腹立たしい。俺を落ち着かせようと思ったのか、犬の姿になったバーデンにブラッシングをせがまれる。バーデンの思惑通り、艶やかな美しい毛皮を梳かしていると、気持ちが落ち着いてきた。早く、レナード殿下を捨ててこっちに来ればいい。待っていよう、この家で。シェリーの恋愛ごっこが終わるまで。










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