33.今日から護衛兼恋人になります!
選択を間違えたら、取り返しがつかないことになる。分かりきっていたはずなのに、間違えちゃった。
「すごかったな、リンジー嬢。とても真似できない。あんな風に、父親に反抗するなんて……」
「レナード殿下もできますよ。周りからすればね」
「周りからすれば?」
「はい。レナード殿下には頑固なところがありますから。試しにやったことがないんでしょう?」
「……ないなぁ」
二人で手を繋ぎながら、ピンク色の薔薇のアーチをくぐり抜ける。甘い香りが鼻腔をくすぐった。葉と花弁の隙間からこぼれ落ちてくる陽射しは柔らかで、静かに、レナードの美しい横顔を照らしていた。胸がいっぱいになる。時々、勢いよく抱きついて、首に腕を回したくなる。
「だからね、やってみたらいいんですよ。私達からすれば、レナード殿下は父親に逆らえない、小さな子どもじゃありませんから」
「でも、今、反抗しているかもしれない。血を新しく提供してないから」
「……いつ再開するんですか? 言ってましたよね、再開するって」
「うん。来月考えようかな、また」
「一生提供しなくてもいいと思います」
「あー、気持ちは分かるけど。だめだよ、国王陛下は俺の血を使ってボロ儲けしてるから。そんなことは許されない」
「もしも」
もしも、私が逃げ出したいと言ったら一緒に逃げてくれますか。この暮らしも、地位も、手に入れるはずだった未来も、何もかも全部投げ捨てて、私と一緒にいてくれますか。レナード殿下が今持っているもの全部と私、天秤にかけたらどっちが重くなるんだろう。答えを知るのが怖くて、口をつぐんだら、レナード殿下が不思議そうな表情で首を傾げた。
「どうしたんだ? シェリー。腹でも減ったのか?」
「……違います!」
「じゃあ、拗ねたとか? 俺がリンジー嬢の生き様に感心しているのが気に食わなかった?」
「何でもありません。レナード殿下には関係ないことですから」
分かっているもの、ずっと一緒にはいられないって。気にせず二人だけの生活を楽しんでいたらいいのに(脳内で他の人は消した)、どうしてもこの先が気になっちゃう。五年は多分、一緒にいられるはずなのに胸が苦しい。薔薇のアーチをくぐり抜けた先で立ち止まったら、私の手を優しく握ったまま、レナード殿下が振り返る。蜂蜜色の瞳が悲しそうに瞠られ、苦笑と共に細められた。
「一体どうしたんだ? そんな顔をされたらつらい」
「……どんな顔してます?」
「見たことがないぐらい、悲しそうな顔をしてたよ」
私の頬を両手で包み込み、まぶたにキスしてきた。お願いだから泣かないでって言われてるみたい。耐えきれず、抱きついたら背中に腕を回してくれる。私の頭の上に、ごんっと顎を置いた。
「話すつもりはない? シェリー。君にとって俺は、悩みを打ち明けたくない人物なのかな?」
「はい!!」
「力いっぱい頷かないでくれ……。冗談だったとしても傷付くぞ」
「冗談じゃありません、本気です」
「だろうなぁ。じゃあ、ずっと味方でいるよ、逃がしてはあげられないけど」
いつか、王妃様が貴族のお姫様と結婚しなさいと言ったらどうしますか。前まで聞けていたことが、今ではもう聞けない。バーデンと逃げてやろうかしら。眠る間際に、私の手を握って泣いていた人と会ってみたいような気もするし……。
ユーインに謝って、また一緒に暮らすの。あの塔に二度と足を踏み入れない。お伽話から抜け出てきたような、綺麗な王子様に別れを告げて。力いっぱい抱きついたら、低くうめいた。
「痛い痛い! シェリー、骨が折れるって!!」
「……どうして骨が脆弱なんですか? これぐらい、大したことないでしょ」
「いい質問だ。初めて聞かれたよ、そんなこと。魔術でも使ってる?」
「使ってます」
「だろうね、緩めてくれてありがとう。だいぶ、暴走しなくなってきたな……。モリスに感謝だ」
私が暴走するの、嫌だったんだ。ちょっとだけショックだった。同じことでぐるぐる悩んでいるのは私らしくないから、思い切って投げ捨てる。あー、もー、どうしてずっと同じことを考えちゃうの!? どうにかしたい、この考え。一日中、レナード殿下のことばっかり考えちゃう。
「もういいです! 考えるのやめます」
「心配なんだけど……。嫌な予感がするんだ、ろくでもないことになりそうで怖い」
「気のせいですよ。あっ」
「ん?」
肌で人の気配を感じ取る。珍しい、人が来てるんだ。自然と口角が持ち上がる。ぬっと、背後の生垣から両腕が現われ、戸惑っているレナード殿下を捕まえようとした。とっさに不審な手首を掴み、刃よりも鋭い、風の魔術で切り落とす。魔術よりも道具を使いたいんだけど、たまには魔術を使わないと鈍っちゃうから……。赤い血が飛び散った。
おかしい、声がしない。あまりにも手ごたえがないから、すぐに分かった。囮なんだ、これ。レナード殿下が危険な目に遭った時、すべての感覚が研ぎ澄まされる。素早く周囲を見渡したら、レナード殿下の足元に黒い円が浮かんでいた。させるか! 事態を把握するよりも前に体が動き、レナード殿下を抱き上げ、空中へ飛ぶ。
「うわっ!?」
「バーデン! 始末して!」
「了解。いつものお遊びだろう、懲りないな」
黒い渦が発生し、瞬く間にそれが黒いローブ姿のバーデンへと変わる。次の瞬間、ピカッと真っ白な光が炸裂した。めくらまし? それともあれかな、バーデンが魔術を使った? 花が咲いていない生垣の上へ避難して、体が沈まないよう、魔術をかけておく。これで今、私達は石の上に乗っているも同然の状態。
緊急時に使うと約束した笛を取り出し、思いっきり吹けば、甲高い音が鳴り響き、頭上で小さな花火が炸裂した。私の隣にいるレナード殿下が、両手を生垣について、ぜえぜえと息を荒げている。
「すみません、大丈夫ですか?」
「またこれか……。いつになったら狙われなくなるんだ? 父上がもう少し、俺のことを考えてくれたら」
「……サムさんがすぐに来ますよ、大丈夫です」
私は慰めるのが上手じゃないから、サムさんに頼もう。日に何度かこうして襲われる。カイやエナンドは何も言わないけど、私が知らないところで本格的に襲われてるんだろうな……。早く、塔の中へ戻らないと。前まではモリスさんがいたから、平気だった。でも、今までとは違う。塔に戻っても襲われる可能性が高いけど、ここにいるよりはましだと思う。
巻き起こる小さな砂嵐を眺めていたら、突然、青緑色の鱗を生やしたトカゲそっくりの魔生物が襲いかかってきた。空中から。それも、四匹。手ごたえがあって好き! 魔術でナイフを生み出し、眼球を狙って投げつける。ナイフが突き刺さった瞬間、黒い砂になって消え失せた。
「レナード殿下、私から離れないでくださいね!」
「一応、俺も魔術師なんだよ。知ってた?」
レナード殿下から魔力が立ち昇る。生垣から、目にも止まらぬ速さでツルが飛び出し、二匹のださいトカゲもどきに絡みついた。腹が立って、残りのトカゲもどきは骨まで燃やした。私が全部仕留めたかったのにー!
「すごい魔力量だな……。しかも、正確にターゲットを捉えて燃やしている。どうやってるんだ?」
「慣れです」
「慣れか……」
「はい。武器を取り出しておいた方が良さそうですね」
魔術で生み出せるけど、魔力消費量が半端ない。魔力を回復するための薬、嫌いだし……。甘ったるくて、喉の奥に張り付くような苦味がある。ぐびぐび飲んで戦える人はすごいと思う。背中からずるりと鞭を取り出したら、レナード殿下が怖がって、どこから出したんだって聞いてくる。
でも、必要なさそう。サムさんがこっちへやってきた。サムさんと私の目があった瞬間、地面から猛烈な勢いで、小さな棘がびっしりと生えた、深緑色のツルが襲いかかってくる。私たちの眼前でツルが硬直し、震えたあと、石化した。
(サムさん、やっぱり土系統なんだ……。石化って難しいんだけど)
出来る限り見て、技を盗んでおきたい。でも、滅多に私の前では使わない。困惑するレナード殿下を放置して、つんつん、指で石化したツルを触っていたら、サムさんが苦笑し、近寄ってきた。私達を見上げ、茶色い革の手袋に包まれた手を差し伸べてくる。
「遊ぶのはあとでにしなさい。レナード殿下、ご無事でしょうか?」
「ああ、うん。シェリーのおかげで何とかね」
「私、手を借りなくても一人で降りられます!」
「いいから、早く」
有無を言わせない態度だけど、口元に浮かんだ笑みは優しい。おそるおそる手を伸ばして掴み、生垣の上から降りる。体がふわっと浮いた。怪我なんてしないから、魔術かける必要ないのに……。引き続き、レナード殿下のことも降ろす。疲れているのか、レナード殿下は不機嫌そうな顔になってた。サムさんが苦笑しつつ、石化したツルを静かに砕いてから、はっきりと告げる。
「申し訳ありません。今度から、二人きりになりたいと言われても無視します」
「……言われると思った。行くぞ、シェリー」
「はい。疲れましたよね? お姫様抱っこか、あっ、背負いましょうか?」
「いい、どちらもごめんだ」
「だめですよ、ちゃんと伝えないと」
サムさんの言葉に、ぴたっと足を止める。不機嫌オーラが肌に突き刺さった。も~、遮断してる。頑張ればレナード殿下の心、読めると思ったのに読めない……。私の頑張りが足りない? レナード殿下の背後でかたく両目を閉じ、低く唸っていたら、二人が苦笑した。
「どうしたんだ? 何を試みてる?」
「……心を読む練習をしていました」
「申し訳ありません、以後気をつけます」
「……」
「ん?」
「レナード殿下は手を貸したのを見て、不機嫌になってる。ほら、すんなり手を掴んだだろ? 嫉妬だ」
「嫉妬」
「サム、やめてくれ。今から、説明しようと思ったのに……」
心が狭すぎじゃない? 他の人も恋愛中、手を差し伸ばしているのを見て、もやもやするのかもしれない。あ、私が聞けなくなったのと一緒。ずっとそばにいてもいいのか、聞きたいけど聞けないから。レナード殿下も言いたいけど、言えないのかもしれない。ジャケットの袖を掴んで、レナード殿下のことを見上げる。驚き、意外そうな表情を浮かべていた。
「今度から気をつけてあげますね! 私のこと、好きなんでしょう?」
「……ああ。だから、恋人同士になれると嬉しい」
「じゃあ、メイドさん達と話すの禁止ですよ! バーデンを必要以上に構うのも禁止!」
「うん。今、何だって?」
「メイドさん達と話すの禁止です! バーデンをブラッシングするのも禁止」
「違う、違うんだ。その前。俺と付き合ってくれるって?」
「はい」
「……喜んでもいい?」
「どうぞ? 付き合いますよ」
今までで一番、嬉しそうな笑顔を浮かべた。サムさんが溜め息を吐いて、そっと目を逸らした。いいのかな、少しだけ望んでも。結婚するわけじゃないし、いつか離れるとしても、今はそばにいたい。笑顔で見つめたら、いきなり抱き上げられた。
「えっ!? 私の仕事なのに……」
「業務の一環だった? 俺を抱き上げて逃げるのは」
「はい。だって、私はレナード殿下の護衛ですから!」
「可愛い! 今日から恋人役を兼任してくれ。あーあ、俺の負けだ、降参だよ」
「降参?」
「そう。夢中になるとは思っていなかったから」
私の勝ち! とんでもなくいい響きで、胸の奥が温かくなった。ちょっとぐらい、素直になってもいいかもしれない。ぎゅっと首筋に抱きついてから、耳元でささやく。
「好きです、レナード殿下。世界で一番!」
「……よし、弟に勝った。じゃあ、これからユーインの話をするのは禁止で」
「えー、じゃあ、バーデンのこと褒めないでください。バーデンの頭を撫でる前に、私の頭を撫でてください!」
「いや、あれは違うんだって。偶然、大型犬のバーデンに遭遇したから撫でただけで、普段から触ってないんだよ」
「あとはー、それからぁー」
「ちょっと待ってくれ、禁止事項がどんどん増えていきそうだな」
くすくすと笑いながら、以前よりも強く抱き締めて、髪を撫でてくれた。これが、恋人の距離感……。急に恥ずかしくなって飛び退いたら、きょとんとしていた。慌ててサムさんの方を振り返ってみると、遠い眼差しで薔薇を眺めていた。見てなかったんだ。嬉しいけど、ここから消えて欲しい。それが一番だと思う。
「か、帰りましょうか、お城に……」
「ひょっとして、照れてる?」
「いいえ、違います。急に恥ずかしくなっただけです!」
「やっぱり照れていた」
伸ばしてきた手を振り払ったのに、余裕たっぷりの微笑みを浮かべながら、何度も何度も手を掴んできた。根負けして繋ぐと、指を絡めてくる。絶対に離したくない。そう言われてるみたいで、じわーっと耳たぶが熱くなってきた。
さっきと何も変わらないのに、心拍数と体温が上がってゆく。甘い薔薇の香りが鼻腔だけじゃなくて、心臓までくすぐってくる。落ち着かない。視線が彷徨った。
「う~……手を、繋ぐ必要ってありますか?」
「あるよ、もちろん。シェリーに手を繋いで貰えないと、俺、歩けないんだ」
「……」
「ごめん、冗談だから! 悪かった、本気で嫌がらないでくれ!!」
ぐぐぐぐって、レナード殿下の手を全力で振り払おうとしたのに、わざわざ立ち止まって踏ん張った。ま、負けないから! 繋いだ手を見下ろしながら、私も踏ん張る。三十秒ほど経過しそうになった時、真顔のサムさんが止めに入った。
「やめましょう、二人とも。早く帰りますよ」
「あ、悪い……」
「レナード殿下が悪いんです、私は何も悪くありません」
「へっ、よく言うぜ」
「バーデン! 忘れちゃってた」
風が吹き荒び、バーデンが地面から現われる。うんざりした様子で私の頭を肘置きにして、わざとらしい溜め息を吐いた。レナード殿下がむっとした表情に変わる。
「お前のために、相手の人外者とやりあっていたというのに……。忘れていただと? 嘘でもいいから礼を言うんだな! それが賢いやり方だ」
「うん、ごめんね。どうだった?」
「……回復に時間がかかるだろう。しばらくの間、キリムは襲ってこないんじゃないか?」
「ん~、しつこい」
他の国は早々に手を引いたのに、キリムだけがしつこく襲いかかってくる。独裁国家のミリアムが静かなのも不気味。国王が病気だって報じてたけど、気のせいなのかな? あそことは取引してないから、襲いかかってくるのも時間の問題。深く考え込んでいると、ふいにレナード殿下が両手を握ってきた。いつもよりも熱があって、蕩けている蜂蜜色の瞳。思考が止まっちゃった。
「帰ろう。俺なら大丈夫だから」
「……はい。あ、バーデン? レナード殿下と付き合うことにしたから、何もしないでね。尻尾振るの禁止、お腹を向けるのも禁止!」
「はああっ!?」
薔薇園を歩いて戻っている最中、ずーっと背後から、バーデンがレナード殿下を睨みつけていた。私の腰に手を回しながら、嬉しそうに歩くレナード殿下が笑い、ぽつりと「父親から娘を奪った気分だよ」って呟いた。どちらと言えば、忠実な番犬から飼い主を奪った意地悪なやつだと思う。バーデンが殺気立ちそうだから、黙っておいたけど。




