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元暗殺者と魔術師殿下による、癒しのティータイム  作者: 桐城シロウ
二章 禁術の行使で変わった運命
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29.一緒に不幸になってくれと、言ってくれたら

 



 選ばれたのは、黄みがかったアンティークレースの襟がついた、鮮やかで風変わりなグリーンのワンピース。南国の鳥の羽根みたい。でも、ちょっぴりクラシカルでお上品。袖がなくて、二の腕が丸見えだった。


 少し分厚めな生地の上に、アンティークレース襟が載せられると、細かい葉っぱ柄だからか、地面に浮かんでいる葉陰のように見えた。まじまじ眺めていたら、スカートをつまんでいるレナード殿下が溜め息を吐く。今日は暑いので、半袖の白いポロシャツと短いズボンを着ていた。今朝、王妃様がそれを見て、ちょっとだけ嫌そうな顔をしていた。


「だめだな。よく似合ってるけど、インパクトがない」

「インパクト、ですか?」

「ああ。ええっと、何だっけ? 名前を忘れてしまったが、とにかく、ご令嬢が怖気付くほどめかしこまなくちゃな」

「めかしこむ必要はありません。どうして、レナード殿下がやる気満々なんでしょう?」

「言い寄られたくないんだよ……。王妃様の友達のお嬢さんだし、手荒な真似はできない。ずっと会いたかった、憧れ。こういう単語を聞くと、身構えてしまうんだ」

「モテる男は大変ですね」

「うわっ!?」


 レナード殿下の後ろにいつの間にか、満面の笑顔を浮かべるジュードが立っていた。もー、一体どこから入ってきたの? すぐに分かった。ジュードの隣に、居心地悪そうな顔をしたバーデンが立ってる。渋い表情になったレナード殿下を見て、ジュードがいたずらっぽく笑い、肩をすくめた。


「すみません、レナード殿下。待ちきれなくて」

「別にいいけど、着替え終わっていたから」

「どうして俺は見ちゃいけないんですか? レナード殿下はいいのに」

「シェリーに許可を貰ったから。ちょうどいい、ジュードの意見も聞こう」

「えーっ!? 嫌です。バーデン、追い出しちゃってよ」

「こいつがどうしてもお前に会いたいってうるさいんだ、勘弁してくれ」


 横目で睨みつけながら、バーデンが低く唸る。ジュードは相変わらず、へらへらと笑っていた。私のために出て行くつもりはないみたいで、遠慮なく近付き、全身をじろじろ眺めながら、顎に手を当てる。嫌な気分! 品定めされてるみたい。すぐにレナード殿下が割って入ってくれた。


「シェリーの良さを生かしきれていないような気がします。黒が一番似合うのに」

「そうか? 重たい色よりも、こういった明るい色の方が……」

「黒は返り血が目立たない。シェリー、どうしちゃったんだろう? 黒がお気に入りだったよね?」

「何でもいいの。令嬢が怖気づく色だったら、何でも」

「ああ、レナード殿下に近付く女を追い払うため? でも、無駄だよ。いずれ、ちゃんとした家柄の女の子と結婚するのに」


 レナード殿下が押し黙った。意外、すぐに否定すると思ったのに。いいもん、別に結婚するつもりなんてないから。身分違いだってちゃんと分かってる。カイがうだうだ、ぐだぐだ言ってくるし……。ジュードの鎖骨辺りを殴ったら、軽くよろめき、「うわ!?」って言った。


「知ってるから黙って! レナード殿下が邪魔だって言う人は排除する。それだけ」

「分かったよ、ごめん。いつまでもこんな関係、続けられないから。早く割り切っちゃった方がいいよ、じゃあね」


 私が殺気立ったのを見て、ほくそ笑む。嫌なやつ! 不気味で何を考えてるのか分かんない。これ以上殴られたくないのか、不機嫌そうなバーデンを引き連れ、部屋から出て行った。私はいいの、別に。一生レナード殿下のそばにいられなくったって。


 だけど、レナード殿下がどう思うのか、無性に気になった。いつもレナード殿下のことを考える時、胸の奥が引き攣れる。二の腕を掴んだら、手のひらにぼこぼこした傷痕が当たった。正面に置いてある鏡を見てみると、ナイフで切り裂かれた痕が残っていた。


「……二の腕が出るから、嫌です。これ。前まであんまり気にならなかったのに」

「じゃあ、カーディガンでも羽織ろうか」

「はい」


 レナード殿下がそっと優しく、二の腕の傷痕を触った。全身にある傷痕。奥様が気にして、悲しんでいた理由がようやく分かった。嫌だ。きっと、レナード殿下の元婚約者にも、今度やってくるご令嬢にも、醜い傷痕なんてない。悲しくなってきて、涙が滲み出る。


「前までは、気にならなかったのに。モリスさんのせいです。禁術で結ばれた時から、体調が変だし……。前まで思わなかったことをどんどん考えちゃう、嫌だ、怖い」

「シェリーが素直に本音を言うのは初めてだな」

「そうですか? 今まで沢山泣いてたのに?」

「うん。何となくね、本音を聞けたような気がするんだ」


 私のことを優しく抱き締めてくれた。怖い、自分の考えがどんどん変わってしまうのが。でも、良い変化だって言われてるし、受け入れるべきなのかも……。レナード殿下が私の背中に手を回した瞬間、床の上に転がってるボタンが目に入った。あれは、もしかして。確認する必要がある。


「失礼、確かめます!」

「一体何を?」


 説明してる暇はない。胸元に手を突っ込み、ブラジャーの中からペン型の武器を引きずり出して、思いっきりボタンめがけて振り下ろしたら、ぐーんと伸びたナイフがボタンを貫いた。わー、便利。振ったら伸びるって聞いてたけど、予想以上に伸びた。床の上でボタンが小さく弾け、黒い煙をしゅうしゅうと出し始める。


「……監視用の魔術道具? これでレナード殿下の動きを見張っていたんですね」

「えっ」

「ほら、黒い煙が出てるでしょう? これが出たら、魔術道具だってジュードから聞きました。人に突き刺したら、爆発するそうです」

「待った、こっちに向けないでくれ……。鋭いな」


 ペン並みに軽くて細いのに、先端はぎょっとするほど鋭利だった。これ、使いこなせたらかなり便利かも。投げて刺せるし。レナード殿下に向けるのをやめて、しげしげと長いスティック状の武器を眺めていたら、慌て出した。


「待ってくれ、今、どこから出した!? 武器なんて持たなくてもいいのに」

「こういう時のために必要です。ジュードに相談したら、胸の中をおすすめされました」


 ここなら誰も覗かないし、チェックしない。たまーに、太ももに仕込んでいるのがばれて没収されちゃうから、ブラジャーの中ってすごくいいと思う。得心気味に頷いていると、嫌そうな表情を浮かべた。


「……ジュードが? 嫌ってるくせに、変態的なアドバイスを受け入れるんだな」

「変態的? でも、捕まった時便利ですよ。手と腰、靴の中を真っ先に調べられるので」

「なるほど。実用的なアドバイスだと思ってる?」

「はい。サムさんとバーデンに報告してきますね。まだ近くにいるかもしれない」


 あれは遠い距離から動かせる魔術道具じゃない。生物型だったら比較的、遠くから動かせるんだけど……。背を向けて扉の方へ向かったら、急にレナード殿下が抱きついてきた。後ろからきゅっと、抱き締められる。今、もしもレナード殿下に殺意があったら、私の首筋にナイフを突き立てて殺せた。


 すっかり油断しちゃってた。レナード殿下の前で、いつ殺されても不思議はないぐらい、気を抜いているのを今さら自覚して、恥ずかしくなる。胸がドキドキした。恥ずかしい、嫌だ。そんな、いつでも殺されちゃうぐらい、ゆるゆるに気を抜いてるなんて……。戸惑っていたら、耳元に甘く掠れた声が落とされる。


「シェリー。いいさ、もう、わざわざ報告しに行かなくて」

「ど、どうしてですか? 捕まえられるのに、多分、今なら……」

「頼むから、武器をそんなところに仕込まないでくれ」

「べっ、便利なのに! 落ちないし、すぐ取り出せるし」

「いいか? 人前でこんなところから武器を出すな。約束だぞ」

「え~……」


 レナード殿下がペン型ナイフを奪って、私の胸元へ添える。耳元で「どうやったら、ナイフ部分を収納できるんだ?」と聞かれ、首筋が熱くなった。白いシャツの袖から伸びるがっしりとした腕に、大きな手のひら。顎の骨と、さっきまで飲んでいた紅茶の良い香り。


 い、今まで、気にならなかったことも気になっちゃう。カイに相談したら、呆れたような、ほっとしたような表情を浮かべて、ようやく情緒が発達してきたんだなって言われた。どうしよう、殴る? 思いっきり突き飛ばして、離れたいのに、離れたくないような、続けて欲しいような、変な気持ちになっちゃうから困る。


「っう、ごめ、ごめんなさい! もう少し離れて……」

「断る。どうやったらいい? こうか?」

「あ、はい。確か、そこのボタンを押すと、ふわぁっ!? じぶん、自分でブラの中に戻せますから!」

「いい加減、待つのも飽きてきた。シェリー、俺と付き合ってくれないか?」

「ごめんなさい。でも、仕方ないと思うんです。不可抗力だから」

「なんで、ぐっ!?」


 力いっぱい、鳩尾に肘を叩き込んじゃった。可哀相、すっごく痛そうにしてる……。背中を折り曲げて、げふげふ咳き込んでいた。寄り添って背中を擦ったら、恨めしそうな表情で睨みつけられる。


「くっそ~……!! 何がだめなんだ? 一体。脈があるのかないのか、それすら曖昧だ」

「今度来るご令嬢と付き合ったらどうですか? もう期待するのはやめたんです」

「何の話だ? 結婚の話なら、」

「聞きたくない、嫌だ!! 私はいずれここを出て行くんです。禁術で結ばれちゃってるけど、何か、逃げ出す方法は絶対にあるから……」

「方法なんてきっとない。モリスがやわな禁術をかけるとでも?」

「っう、でも、だって!」


 腕を急に引っ張られた。文句を言おうと思って見上げたら、何の感情も浮かんでいない蜂蜜色の瞳があって、悲しくなった。怒涛のごとく、レナード殿下の感情が流れ込んでくる。絶対逃がさない、離さない。シェリーは俺と一生ここにいるんだ。自分だけ逃げて、幸せになるなんて……。


「読むなよ、頼む。自分の醜い感情なんて自覚したくないんだ」

「……分かりました。犠牲になってくれる人を探してるんでしょう? 自分と一緒に死んでくれるのなら、誰だっていい!」

「最初から言ってるだろう? 俺と一緒にいようって。一緒に塔の中へ閉じ込められよう。二人ならきっと耐えられる」


 無理やりキスされた。舌を通じて、醜い感情がどんどん流れ込んできて、つらくなった。知ってる、この感情。私も前まで思ってたから。ユーインを手元に置いておきたかった。お姉ちゃんが助けてあげるから、養ってあげるから、お母さんとの約束だからと言いながらも、本当は普通に学校へ行けるユーインのことが羨ましくて、妬ましくてしょうがなかった。


 一緒に苦しんで欲しかったの、ユーイン。だから、裏切られたような気がした。残ったのは大金だけ。でも、私、ユーインなら、苦しみを理解してくれて、悲しそうな表情で「いいよ、お姉ちゃん。一緒に苦しもうか」って言ってくれると思ってたの。


 だから、苦しかった。とことん拒絶されちゃった。私と苦しむ道よりも、自分が幸せになる道を選んだユーインのことが妬ましくて、許せなくて、悲しくて、ショックだった。ユーインの足を取り戻したかったのは私。生きるために、人を殺してきたのも私。


 裏切られたことで、今までやっていたこと全部、自己満足なんだって分かっちゃうのが苦しくて、気付かないふりをしてた。気付いたら、虚しくなっちゃうから。必死で普通になろうとした。普通を目指したら、気付かないままでいられるから。ユーインの幸せを妬んで、不幸になってと願ってる自分に。


(いまさら知りたくなかった。レナード殿下の感情を知るたびに、自分の気持ちを知るから嫌だ)


 レナード殿下が私とそっくりの感情を抱いているから、気付いちゃった。好きだって言うのも、自分一人で苦しみたくないから。私と結婚したいって言わずに、付き合いたいって言うのは、本当に好きじゃないから。レナード殿下は探してる、自分と一緒に犠牲になってくれる人を。好きという言葉で縛り付けて、罪悪感を煽って、私のことを捕まえようとしてる。


 好きになって欲しかったんだけど、無理なのかな。素直に「一緒にいて、お願い」って言ったら、ユーインはそばにいてくれたのかな。素直に、レナード殿下が好きって言ってたら、俺も好きだよって返してくれた? 突き放そうと思っても、突き放せない。胸元を押せば、ますます強く抱き締めてきた。


(私のことが好きで言ってるのなら、良かったのに)


 でも、違う。一緒に塔の中で苦しむ人が欲しいだけ。カイやエナンドのことは逃がそうとしてるのに、私だけ捕まえるの? 本当はそこまで好きじゃないから閉じ込めて、自分と一緒に苦しんで欲しいだけ。強く押し返したら、さすがにやめた。親指で、濡れたくちびるを優しく拭う。


「……ごめん、シェリー。でも、シェリーなら俺の気持ちを分かってくれるだろ? こんなこと、誰にも話せない。一生自由にはなれないんだし、きっと二人なら」

「すごく分かります。犠牲になって欲しいんでしょう? 私に」

「違う、そんなつもりじゃなかった。俺はただ、理解者がそばにいてくれたらなと……」

「私も! ユーインがそばにいてくれたら、幸せだと思っていました。そうじゃなくて、一緒に不幸になって欲しかったの。自分のことばっかりで、ユーインの幸せが許せなかった」


 だから、離れていったのに気付かなかった。本当はちょっぴり気付いてたけど、知らんふりしてた。レナード殿下は私よりも色んなことを知ってるから、いつか絶対に気が付いてくれると思うけど。ここで傷付くようなことを言わなくても、いつか絶対に、自分の醜さと向き合えるんだろうけど、言ってしまいたい! 


 好きだって言って欲しかった。優しくしていたのは好きだったからって、そう言って欲しかった。でも、違ったんだ。何となく分かってたけど、悲しい。見上げたら呆然と、蜂蜜色の瞳を瞠っていた。


「ねえ、気が付いてください。他に身寄りがないから、私がひとりぼっちで可哀相だから、好きになったんでしょう? 自分を拒絶しないと思った」

「……違うんだ、俺は」

「本当に好きなら、一緒に逃げようって言って欲しかったんです。ここから出ようって。レナード殿下のわがままには付き合えません。いっそのこと、俺と不幸になってくれって言って欲しかった! その方がましです、バカ!!」

「っう!?」


 お腹を殴ったら、殴られたところを押さえて低くうめいた。まだまだ足りない。こんなもんじゃ、私の気持ちは伝わらないと思うの。両手で顔を持ち上げたら、どこか期待した表情で「シェリー」って呟いた。いつも声と表情が甘いのに、私のこと、好きじゃなかったなんて……。遠慮なく平手打ちしたら、びっくりしていた。叩かれた頬を押さえる。


「シェリー? 待ってくれ、ぶっ!?」

「レナード殿下のバカ! 嫌い、私のこと幸せにするって言ったくせに!!」

「まっ、やめ、ぐっ!?」


 左頬と右頬、それぞれ二回ずつ平手打ちした。最後に軽く鳩尾を殴って、股間を蹴り飛ばしたら、床に崩れ落ちた。これで私がどれだけ、レナード殿下のことが好きか伝わればいいんだけど……。部屋の外に出たら、サムさんとジュードが待機していた。ジュードが私を見て、「やあ、シェリー」と言い、微笑む。サムさんはちょっとだけ怯み、おそるおそる部屋の中を指差した。


「あ~……痴話喧嘩か? 止めに入る隙がなかった。護衛失格だな」

「いいんです、放っておいてください! 助けちゃだめですよ!」

「んん、そういうわけにもいかないんだが。どうした? 何があった」

「レナード殿下が本気で私のこと好きじゃないんです。きっと、暇つぶしに珍獣を飼いたいと思ってるだけ!」

「珍獣ねえ」


 シェリーが怒りながら立ち去った。床に膝をついて起き上がろうとしたら、サムが部屋の中に入ってきて、俺の背中に手を添える。情けないところを見られてしまった。会話を聞かれてなきゃいいが。……聞こえているだろうな、確実に。


「大丈夫ですか? レナード殿下。一度、しっかり言い聞かせる必要があるかと」

「いや、いい。元はと言えば、俺が悪いしな……。ほら、見てみろ。くちびるの端が切れてないだろ? 赤くもなっていないはずだ」

「そうですね、ほっとしました」


 サムの手を借りて、床から立ち上がる。扉付近に立っているジュードはシェリーのことが気になるのか、去って行った方向をじっと眺め、黙っていた。ああしていると、シェリーにそっくりだ。


 伸びた背筋と黒髪、それに黒いジャケットとズボン。服装も雰囲気もまるで違うのに、姿が重なる。サムが眉をひそめ、俺の顔を触って、怪我がないかどうか確認し始めた。


「ほら、大丈夫だろ? 手加減してくれた。ちっとも痛くなかったぞ」

「……はい。他に痛いところはありませんか」

「ない、大丈夫だ。強いて言うのなら股間かな? でも、かなり手加減してくれた。痛いと思ったが、そうでもなかった。成長したんだな、シェリー」

「しみじみ言うことじゃありませんよ。不敬にも程があります」

「ああ、やめてくれ。王子扱いなんてされたくないんだ。追いかけるべきかどうか悩むなぁ。どう思う?」

「殴られたいのでしたら、追いかけるべきかと」

「やめておこう。バーデンに任せる」

「英断ですね」


 サムが冗談を言ってから、にっと笑う。珍しい。さて、どうするか……。身寄りがないから、可哀相だから好きになったんでしょと言われ、心が抉られた。確かにそんな面もある。シェリーがのびのびと楽しく育った女の子なら、ここまで強く惹かれなかったはずだ。自分の思い通りになる恋人が欲しかったのか? 俺はただ、シェリーとなら、息が詰まる塔生活も楽しめそうだなと思っていただけなのに。


「犠牲になってくれる人が欲しいだけ、か……。鋭いな」


 聞かれないように、口の中で小さく呟いた。サムが物言いたげな表情になった瞬間、音もなくジュードが歩み寄ってきて、無表情に見える微笑みを浮かべた。


「申し訳ありません、俺の従姉妹が失礼なことをしてしまって。怪我はありませんか? レナード殿下」

「ない、大丈夫だ。追いかけなくていいからな? そっとしておこう。バーデンがいるだろうし」

「分かりました、追いかけません。少し二人きりで話せますか?」

「二人きりで?」

「はい、そうです」


 淡々と流暢に話すからか、いつも聞き逃しそうになる。二人きりで? 俺と? サムが警戒を強め、若干険しい表情になった。まあ、何を企んでいるのか分からない相手だし、無理もない。でも、以前のシェリーと同じ、空虚な赤紫色の瞳を見たら、些細な願い事ぐらい、叶えてやりたくなった。


「いいぞ」

「レナード殿下」

「気にしないでくれ、大丈夫だから。一旦外に出てもらえるか?」

「……壁際に控えておきます」

「何もしませんよ、大丈夫です。ああ、でも、心配ならこうしましょうか」


 ジュードが大きく一歩後ろへ下がったあと、腰から短剣を抜き取って、自分の首筋に刃を当てた。黒い(もや)がまとわりついたような鎖……いや、黒い靄で出来た鎖か? 短剣の柄から、黒い靄で出来た鎖がぶら下がっている。何をするつもりだ、一体。サムが身構えているのに、温度がない微笑みを浮かべていた。


「これね、便利なんですよ。シェリーに使って貰おうと思って、買ったアイテムなんですけど、いらないって言われたから、俺が使うことにしたんです。約束したい時、忠誠を誓いたい時、どうするべきか知ってます?」

「待て、ジュード! 絶対それ、違法だろ……!!」

「大丈夫、死にませんから」


 止めたのに、笑いながら自分の首筋を切った。血の代わりに、短剣から黒い靄があふれ出す。どうして、短剣から……。鎖がジュードの首筋へと絡みつき、鎖の模様を残した。はっきりと、首に鎖模様が浮かんでいる。首輪みたいだ。短剣を鞘へ収め、警戒心をあらわにしているサムに手渡した。眉間に深くシワを刻みながらも、それを受け取っている。


「……で? どうやって使うんだ」

「話が早くて助かります。簡単ですよ。鞘から抜き取ればいいんです、俺を殺したくなった時は」

「一種の呪物か」

「特定の個人を呪うために、生み出されたものじゃないんですけどね。俺がレナード殿下を殺した場合、短剣を鞘から抜き取ってください。死にます」

「使い捨ての駒だった場合、何の意味もない道具だ」

「落ち着いてよく考えてみてくださいよ! シェリーがいるから、血は奪えないし、すぐには殺せない。それに、殺すメリットがないでしょ?」

「確かに。念のため、監視を置いておくぞ。いいな?」

「はい、分かりました」


 サムが気に食わなさそうな表情を浮かべながら、こっちを見た。苦笑して頷けば、溜め息を吐く。床へ手をかざして、葉と土くれで出来た人形を生み出した。ゆっくりと土人形が起き上がり、部屋の隅へ向かう。意外だ、ああいうフォルムの人形を生み出すなんて。興味深く眺めていたら、「失礼」と呟き、俺の肩に手を置いた。


「もしも万が一、ジュードが攻撃したら、あの土人形とレナード殿下の体が入れ替わります。彼女が傷付くのは避けたいでしょう?」

「その通りだ、ありがとう」

「目と耳を共有しています。何かあったらすぐに動くので」


 小声で事務的に説明したあと、ジュードに静かな殺気を向けながら、やけに遅い足取りで部屋から出て行った。申し訳ないな、心配をかけて。俺に何かあったらサムが責任を問われる。今さらだが、用心しなくては……。ジュードを見てみると、さっきよりは嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「どうした? 話があるんだろう? 俺に」

「ああいう、子どもがお遊びで作るような、可愛らしい泥人形を生み出すとは思いませんでした。強面なのに」

「だな。心配をかけているし、さっさと済ませてくれ」

「申し訳ありません。お手をわずらわせるようなことをお願いしてしまって」


 ジュードの声はいつも柔らかく、感情がこもっていない。十四歳にしては低く、落ち着きすぎている。だから、身構えてしまうのか。ただ、穏やかに笑いながら近付いてきているだけなのに、冷や汗を掻いてしまいそうだ。


 腕を組みながら待っていると、目の前に立った。やけにもったいぶっている。横目で壁際を見たら、泥人形が虚ろな黒い穴────おそらくは目だと思う────をこっちに向けていた。会話も聞こえているのか、あれは。


「で? 聞いて欲しい話があるのなら……」

「すぐに終わりますよ」


 ピンと、何かが弾かれるような音がした。金属製の蓋が床に落ちたような音。その瞬間、甘い香りとほのかに紫がかったピンク色の煙が漂う。しまった、眠り薬か!? いや、誘拐なんて不可能に近いぞ。なにせ、俺には……。すぐに警戒心が掻き消えた。そこにはシェリーの姿をしたジュードがにっこり微笑み、たたずんでいた。


「どういう、ことだ? まさか」

「危害を加えるつもりはありませんよ、大丈夫です。レナード殿下は何もせず、ただ、ぼんやり突っ立っているだけでいいんです」


 ジュードにしては珍しく、熱に浮かされたような声だった。俺の腕に手を添え、勢いよく背伸びをして、キスした。何が何だかよく分からなくなって、パニックに陥る。キス? なぜだ、話は? 呆然としていれば、胸ぐらを掴んで引き寄せられ、今度は舌を入れてきた。こいつ、何を食べたんだ。苦い味がする。


「っやめろ! 急にどうした!?」

「慰めようと思って、レナード殿下のことを」

「は?」

「シェリーを時々こうやって慰めるんですよ。同じ姿なら、つらさが少し和らぐようで……」


 シェリーをこうやって? 嘘だ。でも、ありえる。同じ姿ならいいでしょって、平気で言いかねない。だけど、俺に責める権利なんてあるのか? 道連れにしようと思っているのに、恋人同士じゃないのに。甘い香りが鼻を通って、脳の奥まで浸透していくような気がする。ぐらりと視界が揺れた。判断能力を鈍らせる香りでも混ぜ込んであるのか? 額を押さえた俺に、ジュードがすがって甘えてきた。


「元の姿でもいいんですけどね、別に。いつものお客さんならそれで満足してくれるんですけど、レナード殿下にはこの姿じゃなきゃ」

「お客さん? 何の話だ」

「あれ、聞いてませんか? シェリーから。叔父に指示されて、客を取っていたんです。俺、本当の息子じゃないから」

「……売春までさせていたのか、ハウエル家の当主は」


 反吐が出る。一体、何歳からさせていたんだ? 立派な虐待だぞ、これは。そんな常識、通用しないか……。ジュードの肩を掴んで引き離せば、きょとんとしていた。シェリーとまったく同じ顔だ。ここにシェリーがいるようにしか見えない。寒気と吐き気がした。不快とはまた違う、感情も湧き上がってきて背筋が冷えた。


「やめるんだ。何がしたい?」

「……羨ましくなったんです、シェリーのことが。一足先に幸せになってる」

「本当にそれだけなのか」

「はい。信じてもらえないでしょうけど、叔父からはあなたのことを守れと言われています。ねえ、レナード殿下。俺にも優しくしてもらえませんか?」

「悪いが、信用出来ないんだ。二度とこんな真似をするなよ」

「同じハウエル家の人間ですよ、シェリーも。どうしてシェリーだけなんですか? どうしてシェリーだけ信用されて、俺は除け者にされるんですか!?」


 苦痛に満ちた声を発したあと、静かに涙を流し始めた。焦ってしまう。シェリーと同じ姿形だからか? いいや、単純に罪悪感を感じるからか。確かにジュードの言う通りだ。シェリーも同じハウエル家の人間なのに。


 肩に手を置いたら、涙に濡れた赤紫色の瞳で見上げてくる。シェリーじゃない。シェリーじゃないのに、強く惹かれてしまう自分がいた。同じ顔というだけで、こんなにも……。


「ごめん、悪かった。ジュードの気持ちを考えもせず、拒絶してしまって」

「いいんです、信用されないって分かってますから。せめて、少しだけ優しくしてもらえませんか? 俺だってシェリーのように変わりたいし、人に優しくしてもらいたいんです。どうかどうか、お願いします……」


 抱きつかれた。拒絶する気にはなれず、優しく抱き締め返した。これでいいのか? 合っているのか。でも、シェリーを時々こうやって慰めるんですよ、という台詞が頭の中で反響している。いいじゃないか、別に。シェリーだって同じことをしているんだ。俺の姿形になった、ジュードとこうやって、抱き締め合って。


「嬉しいです、レナード殿下。時々でいいんですよ、時々で。こうやって時々、優しく抱き締めてもらえませんか?」

「……時間が空いたら、してやる」

「ありがとうございます。優しいんですね、レナード殿下。なのに、シェリーは拒絶するなんて! シェリーのことが羨ましくて、妬ましくて仕方ないです。俺はこんな風に、優しくされたことなんてないのに」

「シェリーが嫉妬しそうだから、いない時だけな……」

「はい、それでいいんです! ありがとうございます」


 浮気してる気持ちになってきた。でも、シェリーは俺のことなんか好きじゃないし、相手はジュードだ。シェリーと一緒でまだ幼い。十四歳なんだし、今からでも可愛がっていけば、まともな人間に育つかもしれない。心の中で言い訳を沢山並べているうちにふと、あの時、シェリーを追いかけるべきだったんじゃないかって思った。分からない。考えに没頭しながら抱き締めていると、急に離れていった。


「ありがとうございます。気持ちが落ち着きました」

「いや……」

「大丈夫ですよ、シェリーには言わないので」

「……怒る権利はないだろ。俺にだってない」

「そうですか? ああ、しばらくの間、一緒に行動してみませんか? 今のシェリーに構わない方がいいですよ。寂しくなったらどうせ、すぐに戻ってきますから」


 一度、距離を取ってみた方がいいのかもしれない。だって、言ってたじゃないか。犠牲にはなりたくないって、俺のそばにはいたくないって。拒絶されたのか。いまさらだけど、自覚して胸が苦しくなる。


 そうだ、カイやエナンドは逃がしてやりたいなと思う。シェリーに固執しない方がいい。それが愛情なんだから。顎に手を当てていると、ジュードが心配そうな表情を浮かべ、体を密着させてきた。シェリーと同じ姿になってもらえたら、だめだ、何も考えるな、こんなこと、歪だ。


「だな。怒らせてしまったし、なるべく距離を取った方がいいよな」

「本当にシェリーがレナード殿下のことが好きなら、すぐに謝ってきますよ。もしくは、拗ねながら甘えてくるはずです」

「だよな。元の姿に戻ってくれ、頼む」

「つらいんですね? 可哀相に。でも、大丈夫。シェリーは暗殺者ですから。逃げたら追いかけてきますよ」

「……仕事と恋愛は違うだろ」


 上機嫌に笑いつつ、懐から香水瓶のようなものを取り出した。ところどころ茶色いシミがついている小さなガラス瓶に、アンティーク調の蓋。蓋を閉めた瞬間、キンと耳に心地良い音が鳴り響いて、甘い香りが消え失せる。見れば、ジュードに戻っていた。


「便利だな、それ。一体何だ?」

「これですか? 幻覚香です。蓋を開けている時だけ、髪の毛の持ち主になれるんですよ。この中にシェリーの髪の毛が入ってるんです」

「ああ、なるほど。悪用するために買ったのか?」

「いいえ、まさか。こういうのが好きな客もいるんです。髪の毛を持参してもらわないと、使えないのですが」

「あ~、なるほど。胸糞悪い話だ」

「性欲を満たすために使うとは限りませんがね。死んだ家族になってくれって言うお客さんもいますよ」

「……ふぅん。なあ、ジュードは誰に会いたい?」


 どうして急にこんなことが聞きたくなったんだ。初めてジュードがどういう人間なのか、分かったような気がするから? 心細さが胸を占めていた。ジュードが驚き、赤紫色の瞳を瞠る。年相応に見えた。難しい質問をされて、困っている十四歳の少年がそこにいた。うつむき、足元の絨毯を眺める。


「お母さんに会いたいです」

「亡くなっているのか? 俺と一緒だ」

「お母さんって、呼んじゃだめなんですよ。俺、サムさん、呼んできます」


 動揺しているな、珍しく。声が震えていた。聞かなきゃよかったかもしれない。お母さんか。母が恋しい年齢じゃないが、動揺したジュードを見て、泣きそうになってしまった。扉が閉められ、沈黙が訪れる。壁際にたたずむ泥人形を見てから、溜め息を吐けば、ますます体が重たくなった。













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