28.裏切られたとしても、彼女を手放すつもりはない
シェリーの機嫌がすこぶる悪い。熱が下がらなくて、血を飲ませようとしたら暴れるし、ジュードのことが気に食わないようで、会いに行くたびに悪口ばっかり言う。それにしても、日に日に顔色が悪くなっていくから心配だ。大人しく、血を飲んでくれたらいいのに。
透けるような薄さの黄色い果物と赤い根菜が、塊肉の上に、整然と並べられていた。黒胡椒入りの、どろりとした半透明のソースがかけられている。どんなソースか聞けば分かるはずだが、聞く気にはなれない。何の感情も湧かず、無心で塊肉を切り分ける。楽しくない。シェリーやエナンドは城で出される食事を気に入ったようで、美味しい、美味しいって言っているけど、脂っこいだけだ。
一流の素材を、一流の料理人が一流の調味料を使って仕上げ、一流の皿に美しく盛り付ける。それらを配膳するのも、ワインのおかわりを注ぐのも一流の人間だ。長らく塔に追いやられていた元王太子など、好奇の視線を注がれて当然なのに、彼らはおくびにも出さず、まるで、俺がずっと城にいたかのように振舞う。
────お茶のおかわりはいかがですか? レナード殿下。今日は天気がよろしいので、護衛を連れてお散歩でも。王妃様が心配なさるので、きちんと食べてくださいね。シェリー様の様子が気になるのなら、代わりに行って……。
(うんざりだ。王子であることを忘れようと思っていたのに、城の中にいると嫌でも思い出す)
母に連れられて、城の美しい庭園を散歩した時のことを思い出した。常に血を狙われているわけじゃなくて、母は比較的自由に動き、よくはしゃいでいた。長い黒髪をおろし、時折、故郷の民族衣装だと言って、赤や緑の刺繍が施された、重そうなベストとズボンを身につける。幼い自分の手を引いて歩く母は、いつも笑っていた。顔がおぼろげでよく思い出せない。
モリスに、美しかったお母様の顔を覚えておいてください、死体を見る必要は無いんですよと言われたのに。母の死体はひからびて、ミイラになっていた。実物を見ていないから、何とも言えないが……。記憶の中で笑う母の顔はおぼろげだけど、美しい。あまりにもつらくて、記憶を封印してしまったのか。それともただ単に、月日が経って忘れてしまったのか。
ぼんやりしながら、肉を咀嚼する。客人を招かない食堂なのに、やたらと豪華でシャンデリアの光が眩しい。その光に当てられ、深緑色のカーテンにうっすら植物模様が浮かび上がっている。
シェリーが見たら、綺麗と言って喜びそうだ。ああいうものに興味がなさそうなのに、いつも目を輝かせ、見上げている。テーブルの向かいに座った王妃様が物言いたげな表情で、溜め息を吐いた。公務から帰ってきたばかりなので、ベージュ色ワンピースの上から、半袖ジャケットを羽織っている。
「レナード? 聞こえているの? さっきから何度も話しかけているのに」
「すみません、考えごとをしていました」
「お茶会を再開させる気はありませんか? 気の毒なお嬢さんがいるの」
「気の毒なお嬢さんねえ。話によっては引き受けますよ」
「優しいのね」
「……この血は金儲けするために使うのではなく、人を助けるために使うべきです。王妃様もそう思いませんか?」
「そう思うわ。陛下がもう少し、分かってくださると嬉しいんだけど」
無理だろう。あの人は俺を金儲けの道具だと思ってる。弟のことは可愛がっているようだが……。幼い弟を可愛がっている姿を、城へ移ってから見た。かつての俺のように、弟が整えられた芝生の上を歩き、父親の手を引っ張っていた。
見れば、嫉妬すると思っていた。遠目からでも分かるほど、楽しそうに歩く父親と腹違いの弟を見ても、何の感情も湧かなかった。不思議だ、見れば嫉妬すると思っていたのに。俺にとっての父親はモリスだからかもしれない。
遺書の最後に、誰が何と言おうと、あなたは私の息子です。勝手にそう思って逝くことをお許しくださいと書いてあった。モリスはすべてを見抜いていた。手紙にレナード殿下と書いてあるのに、俺を息子だと思っているのか。慰めだと思ったが、違う。
どうせモリスのことだから、飄々とした笑みを浮かべつつ、王子であり、息子でもあるんですよと絶対に言ってのける。思い出したら、笑えてきた。パンを手に取って、半分に割り、バターを塗り広げる。熱心に塗っていたら、王妃様の目を見なくて済むから。
「病気なのはお父様なのよ……。それでも引き受けてくれる?」
「親子仲が良いんですか?」
「そうね、とても良いわ。写真を持ち歩いているぐらいだから」
「実の父親とはいえ、中年男の写真を持ち歩いているだなんて……。相当仲が良いんですね」
「茶化さないでちょうだい、写真を持ち歩いているのはお父様よ。甲殻病って知っている? 奇病なんだけど」
「……呪いではなく?」
「屋敷をくまなく探したけど、呪物がないんですって。お医者様は甲殻病だろうと」
「一応知っていますよ。でも、詳しくは知らないから教えて頂けませんか?」
確か、全身に紫や黒い斑点が浮かぶ甲殻が出現する病気だ。それだけならまだいいけど、髪の毛が抜け落ちて腐臭が漂う。最後は全身が甲殻で覆われ、鼻が曲がるほどの腐臭が漂い始めるから、身近な人を遠ざけ、ひっそり死んでいくと聞いたことがある。喉の奥にも甲殻ができるんだっけ? 忘れた。王妃様が痛ましげな表情を浮かべ、手元を見下ろした。
「最初は甲殻が全身を覆い始めるの。症状が進行するにつれ、今度は腸壁、胃の中、口の中に甲殻が現れるから……。強烈な匂いを甲殻が放つし、何も食べられなくなって、死んでいくのですって」
「ああ、なるほど、それはお気の毒に」
「引き受けてくれる? 私の友達のお嬢さんなんだけど、見ていて胸が締め付けられるほど、憔悴しているの」
「分かりました、引き受けましょう。ただし、そのお嬢さんと会う気はありません。父親を連れて来てください」
「だめよ、もう歩けないから。片足がすっかり甲殻に覆われていて……一度、レナード殿下に会ってみたいと言ってたし。分かるでしょ? 一度だけでいいから、会ってあげて」
人の目があるし、黙って引き受けろと言いたいんだな。ここにいる使用人達は、俺の血に病気を治す力があることを知らない。おそらくは。公然の秘密なのか? どんな高い薬よりも効き目がある、王子が作った万能薬なんて……本当に信じているのか。
女神様の祝福を受けている王子様が作る薬だから、効果があるんだって、年寄り連中は信じているらしい。はたまた一部では、とっくの昔に絶滅してしまった幻の薬草を見つけて、王宮の片隅で栽培されていると噂されているとか。ワイングラスに口をつけたら、王妃様が心配そうな表情で見つめてきた。味がしない。
(本当に一部の人間しか知らないのか? ……全国民、いいや、このことが全世界に知れ渡ったら、どうなるんだろうな?)
きっと、王城の門前が血を求める人であふれかえる。俺の血がオークションにかけられるかもしれない。母上のように、いつか血を搾り取られて死ぬかもしれない。ワイングラスをシミ一つない、真っ白なテーブルクロスの上へ置く。王妃様が何も悪くないのは分かってる。この人も被害者だ。母の親友という立場が、歩み寄るのをためらわせる。
「分かりました、引き受けましょう。シェリーの具合が良くなったら、同席させても?」
「ええ、もちろんよ。先方にはなんて伝えたらいいのかしら? あなたの婚約者だって伝えても? それとも恋人?」
「気が早すぎますよ。今、振られているのに」
「まあ。……あの子はレナードのことが好きだと思っていたんだけど」
「……」
「なら、恋人になるかもしれない女性って伝えておくわね。牽制しておかないと、会わないでしょう? どうせ」
「はい」
最近は子どもを作れと言われないから、気が楽だ。子どもなんて作りたくない。俺と同じ目に遭わせたくない。母上はどうだったんだろう? 子どもを生むことに抵抗はなかったのか。怖くなかったのか? 自分と同じように、我が子が血を搾取されるなんて……。国王陛下が旅行に行った先で母を見初め、強引に連れて帰ったと聞いている。
選択肢がなかったのかもしれない。今となっては聞けないが、もしも生きていたら、面と向かって聞いてみたい。可愛い子どもの血が搾取されるかもしれないのに、生みたいと思った? どうなんだろう、なんて答えるんだろう。記憶の中にいる母はいつも幸せそうだ。活発で優しい人だった。
『苦労するかもしれないわね。でも、大丈夫! レナードが死んで欲しくないなって思う人に血をあげたら、元気になるのよ。大切な人を救える力なの。それって素敵なことじゃない? 自分の手で救えるのよ』
不思議と声だけはっきり覚えている。母から教わった秘策も。使わなくちゃいけない場面に追い込まれないといいが……。デザートは黄色と緑のマーブル模様が美しいアイスで、華奢なガラスの器に盛られていた。薄焼きのサンドクッキーが添えられている。
まずはクッキーから食べてみると、あまりの薄さと食感の良さに驚いた。中にしょっぱいチーズクリームと、ねっちりとした甘めのジャムが挟まっている。さくさくだ。チョコでも入っているのか? まろやかで塩気とよく合っている。俺の表情が変わったことに気が付き、王妃様が微笑んだ。
「どう? 美味しい?」
「……はい、とても。ここはデザートがどれも一級品ですね。素晴らしく美味しい」
「パティシエが聞いたら喜ぶわ。食が進んでいないのをみんな、気にしていたのよ」
「……」
王妃様と食べることになったら、どんなご馳走を出されても食欲が失せる。実の子どもと食べたらいいのに。前にそう言ったら、複雑な顔をしていた。どうやら、深く聞かない方が良いらしい。
「でも、甘いものは全部平らげるし、エナンド君が甘いものを増やしてくれってお願いしていたから」
「そんなことを? べったりした甘いケーキは苦手なんですが」
「だからこうやって、さっぱりした味わいのスイーツを出しているのよ。連日暑いけど、これなら食べられるでしょう?」
「そうですね。……もしも、会う機会があれば美味しかったと伝えてください」
「そうするわ。みんな、あなたのことを気にかけているのよ。もっと遠慮なく頼ってちょうだいね」
上品に微笑みながら、銀の匙でなめらかなアイスを掬い取り、口へ運ぶ。どうしてだ? こんなにも気遣われているのに息苦しい。俺はここにいるべき人間じゃない。塔へ早く帰りたい。でも、今帰ったら、シェリーに無理させてしまいそうで怖い。
ここなら塔よりも警備が厳重だし、一等級国家魔術師だっている。ノーマンは「ご心配なら、魔術をもう少し頑丈にしますよ」と言ってくれたが……。どのみち、すぐには戻れない。王妃様が納得していないし。食後の紅茶を楽しんでから、小さな晩餐の間をあとにする。
扉付近にジュードとエナンド、王妃様がつけてくれた護衛の魔術師、サムが控えていた。サムは口数が少なく、がっしりとした体つきの男で、話していて気が楽だ。薄いブラウンの髪の毛に青い瞳を持っている。暑いのに着崩すことなく、魔術師だけが着れる紺碧色のローブを羽織っていた。俺を見るなり、サムがほんの少しだけ笑う。
「レナード殿下。お疲れのようですね」
「ああ、うん、早くシェリーに会いたいよ」
行こうか、と言おうとした瞬間、エナンドが割って入ってきた。ライバル意識を燃やしているらしく、最近しょっちゅう割って入ってくる。
「さっき、ジュードが様子を見に行ったんですけど、枕を投げ付ける元気はあるみたいですよ!」
「こんなにも尽くしているのに、冷たいんです。どうします? 今日は食が進みましたか?」
「いや、あんまり……。でも、残さないようにした。デザートが美味しかったから厨房へ行って二人分、多めに頼んできてくれ。シェリーが気に入りそうなアイスだった」
「分かりました。そうだ、熱が少しだけ下がりましたよ。調子が良さそうなんです」
「それを聞いてほっとした。よろしく頼む」
「はい。では、行ってきますね」
ジュードが数年前から俺の元で働いているような笑みを浮かべ、一礼してから、立ち去る。ジュードの後ろ姿を眺めつつ、自分のくだらない嫉妬心と戦う。常にバーデンがそばにいるし、何の問題もない。シェリーは俺とジュードの関係を疑って、嫉妬して暴れるぐらいだし、心配いらないだろう。……でも、この胸騒ぎは一体何だ?
シェリーから聞いていた話と、あまりにもかけ離れているからか。シェリーのお気に入りだったぬいぐるみをずたずたに引き裂く少年は、はたしてまともな大人になれるのか。考えていても仕方ない。シェリーの様子を見に行くことにした。
日が沈み、石造りの廊下に備付けられたランプは淡い光を放って、蝋燭のように揺らいでいる。一定の間隔で歴代の王族が描かれた肖像画と、わんさか花が活けられた花瓶、見事な絵付けの壷と彫刻が飾ってあった。踏み心地が良い絨毯は深い青色。シェリーは夢のような空間だって言ってたけど、そうは思わない。息が詰まる。
(ジュードが大人しくしているのが、やけに気にかかる。読めないところがあるし、警戒しているものの……)
何を聞いても、あと一歩というところではぐらかされる。本心を知られたくないというよりかは、話す必要がないと思っている風だ。焦点が合わない、赤紫色の瞳がはっきりと明確に、俺のことをどうでもいい人間だと物語っている。常に笑顔だが、ふとした瞬間に無関心さが現れるから、身構えてしまう。
礼儀正しく、エナンドやカイとも上手くやっているし、問題を起こしていない。でも、嫌な予感が付き纏って離れてくれない。ここは寒い塔じゃないのに、体の芯まで冷えそうだ。黙々と歩いていれば、やや後ろを歩いているサムが話しかけてきた。
「悩みごとでしょうか? お顔の色が優れません」
「……ああ、ちょっとね。ジュードのことで少し」
言おうかどうしようか迷ったが、相談してみてもいいかもしれない。俺のすぐ後ろを歩いていたエナンドが食いついてくる。
「何かあったんですか? 俺はてっきり、城の食事が口に合わなくて不機嫌なのかと」
「そこまで子どもじゃないよ。何だと思ってるんだ、俺のこと」
「ははっ、すみません。……じゃあ、どうしてなんですか? シェリーちゃんを巡って、新たな争いが勃発してるんですか?」
「面白がっているだろう。やめだ、やめ! エナンドには相談したくない。サムにあとで相談する」
「ごめんなさい! 俺にもちょっとぐらい、相談してくださいよ~……。最近、役に立てていないし」
エナンドが俺の肩を掴んできた。気に食わなかったのか、サムがエナンドの手を静かに掴んで、やめさせる。ばつの悪そうな表情で引き下がった。こういう時、しみじみ塔へ戻りたいと思う。仲が良いのは構わないが、ある程度敬意を持って接しろと全員思っているらしく、都度やんわり注意されている。
昔からこうだから、特に気にはならないのに。カイに愚痴ったら、憮然とした表情で「なれなれしく接するあいつが悪いんです。甘やかすことないですよ」と言われた。どうやら、カイは城での従者らしい生活を気に入っているようだ。兄弟のように過ごしてきたんだから、いまさら……。大人しくなったエナンドを見て、満足げな様子のサムが話しかけてきた。
「それで、どうかしましたか? 随分と悩んでらっしゃる」
「……別にたいしたことはないんだ。でも、シェリーの口から聞くジュードは、いや、すまない。やっぱりやめておくよ」
「どこか不気味な少年ですよね。分かります」
「分かるのか?」
「はい。彼もまた、ハウエル家の人間だからでしょうか」
「かもしれないね。あいつ、シェリーが小さい頃にテディベアをずたずたに引き裂いたらしい。それだけじゃないぞ、お気に入りのおもちゃや人も全部」
「人も?」
「……初めて出来た友達をシェリーは殺したんだ。でも、死体をむちゃくちゃにしたのはジュードらしい」
サムを見てみると、青い瞳を見開き、一瞬だけ立ち止まった。動揺を押し殺して、ふたたび歩き始める。この話を聞いた時、ぞっとした。シェリーは嫌そうな顔で「ねっ? 気持ち悪いでしょう」と言っていたが、そんな言葉で片付ける気にはなれない。どうしてシェリーに執着しているんだ? でも、俺から見たジュードはまともで礼儀正しい。笑顔の裏に、一体何が隠されているのか。
「油断していると、あっという間に掻っ攫われそうだ。何もかも全部ね」
「しかし……彼は忠誠の小部屋に出入りしているのでは?」
「気が変わるかもしれないだろ? 明日にでも」
「万能ではないということは分かっています。ですが、一つの指針になるかと」
つまり、焦る必要はないってことか。サムは無駄なことをぐだぐだ言わないから助かる。無駄なことをぐだぐだ言うのを楽しんでいる代表、エナンドが落ち着かない様子で歩いていた。前を向き、歩いていても分かる。そわそわしてやがる。
「……エナンドはどう思う?」
「いやぁ~、俺の意見を聞いたって」
「それなりに仲が良いだろ?」
「まあ、少しは? でも、シェリーちゃんを穴が開くほど、じぃーっと見ている時があるので分かりますよ。ぞっとするのは。狙うのはレナード様じゃなくて、シェリーちゃんでしょ。ああ、それが不安なんですね?」
「当たり。シェリーは今弱ってるし、たまに隙があるから心配なんだ」
「腐ってもハウエル家の人間です。心配はいらないかと」
サムはシェリーのことが苦手みたいで、いつもシェリーが現れた時は何歩も下がって、壁と同化している。背が高く、筋肉質なのに、いるのを忘れてしまうほど気配を消せるのが不思議だ。体格は関係ないのかと思った。……答えが出ない。
「本当に心配いらないのか? 不安だけど、様子を見ていくしかないんだろうな」
「大丈夫でしょう。彼はまだ十四歳ですし、未熟なので」
「十四!? 誰が!?」
「誰って、ジュード君ですよ。ご存じなかったんですね」
「は? いや、あんな、あんな十四歳がいてたまるか……!! カイとエナンドは可愛かったのに!」
「レナード様って、たまーに俺らの父親みたいな発言をしますよね。年そんなに離れてませんよ」
「十四? 十四歳か。にしては背が高いし、落ち着いているな。知らなかった。まだ、子どもだから大丈夫だって?」
落ち着いているのは、陰惨な経験をしてきたからか? シェリーは女だから、手加減してもらえたと前に言っていた。じゃあ、男であるジュードは? 人との距離の詰め方がおかしいのもそれでか。いや、待てよ、かなりサムに心を開いているなぁ。年齢なんて聞こうと思ったことがないし、言いもしなかった。混乱に陥っていたら、サムがしれっとした表情で否定する。
「違います。子どもだから大丈夫と言いたいのではなく、子どもだから未熟だと言いたいのです。どんな策を練っていたとしても、必ず叩き潰します」
「……脳筋だな」
「護衛ですから」
「確かに!」
俺もエナンドも笑ってしまった。ようやくサムが表情を和らげ、少しだけ微笑む。まあ、何とかなるだろう。バーデンもいることだし。それにしても、ジュードもシェリーと同じくハウエル家の生き残りか? 人気がない、やたらと豪華で空っぽに見える廊下を歩きながら、しばし考え込む。ねずみが一匹、廊下を横切っていった。
(ハウエル家の、確か当主の弟がほぼ全員殺したと聞く。なぜ殺した? どうしてシェリーは生き残った?)
兄の首がない胴体を国王の執務室へ送りつけ、犬になるのはもうおしまいだと宣言した。昔のように邪魔な政敵を殺せと指図することはなかったが、お祖母様、もとい、国王の母親や貴族のご令嬢からの依頼を受け付けていた。過激なデモが起きたさい、首謀者の暗殺を命じることもあった。あの一件以来、交流は途絶えたのに、どうしていまさら俺の元へ送り込んでくる?
(シェリーは本当に味方なのか。どうしてモリスはシェリーを選んだんだ? 王家が良いように扱ってきた家の娘を、なぜ!)
元を辿れば、処刑人一族のハウエル家。時代と共に姿を変え、暗殺を担うようになり、今は完全に王室と縁が切れているが(そう言いきれないような気がするけど)、いまだに国の諜報機関と協力して動いているし、敵か味方かよく分からない。でも、現当主が王室をよく思っていないのは明白だ。どうしてハウエル家の子どもたちを送り込んできたんだ?
(シェリーは何も分からないと言っていた。ハウエル家が俺の誘拐を企んでなきゃいいけど)
王妃様がシェリーを信頼しているのも解せない。考えても考えても、答えが出ないことを考えている。俺とシェリーは禁術で結ばれてしまった。モリスは心の支えになるだろうから、とだけ書き残していた。ハニートラップかもしれないな。でも、いい。それで構わない。ずるずると妙な関係を続けている自分が、たまに嫌になる。
「レナード殿下、お待たせしました。確認してみてください」
「ありがとう、ジュード。……聞いたよ、十四歳なんだって?」
「はい。それが何か?」
「見えないなと思ってさ」
ジュードが持つトレイの上に載った料理を一つずつ確認していれば、くすりと笑う。さっき話したからか、エナンドとサムが俺の両脇に立って、静かに警戒していた。
「そうでしょう? よく言われますよ。今、すくすくと育っている真っ最中なんです」
「……」
「美味しそうですね、どれも全部。エナンドさんと食べてきてもいいですか?」
「ああ、悪いな。長い間拘束してしまって。食べてきてもいいぞ」
「はい」
「じゃ、ごゆっくり~」
「私は扉の前で待機しています」
「よろしく」
以前、サムにいつ夕食を摂っているのか聞いてみたら、メイドが一日に五回軽食を運んでくるから、立ったまま食べますと言われて驚いた。信用できる魔術師が他にもいると良いが、いない。
サムは王妃様お気に入りの護衛で、そろそろ血を提供してくれないかとのたまう、国王側の人間を追い払ってくれるし……。あまりにも真面目で融通が利かないからか、王妃様つきの護衛になるまで苦労したらしい。世の中にはぬるくて、いい加減なやつが多すぎるとぼやいていた。
そんなサムに毒が入っていないか確認して貰ったあと、扉を押し開き、部屋の中へ入る。寝台で寝そべって本を読んでいたシェリーが、飛び起きた。黒い犬姿のバーデンも寝台の上で立ち上がる。
「レナード殿下!!」
「お、お待たせ、シェリー。まだ調子が良くないんだろ? 大人しくして、うっ!?」
「嫌です!」
元気良く、力いっぱい否定された。突然抱きついてきたシェリーを抱きしめ返していると、サムがうっすら笑みを浮かべ、テーブルの上にトレイを置いてくれた。少し気恥ずかしい。惹かれるべきじゃないと思っていても、彼女のこういうところに惹かれる。……いまさらだ。もう遅い、手遅れだ。ジュードが来たことで、シェリーを警戒してしまう。
シェリーが俺の誘拐を目論んでいたら? 癒しの血を持った子どもを生めと言われ、ハウエル家の当主に送り込まれているとしたら? 腹に抱きついているシェリーの頭を撫でたら、嬉しそうな表情で見上げてきた。ジュードと同じ赤紫色の瞳は澄んでいて、キラキラと輝いている。
もういいか。騙されて殺されたとしても。母上は王宮にいたのに、殺された。シェリー以外の女性を好きになれる気がしない。犬姿のバーデンが溜め息を吐いて、ふたたび寝台に寝そべった。サムは静かに出て行った。扉が閉まり、静寂が訪れる。にこにこと嬉しそうに笑いながら、離れていこうとした。俺から。とっさにシェリーの手首を掴み、強く抱き締める。
「……どうしたんですか? 何かありましたか?」
「俺の味方でいてくれ、頼む。シェリーと離れたくないんだ」
「はい。味方ですよ、大丈夫。禁術があるでしょう? 私はレナード殿下を殺せないし、裏切ろうって思えません」
そうか、だからモリスは禁術をかけたのか。俺の絶対的な味方。離れると苦しい。そばにいると、このうえない安らぎを得られる。シェリーの体は以前と比べて痩せ細っていて、心に一抹の影を落とす。
「早く体調が良くなるといいけど」
「ねえ、食べましょうよ~……。お腹が空きました!」
「うん、食べさせてあげるよ。シェリーが気に入りそうなアイスが今日、出てきたんだ」
「アイス!! チョコミント味と塩キャラメル味以外、美味しく食べられます」
「へー、嫌いなんだ」
「はい。ちゃんと甘いアイスが好きなんです。べったり甘いアイスは苦手だけど」
「俺もだよ。さあ、食べようか」
肩を抱き寄せ、軽く頬にキスしてみたら、照れ笑いを浮かべる。可愛い。シェリーは大丈夫だ、俺を裏切ったりしない。見下ろしつつ何となく、白いネグリジェの胸元にあるリボンをほどけば、慌てて止めてきた。
「なっ、何してるんですか? アイス、食べたいんですけど……」
「ふーん」
「聞く気がないでしょ!? もー、ほら、食べさせてあげますから!」
「いや、いいよ。俺がシェリーに食べさせてあげたいから」
逃げられてしまった。残念、残念。メインに前菜、スープとパンが美しく盛り付けられていたが、興味を引かれなかったようで、真っ先にガラスの器を手にした。花模様が浮かんでいる透明な器を、キラキラした眼差しで見上げる。
「わーっ、可愛い! 綺麗! お城の器はどれも素敵ですね」
「うん。だね」
「アイス、ぐるぐる巻き模様で美味しそう……。どんな味でしたか?」
「食べてみれば分かるよ、食べさせてあげよう」
「はい! ふふっ」
日を追うごとに、シェリーは普通の女の子になってゆく。ここにいれば、何もかも全部忘れられる。俺の苦しみや葛藤も分かってくれるようになった。……いいじゃないか。どうせ、俺には何もないんだから。年を取れば、いずれエナンドやカイも離れていく。
そうしなくちゃいけない。二人には外の世界を知って欲しい。俺の巻き添えを食らう必要はないんだ。でも、シェリーは違う。特殊な生まれ育ちだから、一般社会には溶け込めないし、禁術で結ばれている。
白い肌と、何も知らずにきらめいている赤紫色の瞳。よく手入れされた黒髪。俺は醜い。シェリーをこの部屋に閉じ込めようとしている。ハウエル家の策略? 知ったことか。たとえシェリーが裏切ったとしても、絶対に手放さない。
俺のものだ、シェリーは。王室のものでも、ハウエル家のものでもない。自分の身勝手さに嫌気が差した。縛られるのは嫌いなのに。選択肢を奪われるのもだ。それなのに、俺はシェリーを束縛しようとしている。
銀の匙で、黄色とグリーンが渦巻いているアイスを掬い上げ、シェリーの口へと運ぶ。嬉しそうにあーん、と言って食べていた。どれだけ心のよりどころにしているか、どれだけ好きなのかを知らない。伝えてしまいたい、何も気にせずに。この感情をぶつけてしまいたい。
シェリーの頬がゆるみ、赤紫色の瞳がうっとりと細められる。可愛い。別にいいじゃないか、もう。たとえ、いつか誘拐されたとしても。血を搾り取られたとしても。俺には何もないんだ。王太子の地位も。
「……美味しい? シェリー」
「はい! もっとください、もっと!」
「クッキーもあるよ。これもかなり美味しいんだ」
「じゃあ、半分こしましょうか。ちょっとは元気になります?」
「なるよ、ありがとう」
おずおずとした様子で口にし、上目遣いで見上げてくる。にっこり笑いかけたあと、ソファーに押し倒してキスしたら、腹黒王子と言われた。一刻も早く塔に戻りたい。仮初の穏やかさを楽しみたい。引き続きアイスを食べさせている最中、ふっと、脳裏に母の声が響いた。
『レナードはいずれこの国の王様になるんだから、ちゃんとしなくちゃだめよ。お勉強、頑張ってきてね! 待ってるから、ここで』




