4.お伽話に出てきそうな、塔の前にて
お城に辿り着くと、観光客がごった返している中でモリスさんが佇んでいた。迎えに来てくれたみたい! 嬉しくなって駆け寄れば、破顔する。
「聞いたよ、殿下から。君を護衛として雇うと!」
「ご機嫌ですねえ、そんなに嬉しいんですか?」
「ああ、もちろん。人外者と契約出来ている人間なんて早々いないし、」
「おい、俺はシェリーと契約なんかしていないぞ」
「えっ?」
「貸せ、俺が持ってやる」
「ありがとう~」
カラス姿のバーデンがくるりと一回転して、人の姿になる。薄手の黒いシャツと、揺らめいている黒いローブ。さっきとは違って、いつもと同じ格好をしていた。良かった、違う人だと落ち着かないから。私からバッグを受け取って、すたすたと歩き出す。
「何だって? 契約していないだって!?」
「はい、してないんですよ。よく勘違いされるんですが……」
「それじゃあ、バーデンは君の恋人とか?」
「いいえ。それだったらこんな仕事、反対するはずです」
「親御さんが彼と契約していた?」
「いいえ、両親が亡くなったあとに知り合ったので……」
どうして、こんなに色々と聞かれなくちゃいけないんだろう? 途方に暮れていると、前を歩いていたバーデンが不機嫌そうに振り返る。
「おい、色々と聞くな! お前はあの王子様さえ、守れたらそれでいいんだろう? 首輪をつけられていない、わんころみたいに動く気はないさ。あれは俺の獲物じゃない」
「じゃあ、彼女は君の獲物なのか? 何が目的で傍にいる?」
「……それをお前に言う義理はない。でも、大丈夫だ。ハウエル家は完全にこいつの味方だし、俺はあの家に属していない。もう一度言う、王子様に危害をくわえる気は無い。お前にはその事実だけあれば十分だろう? それとも、シェリーをいいように利用する気か? モリス」
雑踏の中で、静かにモリスさんとバーデンが睨み合いを始めた。人の意識をそらす魔術でも使っているのか、二人とも、目立つのに誰一人としてこっちを見ない。カメラを片手に、楽しそうに喋っている。ふうっと、モリスさんが溜め息を吐いた。
「危ないことはしていないな? シェリー」
「大丈夫です、制御するつもりですから」
「なら、いい。これ以上色々と聞くと、バーデンに負担を与えてしまうからね。踏み込まないようにしよう。君は殿下を守ってくれさえしたらそれでいい」
「はい。子供を生むのはまだまだ先の話になりそうですが……」
「いいよ、それで。手強いからなぁ、あの可愛らしい殿下は」
「可愛らしい……?」
「あれがか? 言っちゃ悪いが、かけ離れてるぞ。クソ生意気なガキだ」
「ああ、昔はもう少し可愛かったんだよ。そうだな、恐れ多いが孫のような存在の方なんだ。僕にとって」
「へえ……」
孫。私にはおじいちゃんもおばあちゃんもいないから分からないや。殿下はこの人のことを一体、どう思っているんだろう? いくつか世間話をしながら、王城の敷地内に入って、外れたところに位置する塔へ向かう。本当に塔だった。灰色の石造りの塔。あの塔のてっぺんには王子様が住んでいる。
見上げると、草の匂いが漂う風が吹き渡った。辺りには芝生が敷き詰められていて、ちらほらと、白や黄色い野花が咲いている。なだらかな斜面に夕暮れ時らしい、強烈なオレンジ色の光が降り注いでいた。少し離れたところには、濃い緑色の生垣に囲まれた何かがあって、それは薔薇園に見えた。ガゼボがありそう、あそこには。
それから、清らかな水が流れている小川と、ハーブ? が植わっている小さな畑があった。観光地にありそうな、可愛らしい赤色の橋を渡らなくちゃ、向こうには行けないみたい。でも、そういう構造になっているというよりかは、来訪者を拒絶しているように見えた。夕暮れ時の真っ赤な陽射しに染め上げられた、灰色の塔はちょっぴり不気味で物悲しい。
「わぁ、綺麗……。お伽話の世界みたい! でも、何だかちょっと怖いの。一体どうして?」
「……ここは元々、罪人を収容するための塔だったんだ。もしくは、気が触れた王族を閉じ込めておくための塔」
「どうして、王子様はこんなところに住んでいるんですか? 塔が好きなの?」
「いいや、陛下が……先の王妃様が亡くなられた時に、レナード殿下をここへ閉じ込めてしまったんだ。守るという名目でね」
「どうして? そんなに危ない目に遭っていたんですか?」
「いいや。さあ、行こうか」
重苦しい足取りでぎっと、橋を踏みつけた。普通に歩いているようには見えなかった。ぼけっとしていれば、私のバッグを持ってくれているバーデンが「おい」と呟き、私を肘でつつく。
「あ、あの……王妃様が亡くなられたから、ここへ閉じ込められちゃったんですか? 王子様、可哀相。あんなに綺麗なお城に住めなくて」
「まあ、仕方ないな。王妃様は暗殺されてしまったんだから……。陛下は国の世継ぎである殿下に、危害が及ばないよう、ひどく心配してここに閉じ込めてしまったんだ。でも、実際は違う。胸糞が悪い」
「暗殺……? 知りませんでした、王妃様はご病気じゃなかったんですね?」
「ああ、王妃様は元気だったよ。すごくね」
若干肩を落としながらも、歩き続ける。仲が良かったのかもしれない。一気に十歳ほど老け込んだ空気を漂わせながら、黙々と歩いていた。そんな様子を見て、隣のバーデンに話しかける。
「ねえ、これ以上話しかけない方がいいのかな……? モリスさんのせいじゃないのに、なんだかすごく辛そう」
「ん~、好きにすればいいさ。俺が決めることじゃない」
「それもそうなんだけど! バーデンのけち!!」
「じゃあ、聞いてみたらどうだ? 良い気はしないだろうけどな」
「あのっ、モリスさーん! 殿下はこの塔から出られないんですか? なんだか、ここに住み続けるのを嫌がっているように見えて、」
「なんだって? そんなことまで、あの方は君に喋ったのか?」
「い、いいえ? でも、自虐的に何も無い塔だよとおっしゃっていたので……」
もしかして、カビ臭そうな塔に住んでいるのを恥ずかしく思っているのかもしれない。だって、何年か前の人が苦しんで死んでいったかもしれない塔よりも、ボヤ騒ぎが起こった、私の古いアパートの方が住み心地良いと思う。私をじっと、怖い目で凝視していたモリスさんが、おもむろに口を開いた。
「それは無理だ。陛下が考えを改めない限り、レナード殿下はずっとこのままだ」
「……家畜だとおっしゃっていました。血にしか価値が無いのだと。血しか求められていないのだと」
モリスさんが息を呑み込み、顔色を変える。……もしかしたら、この人の頭の中は殿下のことでいっぱいなのかもしれない。まだ知り合ってすぐだけど、何となく勘でそう思った。急に眼鏡を外し、目頭を揉む。
「そういうわけじゃないが……母君の生き方と、殺され方を見ていたらそう思ってしまうのも無理はないな。笑わせる」
「笑わせる……?」
「ああ、失礼。陛下のことが嫌いでね、つい。まあいいや、それについては。いずれ知ることになるだろうから」
「はい。あの、王妃様の殺され方って? 公表出来ないぐらい、ひどかったんですか?」
「むごかった。言葉を失ったよ。あんなにも、あんなにも、王妃様が……いや、言っても仕方ないな、やめよう。王妃様は骨と皮だけになっていた。まったく、どこの誰があんな悪趣味なことを思いついたんだか! 王妃様は幻の血を引き抜かれ、そのまま亡くなってしまったんだよ」
「幻の血? 癒しの血じゃなくて?」
「そう呼ばれているんだ。王妃様の種族は昔、三千人ほどいたとされている。山奥に点々と、小さな村を作って暮らしていたみたいだよ」
「へえ、なるほど。でも、どうして血を抜いたんですか? 生かしておいて、ちょっとずつ抜いた方がいいんじゃない……?」
怖い。しわしわの骨と皮だけになってしまった、女性の遺体をはっきり思い描いちゃった。苦しくはなかったのかな? どうだろう。血を抜かれたことがないからよく分からない。私がぶるるっと震えて、二の腕を一生懸命擦っていると、うつむきながら苦笑した。
「一滴。血の一滴だけで、たちどころにどんな病も癒えてしまうんだ……。だからこそ、全身の血を抜いて盗もうとしたんだろう。さらうのは何かとリスクが高い。国際社会からも非難される。それに、逃げ出す可能性だってあるんだ。人ひとり、いや、この国の王妃を一生閉じ込めておくなんてリスクが高い」
「ああ、確かに……」
「こちらも死に物狂いで助け出そうとするからね。戦争が起こるきっかけにもなる。それよりも顔を潰した男を使って、全身の血を抜き取らせた方がいいと思ったんだろうよ」
「顔を潰した?」
「目玉をのぞいて顔を潰され、記憶も消された男がそういうことをしたんだよ。辿ってはみたが、まあ、無理だったな。奴隷の難民だった」
「そっか。洗脳されてたんですね?」
「うん。気の毒だったが元の人格は戻らなかったし、楽に逝かせたよ。家族がいたかどうかさえ分からない……」
つらつらと話していてもしょうがないと思ったのか、重たそうな足を持ち上げ、塔に向かって歩き出す。なんて言えばいいのかよく分からなくて、戸惑っていたら話題を変えてくれた。
「ああ、そうだ。忘れていたよ。この橋を渡った向こうで、殿下に危害を加えようとしたら死ぬから気をつけて」
「ふぁっ!? ど、どうしてですか? 魔術? 殿下にうっかり肘をぶつけちゃったら死にますか……!?」
「いやいや、大丈夫。危害を加えようとしたらだから、殺意、もしくは血を抜き取ろうとして、傷付ける行為をしたらだな。即死だから気をつけるように」
「あっ、はい。優しいですね? 悶え苦しむような魔術じゃないんだ」
「まあ、うん。殺すのなら優しくがモットーかな……」
「優しいですねえ! 私だったら見せしめも兼ねて、顔の皮膚がただれたあと、髪の毛が激痛と共に抜けるようにして、それから目玉が破裂して、」
「ちょっと待ってくれ! やめてくれ、気持ち悪いから……それにしても、君は本当に変わってるなぁ。叔父さんの教育の仕方が悪かったらしい」
「それは言えていますね。とにかく相手に同情しないよう、教わりました」
何も考えないようにしろ、殺すことだけを考えろ。相手の人生を考えるな、お前は優しすぎる。そんなだとあっという間に殺されて、ユーインが一人取り残される羽目になるぞ?
「ユーインに、笑って暮らして欲しいのなら殺せって……。だから殺してきたのに、ユーインはそれが嫌だったみたいです」
「それはそうだろうね。実の姉が自分のために手を汚すなんてなぁ」
「どうしてだめなんですか? 私はそれでいいと思っているのに?」
「……たとえ、君がいいと思っていても、弟君はよくなかったんだよ。まあ、殿下は繊細で優しい御方だから、あまりそういう無茶をしないでくれ。君が傷付けば周囲が傷付く。理解しなくてもいいから、そう頭に叩き込んでおいてくれ。いいな?」
「はい、分かりました!」
「こいつに何を言っても無駄だろう。徒労に終わる」
私の隣を静かに歩いていたバーデンが、嘲笑を浮かべる。むっとしたけど、何も言い返せない。叔父さんの洗脳は根深いから。でも、モリスさんが爽やかに微笑みながら、振り返ってさらりと言い返した。
「じゃあ、十年後も徒労に終わるのか?」
「あ?」
「周りが気にかけて、必死に教えていたらいずれ分かってくれるよ。彼女は素直だし、柔軟性がある。それに、僕は今すぐ分かってもらおうだなんて、微塵も思っちゃいない。それとも、君は必死で彼女に言い続けていたとしても、一ミリも分かってくれないってそう思っているのかな?」
「……ふん、嫌な魔術師だ。口が達者で、舌がよく回る」
「それはどうも。褒め言葉だと思っておくよ。ああ、殿下だ。迎えに来てくれたんだな」
ちょうど、灰色の塔から殿下が出てくるところだった。黒い錠つきの木製扉が開き、中から出てくる。さっきとは違って、カーキ色のトレンチコートを軽く羽織っていた。下には紺色のボーダーニットを着ている。何だろう? 普通の格好なのにすごく王子様らしい。気品が溢れてる。私を見て、すぐに優しく微笑んだ。
「シェリー、待っていたよ! ああ、一番日当たりの良い部屋にしたんだが……なにせ、誰も使っていなかったからカビ臭くて、埃っぽくて。いくら掃除しても、いまいち爽やかな空気にならないんだ。モリス、手伝ってくれるか?」
「はい、もちろん。……それにしても、殿下? 随分とお気に召されたんですね。王妃様も喜ぶかと」
「まさかとは思うが、王妃様の差し金で?」
「いつだってそうですよ。でも、護衛が欲しかったのは事実です。人外者も傍にいることですし」
殿下が気に食わなさそうな顔をして、二の腕を組んだ。変なの、言わなきゃ良かったのに。そんな嫌味ったらしいこと。でも、モリスさんはにこにこと微笑んでいて、真意がうかがえない。この人、思ったより曲者かも?
「……まあ、いい。モリス、お前は彼女の部屋の掃除を手伝ってくれ。ねずみが住み着いていたんだ」
「おや。じゃあ、僕はこれで。あ~、あの二人も部屋の掃除を?」
「ああ、機嫌が悪いから気をつけてくれ。昔の話を蒸し返して、ぐちぐち言いそうだぞ」
「やれやれ。あの二人は少々、殿下に依存しすぎですよ……」
「そう言ってやるな。ここでずっと、三人で暮らしてきたんだからしょうがない。今さら新人が、それも可愛い女の子が来るとなると、気が気じゃないんだろうよ」
「分かりました。荒れそうですね、また」
「だな。っと、シェリー。すまない、そんな顔をしないでくれ。二人とも根は悪いやつじゃないし、きっとすぐに仲良くなれると思う」
気が合わなさそうだし、歓迎して貰えなさそう……。私がじっとりした目で見上げていると、慌てて謝ってきた。モリスさんがそんな様子の殿下を、にこにこ笑顔で見守っている。
「あ~、モリス? いつまでそこで、ぼんやり突っ立っているつもりなんだ?」
「おや、これは失礼しました。そうだ、バーデン。いくつか確認したいことがあるから、一緒に来てくれないか?」
「人外者である俺を誘うとはいい度胸だな、老いぼれ。行かない」
「でも、バーデン? 私の荷物を部屋に置いてきて欲しいんだけど……?」
「王子様と二人きりになりたいのか? シェリー」
うっとりするような甘い声を潜め、私の肩に手を添えた。指に力がこもっている。許せないのかもしれない。でも、一体どうして? 顔がよく見えない、伏せられているから。
「……うん。ごめんね? バーデン。ちょっとだけ二人きりで話したいの。この感情を突き止めたいから」
「そうか、分かった。じゃあ、いい。お前が俺をメイド扱いしてなきゃ、それでいいさ」
「ごめんね。でも、便利だなとは思っちゃってる……」
「最悪だな。まあいい、お前の発言をいちいち気にかけていたって無駄だ!」
「でも、人外者って本当に便利な存在だから……」
ちょっとだけ怒りながら、笑ってるモリスさんの下へ行く。二人が塔の中に入ったのを見届け、殿下が私に向き直った。
「あ~、シェリー? バーデンとは一体どういう関係なんだ?」
「て、敵? 油断したらすぐ食べようとしてくる、味方……?」
「どういう意味なんだ? それ」
「ごめんなさい、私にもよく分からないんです。彼が敵なのか味方なのか。でも、はっきり言えることが一つだけあります」
「ん? 何?」
「本当に、バーデンは私のことが好きじゃないってこと。だから契約を持ちかけられることも、言い寄られることもありません」
「そうか。なら良かった。恋人同士なのかと思ったよ」
「それは無いです。便利な存在だと思ってます!」
どうしてか、殿下が嬉しそうに笑う。……さっきまで、すぐ出て行って欲しいって言っていたのに。不思議。まるで、昼間に浮かんでいる月のような御方。次、見つけようとしてもなかなか見つけられない。私がしげしげと笑顔を見つめていると、おもむろに、手をぎゅっと握り締めてきた。まただ。人の死体を見た時のような、達成感が心臓を突き上げる。どくんと明確に、胸の中で跳ねた。
「案内するよ。薔薇園があるんだ、シェリー。きっと気に入ると思う」
「はい……。あの、私に優しくしてくれるのは一体どうしてですか? 情緒不安定な方なんですか?」
「っぶふ、ごめん、さっきは冷たくして。君には色々と事情があるんだから仕方ない。人と比べて変わってるのもそうだ、無理もない」
「変わってる……。それに事情があるんですか? 私に?」
「うん、気がついていないのかもしれないけどあるんだよ。それじゃあ、行こうか。綺麗なんだよ、薔薇が沢山咲いていて」
優しく微笑みながら、私の手を取った。私の手が冷たくて汚い。その事実が胸に突き刺さった。どうして気にしちゃうんだろう? 王子様の手が、白魚のように綺麗だから? よく分からない、何も分からない。でも、心臓が勝手に一人で騒いでいた。夕暮れ時の冷たくなってきた風に吹かれた殿下は、さっきよりも綺麗で、生きている人間という感じがした。手を伸ばせば触れられる、生きた人間という感じが……。