10.傷付いた子犬ちゃんみたいな顔をしなくてもいいのに
断られるとは思ってなかったみたいで、呆然とした顔になる。子犬ちゃんの尻尾を踏んじゃったらこんな感じの顔になるのかなって、ちょっとだけ思った。ちょっとだけね。私が分厚いベーコンをフォークで突き刺して、あぐあぐ齧っていると、困惑したように蜂蜜色の瞳を瞬かせてから、平静を装う。無駄なのに、そんなことしたって。ショックが私に伝わってくる。
「……シェリー、ごめん。もう一度言ってくれ。今、なんて?」
「嫌ですと言いました。王妃様にも止められてるんです」
「そうか。でも、生半可な気持ちで言っているわけじゃない。こうなった以上、別に子どもが出来たって、」
「やめておいた方がいいですね。モリスさんは国王陛下が敵だと思えと言っていました。レナード殿下の地位を磐石なものにするためにも、子どもを作らない方が賢明です。守りやすい」
それに、塔を守っていた鉄壁の魔術は解かれた。一等級国家魔術師の訃報はすぐに周辺国へも届けられる。どうして、モリスさん一人に任せていたのか。どうして、こうも警備がしっかりしていないのか。国王陛下や王妃様は平和ボケしているような気がする。この国は大国じゃないから。
戦火で焼き尽くされたことも無ければ、隣国からの脅しにあったこともない。風光明媚で、観光名所が取り得なだけの小国。一旦、フォークを動かす手を止め、レナード殿下を見てみたら、分かりやすく不貞腐れていた。私はレナード殿下を守りたくて必死なのに、まるで違うところを見てるみたい。
「レナード殿下? あなたに死んで欲しくないんです。だから、」
「俺のために死ねるのに、体は許せないのか。意味が分からない」
「……そんな時間って、無いと思うんです。それに、王妃様に怒られたくないから」
「黙っていればいい、ばれやしないよ」
「でも、ばれた時どうするんですか? 私は王妃様に怒られる方が怖いです。レナード殿下に怒られるよりも」
「まあ、怒らせたら、この城の中で一番怖くなる人だからなぁ……」
頬杖を突いて、不貞腐れていたレナード殿下がぷっと笑った。良かった、ご機嫌が直ったみたい? 夢の中ならいいけど、あれを現実でするのはちょっと抵抗がある……。私、いてもいいのかな、ここに。戻れなくなっちゃいそうで怖い。禁術があるから、すぐに追い出されたりはしないんだろうけど。湧き上がってくる泥水のような不安に耐え切れなくなり、両目を閉じる。
(だめ、レナード殿下に引きずられちゃってる。元の私に戻らなくちゃ。不安になる方法を、強制的に植えつけられた気がする……)
手の血が止まってしまうぐらい、フォークを握り締めていると、レナード殿下が異変に気付いた。胸の中が一気に不安で覆われる。
「どうした? シェリー。大丈夫か?」
「大丈夫です。全部食べられます!」
「無理しなくてもいいから、残したって誰も食べないし。ちゃんと取っておくからさ」
「……残したくないです、美味しいから」
旨みたっぷりの塩で味付けされたベーコンは肉厚だけど、程よく柔らかかった。染み出てくる脂と香ばしさを楽しんでいたら、レナード殿下がほっとしたように笑う。
「禁術の影響は? どうだ? 体に何か異変は?」
「今にょほぉろほないれふ。ただ、今後どうなるかは分かりません。……もしも、私が子どもを生んだらどうなるのでしょうか?」
「心配いらない。モリスが手紙にそのことも書いてあった。本当に、何から何までよく考えていて……」
またずきっと、胸の奥に鋭い痛みが走る。私は別にモリスさんのこと好きじゃなかったのに(嫌いでもないけど)、レナード殿下のせいで悲しくなっちゃってる。でも、ふらっと執務室へ遊びに行くたびにクッキーをくれたり、にこにこ笑いながら話を聞いてくれたりした。よく何もしてないのに、悪意をぶつけられたりしたんだけど、モリスさんは一切そういうのが無かったなぁ。私にイライラしなかった。無性に里帰りしたくなってきちゃった。
「色々落ち着いたら私、実家? に一旦帰ります」
「実家!? てっきり、シェリーには帰る家が無いのかと……あ、悪い。失言だった」
「いえ、大丈夫です。あそこをなんて呼んでいいのか分からないんですよね。みんな、一旦戻れとしか言わなかったから」
「へえ。まあ、詳しく聞かない方がいいんだろうなぁ」
「温室育ちの王子様には、刺激が強すぎる話かもしれませんね」
「……別に、大事に大事に育てられたわけじゃないけど?」
「知ってます。でも、殺されかけたことも、殺したこともないでしょう? レナード殿下は」
私がちょっとだけ首を傾げて言えば、複雑そうな顔になる。どうしてそんなにも罪悪感を抱いているんですか、レナード殿下。優しいから? ほんのり温かい野菜スープを口に含めば、舌の上についていた脂が洗い流されていった。
うん、美味しい。レナード殿下にはセンスがある。バターロールじゃなくて、ふわふわの白パンなら最高だったんだけど。一人で得心気味に頷きながら、野菜を咀嚼していると、レナード殿下がぽつりと呟いた。
「感覚が麻痺しているようだけど、つらかったんだろうな。シェリーは」
「……一番つらかったのは、私が貯めたお金を喜んで貰えなかった時です。ユーインに足をプレゼントしてあげたくて、必死で頑張ってたんですけど」
だから、何でも耐えられた。でも、ユーインは喜ばなかった。ありがとうって言ってくれたけど、ちっとも嬉しそうじゃなかった。想像していたように笑顔で走り回ることもなかったし、翌日からまるで、両足を持っていたように生活していた。忘れられない、どうしてか。
ユーインが喜んでくれてるんじゃないかって、わくわくしながら、リビングへ続くドアを開けてみたら、そっけなく「おはよう」とだけ言われた日のことが忘れられない。思い出したって、悲しくなっちゃうだけなのに。ユーインはパンを齧っていた。私の分のパンを温めてから、学校へ行った。がらんとしたリビングでパンを食べるのは苦しくて、残しちゃった。あとからあとから、涙が出てきて止まらなかった。もう少し喜んでくれるかと思ったのに。最初からまるで、両足を持っている人みたいに生活してた。
「私とは目も合わせてくれなかったんです。ねえ、何が悪かったんでしょう? レナード殿下。あんなに頑張ったのに、ちっとも喜んでくれなくて」
「決まってる。人を殺して欲しくなかったんだ、ユーインは」
「でも、大金が稼げない。あとは、体を売る方法しか残されていないでしょう?」
足の再生には、途方もなくお金がかかる。家一軒立つほどの金額を、私はどう捻出すれば良かったの? 体を売るには幼すぎた。そういうのが好きな連中もいるが、さすがに実の姪をそこへ売り飛ばすほど悪くはないって、叔父さんが平然とした顔で言っていた。叔父さんはたまに良い子ぶる。本当は中身まで真っ黒に染まっていて、悪いくせに!
「殺すか、体を売るか。どっちが良かったんでしょうね?」
「諦めたら良かったんだ。ユーインのために」
「……ユーインのために? でも、ユーインのために頑張ってきたのに?」
「それはシェリーの思い込みにしかすぎないだろ? 喜ぶか喜ばないかを決めるのは本人だ。いくら本人が喜ぶだろうと思って動いても、喜ばないかもしれない。だから、一人で突っ走るべきじゃなかった。ちゃんと話し合うべきだった」
「っレナード殿下なんて大嫌い! 私の気持ちなんて分からないくせに!」
一瞬だけ、蜂蜜色の瞳が見開かれる。いつもの苦笑を浮かべていた。でも、ショックを受けていた。胸が痛くて苦しい。どうして? いつもの、なんてことなさそうな苦笑なのに。つらくて頬が熱くなってきた。息も苦しい。
「……ごめんなさい。私に嫌いって言われたら悲しいんですか?」
「悲しいよ、すごく。好きな女の子に嫌いと言われて、ハッピーな気分になる男なんていないんじゃないかな?」
「ごめんなさい……。ベーコンと野菜スープを持ってきてくれたのに。ふわふわの白パンだったらもっと良かったんですけど」
「そこでダメ出しをしてくるのがシェリーらしいな。大丈夫、怒ってはいないよ。ただ傷付いただけで」
お茶目に笑いながら言ってるけど、まだ胸がずきずきしてて痛い。無理に笑わなくてもいいのに。素直に「傷付いた」って言って、悲しそうな表情をすればいいのに。レナード殿下はそんなことしない。ふと、夢の中でしくしく泣いていたことを思い出した。綺麗な王子様に見えるんだけど、中身は子ども。本当は今でも心の中で、膝を抱えて泣いているのかもしれない。食い散らかしたベーコンと、白いボウルに残ったマッシュポテトを見下ろす。
「……レナード殿下、ごめんなさい。胸が痛いですよね? 私に嫌いって言われちゃって」
「……」
「嫌いじゃありませんよ、むしろ好きです。守るべき主君から、守るべき子どもに移行しつつありますけど」
「それは、どういう意味かな?」
「昨日、夢の中で泣いていたでしょう? 大丈夫、私が味方ですから」
もう一度、ショックを受けた顔になる。でも、胸の奥で喜びが弾けてた。変なの、また隠してる。繫がってるから分かるけど、繫がってなかったら、ちっとも分からなかった……。今まで誤解してた部分があるかも。急に気になってきちゃった。とりあえず、そんなレナード殿下を無視して、ベーコンに齧りついていると、慌て出した。
「ありがとう、嬉しいよ。ごめん、急に反応出来なくて」
「らいひょーふれふよ、ん?」
ぷーんと私の前をハエが通り過ぎようとしている。これは、もしかして。とっさにハエを握り潰せば、レナード殿下が嫌そうな顔をした。手を広げてみると、そこにあるはずの死体が無い。手のひらの中央が汚れていた。べったりと黒い砂がこびりついている。……もう始まっているの? 血の争奪戦は。考えるよりも先に、椅子から立ち上がる。
「レナード殿下! 今すぐカイとエナンドのところへ行ってください。もう襲撃は始まっています」
「襲撃?」
「そうです、ただのハエじゃありませんでした。敷地内に偵察者がいる。捕まえてきます!」
「ちょっ、ちょっと待った! その格好で!?」
「はい。着替えたいところですが、逃がすと困るので……」
着替えた方が楽だし、動きやすいよね? はたと気が付いて、立ち止まる。以前の仕事服に着替えるため、脳内で術語を唱えた。すぐに体がぴったりした黒スーツに覆われる。だめ、顔も隠れちゃってて不便。口元の黒い布を掴んで下げると、レナード殿下がまた呆然とした表情になる。
「さあ、早く! バーデンが帰ってきていないので、私一人で行きます。カイとエナンドのところへ、」
「危ないだろ!? 俺も行く!」
「……もう少し自覚を持ってください。あなたが怪我をすれば、怪我をするのは私なんですよ?」
動揺して、蜂蜜色の瞳を揺らした。優しい王子様。気持ちは嬉しいけど、今は必要無い。黙ってカイとエナンドのところへ行って欲しい。逡巡したのは一瞬で、すぐに決断してくれた。
「分かった、じゃあ、行ってきてくれ。二人と待ってるから」
「はい。二人とも私より弱いですが、一応役には立つでしょう。それじゃあ」
「えっ!? それも、窓から……」
「私は飛べますから。どうぞご心配なく!」
窓を開け放して、海へ潜るダイバーのように後ろ向きで飛び降りる。すぐさま「シェリー!」と叫んで、レナード殿下が顔を出した。すごく心配してる。私は大丈夫なのに。ひゅうひゅうと吹き荒ぶ風に揉みくちゃにされた。背中からコウモリのような羽根が生えて、落下速度が遅くなる。頑張って神経を研ぎ澄ませ、まるで羽根が私の一部であるかのように力めば、安定した。ばさっと翼が広がる。そのままの勢いで飛び、塔のてっぺんを目指す。陽射しが眩しかった。でも、首筋を撫でていく爽やかな風が心地良い。
(ああ、ようやく戦えるんだ、私! 役に立てる、レナード殿下の)
三角の形をした塔のてっぺんに降り立って、敷地内を見渡す。王城の庭園に怪しい人影はいない。私ならどうする? 姿が隠せて、集中出来るところ────……薔薇園にいるかもしれない。すぐさま塔を蹴って、薔薇園へ向かう。
懐かしいな、この感覚。だんだんと思考が透明になっていって、ターゲットを殺すことしか考えられなくなる。この方が圧倒的に楽で馴染む。薔薇園の生垣と生垣の間、かろうじて人が二人ほど通れそうな小道に降り立ってから、魔術を張り巡らせる。いた、一人いる。多分、噴水があった広場? にいる。
(ここは綺麗だから、あんまり汚したくないんだけど)
初めてここに連れて来られた時のことを思い出した。何を喋ったかはよく覚えてないんだけど、レナード殿下がやたらとはしゃいでいて、私の手を繋いでくれていたのはよく覚えてる。不思議だった。高揚感と、これから人生が大きく変わるかもしれない予感が胸を占めていた。
ふんわりと、鼻先に甘い薔薇の香りが届く。いつ来ても良い香りね、ここは。音を立てないように歩いていたら、すぐに広場が見えてきた。緊張して、心拍数が上がる。ツタ薔薇が這ったレンガの壁に、アンティークのような噴水。その噴水を眺められるベンチにのんびり座っていたのはまぎれもなく、一等級国家魔術師である、ロダン・マクスウェルだった。呆然とする私を見て、にっと笑い、手を振ってくる。バカにして!
「こんにちは、シェリーちゃん。あれ? 殺し屋っぽい服を着てるね? 今日は」
「あなたが一体どうして……」




