8.禁術の副作用と休息
外に出てみると、陽射しが眩しかった。やたらと目の奥に突き刺さってくる。まるで随分と長い間、眠っていたみたいで、芝生から立ち昇ってくる土と草の香りを胸いっぱいに吸い込めば、吐き気がした。いつもなら、眩しい陽射しもこんなにつらくはないのに……。頬を撫でていく風も鬱陶しい。私に触らないで、いいから放っておいてって言いたくなる。よろめけば、とっさにレナード殿下が体を支えてくれた。
「大丈夫か? 副作用か?」
「そうかもしれません……。ねえ、レナード殿下。もう悲しまないでください。じゃないと、私の存在意義がなくなっちゃう。あなたのために死ぬのが幸せなのに」
「シェリー、残酷だな。知ってたけど」
レナード殿下が苦笑して、私のことを抱き上げた。大きくなって。肩も手も、過去のレナード殿下がどんなに小さかったのかを知ってるから、大きく感じる……。額に汗が滲み出てきた。それまでカラスだったバーデンが、人の姿へと変わる。耐えきれなくなって、まぶたを閉じた私の髪をそっと撫でてきた。
「……可哀想なシェリー。こんなことなら、とっとと早く連れ出せば良かった。俺の判断ミスだな」
「すまない、バーデン。どう謝ればいいのか、」
「よせ、もういい。どうせあのじいさんは死んだんだ。やりたいことをやって、死んでいった……」
煙になってかき消える。バーデンも動揺してるのかもしれない。それとも、飼い主さんのところへ行った? 確かめないと。私はどうなってもいいけど、レナード殿下だけは守らなくちゃ。
飼い主さんがレナード殿下に危害をくわえるようなら……そこで思考が途切れた。レナード殿下が私のことを抱え直して、「もういい」と憂鬱そうな声で呟いたから。どうしてそんなことを言うんですか? 涙が出てしまいそうなぐらい、ぎゅーっと胸が締め付けられる。悲しんでる、レナード殿下が。
「悪かった。色々と考えなくてもいいから」
「……分かりますか? 私が今、何を考えているのか」
「分かるよ、義務感でいっぱいだ。いつもそんな風に、自分を縛りつけるような思いで考えていたのか……。知らなかった。知れて嬉しいとは言えないけど、でも、知れて良かったとは言える。止められるから、その思考を。考えなくてもいいって」
「レナード殿下。私に何も考えて欲しくないんですか? それに縛るって?」
「うん。苦しそうだ、気が付いてないみたいだけど」
「はい……」
しっかり肩に手を回して甘えると、嬉しそうに笑う。そっか、これでいいんだ。よく分からないけど、レナード殿下は私が甘えると嬉しいみたい。伝わっちゃうから、楽しいことを考えていよう。もう眠っちゃいたい、このまま。今なら途中で目を覚まさず、百年間ずぅーっと眠れちゃいそうなほど眠い……。
私が百年間、目を覚まさなかったらレナード殿下はなんて言うかな? きっと私が眠っている間、日記を書いてくれる。そういう人だから。私が目覚めた時に読めるようにって、お手紙も日記もいっぱい書いてくれるの。涙が滲み出てきた。優しい。レナード殿下はすっごく優しい。いつも、心の奥に春の海を飼っている。穏やかで、私のことを考えてくれている。
さっきまで眩しかった陽射しが暖かくなってきた。そのまま、目を閉じて眠る。ゆらゆらと動いているのが心地良い。レナード殿下が苦労して、扉を開けて、冷たい塔の中に入る。平気だった。レナード殿下がほっとしてるのが分かったから。強制的に悲しくなっちゃって、無性に人肌を求めてしまう魔術にさらされたって平気。
胸の奥がひたすら温かい。私が苦労して、階段を上っているレナード殿下にしがみつきながら、くすくす笑っていると、嬉しそうに笑う。変なの。私が甘えたり、笑ってたりすると安心するんだ……。良かった。まどろんでいると、ふいに頭上からエナンドの声が落ちてきた。
「……で、どうするんですか? シェリーちゃんは」
「どうもしない。ただ、ノーマンの話によると」
「じゃあ、早急に手を打っておいた方がいいですね。俺とカイが」
「でも、こいつはどうせ……」
会話が聞こえてくる。でも、途切れてる。聞きたいのに、眠い。カイ、また私の悪口言ってない? 手足が重たくて熱っぽい。ちょっとだけ貧血かも。頭の芯がぐらぐらと動いて、冷えてる。気持ちが悪い。腕の中でもぞもぞ動いていると、何かに座ったレナード殿下が「ごめん、寝かしつけた方がいいか」と呟いてから、立ち上がった。
「じゃあ、そういうことで。頼んだぞ」
「いきなりこんなことになって、何がどうだか……。本当にモリスさんは死んじゃったんですか?」
「残念ながらそうみたいだ。俺もまだ信じきれてないよ、遺体の脈でも確認しておくんだった」
茶目っ気たっぷりに言ってるけど、知ってる。深い傷口が引きつれているような痛みに襲われていることを。レナード殿下って、モリスさんのことが好きだったんだ……。前に喋っていた人が死んじゃうの、私は当たり前だって知ってるけど、レナード殿下は知らないから癒してあげたい、慰めてあげたい。こんな痛みの中で歩くのはつらいでしょう?
捨てちゃえばいいのに、レナード殿下はそれを選ばない。何度も何度も繰り返し、モリスさんを喪ってしまった事実を再確認して、深い悲しみに襲われてる。まるで、みずから進んで悲しみに浸っているかのよう。もどかしくなってきちゃった。レナード殿下が私を、ベッドの上へ置く。奥のバルコニーから、陽が射し込んできている。暖かくて眩しかった。手を伸ばして、レナード殿下の腕に触れると、動きを止めた。
「つらいでしょう? どうして捨てちゃわないんですか?」
「何を?」
「感情を。考えないようにすればいいんです。死んじゃった人は生き返らないから」
数十秒間、何も言わなかった。静かな蜂蜜色の瞳で、私のことを見下ろしてきた。だから私も、静かに見つめ返した。
「……シェリーもそうしていた? 父親を喪った時」
「はい。ユーインがいたから、悲しむ暇もなくて」
「悲しむべきだった。俺はそうする」
「どうして? 苦しくないんですか?」
「苦しいけど、必要な作業だから。徐々に薄れてゆく」
「薄れるんですか? 本当に? 今、こんなに苦しくて悲しいのに? レナード殿下、私はどうすればいいんですか? こんなに苦しいのに、」
「ごめん、巻き込んでしまって。でも、いいんだ。俺にはシェリーがいるから」
胸元を握り締めていると、優しく手を掴んできた。指先が冷たい、可哀想に。苦しい、悲しい。レナード殿下の苦しさが流れ込んでくるのに、私は何も出来ない。泣きながら息を荒げていると、レナード殿下がベッドの上に乗ってきた。
「ごめん、大丈夫だ。シェリー、考えなくてもいいよ。ああ、着替え、着替えは……」
「っう、ぐ、バーデンに、バーデンに着替えさせて貰います」
「それはだめだ、持ってくる。待ってて、すぐに戻ってくるから」
いつになく揺らいでる、心が。私もレナード殿下も。おでこにキスをしてから、立ち去った。寂しい、早く戻ってきて欲しい。でも、離れると感情がましになる。苦しいのが流れ込んでこない。
ベッドの上で寝返りを打って、息を吸い込めば、冬の匂いがした。ああ、落ち着く。ほっとする……。この部屋は魔術の影響をあんまり受けないから、過ごしやすい。また眠たくなってきちゃった。起きて、待っていたいのに。まどろんでいると、レナード殿下が突然、私を揺り起こした。
「シェリー? 自分で着替えられるか?」
「嫌です……」
「嫌か。じゃあ、魔術で何とかするしかないな」
「レナード殿下が、きが、着替えさせてください……」
「言うと思ってたけど! いいんだな? 俺が着替えさせても」
「はい。どうして怒ってるんですか?」
「……シェリーに言っても分からないと思う」
不貞腐れたように言ってから、ワンピースのファスナーに手をかける。ゆっくりとファスナーをおろして、ワンピースを脱がせてくれた。すぐに窮屈なワンピースから脱皮して、毛布に包まってみたら怒り出す。寒くないし、もうこのまま眠っちゃいたいのに!
「シェリー!? 着なきゃだめだろ? せっかく持ってきたのに」
「面倒臭いなって思ってる……」
「可愛い。思ってないよ、思ってないから着替えようか」
「……一緒に寝てくれますか?」
「いいよ。じゃあ、一緒に眠ろう。俺も疲れた……色々ありすぎて」
いつもなら嫌がるくせに、今日はすんなりと許してくれる。私に後ろめたさがあるから? なんだか寂しい。好きなだけわがままを言ってもいい権利を手にしたと思っていたのに、それが寂しくなってきちゃった。申し訳ないから?
申し訳ないから、レナード殿下は私に優しくしてくれるのかもしれない……。パジャマに着替えたレナード殿下が、ベッドに潜り込んできた。聞こえるように「ふんっ!!」と鼻を鳴らして、背中を向ければ、おかしそうに笑って抱きついてくる。
「どうした? シェリー。なんで拗ねてるんだ?」
「義務感からでしょう? 私に優しくしてくれるのは」
「いいや? 好きだからだよ。ああ、そうだ、シェリーは俺のことなんかちっとも好きじゃなかったなぁ。禁術が証明してくれた。今、最高の気分だよ」
「レナード殿下。……好きにならないといけませんか?」
好きになると、傷付いちゃいそうで怖い。バーデンも言ってた。あの手のタイプの男は好きになったとたん、豹変するからとことん冷たくしておけよって。嫌だ、冷たくされるのは。ずっとずっと、優しいレナード殿下のままでいて欲しい。優しい手も目も全部、私が可哀想な子だから?
「罪滅ぼしなんですか。私に優しくしてくれるのは」
「……最初はそうだったかもしれない。でも、今は違う」
「じゃあ、私のどういうところが好きですか!?」
「うわっ!? 急だな、いつもいつも」
寝返りを打って、至近距離で睨みつけたら、びっくりして蜂蜜色の瞳を見開いた。綺麗な瞳が苦笑を含んで、細められる。どこまでも優しいから、ずっとずっと甘えたくなる。優しいままでいて欲しいんだけど。好きになったら、楽しいような気もするんだけど。心のブレーキが強烈にかかっていて、好きにならない。
私はどうしたいの? どうなりたいの。途方に暮れていたら、またさっきのように、おでこへキスしてくれた。目を瞬けば、嬉しそうに笑う。あ、爆発してしまいそう。これはレナード殿下の感情だ。私のことを可愛いって、愛おしいって思ってくれる。耳が熱くなってきた。ここまでむきだしの感情が伝わってくると、恥ずかしい……。
「過激なところかな。変に自信満々なところも可愛くて好きだ、ずっと見ていたいと思う」
「いいです、聞きたくありません。はず、恥ずかしいから……」
「シェリー、顔を見せてくれ。何年ぶりだ? そうやって恥ずかしがってくれるのは」
「な、何年も一緒にいないじゃないですか……!!」
「冗談だよ。何年かぶりに見た気分になってる、今。嬉しすぎて」
顔を覆っていたら、無理やり外された。蜂蜜色の瞳が細くなる。キスしたい、思いっきり。私の感情なのか、レナード殿下の感情なのかよく分からない。暖炉の中の炎みたいに、愛おしさが踊り狂ってる。ムラがある。強くなったり、弱くなったり……。
ぎゅっとまぶたをつぶれば、キスしてきた。それが合図だった。止まらなかった。前みたいに、冷静ではいられない。熱い舌を通じて、感情が流れ込んでくるみたい。心臓が壊れちゃいそうなほど、脈打ってる。知らなかった、レナード殿下の世界は鮮やかだ。一度知ったらもう、二度と元には戻れない。
「私もこんな感情が欲しいです……」
「感情が?」
「はい。虚しいのとか、冷たいところがぜんぜん無いんです。でも、疲れちゃわないんですか?」
「疲れないよ。これが俺の普通だからね」
「どうして、んっ」
自暴自棄になってるの? レナード殿下は。忘れたい、忘れたい。今、起きたこと全て忘れてしまいたい。激しく求められているような気がした。首筋に舌を這わせて、赤い跡をつけてゆく。どうするのが正解なんだろう。受け入れるのか、このまま激しい感情に流されるのか。
その時、お腹がぐーっと鳴り響いた。飲み込まれそうになっちゃってたけど、これは私がしたいことじゃない。もう眠い。眠たくて疲れちゃった。もう一度キスしようとしてきたレナード殿下の口元を、ばっと手で押さえる。
「だーめっ! もう疲れたから寝ます、おやすみなさい!」
「……可愛い。あと一回だけ」
「だめです。次、変なことしてきたらお尻にぞうさんをプリントしますよ!」
「お尻に? なんで」
「精神的ダメージが与えられそうだからです。目玉焼き柄とか、リボン柄にしますか? 選ばせてあげますよ」
「んー、お尻にプリントされるのは嫌だなぁ」
「じゃあ、寝かせてください。おやすみなさい!」
「うん。……とか言いつつも、俺に抱きついてくるんだよなぁ。はー、可愛い」
「抱き枕的な扱いです、おやすみなさい」
悲しそうな声で「抱き枕的な扱いか」とささやいて、私のことを抱き締めてくれた。ああ、ほっとする。いいの、これでもう。ユーインも、お父さんもお母さんもいなくなっちゃったんだから。せめて、レナード殿下だけは守りたい。必要とされたい。目を閉じて、泣きじゃくれば、とんでもなく優しい声で約束してくれた。
「必要としてるよ、大丈夫。これからはずっと一緒だし、離れない。もしかすると、シェリーへのプレゼント的な意味合いも含まれてるのかもな。あと、俺に釘を刺してる? モリスは」
「釘を……」
「散々好き勝手してきたからなぁ。でも、大丈夫。俺も覚悟を決めたから」
「はい……。よく分からないけど、おやすみなさい」
「おやすみ、シェリー」
その日はぐっすり眠れた。何の夢も見ないかなと思っていたら、お父さんの夢を見た。お父さんは暗闇の中に立っていて、虚ろな顔をしていたけど、私が手を振っているのを見て、苦笑いしながらも手を振ってくれた。知ってるよ、お父さん。反対なんだよね? でも、これで良かったと思えるように頑張るから。これからは、レナード殿下を守るために生きていくから。




