7.価値観と感情のシャッフルで酔う
色々と混乱しているようで、レナード殿下が額を押さえ、溜め息を吐く。私が傷付いた指先をじっと見つめていたら、いつの間にか人の姿に変身したバーデンが、黒い革手袋をした手で握り締めてくる。
「気に入らないな」
「バーデン?」
「王子様を殺せば、済む話ではないらしい」
「そんなことをしたら、私がバーデンを殺すから」
殺気立ち、睨みつけてやれば、悪びれた様子もなく肩をすくめて、「冗談だ」と言い放つ。もう、悪趣味。バーデンは本気で言っているのか、冗談で言っているのか、区別がつかない。私の味方じゃないんだから気を付けないと。でも、指先の傷は綺麗に治っている。治してくれたんだ。意味もなく見下ろしていたら、レナード殿下が悲痛な表情を浮かべ、私の手を持ち上げた。傷が治った指先を見つめている。
「……すまない、シェリー。取り返しのつかないことを」
「望んだのは私ですから。目の前で殺されるレナード殿下を見ているより、こっちの方が断然いいです」
「俺は殺されないと思うけど?」
「じゃあ、なぜレナード殿下のお母様は殺されたんですか? 癒しの血を持っていたんでしょう?」
黙り込んだ。血さえあればいいと思う過激派もいるかもしれない。ありとあらゆる想定をして備えたい。だから、モリスさんもこの禁術をかけた。自分の命を使って。
「ノーマンさん、他に副作用ってありますか?」
「さあ。渡された手紙を読んでください」
「……」
「まっ、まあまあ、落ち着いて。ノーマン? シェリーは気が短いんだ。配慮してやってくれ」
「おおせのままに」
まるで私が問題児であるかのように、深い溜め息を吐いてみせた。むかつく!! レナード殿下がいなかったら、骨の一本でも折ってやったのに。レナード殿下のお気に入りだなんて。静かに睨みつけていれば、どことなくバーデンが嬉しそうに「殺すか? なぁ、殺すか?」と騒ぎ出す。その時、レナード殿下がぱんと手を叩いた。広間に乾いた音が響き渡る。
「静かに! バーデン、俺の知り合いに手を出さないでくれ。それ以外の人間はある程度好きにしてもいい」
「……そんなことを言ってもいいのか? 王子様」
「バーデンが誰彼かまわず、人を殺すような人外者には見えない。お前はそこまでバカじゃないだろ?」
「まぁな。人外者扱いが上手いことで」
「バーデンが普通の人外者なら、こんなこと言っても無駄だろうな。一人の人間だと思って接してる。その方が上手くいくだろう」
「確かに。お利口だな」
バーデンがふわっふわの毛並みを持った、黒い狼へと変身して、レナード殿下の足に体を擦りつけた。いいなぁ、ずるい。私がいくら言っても、ふわふわ毛皮の動物に変身してくれないのに。じっとりと睨みつけていれば、レナード殿下が苦笑し、バーデンの毛並みを撫でていった。
「シェリー? 落ち着いてくれ。俺の一番はシェリーだし、バーデンの一番もシェリーだよ」
「……好きな人がいるもの、バーデンには」
「好きな人? どこの女性だ?」
「おい、よせ。そんなんじゃねぇよ。説明しただろ? お前には」
「バーデンは首輪をつけられた飼い犬なんです。おまけに首輪にはベルがついていて、バーデンがどこで何をしているのか、向こうには筒抜けなんです」
「ふぅん。一体、どこの誰に飼われているんだ? バーデン」
レナード殿下が前かがみになって、バーデンの顎先をくすぐる。気持ち良かったみたいで、うっとりと黒い目を細めていた。羨ましい、むかつく。ねっとりした感情に胸が覆われる。せっかく禁術を受け入れたのに、これじゃ前と何も変わらない……。好きじゃないけど、一番になりたい。誰も敵わないような、強くて大切な存在になりたい。必要とされたい。
「教える義理はないな。でも、安心しろ。王室とは関わりのない人間で、お前がシェリーに何かしない限り、あいつも何かしないだろうよ」
「シェリーの……関係者か。どうも、バーデンはシェリーのことを守っているというより、」
「おっと、深入りするな。いいことは何もねぇぞ」
「忠告、どうもありがとう。まあ、俺とシェリーに何かしなければそれでいいさ」
レナード殿下がしゃがみ、黒い毛皮に覆われた首を掻く。バーデンがえらそうにふんぞり返って、「それでいいんだ、それで」と言った。……苛立ちが最高潮に達してしまいそう。静かに待っていたら、おそるおそる、レナード殿下が振り返った。私の顏を見て、ちょっと意外そうな表情を浮かべる。
「かなりイライラしてるのに、それが表に出ないんだな……。何となく、シェリーは考えていることが全部顔に出るタイプだと思ってた」
「えっ? イライラしてるんですか、これ。それと、ハウエルさんが表情豊かなのは殿下にだけかと」
「そうかな。バーデンともエナンドとも、楽しそうに話してるけど?」
「愉快、愉快。どんな美女も相手にしなかったレナード殿下が振り回されているとは」
「……モテているわけじゃないんだが。嫉妬されても困るな」
珍しく困ってるみたい? 私がぱっと笑顔になったのを見て、レナード殿下が静かに苦笑する。立ち上がって、私の両手を握り締めてきた。
「この場面で笑われるのはさすがにきついよ。行こうか、シェリー」
「はい。帰りましょうか」
「エナンドとカイになんて説明しよう……。ああ、塔の魔術は?」
「申し訳ございません、切れています。時間がかかるかと」
「同じものは? かけられるか」
「……それはさすがにちょっと。今まで通りというわけにはいきません。でも、ご安心ください」
ノーマンが眠たそうな顔をしながら、優雅に一礼してみせる。そっか、モリスさんが塔の魔術に手を加えていたから……。これからは、やすやすと侵入を許してしまう。レナード殿下が傷つけられちゃう。一等級国家魔術師が死ねば、すぐに国内外に知れ渡る。警備が手薄になったと知って、諸外国が狙いに来るかもしれない。
「すぐに一等級国家魔術師を補充して欲しいんですけど。王様はなんて言っているんですか?」
「……」
「まあ、望めないだろうな。あの人が事態を重く受け止めるはずがない。元々、ボランティアみたいなものだったし」
「ボランティア? 何ですか、それ」
「……モリスはろくに給料を貰ってなかったんだよ。魔術道具の開発などで、金は入ってきてたみたいだけど。ん~、当分は俺とシェリーとで何とかするしかないか。守ってくれるんだろ?」
「はいっ、もちろんです!!」
「わっ」
レナード殿下に飛びつけば、嬉しそうに笑い、「よしよし」と言いながら頭を撫でてくれた。嬉しい、必要とされた。私がいないとだめだって言ってくれた。必要として貰えた。役に立てる。絶対に役に立ってみせる! 抱きついたまま、胸元にぐりぐり頭を擦りつけていると、レナード殿下が優しく背中を擦ってくれた。
「シェリーは俺に、いや、人に必要とされたいんだろうな……。任務があった方が楽か?」
「はい! とっても。今まで守っていたモリスさんはいないし、これからは私を頼ってくれるんでしょう?」
体を離して見上げてみれば、蜂蜜色の瞳を瞠ったあと、悲しそうに微笑む。あ、言っちゃいけなかったんだ……。ショックと苦しみが襲いかかってきた。レナード殿下はこうやって、何かあるたびに色々思ってて疲れないのかな? 私はそこまで考えないからよく分からない。捨てちゃった方が楽なのに、感情なんて。
「……ああ、もちろん。出来れば頼りたくなかったけど。怪我をして欲しくないんだ。自分の命を最優先にするって、そう約束してくれるか? シェリー」
「自分の命を最優先にしていたら、何も出来ません。守れません!」
「いいんだ、それで。自分の身ぐらい、自分で守るから。さて、今後どうする? ノーマン。もし補充されたら、お前はどうなる?」
「さあ。ですが、お望みなら護衛として仕えますよ。交渉します、王妃様と」
「賢い選択だ。王妃様が陛下を説き伏せてくれたらいいが……。期待はしないでおこう。それでいいな?」
「もちろんです。師匠もそうお考えでした」
「モリスらしい。……勝手な真似を」
静かな怒りが伝わってくる。不思議。死んじゃって悲しいのに、怒ってもいる。心配になって見つめていたら、ふにゃっと笑い、頭を撫でてくれた。
「行こうか。シェリーも疲れただろ? 腹が減ったな」
「はい! レナード殿下、大丈夫ですか?」
「ありがとう、大丈夫だよ。可愛い」
自然に頬へ手を添え、おでこにキスしてきた。目を瞬かせていれば、笑みを深め、もう一度キスしてくれる。喜びが弾けた。レナード殿下の喜びと私の喜びが混ざって、倍になって、収拾がつかなくなる。いつもこんな気持ちでキスしてたんだ? 嬉しい。
ユーインに誕生日プレゼントを貰った時とはまた違う、甘い喜び。そわそわした感情の向こうで、嬉しさが爆発してる。違う、これはレナード殿下の感情。必死で何かを抑えていて、楽しくて嬉しくて、でも、しみじみしてる。酔っちゃいそう……。この感情をもう少しだけ味わっていたいような気もするけど、戻れなさそうで嫌だ。怖い。目をつむって、地団駄を踏んでいると、レナード殿下が笑った。
「可愛いなぁ、もう一回してみようかな?」
「……レナード殿下、イチャつくのはそこまでにしてください。あなたを守るための魔術をこれから先、何日もかけるんですよ? そんな気がなくなります」
「ああ、悪い。ごめんな? じゃあ、行こっか」
「は、はい……」
そういえば、会ったばかりの時もこんな風にそわそわしてたかも? いつの間にか消えてなくなったと思ったのに、復活してる。どうしよう? それとも、レナード殿下の感情? 本当に? 区別がつかない。このドキドキは本当に私のものじゃないのか、レナード殿下のものなのか。私が自分のものじゃないって思いたいだけ? 今まで色んなことを考えてきたけど、こうやって考えるのは苦手。未知数で嫌だ……。
手を繋いで、シャンデリアが光り輝く広間から退場する。モリスさんは死んじゃった。これから先、私がレナード殿下を守る。振り返ってみたら、後ろをついてきていた狼姿のバーデンが、尻尾をゆるりと振りつつ、首を傾げた。……バーデンは信用出来ない。でも、多分、私のことは殺さない。
(色々と考えないと。きっと、この禁術は利用出来る。他にもまだまだ、出来ることがいっぱいあると思う)
ねえ、モリスさん。私、レナード殿下と会わせてくれたあなたに感謝しているんです。だから、非人道的な禁術に手を染めたとしても、何も思わなかった。責める気にはなれなかった。でも、レナード殿下は怒ってる。ものすごく。ぎゅっと手を握り締めたら、隣を歩いていたレナード殿下が気遣わしげな表情で見てきた。
「ごめんなさい、レナード殿下。私が……止めたら良かったのに。違う、違う価値観が入ってきちゃって、頭が混乱してて」
「大丈夫か? 理解してくれるようになったのは嬉しいけど」
「ああ、ハウエルさんの体に負担がかかる禁術ですからね。しばらくの間、続くでしょう」
「……随分あっさりと言うんだな」
「縛ると決めたモリスさんには嫌悪感しか湧きません。ハウエル家の女性を愛するあなたにも」
「そういう目で見たことは一度もない。血は関係ない、贖罪だと思ってもいない!」
珍しく声を荒げた。意外。すぐに、胸の中で苦々しい感情が広がってゆく。後悔と恥、動揺。私は何とも思わないのに? 不思議に思っていたら、怒鳴られたノーマンが振り返りもせずに、すたすたと歩いていって、広間の扉に手をかける。
音もなく、扉が開いた。慌ただしい一日が終わろうとしている。そのまま退出するのかと思えば、最後に一度だけ振り返った。冬の濁った湖のような色合いを映した青い瞳が、シャンデリアの光を反射させている。あ、空っぽなんだ。目が死んじゃってるから、光を綺麗に反射させるんだ……。
「動揺するのが証拠です。レナード殿下、本当に彼女のことを想っているのなら解放した方がよろしいかと。首輪をつけて、飼うのではなく。それでは、失礼します」
「……ああ。でも、シェリーが選んだことだ。止めようがなかった」
「って、言い訳ですよね。チャンスはいくらでもあったのに」
「……」
「失礼、口が過ぎました。でも、嫌いではないですよ。国の犠牲者になった者同士、傷を舐め合うのもいいですよね。僕の傷を舐めてくれるような女性はいないので、羨ましい限りです。それでは」
扉を開けて、さっさと退出してしまった。ご丁寧に、扉をぱたんと閉める。目の前で閉まった扉を見て、レナード殿下が今日何度目かの溜め息を漏らした。
「分かってる。分かってるんだ、でも、どうしようもないことだろ? 俺がやったことも、好かれたいっていう気持ちも」




