6.禁術の説明と好き勝手に喋る三人
言葉が出てこない、頭が真っ白になった。貧血になった時のように、ぐわんと視界が揺れる。嘘だ、絶対に嘘だ、でも。……レナード殿下の戸惑いとショックが伝わってくる。これ、切り離せるようになったらいいんだけど。自分が違う人間に、ううん、レナード殿下の価値観が流れ込んできて、苦しくなる。
なんでいつもこんな風に考えてるの。どうして私が好きでやったことなのに、レナード殿下が自分自身を責めてるの。分からない。でも、分かる。シェリーが、私があまり物を知らなくて、人の言う通りになりやすいから、もう少し自分が気にかけてあげないといけなかったのに。犠牲にした、シェリーを。シェリーの人生を犠牲にした。モリスは一体、何を考えているのか。そんなことを平気でするようなやつだったのか────……。
(っうあ、違う、違う! 酔う、苦しい、違う!! 私はシェリーで、これはレナード殿下の感情だから……)
切り離さなくちゃ、切り離さなくちゃ。自分の黒髪を掴んでいると、誰かに肩を掴まれた。レナード殿下だった。涙が浮かんだ蜂蜜色の瞳を見て、自分がいかにしちゃいけないことをしたのかを思い知らされた。苦しかった。目が合うだけで分かる。
私は自分を犠牲にしちゃいけなかったんだ。レナード殿下にとっての幸せは、私が笑ってることで、血を採られてもいいから、家畜扱いされてもいいから、どこかに行けなくったって、王子として公務が果たせなくったって、塔で私とのんびり暮らせたらそれで幸せなんだって。少しは人の役に立っているから、この暮らしも悪いとは思わない。
ただ、虚しくはなるけど。いつか国王になると言い聞かされてきたから、自分でもそう言い聞かせてきたから、虚しいは虚しいけど、でも、良かった。シェリーが来てくれたから、もうこの暮らしで良かった。満足していたのに。自分の瞳から涙があふれて、流れ落ちる。私の肩を掴んで、じっと覗き込んでいたレナード殿下が嬉しそうに、でも、どこか悲しそうに微笑んだ。
「シェリー、ようやく俺の気持ちを分かってくれたか?」
「はい……。すみませんでした。でも、あまりにも悲しくて」
「何が?」
「血を採られて当然だって思ってるレナード殿下の姿が。私だって、私だって、やれば出来るんです! 殺すだけじゃない、きっと、レナード殿下のお役に立てるって。喜んで貰えるって、しあ、幸せに出来るんだって……」
「その気持ちだけで良かったのに。でも、ごめん。俺が悪い。今まで散々甘えて、愚痴ってきた俺が悪いな。……初めてだったんだ、弱音が吐けたのは」
レナード殿下が泣く私を、ぎゅっと優しく抱き締めてくれた。ああ、ほっとする。嬉しそう。なんでそんなに嬉しそうなんですかって聞こうと思ったけど、やめた。胸の奥が温かい、ほわほわする。そっか、いつもこんな気持ちで抱き締めてくれてたんだ……。目を閉じて味わっていると、間伸びした声で「えー」と、ノーマンが呟く。
「イチャついているところ、申し訳ありません。レナード殿下、ハウエルさん。禁術が本当に上手くいったのかどうか、確認させて欲しいんですけど」
「……イチャついてはいない! 確認って?」
恥ずかしそうな顔をして、べりっと私を引き剥がした。残念。ノーマンが余計なことを言わなかったら、抱き締めて貰えてたのに。じとーっと睨みつけていれば、カラス姿に変身したバーデンが優雅に、私の肩に降り立った。
「なぁ、邪魔だろ? こいつ。やっぱり殺すか」
「だめよ、バーデン。レナード殿下が嫌がるもの。一等級国家魔術師になったノーマンをはべらせたいみたいだから、我慢しないと。生かしておいてあげてね」
「言い方に悪意を感じるなぁ! シェリー? 別にはべらせたいわけじゃない。それに、知り合いが目の前で殺されるのはちょっと、」
「分かってます」
顔を見たくなくて、ぷーんとそっぽを向けば、レナード殿下が笑った。変なの、どうして嬉しそうなの? あとで問い詰めなきゃ。むくれながら、バーデンのしっとりとした羽毛を撫でていると、穴だらけの黒いローブを羽織ったノーマンが「さて」と呟き、腰に手を当てる。気付かなかった、けっこうぼろぼろだ。まだら模様の灰髪がところどころ焼け焦げているし、顔にも無数の傷がついている。人と顔を合わせる気がないのか、誰もいない横を見つめながら、話し出した。
「申し訳ないんですけど、傷付けて確認したいんです。レナード殿下の許可と、あー、言って貰えませんかね? ハウエルさんに」
「……分かった。でも、この禁術を把握しきれていない。説明して貰えるか? あとそれから、感情の共有についても」
「感情の共有については、副作用としか言いようがありません。なにせ、レナード殿下の怪我を肩代わりする禁術ですから。繋がったことによる弊害かと」
「弊害か。モリスはこれを予想していた?」
「ある程度は。どうなるか分からないと言ってましたね」
「そうか……」
モリスさんが亡くなったことを改めて理解したのか、深い喪失感と悲しみが胸の奥で湧き起こる。とっさにレナード殿下の袖を掴めば、ふっと笑い、「大丈夫だよ、ありがとう」と言う。あ、良かった。本当に役に立ててるんだ、私。嬉しそうだし、ほっとしてる……。こんな些細なことで喜んでくれるんだ、レナード殿下って不思議。
「怪我の肩代わりとは? 理解が追いつかない」
「三つ、あります。師匠が目指したのは三つです」
「三つ? 分かりやすく説明してくれ。どうも、ノーマンの説明はいまいち分からない。肝心なところが端折られている」
「申し訳ございません。人と話すのが苦手でして……まあ、頑張ってみますね。分かりにくくても何卒、ご容赦ください」
指を三本立てたまま、左右に振った。変なの、この人。私とレナード殿下の邪魔ばっかりするし、どこかに行って欲しい。睨みつけていると、意外そうな表情を浮かべ、私のことを無視した。レナード殿下に向き直る。
「師匠が目指したのは三つ。まず一つ目は、レナード殿下が暗殺されないようにする。二つ目は自分の意思で血が採れるようにすること。他者がいくら頑張っても、血を採れないようにすること。……これで合っていますかね? 分かりますかね?」
「分かった、ありがとう。続けてくれ」
「かしこまりました。三つ目はレナード殿下に、自殺の権利を与えること。これを目指していました」
「自殺の権利だって? どういう意味だ」
驚愕したレナード殿下を見て、すうっと、灰色混じりの青い瞳を細めた。レナード殿下を見つめてから、床に視線を落とす。言い辛いのか、こんなことを目指さなくても良かったのにと言いたいのか、よく分からない。曖昧な印象を持つ男だった。
「そのままの意味です、レナード殿下。あなたが強く、強く、心の底から死にたいと願えば一瞬で死ねる。何の苦しみもなく。ハウエルさんを巻き込むこともなく」
「一体、どうして……」
「気が付いておられるでしょう? もしも万が一、誘拐された時のためですよ。劣悪な環境で生きていかなくてもいいように。人生に絶望した時、楽に死ねるように。ああ、でも、安心してください。本当に強く願わないと発動しないので。十分以上ですね、時間は」
「……十分以上強く願い続ければ、死ねると?」
「その通りでございます。十分間、本当に死ぬかどうかよく考えてみてください。……でも、そんな時が来ないよう、願っております」
「ありがとう」
王子様らしく、辛そうな微笑みを浮かべながら言った。私、どうしたらいいんだろう。これから。間違ったことをしたのは分かった。でも、どうしよう? この禁術を解く術も、モリスさんを生き返らせる術も分からない。どうしたら……。ぐるぐる悩んでいると、レナード殿下が傍まで来て、優しく背中に手を添えてくれた。
「シェリー、確認したいそうだ。どうする? シェリーが俺の指先に傷をつけるか?」
「はい!」
「あ、申し訳ございません。それは無理です」
「えっ!?」
「無理だって? どうしてだ」
いきなり何を言い出すの!? この人。信じられない……。ショックを受けてレナード殿下にしがみつけば、肩の上に乗っているバーデンがふんと鼻を鳴らした。だから言ったのに、殺すべきだって、と言いたげでむかついた。
「はい。ハウエルさんも、レナード殿下に傷をつけられないようになっています。ただし、ハウエルさんの体から血は出ません」
「……つまり? シェリーがやけを起こして、俺を傷付けたとしても、自分の体から血は出ない。しかし、他者が俺を傷付けた場合、シェリーが血を流すということか」
「その通りです、レナード殿下。文字通り、ハウエルさんが殿下の身代わりなんですよ。唯一無二の、絶対的な味方。気まぐれで殺そうとしたって無理です。ようするに下僕ですね」
「下僕って! ノーマン、口が過ぎるぞ」
「申し訳ありません、レナード殿下。しかし、本当に本気でレナード殿下のために死ねると、敬愛していないと無理なんですよ。恋愛感情がなくて良かったですね。じゃないと、シェリーさんとモリスさんが同時に亡くなるところでした」
どういうこと? そこまで成功確率が低い禁術だったってこと? さすがの私も呆然としていたら、レナード殿下があんぐりと口を開ける。しれっと、涼しい顔でノーマンが「あ、間違えました。すみません、ハウエルさんでした」と訂正する。この人、空気が読めないんだ……。
「恋愛感情がないって、えっ? 説明してくれ、ちゃんと」
「ですから、言った通りです。心から敬愛していないと無理なんですよ。この人のために死ねる! と思って貰わないと。恋愛感情があると上手くいかないので、この禁術は」
「だから、モリスさんは私にレナード殿下のことが好きか? って聞いてきたんですね~。なるほど!」
「……じゃあ、俺は、シェリーに好かれてないって、禁術が証明したも同然か……」
「えっ? どうして落ち込むんですか。前から言ってるでしょ? 好きじゃないって」
「……」
「追い打ちをかけないであげてください。デリカシーがありませんよ、ハウエルさん」
がっくりと、レナード殿下が膝から崩れ落ちた。すごくショックを受けてる。伝わってくる。一体どうして? 悲しくて苦しい。モリスさんが死んじゃった時とはまた違う、苦しさだった。胸の奥がぎゅーっと締め付けられる。せつない。自分だけが、俺だけが好きだったのかって……。床に膝を突いて、レナード殿下の背中をぽんぽんと叩いてみる。バーデンが黒いトカゲ姿に変身して、「あーあ」とぼやいた。
「ほっ、ほら、今後どうなるか分からないので、頑張ってくださいね? レナード殿下が頑張ってくれたら、好きになるかもしれませんよ!」
「うん。もういい、ありがとう。立ち直るから、自力で立ち直るから放っておいてくれ……」
「そんな! 放っておけません」
「レナード殿下が今まで、数多くの美女を振ってきたせいでしょうか。ある意味天罰ですね」
「一人になりたい……。モリス、助けてくれ。ああ、いないんだった。ここにいたら、二人を制御してくれただろうになぁ」
軽く笑ってから、立ち上がる。心配して見上げていると、複雑そうな表情で眺めてきた。何が悪かったの? 無理やり好きになって、好きって言っても喜んでくれそうにないのに。
「私がレナード殿下のことを好きじゃないからこそ、禁術が成功したんです。だから、」
「ああ、やめてくれ。現実を直視したいタイプじゃないんだ」
「分かりました、やめておきます」
「さてと。……モリスが目の前にいたら、自分でも何を言うかよく分からないな。シェリーならどうする? モリスが今ここにいたら」
「そうですね。まずはどうして、心の声が聞こえる副作用のことを言ってくれなかったんですかって叫びながら、肩をぐらんぐらん揺らします!!」
「シェリーはそこかぁ。俺はモリスをぶん殴るのか、それとも、思いっきり抱き締めてやるのか……。ああ、分からないな。どっちもしたい気分だよ、今」
ぞっとするほど、静かな怒りが伝わってくる。複雑。悲しくもあるんだけど、なんて勝手な真似をしたんだって怒ってもいる。レナード殿下の感情は複雑で眩しい。こんな風に感情が揺さぶられていたら、疲れないのかな? 私の心が常に凪いでいる冬の海だとしたら、レナード殿下の心は、遠くの方で雷鳴が鳴り響いている花畑と丘。穏やかなようでいて、そうじゃない。にっこりと悲しげに微笑んでいるせいか、ノーマンがあっさりと騙されていた。
「あまり気落ちなさらないでください、レナード殿下。余命いくばくもない状態だったんですから」
「……なんだって? 余命?」
「では、確かめてみましょうか。今から、僕がレナード殿下の指先をナイフで傷付けてみるので、」
「ちょっと待て。説明しろ、ノーマン!」
懐から小さなナイフを取り出したノーマンが不思議そうな顔をして、首を傾げる。確かにモリスさんは常に顔色が悪かった。寝不足なだけかなと思ってたんだけど。お年寄りだしね。肩にいるバーデンがぽんと、白い羽冠を持った鳥へと変身する。珍しい。でも、胴体は真っ黒だった。怯えたように羽根を震わせる。
「あいつ……!! それもこみで喧嘩を売ってきやがったのか! あーあ、許せない。勝ち逃げしやがって! いつかぎゃふんと言わせてやろうと思ってたんだけどなぁ」
「ノーマンさんで試してみたら? バーデン」
「おっと、やめてください。初対面で悪意を向けられる理由がよく分からない。レナード殿下? 指先をこっちにください」
「全員、自由に喋るな! いいからとにかく、説明してくれ。余命って? どういうことだ?」
「末期がんだったんですよ、モリスさんは。あ、病名はお伝え出来ませんけど。レナード殿下がその病名を耳にした時、心を痛めることがないようにって」
「……モリス」
レナード殿下の胸の奥で、ふわっと蠟燭の火のような嬉しさが灯る。胸が締め付けられるんだけど、嬉しい。ずっと味わっていたくなる感情だった。でも、毎日こんな感情になったら疲れちゃう。くらくらしてきた。
レナード殿下は人の言葉で、簡単に揺さぶられる。美しい青と赤、灰色がかったラベンダーと黄色、夕暮れ時の空のようなピンク色、強烈なフューシャピンクとモスグリーンの絹糸が織り込まれたラグを、ずーっとずっと見続けているみたい。美しくて、不規則で不安定。ずっと眺めていたいものじゃないんだけど、嫌いにはなれない。微妙で、曖昧な感情の変化。
「ですから、気に病むことはないんですよ。では、指先を」
「待て、俺の血で治せたんじゃないか? そうだ、俺の血で治せた。……気付かなかったから、俺が、モリスを見殺しにしたも同然じゃないのか?」
「ああ、レナード殿下はお優しいですね? これ以上は申せません。手紙を預かっていますから、それを読んでみてください」
「手紙を……?」
「あ、ハウエルさんにもありますよ。どうぞ」
「ありがとうございます……」
手紙? 手紙を貰ったのって初めてかも。あ、違った。あのお姫様……。貴族のお姫様から貰ったことがある。なんて名前か思い出せない。まあ、いっか。無難な白い封筒じゃなかった。掠れた青色の封筒。白い紙の上で、青いペンキがついたブラシを走らせたみたいな色。
「綺麗……」
「俺の好きな色だな。モリスは細かい」
「……ダークブラウンがお好きなんですか?」
「うん。そういえば、シェリーは俺の好みを知ろうとしないな。はあ」
「まあまあ。いつか好きになる時が来るかもしれませんよ。頑張ってください!」
「……」
「きりがないから、指先を切りますねー」
「えっ? いた!?」
ノーマンがスパっと、有無を言わさずにレナード殿下の指先を切った。同時に、指先が痛みに襲われる。殺気立つ私を見て、ノーマンが両手を上げ、「まあまあ」と言った。許せない、いきなり切るなんて……!! 力いっぱい睨みつけてから、自分の指先を見てみると、赤い線が入っていた。血が滲み出てくる。
「……成功しているみたいですね。良かった」
「いや、良くはないだろう。あーあ、モリスもこんな勝手に、相談もなしに」
「だって、相談したら反対するでしょう? モリスさんはきっと正しいですよ」
「シェリー。これから先、ずっと俺と一緒かもしれないぞ?」
「それで構いません。気に食わない女性が近付いてきたら殺します。禁術を受け入れた身ですし、ないがしろにはされないはず!」
「ああ、そういう……」
「これで、好き勝手できる権利を手に入れたも同然ですね」
「これ以上好き勝手に生きるつもりなのか。すごいな」




