3.禁術と最後の願い
眠った姿を見て、強烈な罪悪感に襲われた。私の美しい王子様。なんでこんな気持ちになるのかよく分からない。死体に見えるから? ソファーに横たわったレナード殿下が、すうすうと規則正しい寝息を立てている。力が入らなくなった手を握り締め、静かに口づけていると、作業していたモリスさんが笑った。ここはいつもの執務室で、炎が揺れる暖炉では、とぐろを巻いたドラゴンがあくびをしている。
「傷一つつけていないだろうね? シェリー」
「もちろんです。術の行使はいつですか?」
「ああ、すまない。もう少しだけ待ってくれ。やることがあるから」
「はい……。可哀想なレナード殿下、あんな風に塔へ押し込められて、血を奪い取られるだなんて」
「……意外だな。シェリーがそういうことを口にするとは思わなかったよ」
「私ね、モリスさん。私のことを大事にしてくれる人のことを大事にするって決めてるんです。ユーインなんか大嫌い、せっかく育ててあげたのにな……」
でも、いいの。今はレナード殿下がいるから。私の大事な王子様。あなたのために死ぬ、あなたの代わりになって死ぬ。盾となって、剣となって、あなたのことを守るために生きるのはどんなに素敵なことか────……。ぎゅっと手を握り締めれば、ほんの少しだけまぶたを動かした。
「ああ、そうだ。ねえ、モリスさん? 私に命じてください。レナード殿下を守って死ねと。ユーインのことが守れたのは、お母さんによろしくねと言われたからなんです。死ぬ間際に頼んできたんです」
「死ぬ間際にねえ」
「そうです。だから、モリスさんも命じてください。私、どんなことがあってもレナード殿下のためなら頑張れます。耐えられます。たとえ、正気を失うほどの拷問にかけられたって我慢できます。あの一声で正気に戻れる」
「……レナード殿下が今の台詞を聞いたら悲しむだろう、さぞかし」
「どうしてですか?」
見てみると、低く笑った。こちらに背中を向けて、ひたすら何かを書いている。多分そう。見えないけど、さらさらさらって、鉛筆が紙に文字を刻む音が聞こえてくる。私が静かに言葉を待っていれば、背中を震わせ、渇いた咳をした。
「っぐ、ふ、ぐ……悪いね、朝から喉が乾燥していて……。そりゃあ、レナード殿下は君のことを大事にしてるからだよ。好きな女の子には幸せでいて欲しいもんさ」
「好きな女の子」
本当に? 耳たぶが熱くなるような気がした。当の本人は何も知らず、すやすやと眠っている。他の人の口から好きな女の子だって聞かされたら、言いようのない感情が湧き上がってくる。……レナード殿下は今まで、ことごとく私の価値観や考えを否定してきた。
じゃあ、間違ってるの? この気持ちも。不安な時に、生きる意味を失ってしまった時に、新しく生きる意味を見つけて、生きていくのは間違ってるの? 分からない。とっさに腕を伸ばして、レナード殿下を揺り動かす。
「ねえ! 起きてください、レナード殿下! 私、何か間違ってますか!?」
「わっ、わあ!? ちょっと待ってくれ、シェリー! 起こさないで、そのままにしてくれ!!」
「冗談です、今のは。解術しない限り、起きることなんてありませんよ」
「……いい性格をしてるね。あーあ、僕の寿命をあまり縮めないでくれ。さて、もうそろそろ行こうか。別室で禁術をかける予定なんだ」
「別室で? ロダンさんに邪魔されない場所ですか?」
「もちろん。誰にも邪魔されない場所だよ、この日のために用意した」
モリスさんが穏やかに笑いながら、近付いてきた。部屋の外に出るのかなと思っていたら、ソファーの前で足を止め、ぐっすり眠っているレナード殿下の顏を覗き込む。見たとたん、くしゃっと顏を崩して、嬉しそうに笑う。深いグリーンの瞳が細められていた。可愛い子どもを見つめるような眼差し。呆気に取られていると、腕を伸ばして、額にかかっている黒髪を払いのけた。
「……大きくなったなぁ、レナード殿下」
「大きく……。会った時はもうこのサイズだったので不思議です。どんな子どもでしたか?」
「どんな子ども。うーん、途中までは、普通にやんちゃで可愛いらしい男の子だったよ。あの臆病な国王の子どもとは思えないほど、利発で誇り高く、ああ、王妃様も僕も、この子は王になるために生まれてきたんだなって、しょっちゅう語り合ったもんだ」
「……王位、違う人が継ぐんですよね?」
「うん。見ていられなかったな、あの時の取り乱しようは。今まで自分を支えてきたアイデンティティが、急に奪われてしまったんだから……。すまない、シェリー。多少おかしな行動をしても、許してやってくれ。否定される中で生きている」
「否定?」
レナード殿下が? 誰かに、それとも誰かを? 混乱しちゃった。戸惑って見上げれば、モリスさんがくすりと笑う。私のことも、小さな子どもを見るような眼差しで見つめてくる人だった。
「そう、日常的に否定され続けている。お前はこの国の王子じゃない、血さえあればいいとね。今では随分ましになったが、当時は酷かったもんだ。どこの馬の骨か分からない女が生んだ子どもなんてと、これみよがしに言うクソ女が多かったもんだ」
「クソ女……モリスさんって、意外と口が悪いんですね? それとも、王妃様とレナード殿下が大切なんですか?」
何気なく聞いただけなのに、静かにグリーンの瞳を瞠った。早く、早くレナード殿下に禁術をかけて欲しい。でも、嫌な予感がする。どうしよう? バーデンがやけに静かで不安。きっと、止めに入るに違いなくて……。ぎゅっと胸元を押さえたのと同時に、口を開いた。
「そうだね、大切だ。……もしかしたら、家族より大切な存在かもしれない」
「じゃあ、亡くなった時、さぞかし苦しかったでしょうね」
「ああ、うん、苦しいなんてものじゃないな。叫んだよ」
昨夜、足をつったんだよと言ってるみたいな調子と笑顔。でも、深い苦悩が見え隠れしていた。じっと真剣に見上げていたら、「さて」と呟き、目頭を揉み込む。
「……行こうか。時間がない」
「はい。どれぐらいで終わりますか?」
「すぐだよ、一瞬で終わるから」
モリスさんが優しく、慎重にレナード殿下を抱き上げた。泣きそうになった、レナード殿下が今にも死んでしまいそうで。慌てて駈け寄って、白い頬を撫でる。顔色が悪い。私が強引に寝かしつけたから?
「レナード殿下。ねえ、心配です。モリスさん……私に、私に抱き上げさせてください! お願いします」
「うーん、重たいんだけどなぁ。レディに重たいものを持たせたくないな」
「大丈夫です! 魔術でちょっとだけ補強しますから。ねえ、お願いします」
「……シェリー、レナード殿下のことが好きか? この前は分からないと言っていたが」
「好き? いいえ、ただ、守るべき存在だとは思っています。初めて肯定してくれた人なんです。あ、初めてじゃなかった。お父さんが先に肯定してくれたんです」
「そうか。でも、レナード殿下は僕が運ぶよ。大丈夫、大丈夫」
「そんなぁ……。ねえ、だめですか? ちょっとぐらい、いいでしょう? ねっ? ねっ?」
駄々をこねたらどうにかなると思ったけど、ならなかった。悔しい! 穏やかな笑顔で、私の手からレナード殿下を遠ざける。むくれながらついていくと、壁の前に立った。モリスさんが黒い革靴の先で、こつんと壁を叩けば、急に消えて、アーチ状の穴が生まれた。その向こうには部屋が見える。薄暗くてよく見えない部屋が。
「わあ、すごい! そっか、こういう風に隠し部屋を作ったらいいんですね……」
「あの塔には作らないように。ペナルティが課される」
「ペナルティ」
「両腕が邪魔になったら、試してみるといい。さて、行くよ。入って入って」
「あ、はい」
ぼんやり突っ立っていたら、促された。おそるおそる足を踏み入れてみると、白いタイルが目に飛び込んできた。綺麗。タイルの真ん中に、金色のダイヤマークが浮かんでいる。トランプの柄みたい。虹色に光っていて目に眩しい。さらに進んでいくと、白い光に包まれた。反射的に見上げてみれば、荘厳な天井に、クリスタルのシャンデリアが吊り下がっている。
まるで大聖堂みたい。繊細に煌めく光は、ほんのり青みがかっていた。ドーム型の天井と、針を一本落とせば、音が反響しそうなほどの広さ。部屋というよりも、まるで舞踏会をするための空間だった。モリスさんが興奮して、あちこちを見て回っている私を気にせず、中央まで進んでゆく。残念ながら、何も無かった。家具も置いてない、窓も絵もない。ただ、筋が入った白い柱が立ち並んでいる。声を張り上げれば、反響した。
「ねえ! モリスさん!? これ……全部、禁術をかけるために作った部屋なんですかー?」
「ああ、そうだよ。こっちにおいで!」
「はーいっ!」
全力で駆け出してみたら、すごく楽しかった。息を荒げている私を見て、モリスさんが苦笑する。レナード殿下は力なく、中央の床で横たわっていた。すぐ真上にはシャンデリアが煌めいている。よくよく見てみると、レナード殿下の体に接している床は黒かった。その周りには繊細な、血管のように見える枝葉と人間の手、女性のシルエットと男性のシルエット、王冠と羊、複雑な幾何学模様とワインの壺に見える絵が描かれている。サークル状になっていて、どの絵も黒い塗料で描かれていた。
おそろしく繊細で複雑。少し離れたところで見ると、ごちゃごちゃした黒い模様に見えるほど。あっ、そうだ。黒いミミズが大量に集まってるようにも見える、これ。まじまじ眺めていると、背筋がぞっとした。禁術だから当たり前なんだけど、嫌な予感しかしない。思わず後退って、二の腕を擦ってしまう。モリスさんはいつものようにただ、穏やかに微笑みかけてきた。
「……ね、ねえ、あとはどうするんですか? これ。私、レナード殿下を見るのが怖くて。このまま、このまま、寝かせていたら死んじゃうんじゃないかって、思っていて」
「まさか。僕がレナード殿下を殺すとでも?」
「いいえ。でも、怖いんです。早くしましょうよ、解放してあげたい……」
「一つだけ聞いておく、シェリー」
「はい」
モリスさんが真面目な顔をして、黒いローブに手を沈め、大きなナイフを取り出した。シンプルな鞘に収められたナイフ。まるで、遺跡から出てきたみたい……。新しくて、綺麗なものに見えるのに、どうしてそう思うのか分からない。すぐさま、足元の影からバーデンが飛び出してきた。黒いマントが波打っている。
「っとうとう本性を現わしたな! それともあれか? まさか、禁術にはシェリーの体と命が必要だとでも!? ふざけてやがる!」
「落ち着いてくれ。選ぶのは君じゃなくてシェリーだ。君じゃなくて」
「ぐ、いや、帰ろうぜ、シェリー! 王子様を連れて」
「どこへ? 言ったよね、私。バーデン、私の命が人質だって」
「シェリー! 落ち着いてよく考えてもみろよ……。出会ってまだ半年も経っていない男のために命を捧げるのか? どうせこいつはすぐに裏切る、他に女を作るだろうよ!」
「そうなったら、レナード殿下も女性も殺すからいいの」
「おいおい、やめてくれよ……!! こうなったら、力づくで止めるしかないか」
バーデンが私に向かって、黒い手袋をはめた両手を伸ばした瞬間、赤い瞳を限界まで見開いた。数秒経ってから、床に崩れ落ちる。何が起きたのかよく分からなかった。意外にも、自分の喉から悲鳴らしき声が飛び出てきた。
「バーデン!!」
「悪いな、それを許すつもりはないんだ。ごめんよ、バーデン、シェリー」
「あ、あぁ……」
頼りない声しか出てこない。無慈悲な表情を浮かべたまま、モリスさんが手を振り下ろした。どこからともなく、空中に太い釘が現れて、浮かび上がる。真っ黒だった。それにかなり大きい。樹齢数百年の木と、さして変わらない大きさと太さ。
モリスさんがもう一度、手を振り下ろした。釘が、床に横たわって動けないままでいるバーデンにどんっと、突き刺さった。低い、くぐもった悲鳴が聞こえてくる。脳裏に誰かの悲鳴が蘇る。思わず頭を掻きむしっちゃった。
「うわっ、うわああああ……!! しっ、死んでませんよね!? モリスさん!?」
「死にはしない。でも、眠ってて貰う」
「眠って……? バーデンは強いのに?」
「でも、精神的に弱い。人間寄りの考え方をしているから、これが効くと思ったんだが。正解だったな」
「これが? 効いて……」
「幻覚を見せている。申し訳ないけど、眠ってて貰うよ。バーデン。邪魔されたくないんだ」
「クソが、絶対に、絶対に殺してやる……!!」
「楽しみにしてるよ、おやすみ」
床に這いつくばりながらも、悪態をついた。良かった、元気みたい。私が「も~、驚かせないでよ!」と言えば、ふんって鼻を鳴らした。びっくりさせないで欲しい! 黒い釘の下にいたバーデンが、ざっと黒い砂になって消える。釘もさらさらと、黒い砂になって崩れ落ちた。すごい、神秘的な光景。でも、どこか物悲しい。
「……悪かったな、シェリー。乱暴なことをしてしまって」
「いえ、でも、あの、一ついいですか?」
「どうした?」
「今ので動揺しちゃったから、そのう、魔術が解けてしまったみたいです……」
「ああ。でも、ちょうどいいか。起こそうかどうしようか、迷っていたけど」
レナード殿下が低くうめいて、床に体を起こす。ああ、良かった。生きてる。当たり前なんだけど、でも、怖くてしょうがなくて……。普段はベッドで眠ってるから怖くないのかも。床の上で眠っているレナード殿下は、美しい死体に見えるから嫌だ。駈け寄って跪けば、レナード殿下が頭を押さえた。
「ここは? シェリー、無事か? ロダンは?」
「大丈夫ですよ、ここへは来ませんから」
「お久しぶりです、レナード殿下」
「モリス? ……ああ、こうして顔を合わせるのは久しぶりだな。お前の仕業か、これは」
「はい、そうです。申し訳ありません。レナード殿下」
にっこりと穏やかな微笑みを浮かべるモリスさんを見て、レナード殿下が苦虫を噛み潰したような顏になる。広間は相変わらず静かで、誰もいなかった。ふと気になって後ろを振り返ってみると、出口がなかった。四方八方、壁に囲まれている。レナード殿下が身じろぎをして、モリスさんを睨みつけた。
「それで? 何のつもりだ」
「……謝らなくてはなりません。王妃様を守りきれずに死なせてしまったこと、幼いあなたの心を守れなかったこと。いつかあなたがこの国の王様になるんですからと、言い続けて我慢させてしまったこと。王太子の座を奪われて、泣くあなたを見て、背中を擦るしかなかったこと。ああ、数え上げればきりがありませんね。僕は何度も何度も、失敗し続けた。重要な分岐点で」
「モリス……。急にどうした? 今さらだろう」
「今さらと、本当にそう思われますか? 傷は深い、まだ」
レナード殿下がさっきよりも苦々しい表情になった。苦しんでいるように見える。心配になって、そっと手を握り締めれば、驚いたように蜂蜜色の瞳を瞠ったのち、ふんわりと微笑んだ。あ、良かった……。
「ありがとう、シェリー。今はいいんだ。むしろ、窮屈な公務に縛られなくてせいせいしてる。このままずっと一生、血を提供し続けて、シェリーのために目玉焼きを焼き続ける。それでいいんだ」
「たまにはオムレツも作ってくださいね、約束ですよ!」
「うん、もちろん。いくらでも」
「……まさか、嘘でしょう。僕を恨んでいるはず」
「モリス? どうした? それに顔色が悪い。眠れているか? ちゃんと」
今度はモリスさんが顔を歪める番だった。泣き出しそうな顏になる。レナード殿下が立ち上がって、モリスさんの下へ行った。ああ、いいなぁ。私も心配されたい。心配してたのに、レナード殿下のことを。胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「どうした? 変だぞ、この間から。急にお茶しようって誘ってきたり……そうだ、シェリーと一体何を話し込んでいた? この空間は? 話してくれ、モリス! お前はいつも隠そうとする、何も教えてくれない!」
「落ち着いてください、レナード殿下。ようやく、ようやく王妃様の願いを叶えることが出来てほっとしています」
「……母上の願い?」
二人だけの内緒話が始まりそうな予感がしたから、慌てて傍へ行く。レナード殿下がモリスさんの肩を掴んだまま、硬直していた。いつものように、穏やかな深い声で語り出す。
「そうです。若気の至り……いいや、ただの言い訳にしかすぎない。やめておきます。僕は許されない失敗をした。あなたが今、塔に軟禁されているのも、母君が亡くなったのも全部僕のせいです」
「そんなことはない! 一度も、一度もそんなことは思ったことがない……!! モリスは悩んでたみたいだけど俺は、」
「ああ、お優しい。分かっています、これからすることも失敗だって。もしかしたら、人生最大の失敗かもしれません。いいや、あやまちか。あやまちです」
「あやまち? おい、モリス……」
「母君の願いはレナード殿下を自由にして、幸せにすること。自分が歩んできた道を歩ませないようにすること」
「母上が? なあ、教えてくれよ。それに俺は幸せだ。モリス、たまによく分からなくなる。何を考えているのか、お前が。俺にとっては……父親同然の存在なのに」
モリスさんの深いグリーンの瞳が潤み、一旦きつく閉じられる。歯を食い縛っていた。泣かないように必死で抑えていた。
「……申し訳ありません。僕も、僕もそう思っています。息子だと。子どもたちの中で唯一、父親である自分を必要としてくれる存在だと」
「なら、教えてくれ。どうした? 最近のお前は変だ。もっと早くにこうして、問い詰めるべきだった!」
「どうか後悔なさらないでください、レナード殿下。それと、これから先、何を知っても覚えていてください。幸せになる努力をすべきだと。最期の最期まで、母君が痛いほどに願っていたのは、あなたの幸せだけだと」
「モリス、そうやって置いていくのか? いつもいつも……壁を作っている。大切な存在だと言いながらも、俺のことを遠ざける! 本心を決して言わない!!」
レナード殿下が爆発して、胸ぐらを掴んだ。苦しそうな声を聞いて、息が出来なくなった。モリスさんが一筋の涙を流しながら、レナード殿下のことを抱き締めた。レナード殿下も少しだけ泣いて、抱き締め返す。いいなぁ、私も参加したい。でも、モリスさんに抱きつくのはちょっと嫌だな……。
「もう苦しむのは終わりです。申し訳ありません、レナード殿下。あなたが、息子のような存在のあなたが、癒しの血がなければ、モリスも俺のことなんて気にかけなかっただろうと、そう言った時のことがトラウマです。今でも、胸に深く突き刺さっている。あの時の言葉が」
「……悪かった。でも、今でもそう思ってる。分かってるが、分かってはいるが、仕事だろう? どうせ。お前は帰れば、家に妻と子どもがいる。別だ。俺の家族じゃない。どんなに家族だと思いたくても、そうじゃない。メイドにそう言われたことがある」
「もっと早くに話し合うべきでしたね。息子のように思っていると、こんこんと語ってやれば良かった。さて、シェリー?」
いつもと同じ調子で私のことを呼んだ。近寄れば、さっき出していたナイフを取り出す。そのまま、鞘からナイフを抜き取って、私の胸を突き刺した。どっと強く。今度はレナード殿下が叫ぶ番だった。
「シェリー!? 嘘だろ、違うはずだ!!」
「はい、違います。死にませんよ、大丈夫です」
「シェリー、シェリー!? 違う、違う、絶対に違うはずだ……!! モリスがそんなことをするはずがない、シェリー!」
痛みはない。でも、急激に意識が遠のいていった。血が大量に流れ出ている。急所は外れている。いや、外されている? ふと、シャンデリアの青い煌めきが目に刺さった。ずきんと痛む。考えて、よく。あの禁術は何のためにある? レナード殿下を生かすため。私が身代わりになるため────……。
レナード殿下が私を抱きかかえ、泣き叫んでいた。ああ、良かった。あなたは私が死ぬ時、泣いてくれる。それが死ぬ間際じゃない、今、分かって良かった。視界が暗くなる中、手を伸ばせば、涙で濡れている頬に触れた。
「レナード殿下、大丈夫です。自由になれますから……」
「自由に? モリス!!」
「眠っていてください、レナード殿下。そして、さようなら」
モリスさんの声が聞こえてきた。何の感情もこもっていない声。そうだ、あのことが気になる。今さらなんだけど。
「ねえ、モリスさん。さっき、なん、て言おうとしてました……? 聞こうと、」
「ああ。レナード殿下のために、本当に死ねるかと、そう聞こうと思っていたんだ。すまないね。止められるだろうから、急に刺してしまって」
「なる、ほど……」
ゆっくりとレナード殿下が崩れ落ちた。強烈に眠いだろうに、私を潰さないよう、何とか体勢を変えて寝転がる。即効性がない魔術なのか、まだ起きていて、私のことを抱き寄せた。耳元で「死なないよな? シェリー」と、掠れた声でささやく。最後に見えたのは、悲しそうなモリスさんの笑顔だった。
「おめでとう、二人とも。結婚出来て良かった。そう言いたかった。まあ、二人が結婚するとは限らないか。ははっ、でも、言っておくよ。おめでとう。これから先、どんな選択をしても。何が起きても二人が幸せでいますように。そして、この禁術が間違いではありませんように」




