35.非人道的な禁術
「さて、それじゃあ本題に入ろうか」
「……はい」
中身がモリスさんの白い小鳥ちゃんが、カウチソファーの背もたれに止まっていた。触りたくてうずうずする。きっとモリスさんのことだから、ふわふわ、もふもふの毛にしてると思う、多分だけど。バーデンは何度言っても可愛い子犬ちゃんや子猫ちゃん、美しい鹿に変身してくれないからせめて、モリスさんの小鳥ちゃんをふわふわして癒されたいな……。
私が座ったまま、わきわき手を動かしていると、困惑して首を傾げた。でも、これ、モリスさんが首を傾げてるのよね……。なんだかいたたまれない気持ちになった。羽根に頭を突っ込んで、毛づくろいしたあと、こっちを見てくる。黒くてつぶらな瞳。
「……一口に禁術とは言っても、様々だ。人格を変えるもの、記憶を改悪するもの、行動を制限するもの。僕はその中でも、最難関と呼ばれている禁術に挑もうと思ってる」
「最難関……。神の領域と呼ばれるものですか?」
「いいや、そこまで干渉するつもりはないさ。それに全員、天罰にあっている。ああいうことをするのはよほどのバカか、頭がイカれている連中だけだろうね」
「それは確かにそうですが……。じゃあ、何ですか? はっきり言ってください」
「そうだね、はっきり言おう。レナード殿下の体になって欲しい」
「……はい?」
頭が追いつかない。ここまで変わったことを言われたのは初めて……。呆然としている私を見て、モリスさんが白い羽毛を膨らませながら笑った。
「シェリーのそんな顔を見るのは初めてだなぁ! 率直に言い過ぎたか。でも、その通りなんだよ。分かるかな?」
「分かりません……。体? 何ですか、それって」
「正確に言えば、身代わりになって欲しいんだ。レナード殿下が怪我したら、君が怪我をする。レナード殿下の代わりに、血を流して欲しいんだ」
「血を……」
二の腕をぎゅっと掴んだ私を見て、思案げな顏になる。黒いつぶらな瞳とくちばししかついていないのに、表情がよく分かった。窓からは、静かな陽光が降り注いでいる。
「そう、出来るか? 絶対に解けやしない。禁術だからな。レナード殿下の血を狙う輩が来たとしても、絶対に手に入らない。流れるのはシェリーの血だけ」
「採血とかは……」
「いい質問だ。レナード殿下が血を採りたいと思って、自分で自分の体を傷付けた時のみ、血を採れるようにしておく」
「……そんな繊細な調整が出来るんですか」
「出来る、僕なら」
ちょっとやそっとじゃ生み出せない、おそろしく繊細で複雑な禁術。この人、今まで計画を練っていたんだ。いつか誰かを、レナード殿下の身代わりにするため、研究していた……。予想以上ね、これは。バーデンが騒ぎたてなきゃいいんだけど。ちらりと、足元の影に目を落としてみたけど、静まり返っていた。いないみたい? 聞いてると思ったんだけどな……。視線を白い小鳥に戻せば、黒い瞳で見つめ返してきた。緊張しているように見える。
「じゃあ、いくつか聞きたいことがあります。いいですか?」
「もちろん。僕も朝ご飯が食べたいから、手短に頼むよ」
「はい、ふふ。……レナード殿下が死ねば、私はどうなりますか?」
「未知数としか言いようがない。でも、実験しておく。動物で」
「分かりました、よろしくお願いします。それと、レナード殿下が致命傷を負った場合、私はどうなりますか?」
「死ぬ。出来るかどうか分からないが、もしも死体が残せた場合、君は死んでいてもダメージを負う。つまりだ、君の死体さえあれば、レナード殿下は怪我をしない」
遠慮なく、淡々と口にする。朝ご飯を食べる前に聞く話としては、刺激が強すぎるような気がするんだけど。
「非人道的な禁術ですね、モリスさん。それと、レナード殿下が病気になった場合は? 私が身代わりになるんでしょうか」
「その通り。風邪でもガンでも、代わりになって貰う」
息を呑み込んでしまった。どんな禁術なんだろう、それって。聞いたことがない……。でも、実現すれば、ぐっと安全性が高まる。誰もレナード殿下のことを傷付けられない。興奮して、心拍数が上がっていった。そうとは知らず、モリスさんが続ける。
「でも、安心して欲しい。もしも病気になれば、レナード殿下の血を飲んで治せばいい。レナード殿下は自分の血で病気を治せないから、そこだけが心配でね」
「治らないんですか? 知りませんでした」
「ああ、治らない。でも、他に癒しの血を持った人間がいれば治る。……前の、王妃様の血がまだ残っているから、たとえ重たい病気にかかったとしても大丈夫なんだが」
「そうなんですね。死んでいても効力はある……」
「そうだ。乱獲される原因になった。生きていても死んでいても、効力は変わらないからな」
「乱獲。動物扱いですか」
「数代前までは、確かにそうだった」
この国の薄暗い歴史に踏み込む気はないから、聞かないでおこう。私がうっすらと微笑みを浮かべれば、白い羽毛を震わせた。
「……質問はそれで以上かな? シェリー」
「はい。お受けします」
「やけにあっさりと請け負ったな。大丈夫か?」
「私が断れば、代わりの人を見つけ出すんでしょう? レナード殿下のために死ぬのは、この私です。もう、生きている意味なんてないから。ユーインも大きくなっちゃったし!」
「……そうだね。カイがレナード殿下に恩義を感じているから、頼もうと思っていた。あれも生き残りだし、共感出来るんだろう。共通点があると強い」
「モリスさんって、実は冷たい人なんですね。レナード殿下のこと以外、どうでもいいんでしょう?」
私もそんなところがあるから、分かる。でも、カイとエナンドがモリスさんに拾われて、レナード殿下の遊び相手兼側近として、育てられたって聞いたから、その意図に気が付いてぞっとした。白い小鳥ちゃんが黙って、首を傾げる。
「優しい人間だと言った覚えはない。目的のためなら、手段を選ばないだけだ。シェリー、君なら分かってくれると思っていたが」
「分かりますよ。でも、いつかレナード殿下の身代わりにするために、あの二人を引き取って優しくさせたんですか?」
「……いいや。レナード殿下が二人を弟のように可愛がることは、想像出来ていた。そう仕向けたわけじゃない。勘違いしないで欲しい。そこまで鬼畜じゃないさ」
「最後の質問です、モリスさん。この計画、何年がかりなんですか? 目的は何ですか?」
レナード殿下に何かするつもりなら、たとえ、モリスさんであっても排除する。私が静かにまっすぐ見つめていると、白い小鳥が溜め息を吐いた。白い体の向こうに、うっすらとくたびれたおじさんが浮かんでいるように見える。
「本当は、王妃様が生きているうちにしようと思っていたんだ。死んで、何の意味も無くなったが」
「……意味も無いのに、するんですか?」
「その通り。王妃様が願っていたことだから。しきりに後悔を口にしていらして……とにかく、小さい王子を自由にしようと思っていた」
「自由に?」
「そうだ、自由にだ。国王陛下は敵だと思え、シェリー。血を狙うクズどもじゃないんだ、君の敵は」
背筋がぴりっとした。あ、そういえば、初めて会った時も殺気立っていた……。上手く思い出せないけど、そうだ、レナード殿下に毒を盛ろうとした犯人について、何か言ってた時だったかな? モリスさんは何に対して、そんなに怒っているんだろう。恨みがましい目をして、語りかけているような気がした。
「レナード殿下は全てのことを諦めている。それが不憫でならないんだよ、僕は。亡き王妃様の遺言通り、レナード殿下のことを自由にしてみせる。協力してくれ、シェリー。塔に押し込められ、王子だと言うのに公務をさせては貰えず、ただただ、血を搾り取られるために生きる、レナード殿下のことが哀れだと思うのなら」
「もちろんです、モリスさん。あなたが敵じゃないなら、それでいいの」
「助かるよ、ありがとう……」
これ以上話したくない気分だったのか、小鳥が白い煙になって消えた。徐々に薄くなっていく煙を見ていると、ようやく足元の影からバーデンが出てきた。珍しく焦った顔をして、どすんと、私の隣に腰かける。
「シェリー、正気か!? ここから出られなくなるぞ!? お前が自由じゃなくなっちまう! 今からでも遅くない、俺と逃げよう」
「……どうして逃げるの? 怖くないのに?」
「だが、よく考えてもみろ! あの男は絶対に絶対に、何かを隠している。不都合なことをだ! それに副作用だってあるだろう? 禁術に副作用はつきものだ。リスクの説明をしていない!」
「落ち着いて、バーデン。私、いつ死んでもいいの」
「俺はよくない!! ああ、もう、俺の身にもなって考えてくれよ……。ユーインだって悲しむ。あのハナタレ坊主が泣くぞ?」
「泣かないと思う。だって、私から離れていったんだもん。それって死のうが生きようが、どうでもいいってことでしょう?」
「シェリー、お前の考えは極端すぎる」
死にそうな声で呟いた。見てみると、赤い瞳と黒髪を持った男性に変身している。さっきまでの黒いローブ姿じゃなくて、白い長袖シャツの上から、赤と黒のアーガイル柄ベストを重ねている。すごい、本当にこんな男性がいそう……。じっと見つめていれば、赤い瞳にうっすらと涙が浮かんできた。
「……シェリー、どうしてもなんだな? 考えを変える気はないんだな!?」
「ない。だってずっとずっと、ここで暮らしたいから。私が代わりに死ぬって知ったら、レナード殿下も優しくしてくれると思う。もしかしたら、私のことを好きになってくれるかもしれないし」
「はー……だめだ、俺の手には負えない。でも、まだ間に合うはずだ。いいな!? 俺がいない間、その体に禁術をかけるなよ!?」
「まだだと思うよ。だってモリスさん、消えちゃったもん」
「いい心がけだ。じゃあ、行ってくる」
「どこに? ……あ」
消えちゃった、バーデンも。私、どうしたいんだろう。本当は。受け入れる理由も、拒む理由も見当たらないような気がする。あの日、ユーインが家を出て行って、全部が終わっちゃった。お母さんから頼まれていたのに。
瓦礫の下から手を伸ばして、「ユーインはどこ? ユーインはどこ?」って言って探してたから、その手を握って、「大丈夫だよ、お母さん。シェリーがちゃんとユーインの面倒を見るから」って約束したのに。最期、ほっとしたように笑って言ってた。
『そう。……よろしくね、あなたはお姉ちゃんなんだから』
でも、お母さん。ユーインが嫌がって、出て行っちゃったよ。私、これから先どうしたらいいの? よく分からないから、殿下のためにこの人生を捧げたい。よく知らないけど、レナード殿下にはちゃんとお母様がいて、心配してたんだって。助けてあげよう、手伝ってあげよう。そう決めたのに、心は空っぽのままだった。ユーインが望む、普通の女の子にはなれない。殿下も好きって言ってくれない。ぽつりと、口から言葉が滑り落ちてきた。
「私、何のために生きているんだろう……。ねえ、バーデン。どう思う?」
当たり前なんだけど、返事はない。これでいいのかな。私、これでいいのかな? 間違っていたとしても、正しくても、全部どうでもいいや。ユーインを養うために生きていたのに。お母さんとの約束を守るために、私は生きていたのに。今さら変われなくて、変わらないことに静かに絶望していたら、急に誰かの指が頬に触れた。見上げてみたら、心配そうな表情の殿下が覗き込んでいた。蜂蜜色の、優しい瞳。
「……殿下。どうなさったんですか?」
「それはこっちの台詞だよ。どうした? 何があったんだ? いつまで経っても、降りてこないと思ったら!」
「別に……。ただ、どう生きて行けばいいのか、よく分からなくなっただけです」
「ごめん、色々とさせてしまって。そうだよな? 特殊な環境で育ってきたんだ、ゆっくりと教えていくべきだったよな……」
「えっ?」
レナード殿下が私のことを抱き締めてきた。どうして、レナード殿下が謝るの? なんで、どうして? 小さい子みたいに、心の中でだけ不思議がったとしても、答えは見つからない。でも、ようやく背筋を伸ばして、大きく息が吸い込めた。安心する。しがみつくように抱き締め返せば、ちょっとだけ笑った。
「ゆっくりでいい、普通にならなくてもいい」
「……なんで? だめなことなんでしょう? 普通にならなくちゃ。人を傷付けないように、ユーインが私のことを嫌いになっちゃったから、変わらないとだめなのに」
「俺は変わっているシェリーのことが好きだよ。だから大丈夫」
「本当にですか?」
一気に涙が滲み出てきた。その時、ようやく気付いた。私の変わってるところばっかり嫌って、好きだと言ってくれる人がいなかったことについて。初めて好きだって言って貰った。色んなことを押し殺してきたのに、我慢してきたのに、誰も私のことを認めてくれなかった。
全部を捧げてきたユーインは、私を嫌ってどっかに行っちゃった。何も、手元に残らなかった。お母さんとの約束を守るために、全部を犠牲にしてきたのに。残ったのは傷跡だけだった。喉の奥から、熱い塊がせりあがってくる。生まれて初めて、ちゃんと泣いたような気がした。
「うあっ、うあ、ああああぁー……!! ほんとう、本当にですか? レナード殿下、本当に!?」
「本当に。ごめん。くだらない意地張ってないで、早く言えば良かった。大丈夫、そのままでいいから。変わってるシェリーのことが好きだから」
「うおっ、うおぉん、うおっ、ううぉんうおぉん……!!」
「不思議な泣き方をするなぁ! よしよし。ここまで泣いてる姿を見るのは、初めてかもしれない……」
独り言のように呟きながら、優しく背中を擦ってくれた。ようやく息を吸い込めた感じがして、ほっとした。私、変わるのが嫌だったのかもしれない。気付いてなかったけど、かなりのストレスになってたみたい? ぐすぐす泣きながら、レナード殿下に膝枕して貰う。優しくそっと、黒髪を梳かしてくれた。
「大丈夫か? 少しは落ち着いてきたか?」
「ごめんなさい。でも、レナード殿下のために死ねますよ!」
「いいから、そういうのは! ……やめてくれ。今は難しいし、到底出来ないことかもしれないけど、自分の体を大事にしてくれ。俺のために、無理しないでくれ。頼む」
「出来ません、ごめんなさい」
「うん。少しずつでいいから。俺も手伝うから」
猫を撫でるみたいに、ゆっくりと頭を撫でてくれる。ずっとずっと一緒にいたい、レナード殿下と。何が何でも、バーデンに反対されたとしても、私は禁術を受け入れる。禁術を受け入れて、レナード殿下のために生きていく。まぶたを閉じれば、さっきまで空っぽだった、胸の中が熱く満たされていった。考えるだけで嬉しくなる。くちびるの端がもぞもぞした。
(……待っていて、レナード殿下。私があなたのことを自由にしてあげますから。きっと、血を搾り取られる生活から解放されたら、喜んでくれる。また褒めて貰える……)




