30.殺してストレスを発散させたい!
モリスさんに呼び出された。王妃様から色々言われて、私と話をすることになったみたいで、終始憂鬱そうな顔をしていた。用意されたのは、変な緑色のハーブティーと黒いつぶつぶが入ったクッキー。丸くて分厚くて、側面に砂糖がまぶしてあった。綺麗、ガラスのように砂糖が光ってる。私がそのクッキーを持ち上げて、まじまじ見つめていると、モリスさんが今日、何度目かになる溜め息を吐き出した。
執務室には眩しい光が射し込んでいて、ガラスのティーポットがそれを反射し、光り輝いている。暖かいけれど、暖炉には火が入っていた。小さな翼が生えたドラゴンが、暖炉の中で体を丸め、ぷうぷうと寝息を立ている。時々ぶふんと息を吐き出し、いっそう炎を燃え上がらせていた。薪が爆ぜる音が心地良い。不思議と暑くはなかった。でも、白いTシャツと短パンを着てるからかもしれない。モリスさんはいつものように、夜空のようなローブを羽織っている。
「……お手上げだ。しかし、潔癖な王妃様からすれば許せないんだろうな」
「潔癖ですか」
「そう、潔癖だ。今の状況が許せないらしい」
「ですが、私は殿下の子供を産むためにやって来たんです。首輪をつけていようがいまいが、エナンドさんやカイと遊ぼうが、王妃様には関係ないはずです。それに、最初から歪んでいるのでは? 私と殿下の関係は」
「僕もそう思う。まいったなぁ。君がハウエル家の生き残りだって分かっても、王妃様は自分の考えを押し通すつもりでいるらしいね。まいった、まいった」
さほどまいっていない様子で背中を逸らし、ソファーへもたれかかった。くすりと笑ってから、持ち上げていたクッキーを噛み砕く。芳醇なバターの香りが漂った。軽やかで甘い。黒いつぶつぶはバニラビーンズだったみたいで、品の良いバニラの香りが鼻を抜けていった。もう一枚、と思って手を伸ばした瞬間、モリスさんが「さて」と呟き、元の姿勢に戻る。
「無意味かもしれないが、もう一度言っておく。もう人を殺しちゃいけないし、好きじゃない人とは出来る限り、そういうことをしちゃいけない。自分の体を大切に。いいな?」
「はい、分かりました」
「王妃様の前でだけでも、取り繕っておいてくれ。王妃様の前でまともなことを言う任務だとでも思えばいい。もうああいう発言はしちゃいけないよ? 分かったかな?」
「はい、分かりました。嘘を吐いておきますね」
「……まあいい。理解して貰おうなんざ、微塵も思っちゃいないさ。それに、五年後、十年後も同じだとは限らない。シェリー、今の君は鳥かごの中から出たばかりだ。これから、いくらでも変わるチャンスがやってくる」
どこか苦しそうに微笑みながら、モリスさんが呟いた。銀縁メガネがきらりと光っている。少し寂しくなってきた黒髪に、深いグリーンの瞳。モリスさんは今まで見たことがないタイプの人間だった。上手に自分の本心を隠しながら喋る。それでいて時々、本当に私を心配しているような目で見つめてくる。口にくわえたクッキーを噛めば、さくんと割れていった。甘くて美味しい。
「……私、鳥かごの中から出たんですか? 本当に? もっと大きな鳥かごに移動しただけだと思っていました」
「でも、好きでここにいるだろう? バーデンに手引きして貰えば、すぐにでも出て行けるはずだよ」
「確かにその通りですね。おっしゃる通りです」
「うん。じゃあ、本題に入ろうかな?」
「本題に?」
「ああ。シェリー、君はレナード殿下のために死ねるかい?」
ぽろりと、齧っていたクッキーの破片が落ちた。かなり大きい破片だったから、慌てて拾い上げ、食べる。お行儀が悪いけど、残したくない。だって美味しいんだもん。さくさくさくと、頬張っている私を見て、モリスさんが苦笑した。質問に答えなきゃ、早く。
「……はい、死ねます。だって、護衛ってそういうものでしょう?」
「これから先の人生、縛られることになっても?」
「縛られる……?」
「まだ詳しくは話せないが、ある禁術を使おうと思っていてね」
「禁術……」
禁術とは穏やかじゃないですね、モリスさん。軽口を叩こうと思ったけれど、不敵に笑っていたから出来なかった。銀縁メガネ越しにきらりと、深いグリーンの瞳が煌めいている。ごっくんとクッキーを飲み込めば、モリスさんがまた口を開いた。
「悪いね、シェリー。出来ないのなら、カイに頼むだけだが……」
「カイに!? 私だって殿下のために死ねます! 大丈夫です!!」
「なら良かった。そうそう、殿下にはくれぐれも内密で頼むよ。まだ知らなくてもいいことだから」
「……禁術って、一体どういうものなんですか?」
禁術と一口に言っても、色々ある。相手の行動を制限するものや、人体の一部を動物や虫に変えるものまで様々。モリスさんは殿下に、ううん、私にどんな禁術をかけたいんだろう? カイに頼むって言ってた。誰か、人が必要な禁術なんだ……。静かに見つめていれば、にっこりと食えない微笑みを浮かべた。
「おじさんの長話に付き合ってくれてありがとう、シェリー。これからデートなんだろ? 行っておいで」
「……はい。喋る気は無いんですね?」
「無い。いずれ分かるから大丈夫だ」
「分かりました。じゃあ、これで失礼します。おいで、バーデン。行くよ」
隣の肘掛け椅子にて、丸くなって眠っていた黒猫姿のバーデンに声をかけると、起き上がり、飛び降りるのと同時に人の姿へ変わった。黒いマントをなびかせ、歩み寄ってくる。きちんと話を聞いていたのか、面白そうな笑みを浮かべ、後方のソファーに座っているモリスさんを振り返った。
「禁術だって? モリス。お前、俺の可愛いシェリーに何をするつもりだ?」
「本人の許可は取ってある。不安なら説得すればいいじゃないか」
「……死に損ないのじいさんめ。そんなにあの王子様が可愛いか」
「ああ、もちろんだとも。可愛くなきゃそんなことしない」
感情がこもっていない声を聞いて、バーデンが舌打ちする。いつの間にか、私の肩に手を回していた。心配してるの? どうして。あなたも所詮は私の味方じゃないのに? 考えたらおかしくなってきた。振り返って見てみると、モリスさんはただ静かに座っていた。どこを見つめているのか、何を考えているのか分からない。
「命拾いしたな。こいつの叔父がクズでなきゃ、殺していたところだ」
「ねえ、どうしてそこで叔父さんの話が出てくるの? バーデン。分かるように説明して!」
「誰がするかよ。ほら、もう行こうぜ。俺も久々に街に出たい」
「えーっ? もう」
「レストランで食うのもいいな。王宮の上品ぶった食事に飽き飽きしていたところだ」
私の肩を抱きながら、指をぱちんと鳴らせば、音もなく扉が開いた。最後にもう一度だけ振り返ってみると、モリスさんがこっちを見ていて、笑顔でひらひらと手を振ってくれた。私も手を振り返す。今日は楽しみにしていた街歩きなんだから、一旦、禁術のことは考えないようにしよう。
歩いて塔へ向かうと、もうレナード殿下とカイ、エナンドが外で待っていた。爽やかな風が芝生の上を駆け抜ける。レナード殿下は変装しているつもりなのか、黒い帽子をかぶっていた。グレーの半袖Tシャツの上から、白いシャツを羽織ってる。普通の男の子みたい。嬉しくなって駈け寄れば、にこっと笑って「シェリー」と、名前を呼んでくれた。
「お待たせしました!!」
「おっと! 全力で来たな……。ははは、犬みたいだ。可愛い」
「犬!? 犬ですか!?」
抱きついてきた私の頭をわしゃわしゃと撫でながら、笑う。不満だけど、今は思いっきり抱きついていたい気分だから、離れてあげない。背後のバーデンが不満そうに溜め息を吐いた。
「そうだ、着替えないのか? シェリー」
「はい。だめでしょうか? いつ街中で襲われても動けるように、」
「ん~。そんな心配、する必要は無いんだけどなぁ。今からでも遅くない、もうちょっと可愛い服装に、」
「もう他の女性の服を着るのは嫌です……。どうしたって!」
「ごめん。シェリーはそういうことを気にせずに、服を着るタイプかと思ってた。違ったんだな? ごめんよ」
二回謝ったあと、私の黒髪を掻き上げた。耳に指が触れる。しぶしぶ離れて見上げてみると、薄く笑ってから、こめかみにキスしてきた。気まずいのか、「んんんんっ!」とエナンドが咳払いする。エナンドはシンプルに、少し胸元が開いた黒いシャツとズボンを、カイは灰色のパーカーに、無意味なチェーンがついたズボンを穿いている。
「イチャイチャしたいのなら、俺の前以外でしてください。羨ましいです、率直に言うと」
「率直すぎる言葉だな。じゃあ、行こう」
「はい! 二時間ぐらいで解散してくださいよ? つかず離れずの距離を保っての護衛って、かなり疲れるので」
「他には誰がいる? 護衛」
「ロダンさんのところの部下ですね。あと、モリスさんの弟子もいるそうです」
「弟子……。会ったことないんだよなぁ、人見知りだって聞いたけど」
「俺も会ったことないです」
当たり前のように、私の手を握って歩いてる。指と指が絡まっていた。手を見下ろしながら歩いていると、おもむろにきゅっと、首輪が絞まる。一瞬足を止めれば、レナード殿下が「ああ」と呟き、こちらを振り返った。艶やかな本革の黒い首輪に、指を差し込んで浮かせる。
「これ、今日はやめておこうか。絞まらないようにしよう」
「はい……」
「レナード様、それをつける意味ってあるんですか? 俺はもう心を入れ替えたんで、シェリーちゃんと深い関係になる気なんて無いんですけど」
「シェリーが痛みを欲しがるから、それでだ。バーデンやシェリー自身が痛めつけるよりも、俺が痛めつけた方がよっぽどいい」
「わっからないなぁ……。大丈夫ですか? 頭。結構やばいこと言ってますよ?」
「おい! さすがに失礼だろ、やめとけ」
「はいはぁ~い」
カイに叱責され、エナンドが面倒臭そうに返事する。カイがすぐ渋い表情を浮かべたけど、レナード殿下が笑って「まあまあ、落ち着いて」と言ったからか、眉間のシワを深くさせるだけに留めた。
「どうする? シェリーは嫌か? 嫌なら外すけど」
「嫌じゃありません。これも一応プレゼントですから。それに大きな声で呼ばなくても、私がすぐに来るから便利でしょう?」
「……何だろう。後悔した、今」
「えっ? 何をですか?」
「そういうつもりでつけたんじゃないんだけどなぁ。ただ、これでもう、陰で自分の体を傷付けることがないかなって。それだけだったんだけど……」
遠くの方を見て歩きながら、レナード殿下が口にする。そんなに嫌だったの? どうして。分かってきたつもりでいるけど、まだまだ分からないことがいっぱい。いつか、全部なんて理解出来るのかな。ユーインが出て行った、本当の理由も分かる時が来るのかな? 分からないことだらけだけど、今日も空が青い……。
(お父さんなら、なんて言うんだろう? お母さんとどう向き合ってたの?)
何も思い出せない。家族四人で暮らしていたはずなのに、記憶がおぼろげ。そうだ、どんな家に住んでいたっけ? どういう間取りの家だっけ? 庭は覚えてる。青い芝生と真っ赤な花。庭や街の風景だけが鮮明で、どういうベッドで眠っていたかなんて思い出せない。虫食いだらけの記憶。
「……リ、シェリー? どうした?」
「あっ、すみません。どうかしました?」
「先にどこへ行く? シェリーが選んでいいよ」
レナード殿下が私の手を握り締めながら、覗き込んできた。蜂蜜色の瞳が、やたらと嬉しそうに輝いている。
「……じゃあ、私、服を見に行きたいです。アクセサリーも」
「分かった! せっかくだし、お揃いのものでも買うか」
「はしゃいでるな、レナード様」
「な」
後ろでカイとエナンドがひそひそ話していても、気にせず、上機嫌だった。ちょっぴりだけ、他の女性の服でもいいから着てくるべきだったかもしれないって後悔した。……ちょっぴりだけだけど! お城から出て、なだらかな坂を下る。
坂の両脇にはお土産物屋さんやカフェ、雑貨店と服屋が所狭しと並んでいた。でも、私達が目指しているのはここじゃない。バスに乗って数十分ほど揺らされたら、目当ての場所に辿り着いた。バス停近くには広場があって、中央には大きな噴水が置いてある。降りる時、レナード殿下が手を貸してくれた。
「さ、行くか! 悪いが、エナンドとカイはもう少し離れてくれるか?」
「そう言うと思ってました。ご自由にどうぞ、シェリーちゃんもいることですし」
「羽目を外しすぎないようにしてくださいよ、レナード殿下」
カイとエナンドに次々と言われ、レナード殿下が苦笑する。危機感が足りないと思う、殿下は。じっとり睨みつけていれば、嬉しそうな笑顔でぎゅっと、私の手を握り締めてきた。
「行こう、シェリー! 路地の奥におすすめの店があるんだよ」
「はい。転ばないように気をつけてくださいね?」
「まさか、シェリーにそんな心配をされるとはね……。大丈夫、大丈夫!」
魚の群れと花模様が浮かび上がったモザイクタイルは、目がちかちかしてしまうほど、鮮やかな赤と青と黄色だった。白い階段に囲まれた噴水はかなり大きくて、下半身が馬の男性と女神、山羊、もこもこの羊と羊飼い、騎士の彫刻が並び立っている。
あんなにごちゃごちゃと彫刻が置いてあるのに、中央の柱から水が流れ落ちているからか、不思議とうるさくなかった。まとまっていた。ぐるりと広場を囲うようにして、屋台が立ち並び、果物や野菜を売っている。賑やかだった。こんな人混みの中ではぐれたら、すぐに殿下が殺されちゃう。温室育ちのくせに、何も気にせず、レナード殿下は人を掻き分けて歩いていた。
「ねえ! ねえってば、でん、で……レナードくんっ!」
「くん!?」
「ごめんなさい。それ以外、思いつかなかったから」
偽名を考えてくれば良かったかも? ようやく歩くスピードを落として、レナード殿下が振り返った。このうえなく嬉しそうな顔をしていて、一瞬だけ、喉を絞められた時のように息が出来なくなった。普通の男の子に見える、今日は。
「レナードくんでいいよ! じゃあ、俺はシェリーちゃんって呼ぼうかな?」
「エナンドさんと同じ呼び方はやめてください。癪に障りますから」
「癪に……。時々攻撃的になるなぁ、シェリーちゃんは」
「……レナードくん」
「新鮮だ、可愛い」
はしゃいだ様子で呟き、私の背中を軽く叩いた。調子が狂う。怒りたくても怒れない。心配したくても心配出来ない。こんな人混みの中、気を抜くのは危ないのに。一応体のあちこちに武器を仕込んできたんだけど、落ち着かない……。
「広場を通り抜けたら、細い路地があるから。その奥に店があるんだよ。シェリーに似合いそうな服が沢山ある」
「分かりました。もう他の女性の服から解放されたいです……」
「ごめんね? そこまで嫌だとは思ってなかったから」
私の肩を抱き寄せ、頬にキスしてきた。変なの。キスならいつもしていることなのに、妙に落ち着かない。心臓がふわっとなった。見てみると、さっきと同じで嬉しそうな顔をしている。聞くつもりなんて無かったのに、質問が口を突いて出た。
「……今まで、会ってきた女性の中で、一番心惹かれたのって誰ですか?」
「シェリーって言って欲しい? もしかして」
「……レナードくん」
「ああ、その呼び方新鮮だな。全部忘れられるし、すごくいい」
嬉しそうな顔をするくせに、肝心な部分は教えてくれない。恋人ごっこ。カイにそう言われたのを思い出して、嫌な気分になった。でも、その通りのような気がする。距離が縮まるにつれ、前みたいに本心に触れられない。不思議と会ったばかりの時の方が、レナード殿下に一番近かった。
胸がもやもやする。私がもやもやしているのに、レナード殿下の足取りはやたらと軽くて、上機嫌だった。無性にイライラしちゃう、悔しい。暗殺者でも来てくれたら、ストレス解消が出来るのにな~……。




