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元暗殺者と魔術師殿下による、癒しのティータイム  作者: 桐城シロウ
一章 初めまして、癒しの血を持った王子様
29/74

28.俺も怖いから大丈夫

 


「はあ。とは言っても、どうしよう? バーデン。私、どうしたらいいと思う?」

「とりあえず、そいつを殺すか洗脳するかを決めようぜ。シェリー。いつまでもそうやって、椅子にしてるわけにもいかないだろ?」

「でも、今は殿下のことで頭がいっぱいだから。雑魚に構ってる暇なんてないの」


 両手で顎を支えたまま、ふうと溜め息を吐けば、隣に立ったバーデンが物言いたげに身じろぎした。眼前には夜景が広がっている。よくできたおもちゃの街みたい。闇に沈んだ空と海、輝きを含んだ街並みと、城からの光。


 生ぬるい夜の空気を胸いっぱいに吸い込めば、もぞもぞ、むずむずする気持ちが増していくような気がした。頬や首筋を、激しい夜風が撫でてゆく。風の音が耳に心地良い。ひゅうひゅうと吹き荒れている。寒くはなかった、半袖のTシャツにして正解だった。


「この関係性を定義しなくちゃいけないと思うの、私。じゃないと、仲が深められない」

「でも、好きってわけじゃないんだろ?」

「うん。私のご主人様というか、世話が焼ける王子様というか……。分かんない!」

「そうか。それを聞いてちょっと安心したよ。お前が俺の下から離れて、巣立ちするのは寂しいからなぁ」

「巣立ち?」


 私が椅子にしている男性の黒髪頭を、バーデンが撫でていった。どうしよう? 殺しちゃだめだって言われてるしなぁ……。記憶をさらってみたら、隣国の差し金だっていうことが分かった。様子見? みたい。重要な情報なんか持っていなくて、悪意を持った人間が塔の敷地内に入れないのなら、モリスの魔術が及ばない遠くから虫を飛ばして、血が取れないかどうかの実験って言ってた。


 バーデンとの手合わせ中に見つけられて良かった。さっき殴打された肩を押さえると、後ろから顔を覗き込んできた。天井からぶら下がっている人に顔を覗き込まれているみたい。まばたきしている赤い瞳と、睫毛が触れそうな距離にあった。


「どうした? シェリー。痛むのか?」

「うん、大丈夫。ある程度、痛みに慣れておかないとね」

「で? どうする、こいつ。生かすか、殺すかさっさと決めろ」

「ねえ、バーデン。どう思う? 殿下に私達の関係って何ですか? って聞いたら、恋人でいいんじゃないって言うのよ。しかも、どうでもよさそうに!」


 私が両手で顔を覆うと、呆れが混じった声で「可哀想に、シェリー」と言い、体を元の位置に戻した。部屋でのんびりしてる時に聞いたから、悪かったのかもしれない。この男の首でもベッドに投げ込めば、少しは変わってくれるかもしれない。よし、そうしよう。でも、「もう人を殺しちゃだめだよ」って言っていたことを思い出す。王妃様にも禁止されちゃったし、どうしよう……。


「ねえ、どうやって処分したらいいかな?」

「黙ってしたらいいんじゃないか? ばれなきゃいいだろ、それで」

「耳を削いで、あっちに送り返すことは可能?」

「可能だが、ぬるいな。それでいいのか?」

「よくない。でも、殿下はいいって……言うかなぁ? 言わないと思う。人を傷付けちゃだめだって言ってたから」


 温室育ちの王子様だから、血を見たくないのかもしれない。じゃあ、精神を壊しておこう。しぶしぶ男の背中から降りて、慎重に立つ。屋根の上だから、転ばないように気をつけなくちゃ。上から動けない男を見下ろし、自分の左腕を握り締める。聴覚を奪ってはいないから、聞こえるはず。


「ねえ、だめでしょ? こういうことしちゃ。もっともっと実入りが良い仕事だってあるのに。だから記憶を消されて、狂わされちゃう」


 何百回か殺される幻覚でもかけておこう。騒ぐと困るから、眠らせたあとで。男の髪を掴み、術語を耳元でささやけば、あっという間に崩れ落ちた。バーデンを見てみると、満足そうな笑みを浮かべている。私が残酷なことをしているのを見るのが好きみたい。


「シェリー、どうしたんだ? 殺したのか」

「ううん、殺してはいない。殿下が嫌がるから。嫌われちゃったら嫌だし、精神を壊しておくだけにしといた」

「そうか。なら送り返しておこう」

「うん、お願い」


 バーデンが腕を振るって、男を隣国へ送り返した。騒ぎになるといいな。ううん、ならないか。本当は目玉を摘出して、両足を切断して、鼻でも削いでおきたかったんだけど。でも、そういう残酷なことはもうするなって言われたからしない。


 ぎゅっと、殿下がつけた首輪がおもむろに絞まった。呼ばれてる。今日は茨の首輪じゃなくて、本革の黒い首輪をつけられた。裏面に“レナード“って名前が刻印されている、艶やかな黒い首輪。息が上手く吸えないから、喘ぐようにして呟くしかなかった。


「行かなきゃ、殿下が呼んでるみたい」

「……気に食わないなぁ」

「っバーデン?」


 いきなり私の首輪に指を突っ込んで、引っ張った。赤い瞳にぱちぱちと、金色の火花が飛び散っている。怒っているように見えたけど、心配している顔にも見えた。


「どうする? これ。外してやろうか?」

「ううん、いいの。好きにさせてあげなくちゃ」

「……つけあがるぞ? あいつ」

「嫌になったら外すって、伝えてあるから大丈夫よ。それにね、私のことは誰にも支配できない。そう思って生きてるから」

「ならいいが。こんな塔で暮らしてるから、頭がおかしくなってるんじゃないか? 気の毒な王子様」


 独り言を言うみたいに呟いて、まっすぐ夜景を見つめた。街の明かりは眩しくて、模型の街みたい。綺麗なんだけど、綺麗だからこそ現実味が湧かない。びゅうびゅうと吹き荒れる夜風が、バーデンの黒いマントを揺らしていた。ひらひらと揺れるそれをずっと眺めていたかったけど、諦めて、お城の屋根から降りる。


 引き止めてこなかった。最近、バーデンは私の保護者だと自覚し始めたみたいで、何かと口うるさい。ぽつぽつと街灯? がある暗い庭園を歩いて、塔を目指す。夜の塔は不気味だった。昼間は童話の中に出てくる、不思議な魅力に満ちた塔なのに、夜に見ると、何百人もの囚人を食らってきた牢獄に見える。


 重たい扉を押し開けて、中に入る。すぐ近くの戸棚に目を向ければ、私のランタンが薔薇色の光を放っていた。ああ、綺麗。私のランタン。レナード殿下から初めて貰った私のランタン。持ち手とランタンの間に薔薇が咲き誇っていて、それがまた美しい。


 ゆるやかにカーブした鉄製の持ち手を撫でるようにして、持ち上げれば、じわじわと押し寄せてくる闇を跳ね返すように、あえやかな薔薇色の光をいっそう放った。石の床に見惚れてしまうほど、繊細な薔薇柄が浮かび上がる。


「っうあ、また、絞まった……。早く行かなきゃ」


 レナード殿下が私を呼んでいる、早く行かなきゃ。ぬるくて甘い春の空気とは打って変わって、服の隙間から、骨まで染み込んでいきそうな薄ら寒さが忍び寄ってきた。ここは寒い。一気に冬になったみたい、頬が冷たくて苦しい。冷たい空気にまばたきしながらも、螺旋階段を上ってゆく。またきゅっと、黒い首輪が喉を絞めてきた。


 オレンジ色のランプが辺りを照らしているけど、暗い。早く、早く行かないと。レナード殿下のもとへ。湯浴みをしてくるって言ってたから、大浴場にいるはず。自分の苦しそうな息遣いと、階段を上る音しか聞こえないのに、誰かの気配が濃厚に漂っていた。すぐ後ろに何かがいそう。ぞわりと、首の後ろの毛が逆立った。


 眩い薔薇色の光が石の階段を照らして、薔薇模様を浮かび上がらせているけれど、底冷えするような寒さと暗闇は跳ねのけられない。私が動けば、繊細な薔薇模様がそれに合わせ、小刻みに揺れ動いた。


「ついたー! 長かった!」


 色味が異なる青いステンドグラスが張られた、芸術品のように美しい扉を押し開ければ、むわっと暖かい空気が一気に流れ込んできた。温泉のいい匂いがする。それと、シャンプーと石鹸の香りも。目の前にある青と白のソファーの上で、女神像がにっこりと、私に優しく微笑みかけてくれた。足元にはお利口な顔をした、羊の彫刻が佇んでいる。


 ほっとした。ここは明るくて美しい。金の星と枝葉のシャンデリアがきらきらと、明るい輝きを放っていた。柔らかい黄金色の光が揺れるたびに、胸が弾む。ここは綺麗、どこもかしこも。王子様を閉じ込めるための美しい牢獄。息が詰まるような思いで、レナード殿下は暮らしている。


(服、服、どうしよう? 脱ごうかな? うーん……水着もないし。魔術で出せるけど、面倒臭いなぁ)


 デザインを決めるのがちょっと苦手。変なベージュ色の服しか出せない。デニムのショートパンツを穿いてるし、濡れることはなさそうだからいっか。ぽいぽいっと、スニーカーと靴下だけ脱ぎ捨てて、大浴場に入ることにした。勢いよく扉を開けたら、白い湯けむりの向こうで、レナード殿下が振り返る。青いタイル張りの豪勢な大浴場でゆったりとくつろいでいる殿下は、いつもより王子様に見えた。ぱちゃんと、湯面が波打つ。


「遅かったじゃないか、シェリー。何をしていたんだ?」

「侵入者を排除していました。でも、安心してください! 殺していないし、腕も捥いでませんよ!」

「ならいいけど。怪しいなぁ」

「そこは信用してくれないと。お望み通り、殺して送り返しちゃいますよ?」

「望んでいるわけじゃないけど、まあ、疑うってことはそういうことか……。信じるよ、大丈夫。おいで」


 相変わらず、レナード殿下の声は強烈。吸い寄せられる。穏やかで低い声なのに、従わないとって思っちゃう。ううん、従いたいという欲求と、従う喜びに胸が支配されるような感じがする。ひたりと足をタイルにつければ、その冷たさに身震いしてしまった。


「っう、ちめ、冷たい……!! 来ましたよ、殿下。お背中でも流しましょうか?」

「なんだ、裸だと思ったのに。着てるのか」

「普段はバーデンが服を出してくれるんですけど、お願いできるような状況じゃありませんでしたし、私にその手のセンスは皆無なんです。きっと、ベージュ色のチュニックを出して終わっちゃいます」

「ベージュ色のチュニックねえ。想像できた」


 レナード殿下が私に背を向けたまま、笑って、ぱちゃりと肩にお湯をかける。抱かれるのが無理って分かった日から、安心して肌を見せるようになった。むっとしてしまう。お湯を汲んで、後ろからばちゃってかけてみようかな……。浴槽のふちに並んだ、手桶をじっと眺めていたら、おもむろにレナード殿下が振り返った。


「入らないのか? シェリーは」

「じゃあ、足先だけつけます」

「ん」

「でも、立ってみた方がいいかな……?」

「立つ?」

「はい。殿下の前に立ちます」

「えっ? 今、なんて?」


 困惑している殿下を無視して、浴槽に入る。じゃぶじゃぶとお湯を掻き分けながら、座っているレナード殿下の前に立ち、偉そうな顔で腕を組めば、おかしそうに笑い出した。口元を手で覆っている。


「っはは、そうきたか……。表情が可愛かった、今の」

「表情が可愛い、ですか?」

「うん。脱いで入らないの?」

「……どうしても、服を脱がせたいんですね?」

「ごめんごめん、冗談だから。そんな顔をしなくても」


 笑いながら、立てた膝の上に手を置いた。中央は深いんだけど、ふちの近くは浅い階段になってる。……脱げば良かったかも、服。冷たいふくらはぎに染み込んでくるお湯が心地良くて、ほふぅと息を吐いてしまった。お湯を掻き分け、殿下の隣へ行く。何も話さず、ゆったりとお湯を楽しんでいた。見えないだろうから、脱ごうかと思ったけどやめる。服が濡れちゃうから。


「それで? 侵入者って?」

「虫を使って、血を吸い取ろうと思っていたみたいで……」

「そうか。また、そうだな、エナンドに報告しておいてくれ。モリスや王妃様に伝えてくれるだろ」

「はい、分かりました」

「……本当に殺していないんだな?」

「もちろんです。殿下に怒られるのは嫌ですから」


 浴槽の中でじゃぶじゃぶ、足を動かしながら答えると、苦笑していた。濡れた黒髪が額に張り付いている。蜂蜜色の瞳が見てみたくなった。とりあえず上がって、シャワールームへ行く。


「どこへ行くんだ? シェリー」

「体を洗ってこようかと思いまして。一緒に入りましょうよ、せっかくだから」

「……俺の忍耐力を試して楽しい?」

「楽しいです、かなり!」


 また笑った。小さな笑い声が浴場に反響する。笑うレナード殿下を置いて、脱衣所へ行き、服を脱いでベージュ色のチュニックを出してみた。縫い目が歪で、がさがさした生地のチュニックが出る。でも、これでいいや。もう。


 大きなぼろ雑巾にしか見えないチュニック片手に、シャワールームに入って、熱いシャワーを浴びた瞬間、ほっとした。まだこの寒さに慣れない。外は麗らかな春なのに、塔の中は冬。オレンジと蜂蜜の香りがするシャンプーを泡立てて、黒髪を洗っていると、太ももの傷に目がいった。……前に水着を着た時は隠していたけど、どうしようかな? 肋骨にも背中にも、切り傷がある。鏡がなくて残念、確認できない。


(……レナード殿下はこれを見たら、なんて言うかな? 反応が怖い)


 じわりと、心の中に疑問が生まれていた。私は本当は、ああいうことをしたくなかったんじゃないのかなって。本当は嫌だった? 怖かった? そう感じる暇もないぐらい、働いてたけど。ふと、ユーインが足を取り戻した日のことを思い出した。私が必死にお金をかき集めて、治療を受けさせてあげたのに、ちっとも嬉しくなさそうだった。


 義足でも歩けるよ、大丈夫だよ。お姉ちゃんが無理してまで稼がなくても、俺は十分幸せだよ。大丈夫、足がなくても。片足が残っているんだし。ユーインは頑なにそう言って、治療を拒んでいた。でも、私は知ってる。走ってる子を目で追いかけて、羨ましそうにしていることを。長時間歩いて、疲れて休む時、自分の足をくたびれた顔で眺めていることを。だから、歩けるようにしてあげたのに。一等級国家魔術師に、足を復元して貰ったのに。


 喜ばなかった。でも、声をふり絞って「ありがとう」と言ってくれた。喜ぶかと思ったのに、喜んでくれなかった。ユーイン、ユーイン。目に涙が浮かんでくる。ここにいて、人を殺さないでいると、色んなことを考えちゃう。綺麗に泡を洗い流してから、すぽんとチュニックをかぶり、シャワールームから出る。レナード殿下はのぼせそうになったのか、浴槽のふちに腰かけていた。


「お待たせしました」

「ああ、それか。チュニックって。た、確かに酷いな……」

「笑わないでください! 今、落ち込んでいるところなので」

「どうして? 殺せなかったから?」

「いいえ。ユーインのことを思い出したんです。家が一軒建つほどのお金をかけて、足を復元してあげたんですけど。喜ばなくて」

「喜ばなかったのか」

「そうなんです。せっかく毎晩、頑張って人を殺してお金を稼いだのに……」


 ちゃぷんと足を入れて、一気に肩まで浸かる。熱い! 飛び上がっちゃうほど熱かったけど、我慢して入っていたら、徐々に体が慣れてきた。お湯に浸かって初めて、自分の体が芯まで冷え切っていることに気が付く。目の粗いチュニック生地にどんどん、お湯が吸収されていった。レナード殿下が黙って、手を組む。足のすねだけ浸かっていた。


「……殺して欲しくなかったんだろうな、ユーインは」

「でも、他の人の足を物欲しそうに見てました。だから、プレゼントしてあげたのに!」

「よく覚えておくといい、シェリー。人は無理してまで、何かして欲しくないもんなんだよ」

「……嫌だったんでしょうか? 足を、私が取り戻そうとするの」

「うーん、違うな。無理してまで、取り戻さなくても良かっただけ」

「分かんない! ちゃんと分かるように説明してくださいよ、レナード殿下」

「シェリーには説明よりも、こっちの方がいいかな?」


 急に見下ろしてきて、肩に手を置いた。きょとんとしていれば、何を考えているか分からない表情を浮かべ、「手。出して」と言ってくる。言われるがままに差し出したら、困ったように唸った。


「あ~……ナイフは」

「すみません、置いてきちゃいました。脱衣所に」

「いや、大丈夫。噛めば済む話だから」

「噛めば……?」


 嫌な予感がした。的中した。殿下が急にがぶっと、自分の腕を噛んだ。呆然としていれば、何度も何度も強く噛んで、血が出るまで繰り返す。


「なっ、なんで!? やめてください! 私、私、もうナイフで自分のこと傷付けてないのに!? なんで、そんな、血が出るほど……!!」

「大丈夫、大丈夫。痛いけど、こうするしかないから。手を出して、シェリー」

「は、はい?」

「ほら、言ってただろ? 醜い傷跡が嫌だって」


 私の震え出した手の甲に、傷口の血を擦りつける。醜く盛り上がった傷跡がぴりりと痺れた。もぞもぞする、なんか。痒い? 見つめていると、ケロイド状になった傷がピンク色を帯び始めた。信じられない。浅く? 多分、浅くなってる……。


「あー、やっぱりだめか。こんな量だと。もう少し血を出さなきゃな……。待っててくれ、ナイフを持ってくるから」

「いっ、いいです! こんな傷、治らなくてもいいから!」

「ユーインもそう言いたかったんじゃないのか? 無理してまで、治して欲しくなかったんだよ」

「あ……。で、でも、私がしたくてしたことですから」

「じゃあ、俺もしたくてすることだ。止めたって聞かない」

「ま、待って! お願いです、待って……!!」


 立ち上がって引き止めれば、悲しそうな微笑みを浮かべた。い、嫌だ! たかだかそんなことで、殿下が血を出すのなんて……。言いようがない不安と苦しさが襲いかかってくる。もう嫌だ、殿下といるとこんなことばっかり。色んな疑問と苦しさが続々と生まれていくから、怖い。


「ごめんなさい、ご、ごめんなさい……。私が悪かったから、もうやめてください! お願いします」

「良かった、分かってくれて。少しずつでいい、正常になっていこう」

「正常に?」


 私を優しく抱き寄せてきた。ほっとする。色んなことが怖くて、苦しくなってきたんだけど、これでいいのかな? 昨日は解放感に包まれていたのに、今日はそうじゃない。私は、どうやって生きていくのが正解か分からない。ユーインがいてくれたら良かったのに、ここに。


「そう、正常に。感覚がおかしくなってるから、戻していこうか」

「怖いんですよ、レナード殿下。私、今まで思ってこなかったことを、思うようになってきてて」

「いいんだ、それで。ゆっくりでいいから、慌てなくてもいい」


 このまま、二人でいたらどうなっちゃうんだろう? レナード殿下といるのが怖いです、と正直に言ったら、レナード殿下が苦笑して「俺もだよ」と言ってきた。自然と目が見開く。


「……どうして、レナード殿下も怖いんですか?」

「強制的に変わっていくような気がして。生きる気力が湧いてくるような気がして」

「それが、一体どうして……んっ」


 唐突にくちびるを塞がれた。放しては貰えなくて、窒息しそうになった。このもぞもぞ感にまだ慣れない。軽く突き飛ばして逃げたら、背後で笑った。笑い声が大浴場に反響していた。






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