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元暗殺者と魔術師殿下による、癒しのティータイム  作者: 桐城シロウ
一章 初めまして、癒しの血を持った王子様
23/74

22.それはれっきとした自傷行為

 


「ねえ、バーデン。私を死ぬぎりぎりまで、痛めつけてくれない?」

「……はあ? また何を言い出すんだ、お前は」


 今日は人間のふりをする気分なのか、黒髪に赤い瞳になったバーデンが、雑誌から顔を上げ、嫌そうな表情を浮かべる。ベッドに腰かけていた。白いTシャツに黒いズボン、黒いジャケットといった服装で、お姫様が眠るようなベッドに腰かけていると、旅先でふざけている観光客に見えた。私の話は聞くに値しないと判断したのか、ふたたび雑誌を読み始めた。興味がないくせに、ローランド城周辺の観光スポットとお店特集を見てる。


「ねえ、バーデン? このままじゃだめでしょう? 私」

「殿下のお人形になっているお前も面白いから、そのままでいいだろ」

「分かる? 殿下はお客様に見せびらかすために、私を着飾らせているのかもしれない」

「だな。茶や菓子を与え、自分好みのアクセサリーと服に着替えさせ……。そのうえ、気まぐれにキスをする。他の男との接触は許さない。ああ見えて歪んでいるなぁ。どうする? 逃げ出すか、シェリー」


 どうでもよさそうに口ずさみながら、雑誌を見続けている。でも、その気になって貰わないと困るのに。せっかく動きやすい、黒Tシャツとズボンに着替えたのに! 私が不貞腐れながら、腕時計をナイフに変えると、さほど焦ってない口調で「分かった、分かった。落ち着け、俺が悪かったから」とのたまう。目はまだ、手元の雑誌を見つめている。


「いいか? お前は俺にとってのお気に入りなんだ。誰が好き好んで、お気に入りを傷付けたいと思う?」

「……じゃあ、手合わせ。手合わせならいいでしょう?」

「今の現状をお前の父親が知ったら、なんて言うことか! だから、ゆっくりと天の国で眠れないんだろうよ」

「ねえ、バーデンは幽霊が見えるの? あんまり気にしたことがなかったけど」

「見える。が、元人間は俺に見られるのが嫌いらしい。すぐどっかに行っちまう」


 喉を低くして笑いながら、ページをめくった。頭上の銀の枝葉をかたどったシャンデリアは、こうこうと銀色の光を放っていた。薄暗い。目に痛いぐらいの、銀色の光なのに、部屋の隅々まで照らしてはくれない。雑誌を読み続けるバーデンの隣に座ると、こっちをちらりと見てから、頭を撫でてきた。時々、バーデンの手はすごく優しい。温度はないけれど。


「いいか、シェリー。焦るな。お前の手に染みついた血も技術も、そうすぐになくたったりしない。お前はやっぱり、ハウエル家の人間なんだ。その血がお前を逃がしてくれない」

「ハウエル家の血が……? ねえ、お父さんはどうしてたのかな。人を殺してたのかな?」

「さぁな。知る由もねぇよ。でも、娘に人殺しをさせるのが嫌だったんだろうなぁ。だから、家を出たんだ。現実はこれだが」

「お父さん、泣いてる? どうかな、傍にいるかな……」


 暗闇に目を凝らしても見えない。何となく暖めるのが嫌で、暖炉には火を灯していない。静まり返った夜の部屋でバーデンが一つ、大きなあくびをした。口元から手を外したあと、ぼんやりと雑誌を見下ろす。


「どっちがいい? お前の父親が傍にいるのと、いないのと」

「どういう意味なの? それって」

「俺からすれば、喋れもしない、見えもしない幽霊がいるのを確認するよりも、脳内の記憶を辿った方がよっぽど建設的だ。幽霊はインテリアにもなりゃしない。見えなくて、何の役にも立たない」

「でも、いる方がいいけどなぁ。お母さんはきっと、ユーインの傍にいるだろうから。でも、お父さんだけはいつも私の傍にいてくれたから……」


 バーデンは人外者だから、しょうがない。会いたい人っているのかな? バーデンに。ぼうっと、部屋の隅の暗闇を見つめたあと、お尻を上げて、バーデンにぴったりと密着してみた。穏やかに笑ってまた、私の頭を撫でてくれる。今日は甘やかす気分なのかもしれない。


「……お前の父親は傍にいる。痛めつけて貰おうだなんて考えるなよって、そう言ってる」

「噓でしょう? バーデン。自分がしたくないから、そう言ってるだけじゃないの?」

「人の言葉を信じるか信じないかは、お前次第だよ。シェリー。まあ、とは言っても、俺は人じゃなくて人外者だがな」

「ねえ、バーデンに会いたい人っている? 仲良しの人はいた?」

「……ああ、いるとも。不思議とあいつの命令は何だって聞きたくなる」

「男の人なんだ? へー」


 バーデンは時折、ふらりといなくなる。どこで何をしているのか聞いたことはないけど、たまにお酒に酔っていて、ふらふらとした足取りで、私を抱き締めてくる時がある。……別にいいんだけど。バーデンは私の人外者じゃないから。こういう時ふと、胸の中に空っぽの穴が生まれる。何も詰まっていなくて、覗き込めば、空洞と闇だけが広がっている。


「その人の、どういうところが好きなの?」

「変わらないところだな。十歳ごろから目をつけていたが、一向に変わらない。あとは俺を慕わないところか」

「慕わない?」

「そうだ、常に俺を制御できると踏んでいた……。子供のくせに、俺を下に見てやがる。バカにしているわけじゃない。ただ、お前は俺の言う通りに動くしかないと、それを知っているんだと、淡々とまっすぐ言ってくる。そういうところが好きなんだ。骨の髄から、こいつに従うべきだと思ってしまう」


 どこかいきいきと、嬉しそうに語り出した。ふーん。じゃ、頭のおかしな人なんだ。その人って。悪口を言ったら怒るかなと思いながら、バーデンの腕に腕を絡める。鬱陶しがるそぶりは見せずに、ふんふふん、ふんふふんと鼻歌を歌い出した。古い月の子守歌だった。


「ねえ、バーデン? その人って頭がおかしいんじゃない?」

「平凡な人間よりかは断然いい。……俺が昔、女の姿で迫った時、逃げ出しやがった。顔を見るたびに、全力で逃げ出したんだぞ。どう思う? 笑えるだろ」

「悲しかったでしょ? それ」

「……まぁな。否定された気持ちになった。さて、じゃあ、手合わせだったか? それぐらいならしてやるぞ」


 ぎしりとベッドを軋ませながら、立ち上がった。言って欲しくないんだ。でも、バーデンにそこまで好きな男性がいるとは思ってなかった。知らないことが沢山ある。こんなに長く、傍にいるのに。ぼんやりしたまま座っていると、バーデンがにっと笑い、手を差し出してきた。


「月夜の散歩といこうか? シェリー。そのあと、殴り合いでも殺し合いでも、何でもすればいいだろ?」

「そうね、バーデン。……ねえ、今の私をお父さんが見たらなんて言うと思う?」

「可哀想に、シェリー。だろ。そんな風に育って欲しくなかったみたいだぞ? 可哀想なシェリー」


 嘲笑うような、甘い声でささやいてきた。笑い返して、差し出してきた手を握り締める。私は可哀想なのかもしれない。でも、どうだっていい。そんなことを考える暇なんてないもの、いつだってね。


 バーデンの肩に腕を回して、しがみつく。窓を開け放して、私を大事に抱えたまま、外へ飛び出た。背中には黒い両翼が生えている。外の風は暖かくて、甘くて、どことなく春の匂いが漂っていた。ぎゅっと両目を閉じて、しがみつけば、低く笑う。


「見ないのか? シェリー。良い夜景だぞ。ほら」

「うん……。本当だね、わあ、綺麗」


 いつの間にか、塔が見下ろせる位置まで上がっていた。暗闇の中に建っている塔と、ぼんやりと淡く光っている、白い壁と青い屋根のお城。遠くの方には宝石のように、きらきらと煌めいている街並みが広がっていた。さらに向こうには、暗い海が横たわっている。じっと眺めていたら、風が吹き荒んだ。黒髪がめちゃくちゃに絡まっていって、頬をくすぐってゆく。


「ねえ、手合わせしてみない? バーデン」

「気が進まないんだけどなぁ」

「どうして? このまま、何もできないお人形になるのは嫌。殿下は何もしなくていいって言うけど……怖いの。お願い、バーデン。私を死ぬぎりぎりまで痛めつけて?」


 肩に手を回したまま、お願いしてみる。バーデンが嫌そうに、ゆっくりと赤い瞳を細めた。近付いてきて、柔らかく額にキスをする。ちゅ、と音がして離れていった。不思議と感触も、音もはっきりと分かる。もう背中に翼は生えていなくて、ただただ、暗闇に浮かんでいた。


「……お前もお前で、少しあの男に似ている」

「なぁに? バーデンの好きな男の話?」

「語弊がある! お前達みたいに、恋愛感情があるわけじゃない……。ただ、強く惹かれるものがある。俺がお願いを聞くと思っているところがそっくりだ。まあ、だから、守ってやってるんだが」

「私、あんまり助けて貰ったことがないんだけど?」

「よく覚えておけよ、シェリー。お前がそのまんまなら、手足となって動いてやる。服のシミ抜きでも、人を殺すのでも、何でもやってやるさ。でも、お前がつまらなくなったら、その体を俺によこせ! いいな?」

「うん。だって、そういう契約だもんね……」


 バーデンが唐突に、私を闇の中へ放り出した。バーデンから見て、私が変わらなければ、助けてくれるし、甘やかしてもくれる。でも、私が変わればもうおしまい。体をバーデンに譲り渡す。そういう契約をしている。ひゅるるると、体が闇夜へ落ちていった。不思議と怖くない。次にどうすればいいのか、よく分かってるから。


 考えた末に、私も背中に羽根を生やす。でも、落下速度を落とすために、生やしただけ。落ちながらも、地面にクッションを生み出せば、ぼんっと、私の体を受け止めてくれた。ふわふわの白いマシュマロみたいなクッション。頭と背中を保護していた、柔らかい羽根を消してから、起き上がる。自然と笑みが浮かんでいた。戦っている方がやっぱり好き!


「さあ、迎え撃たなくちゃ。バーデンは敵だもの。今だけね」


 上を見上げてみたら、バーデンが猛烈な勢いで迫ってきていた。黒い弾丸のように見える。お城が眩く、淡く光っていて良かった。真っ暗じゃなくて、辺りがうっすらと見える。ちょっと悩んだ末に、槍を出すことにした。接近戦に慣れておきたい。バーデンが寸前まで迫ってきたところで、クッションを消して、飛びのく。真っ黒な狼になったバーデンが、芝生に降り立って、唸りながら毛を逆立てた。


(どうしようかな? 私だって、さすがにバーデンを痛めつけるのは嫌だしな……)


 魔術は使わないことにした。辺りが暗いから、長い槍を発光させつつ、胸元に切っ先を向ける。すぐに弾き返された。ずるい! バーデンは魔術を使ってる! でも、いっか。今の目的は痛めつけられること。全力で抗わなくてもいい。


 これが本物の狼だったら、首を切って終わりにするけど。久しぶりに、ばちっと、目に光が飛ぶような痛みが襲いかかってきた。痛い、痛い。熱い。肩に牙が食い込んでいる。バーデンがぐっと、全力で私の肩を噛んでいた。自然と足を踏ん張っていた。頭で考えなくても動ける。そういう風に教育、指導されてきたから。


「……バーデン。ごめんね、ありがとう。私、やっぱりこの方が落ち着くみたい」

「ぐっ!?」


 両手でバーデンの毛皮を掴み、炎を生み出す。毛が燃える嫌な匂いが漂った。じくじくと肩が痛み出す。かなり傷が深い。でも、大丈夫。足はまだ痛くないし、痛む個所から全力で意識さえ逸らせば、大丈夫。まだまだ戦える。腕時計をナイフに変化させ、飛びのいたバーデンに迫って、頭へ降り下ろす。それをよけて、腕に食らいついてきた。まずい! 手加減してたら食われる。でも、これは手合わせであって、戦いじゃないから……。


(上手く動けないのはバーデンが狼の姿だから。傷付けるのが怖いから)


 やりすぎないように、加減しながら戦うのが一番難しい。腕からぼたぼたっと、血が流れ落ちる。牙が深く、腕の肉に食い込んでいた。久々の痛み。でも、つらくない。大丈夫。ただの痛みだから、これは。そっと、私の腕を噛んでいたバーデンが離れる。心配そうな顏で、見上げてきてるような気がした。


「なあ、やめないか? シェリー。俺の胸が痛まないとでも?」

「……いざとなったら、私の体を奪うのに?」

「ああ。でも、その時は永遠にこないと思ってる。お前はお前だからな、シェリー」

「ふぅん。ねえ、バーデン? バーデンは私の味方? それとも敵なの?」

「味方だよ、もちろん。信じるか信じないかは、お前次第だが」


 人の姿に戻ったバーデンが笑って、血のついた口元を拭う。腕に血が伝い、ゆっくりと静かに流れ落ちていた。全力で動いたからか、体が熱い。意識がほんの少しだけ遠くなった。呼吸が荒い。傷付いてみてよく分かった。すぐにこの感覚を忘れたりはしない。握り締めたナイフを見下ろしてから、試しに、自分の靴を刺してみる。ナイフの切っ先が布地を突き破って、足の甲に到達した。ちかっとまた、白い光が炸裂したような気がした。


「いった……痛い。痛いなぁ」

「何をしているんだ、お前は。ほら、見せてみろ。治してやるから」

「痛みに慣れておきたいと思って。でも」


 息を止めて、足先からナイフを引き抜く。刃の嫌な感触に、意識が引きずられそうになったけど、すぐ冷静になって、考えないようにする。今までだって、かなり酷い怪我をしてきたんだし。目玉に針を突き刺される痛みと恐怖に比べたら、なんてことない。


 バーデンが足元にひざまずいた瞬間、ナイフで素早く、自分の首筋を切った。熱い。光線で皮膚がスパッと、切れたような感覚。私としては浅めに切ったつもりだったんだけど、そうじゃなかったみたいで、血があふれ出してきた。ナイフに血を絡めるように動かし、ぼんやりする。うん、大丈夫みたい。痛みが怖くない。


「あ、ごめん。バーデン、こっちも治してくれる?」

「っおい!? よりによって首かよ、まったく」

「ごめんね? 痛みを感じてないと不安で……」

「これはもう、王子様を呼び出さなくちゃいけないな」


 独り言を呟くように、そう言った。黒い手袋をはめた手が、私の首筋に添えられる。すぐに血が止まって、傷が治った。昔から繰り返し、何度も何度も魔術での治療を受けてきているからか、ちょっとでも怪我すると、一か月は治らない。そろそろ、治癒魔術に頼っちゃだめだっていうのは分かってるんだけど……。バーデンが心配そうな表情を浮かべ、眉根を寄せる。


「どうしてそんな顔をするの? バーデン。まるで、あなたが苦しいみたい」

「ここでの生活がストレスなんだな? シェリー。今のお前は異常だ。れっきとした自傷行為だ」

「違う。私はただ、痛みに慣れたいだけで……」

「シェリー!」


 焦った声が、鼓膜をつらぬいた。心臓がびゃっと飛び上がって、ドキドキした。振り返ってみると、そこには青と白のストライプパジャマを着て、上から紺色のガウンを羽織った、レナード殿下が突っ立っていた。息を荒げて、芝生の上を走ってくる。怒られる? どうしよう。自然と目が見開かれた。


 殿下の姿も声も、特別だって感じがする。どうしよう? 怒られたら。自分の血がついたナイフを握り締め、たたずんでいると、バーデンが低く笑って消えた。白い煙だけが残される。近付いてきたレナード殿下が、焦燥感たっぷりの表情を浮かべ、がっと私の両肩を掴んだ。


「シェリー! どうした!? 何があった? 大丈夫か!?」

「レナード殿下……。一体どうしてここに?」

「カイから報告を受けて。どうも、その、バーデンとシェリーが戦っているらしいと。怪我、怪我したんだろ? 大丈夫か?」

「痛みに慣れるために、死ぬぎりぎりまで痛めつけて貰おうかと思いまして」

「……シェリー」


 掠れた声で、呆然と呟いた。どうしてそんな顔をするんだろう? みんな。私、何が間違ってるの? だって、怖いんだもん。綺麗な服を着て、甘いおやつと美味しいご飯を食べて、誰かと喋って生きていくのがとてつもなく怖い。あの死体の匂いを嗅ぎたい。一度染みついたら、何度洗濯しても落ちない、嫌な匂いを。


 紅茶と薔薇の香りを嗅いで、生きていると、頭がぐずぐずに溶けちゃいそう。ナイフを握り締めているのに気が付いて、レナード殿下が「しまいなさい、それを」と、かろうじて聞き取れる小さい声で言ってきた。黙って、ナイフを腕時計へと戻す。腕時計のベルトには、私の血がこびりついていた。


「……帰ろう、シェリー。塔に戻ろう。大丈夫か? 怪我は?」

「いえ、もう治して貰いました。どうして、レナード殿下がつらそうな顔をするんですか?」

「シェリーがつらいと、ん~、違うな。シェリーが怪我をしているのがつらいから」

「ヘマなんてしてませんけど? あれは手合わせだから」

「そういうことじゃなくてだ! シェリーが痛みを感じていると、胸が痛い。シェリーはどうだ? 俺が怪我をしているのを見たら、なんて思う?」

「殿下が怪我を……?」


 その場合、私が仕事を失敗したってことだから……。レナード殿下の手を握り返しながら、歩く。芝生を踏んで歩けば、さくさくと音が鳴った。辺りは暗くて、静まり返っていた。夜空には星が浮かんでいるんだけど、見る気にはなれない。


「私の責任ですね。侵入者を上手く撃退できなかったので、落ち込みます」

「うーん、そうきたか。心配はしない? 俺の」

「貧血になったら困ります。お客様のおもてなしができなくなっちゃうので……」

「……そっか。俺が苦しい思いをしても、シェリーは平気なのか」

「苦しいんですか? 怪我が」

「そこからか!! そうか、そこからか……」

「痛みを感じなくなるコツ、教えてあげましょうか? 痛いから苦しいんでしょう?」

「いや、いい。そういうことじゃないから。もういい」


 私の手を引いて歩きながら、うつむいた。何がだめなんだろう? 教えて貰わないとよく分からない。ユーインもそうだった。何かを言いかけて、すぐにやめる。どうしたの、と聞いても「いや、いい。何でもないんだ」と言う。……何でもないってわけじゃなかった。静かに見捨てられた。ゆるやかに、ぷっつりと縁を切られちゃった。レナード殿下の手を握り締めて、問いかける。


「ねえ、殿下。殿下は私の傍にいてくれますよね? ユーインみたいに、ある日突然、どっかに行っちゃったりしませんよね?」

「しないよ、大丈夫。……ただ、これだけは覚えておいてくれ。シェリーが怪我をすると悲しい。だから、なるべく怪我しないように気を付けてくれ。今回みたいにバーデンに頼んで、痛めつけて貰うなんてことは、」

「あ、違います。最後は自分で首を切りました。あと、足の甲にナイフを突き立てました」

「一体……どうしてそんなことを?」


 声が震えていた。暗闇の中で立ち止まって、こっちを振り返る。殿下は普通に? んー、違うかも。普通じゃないけど、暴力とは無縁の世界で育てられてきたから、よく分からないのかもしれない。


「怖いんです。痛みを感じない日々は。誰のことも殺さない日々は」

「……分かった。すぐに慣れろっていうのは、無理な話なんだろうなぁ。でも、今度からそういう時は俺に言ってくれ。見えないところで無茶をしないでくれ、頼む」

「無茶じゃありませんよ? 自分が死なないように、調整していますから」

「シェリー? 返事は?」

「……はい、分かりました」


 不満に思って眉をひそめていると、ふいにキスしてきた。額へと。くちびるが当たった部分を押さえていれば、深く溜め息を吐いて、抱き締めてくる。いつもの抱き締め方とは違って、しがみついてくるような感じだった。私の肩に顔を埋めている。


「……あの、レナード殿下?」

「次にまた、こういうことをしたら食事を抜く」

「えっ!? こ、困ります……。それはお腹が空いちゃいます!」

「じゃあ、約束してくれ。二度とこんなことはしないって」

「あ、はい。分かりました。じゃあ、約束します……」


 どうして怒られるんだろう? よく分からなかったけど、胸の奥がそわそわした。このあと、殿下が私を部屋まで送ってくれた。まだ手の温度が染みついている。バーデンのとは違って、温かい。人の体温という感じがする。前に貰ったサシェを嗅げば、まだ甘い匂いが残っていた。


 真っ暗闇と、部屋に戻ったら、ベッドで眠っていたバーデン────黒い狼の姿をしていた────の寝息と、暖炉の炎がばちばちと、燃え爆ぜる音に浸っていたら、あっという間に眠りへと落ちていった。そのあと、夢を見た。お父さんが悲しそうに笑って、幼い私の手を握り締めていた。まだ何の傷跡も残っていない、つるんとした手。私と同じ、黒髪と赤紫色の瞳を持った、父の優しげな笑顔。でも、涙ぐんでいる。見上げていたら、静かに涙がこぼれ落ちた。


「……ねえ、どうしてお父さんは泣いているの? 私、何かした?」

「何もしてあげれなかったから、泣いているんだよ。ごめん、シェリー。父さんが全部悪かったんだ。こんな風になってしまって、本当に申し訳ない」

「お父さんは何も悪くないでしょ? 私、この生活でいいよ。今のままでいいよ! ねえ、見てみて。お父さん! 私ね、いくらでも人が殺せるようになったの。強いんだよ! ほらほらっ」


 父は悲しそうに笑っていた。手に持っていたはずのナイフは、誰かの骨にすり替わっていた。私、間違ってる? 何が、一体何が、何が何が何が……。私が持っていた骨に、父が手を添えた。私はかなり小さくて、首が痛くなるほど、お父さんを見上げなくちゃいけなかった。辺りには白い空間が広がっていて、何も見えない。お父さんが赤紫色の瞳に涙を滲ませ、笑う。


「お父さんもね、人を殺したことがあるよ。大丈夫、シェリーだけじゃない、お父さんもだよ」

「……つらかった? 人を殺すのは。どう思ってた?」

「さあ、どうだろう。考えても仕方ないことだから、考えないようにしていたなぁ」

「私も一緒! お父さんと一緒だからね!?」

「うん、ありがとう。シェリー。でも、いつかは罪を償わなくちゃいけなかった。そんな気がするんだよ、お父さんは。全部、起きて当然のことだったのかもしれない……」









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