1.紹介されたのは、護衛兼子供を生む仕事
はたはたと、不思議な音を立てて、真っ白い小鳥が顔のすぐ近くを飛んでいた。面白い! 封筒が小鳥の姿になって、案内してくれるだなんて……。ブティックや飲食店が立ち並ぶ街中で、ひときわ浮いている。でも、買い物客らしきおばさんや作業着姿のお兄さん達には、この真っ白な鳥が見えていないようで、何も言わずに通り過ぎていった。見ることさえしない。嬉しくなって、肩の上に乗っている黒いトカゲ姿のバーデンを見下ろして、話しかける。もちろん、周囲には人がいるから小声で。
「ねえ、バーデン? すごいね、この小鳥さん。誰が作ったのかな? どんな術語を組み合わせたらこうなるの?」
「さぁな。……でも、相手はかなりのお偉いさんだろうな」
「そうなの? 分かる?」
「ああ、見てみろ。羽根の裏側に王家の紋章が刻まれてるだろ? 自分で出したものにそれを使っていい魔術師は、王族お抱えの魔術師だけだよ」
「へえ。分からなかった、本当だ」
顔の近くを飛んでいる小鳥をよく見てみると、確かにちらちらと、はばたきをする度に、紋章の赤い色が覗き見える。このシープ王国の紋章は、羊の角が生えた女神様と剣、野薔薇が絡み合っていて好き。ブランドのロゴにでもなりそうな、ロマンチックで幻想的な紋章。機嫌よく小鳥を見ていたら、ふいに「チィ!」と鳴いて、バス停をくちばしで示した。私がバス停へ向かうと、時刻表の上に止まった。荷物を沢山抱えたおばさんの後ろに並び、数字を眺める。
「……ねえ、これ、どのバスに乗ったらいいの? 何行き?」
「九番乗り場、星の王城行き」
突然、鳥から渋いおじさんの声が出てきた。びっくりした。でも、深みがあって優しい声。六十代……前半くらいなのかな? ばくばくする心臓を押さえ、小鳥を見てみると、可愛いらしく「ピィ!」と鳴いた。私の驚いた顔を気にせず、毛づくろいする。肩の上のバーデンが、黒いトカゲからしゅるりと、黒い蛇へ変わった。
「すさまじい技術だな。見当もつかん。さては一等級国家魔術師か」
「わ、私も分からない……。これだけすごい小鳥は生み出せない」
「まぁ、生み出す必要なんてないだろうが」
「ねえ、これがカメラだったらどうする?」
「カメラ? 何の話だ」
「だから、この小鳥ちゃんの目がカメラだったらどうする? って話。つぶらな黒い瞳から、おじさんがこっちを見ていたらどうする?」
「さぁな、どうもしない。まあ、お前が気になるのなら鳥の目を潰しておくか」
「ピィ!?」
「可哀相だからいい……。やめておく」
「そうか? 分かった」
黒い蛇姿のバーデンが首を傾げたあと、またトカゲ姿に戻った。小鳥がほっとしたように、胸元を羽根で押さえる。変なの、人間みたい。眺めていれば、可愛く小首を傾げた。どうしよう? この動きもおじさんがしていたら。
「どう思う? バーデン。おじさんが、小鳥の向こうで首を傾げていると思う?」
「……技術があるんだから、自立型にしてるだろ」
「やっぱりそうよね? 私、センスがないからこういうのは無理なの。面白い、羨ましい」
この人には鳥がこういう風に見えているんだ。可愛い! 私は鳥をじっくり見たことがないから、鳥を出したって、きっと毛づくろいも首を傾げる動作もしてくれない。無機質に、「ピィピィ」と鳴くだけで終わるかも。にまにま笑って待っていると、私の後ろに人が並び出した。ほどなくしてバスがきたから、乗り込んで座る。窓側の席が空いてた、良かった。隣に座って欲しくないから、申し訳ないけどポシェットを置く。真っ白な小鳥が、ポシェットの上に降り立った。
「私、朝と昼の間の街が一番好きかも。バーデン」
「……不安はないのか?」
「不安? ないよ、ちっとも。私でも出来る仕事だろうし、出来ない仕事だったらやめればいい」
今さら人を殺したくないだなんて、そんな綺麗ごとを言うつもりはなかったんだけど、ユーインが望んでいるのならやめる。自分の手を見下ろしたあと、窓の外を見てみたら、流れてゆく街路樹が春先の風に揺らされていた。私の心みたい、今の。
「……ねえ、ユーインは誰よりも分かってたのよ。本当はもっともっと違う人生を歩みたかったって、私が深くで考えていることを」
「後悔してるか? 俺と契約したことも全部」
「ふふ、まさか! 後悔してたら、毎日暗い顔をしてる。でも、話相手がいるだけラッキーだとは思わない?」
「明るいところがお前のいいところでもあるな」
「そうかなぁ? 私、諦めてるだけだよ。足掻くのも絶望するのも何もかも全部……」
疲れちゃった。だからきっと、明るいわけじゃない。地面に這いつくばって命乞いする男の人の首を、“この人が楽に死ねますように”って祈りながら、切り落とした瞬間から、柔らかくて熱いものが流れ出て、消えちゃったみたい。
「ねえ、バーデン。いい人だといいね、今度の上司さんは」
「上司になるのか?」
「多分ね。……あ、そうだ。私、もうボスの部下じゃないから、ボスって呼ばなくてもいいんじゃないかな? 格好つけよね、あの人」
「知らん。好きにすればいいさ」
「ふふっ、つれない」
他愛もない話をしながら、バスに揺られ、王城を目指す。小花柄のワンピースを着てきてよかった。ついたら通して貰えるのかな? とか、少し不安に思いつつもバスからおりて、「ピィ!」と鳴く小鳥についていく。辺りは観光客であふれ返っていた。
でこぼこした灰色の石畳が、小高い丘のてっぺんにある王城へと向かって伸びている。道の両脇に、可愛いらしい外観の雑貨店やパティスリー、赤茶色屋根のレストラン、おもちゃの家みたいな黄色と赤で彩られたカフェ、宝飾店、個人経営の服屋が並んでいた。ひっきりなしに観光客が行き来する中を歩き、辺りを見回してから、そびえ立つ王城を見つめる。青と白の壮麗なお城は、深い木々に囲まれていた。天気もいいし、観光日和。
「わ~……見ていて楽しいねえ! お城の辺り、初めて来たかも! お土産何にしよう~」
「すっかり観光客気分だな? 思い出せ、お前は呼び出されてるんだぞ。王室の関係者にな」
「分かってるよ~……。ユーインは私からのお土産なんていらないかも。叔父さんにあとで送ろうかなぁ」
「あれが喜ぶか? 土産なんぞ貰って」
「お酒ならきっと喜んでくれるよ。行こうか」
「ピィ!」
のんびりお喋りをしていたからか、小鳥に急かされた。観光客に間違われたらどうしようと思ってたんだけど、城門が見えてきた瞬間、鳥がまたおじさんの声を出す。
「申し訳ない、ここに呼び出してしまって。全盛期の頃だったら、君一人ぐらい、引き摺り込んで召喚出来たんだが」
「いえ、怖いので大丈夫です! やっぱり、ぬいぐるみみたいな感じで喋ってるんですか!?」
「ぬいぐるみ……? とりあえず、地面に穴が開くよ。気をつけて」
「はい? わぁっ!?」
「シェリー!」
いきなり地面に穴が開いた。肩の上に乗っていたバーデンがしゅるりと、人の姿に戻って、私のことを抱き締める。でも、怖かった。私はどこに行っちゃうんだろう? ユーインがいないのなら、生きていても無意味だから、別に死んじゃってもいいんだけど。痛い思いをせずに死にたいな。
両目を力いっぱいつむって、すさまじいひゅうひゅうという、風が吹き荒ぶ音を聞いていたら、ふいに音が途切れた。次の瞬間、どんっと、重たい衝撃がやってくる。バーデンのローブを握り締め、耐えた。口の中に血の味が広がって、頬に暖かい空気が触れる。こわごわと目を開いたのと同時に、バーデンが私の肩を握り締め、低くうなった。私をお姫様抱っこして、椅子に腰かけてる。
「随分と手荒な魔術師だな? 殺すぞ!」
「申し訳ない。もう少し穏やかに迎えるつもりだったんが……年のせいかな? 上手くいかなかった」
目の前の椅子に腰かけたその人は、優しくて、穏やかなグリーンの瞳を持っていた。申し訳なさそうに微笑みながら、こほっと咳込む。白髪混じりの黒髪に銀縁メガネ、夜空のような色合いのローブ。どうしてだろう? 初めて会ったのに、初めて会った気がしない。その人の全部が懐かしかった。
「こ、ここは……?」
「城の中にある僕の執務室だよ。すまない、来るのが分かっていたら、あらかじめお茶を用意しておいたんだが」
「いえ、いらないです。紅茶もコーヒーも好きじゃないんです」
「そうか。なら、今度はジュースでも用意させようか。何がいい?」
「レモネードで……」
「分かった、レモードね。っと、すまない。少しばかり咳をさせてくれ。今朝から喉が乾燥していてね……」
ハンカチを取り出し、口元を押さえながら咳き込む。その隙に辺りを見回してみた。部屋はいかにも執務室といった出で立ちで、暖炉には火が入っている。ぱちぱちと火が爆ぜる音。飴色に輝くアンティーク家具と本棚、モスグリーンの絨毯と、金色の植物柄が浮かんだ壁紙。無言でおじさんを見つめながら、足をおろす。意図を汲んだバーデンがすぐさま、鷲の姿になった。椅子へ腰かけながら、手を上げると、バーデンが腕にがっしりと爪を食い込ませ、止まる。
「その子は人外者かな? それとも、魔生物かな……」
「私の質問に答えて頂けませんか? ええっと」
「僕はモリス。君は?」
「……シェリーです」
口の中が切れちゃって痛いから、もう帰ろうと思っていたのに、あまりにも穏やかに聞かれたら答えるしかなかった。不貞腐れていると、私の機嫌を察したバーデンが「ギャア、ギャアッ」と鳴きながら、大きな翼を揺れ動かす。そんな私達を見て、モリスさんが苦笑した。
「すまない。どこか怪我でも?」
「口の中が切れちゃったんです、痛い……」
「それなら俺が治してやろう。ほら」
「ありがとう……」
私の頬にバーデンが、つるりとしたくちばしを擦りつけ、傷を治してくれる。あっという間に痛みが引いていった。ご機嫌になっていると、モリスさんが深いグリーンの瞳を見開く。
「これは驚いたな! 金等級か? それとも銀等級?」
「バーデンは人なんて食べません! だから銀等級です。でも、文献にもほとんど残ってないみたい」
「当然だ。俺にまつわる文献は全て焼き捨てた」
「ですって。私も初耳なんです、この情報」
「そうか。教えてくれてありがとう、バーデンどの」
人外者の扱いを心得ているみたい。丁重に扱われ、バーデンが茶色の羽毛を膨らませる。笑っていると、「さて」と呟き、銀縁メガネの位置を直した。
「君の上司から、何をどれだけ聞かされている?」
「私向きの仕事としか……んん? そう言ってたっけ? バーデン」
「忘れた。俺があんな男の発言をいちいち、覚えているわけがないだろう」
「ですって。私も忘れました。でも、人を殺す仕事じゃないとだけ聞いています」
「その通りだよ、シェリー。君はやったことがないかもしれないが、人を守って貰う」
「どなたをですか?」
「この国で唯一、癒しの血を持つ殿下をだよ」
「癒しの血を……?」
何それ、初めて聞いた。癒しの血? ユニコーンみたいな力が人間にも宿るの? わけが分からないという顔をしたら、軽く肩を揺らして笑った。穏やかで、どんなに頑なな人もつられて、微笑んでしまうような雰囲気を持っている。
「そう。ただし、国家機密だから誰にも言わないように。あとで血の契約を交わして貰うよ」
「そっ、そんな重要情報をさらっと!?」
「……非常に下世話なことをしなくてはいけないからね。まず言わないと、話が始まらない」
「下世話なこと? それってどういうことですか?」
「君の任務を簡単に説明すると、二十四時間三百六十五日、殿下に張り付いてお守りすること。信頼関係を育むこと。そして、最終的には」
「最終的には……?」
「出来れば、殿下の恋人となって子供を生んで欲しい。すまない、王妃様からの命令なんだ。こんなこと、言いたくはないんだが……。本当は」
呆気に取られて、何も言えなくなってしまった。バーデンがそんな私の横で、熱心に毛づくろいを始める。
「ね、ねえ、バーデン? 私向きの仕事だって言ってなかった!?」
「さぁな。いちいち覚えちゃいないさ」
「ちなみにこれまで、五十八人ほどが試して玉砕している」
「ごじゅうはちにんっ!? わ、私が五十九人目になるんでしょうか……?」
「そうならないように頑張ってくれ。でも、これまでとはまた違ったアプローチが必要になる。王妃様がそう考えてらっしゃるんだ」
苦笑してから溜め息を吐き、メガネを外した。気が滅入る仕事なのか、うつむいて目頭を揉み出す。へ~、殿下と子作りが……私の仕事なの!?
「あ、あの、誰ともお付き合いをしたことがないし、そういったこともしたことがないのですが、大丈夫でしょうか? もっとこう、専門職の方が向いているのでは?」
「専門職の方……? とりあえず、手練手管にたけた美女は軒並み玉砕してしまった。殿下は経験が豊富な女性よりも、経験があまりない女性の方がお好みらしい」
「なるほど。じゃあ、私でも務まりますね?」
「聞くが、好きな人はいるか……?」
呆気に取られてしまうような質問を、いたく真剣な表情でしてきた。……この人、そういうことを気にするの? 一体どうして?
「好きな人はいません。それに、仕事なら何でもします」
「そうか。ほっとした、よかった」
「どうしてほっとしたんですか? 好きな人がいるからと言って、私は仕事を拒絶したりしませんけど?」
グリーンの瞳を瞠ったのち、気の毒そうな顔をした。哀れんでいるというよりかは、痛々しいとでも言いたげな顔だった。どうしてそんな顔をされるのかがよく分からなくて、困惑する。バカにされたと思ったのに。
「私にもプライドがあります。どんなことだってできます!」
「いいや、違うんだ。すまない……。でも、そんな子の方が殿下には合うのかもしれない。優しい方だからね」
「そうなんですね? ほっとしました」
見た目がちょっと気になる。でも、女性を拷問する時だって嫌だな~、嫌だなぁって思いながらも、ちゃんとできたんだから、どんなに気持ち悪い見た目をした男性とでもできるはず!
「でも、お風呂にちゃんと入っていますか? 殿下は」
「……君がどういう男性を想像しているのか、よく分からないけど、僕の弟子はかっこいいよ。清潔感もある」
「弟子? ですか」
「そう。僕は殿下の師匠でもある。魔術のね」
にっこりと笑いながら手のひらを上に向け、空中に、水と青い鱗を持つ魚を生み出した。幻覚魔術だ。魚の青い目玉がぎょろりと動き、モリスの顔辺りでヒレを翻す。
「まるで本物みたい……すごい!」
「褒めてくれてありがとう。さて、本題に入ろうか。時間があまり残されていないんだ」
一瞬で魚を振り払い、霞となって消える。水もぶくぶくと泡立ったあと、消えていった。見つめていると、少しも表情を和らげないまま、口を開く。
「まずは君を雇うにあたって、そうだな……。非常に言いにくいが、妊娠できるかどうか確かめさせて欲しい。この紙に血を一滴、垂らしてくれないか?」
「分かりました。そんなことでいいのなら。バーデン」
「分かった」
私がカラス姿のバーデンへ指先を差し出すと、くちばしで皮膚を破いてくれた。白い長方形の紙にしか見えないものへ、血を一滴垂らす。それから、すぐに指を引っこめて押さえる。
「これでいいですか?」
「ああ、もちろん。ありがとう。人外者と契約していると便利だな……よし、問題ない。健康的な生活をしているとは言いがたいが」
「あっ、朝ご飯食べてないです……!!」
「貧血気味だからちゃんと食べた方がいい。あと、手足も冷えるタイプだろう? こんな気色悪いことは言いたくないが、王子の子供を生むためにも、頑張って健康的な生活をして欲しい。夜更かしも禁止だよ」
「おふっ……頑張ります」
「そうしてくれ。福利厚生は以下の通りになる」
「しっかりしてるんですねえ! やった」
「当然だ。ブラックじゃないよ、うちは」
差し出された書類を眺め、難しい文章を読み解く。お給料がかなりいい。でも、王宮で見聞きしたことは誰にも言わないこと、書き残したりもしないこと、殿下を傷付けたりせず、なるべく命令に従い、緊急時には、自分の命よりも殿下の命を優先すること────……。
(不服はないけどおかしい。この人が、こういうことを言うような人には見えない)
むしろ、自分の命を優先しろとか言いそう。この書類の問題点は、最後に魔術的な契約を交わして、決まりを絶対に破らせないようにしているところ。強制されるべきじゃないことばかり、並んでる。書類から顔を上げれば、どこか虚ろで、悲しそうな微笑みを浮かべていた。もしかしたら、望んで言っているわけじゃないのかもしれない。
「……あの、私はどうなってもいいです。別に。でも、これは過激です。モリスさん、あなたがこんなことを言うような人には見えないんですけど」
「僕は殿下の完壁な味方を作りたいんだ。申し訳ないが、君の言動や過去を全部覗かせてもらった」
「どうやってですか!?」
「それは内緒だよ、ごめん。でも、あまり時間がないんだ。僕も年だし、今度は殿下を守りきれないかもしれない」
「守りきれ……?」
「先週、毒を盛られた。メイドの犯行だ。城の中はもう安全じゃない、殿下を死なせるわけにはいかない……。だから、倫理から外れたことにも手を染める。君を、殿下の完壁な味方に仕立てあげたい」
肌がびりりと、震えたような気がした。この人の殿下への思い入れは尋常じゃない。私、こんなにも誰かのことを崇拝したことがない。
(崇拝? 違うような気がする。どちらかと言うと固執してるみたい。いかに殿下が心地よく、快適に暮らせるかを……)
考えは続かなかった。あまりにも鋭い眼差しを向けられ、息を呑みこむ。私が怯えているのが分かったのか、ぱちくりとグリーンの瞳をまたたき、苦笑した。
「すまない。つい、殺気立ってしまって」
「あ、い、いえ……」
「色々言ったが、殿下のお気に召さなければそれで終わりだ。でも、僕はできたら殿下の味方になって欲しいと、そう思っている」
「どうしてですか? 私以外に人はいっぱいいるのに?」
「……気が合いそうだから? それに、君は人を緊張させない持ち主だ。強制的に心の鎧を剥ぐかのような、そんな雰囲気を持っている」
「なにそれ、怖い……」
「ははは! じゃあ、案内するよ。ついてきてくれるか?」
「はい! あ、殿下は鳥さんが平気ですか? もしあれだったら、バーデンを子犬ちゃん姿にしましょうか?」
「おい、よせ。やめろ! この俺が醜くてか弱い子犬の姿になるとでも!?」
「私がお願いしたらなって欲しいな、バーデン。そういう約束でしょう?」
腕に止まった鷲姿のバーデンを見つめ、微笑む。金色の瞳を光らせ、私を見つめてきた。
「怖いもの知らずのシェリー。そんなんじゃ、いつか俺に食われちまうぞ?」
「ふふふ、大丈夫。だって私、食べてもきっと美味しくないもの。バーデン、指先をちょっと齧っただけで、ぺいってしちゃうんじゃない?」
「ほざけ。まぁ、お前が望むのなら子犬でも道化でも、何でもなってやるさ……」
私を見つめるのをやめ、美しい茶色模様の羽根を震わせた。すぐ隣に立っていたモリスが笑い、扉に手をかける。
「大丈夫。殿下はむしろ、鷲がお好きだよ。ああ、そうそう……今までの女性達は全員、一目見ただけで追い払われてきた。頑張ってくれ」
「男だったらいいんですか……?」
「さあ、どうだろう? そういう目的を持って、近づかれるのが嫌なだけじゃないかな」
「なるほど。そういう目的とは?」
「……子供」
「なるほど! 地位や寵愛じゃないんですね」
「そうだね」
居心地悪そうに肩をすくめ、廊下へ一歩足を踏み出す。執務室の扉には、木立の中で座り込む女神と羊の姿が彫られていた。
(どんな人なんだろう? 殿下って。もうちょっと新聞を見てれば良かった。どんな顔かも分からない)
ユーインから「新聞ぐらい見なよ」って言われてたんだから、ちゃんと見れば良かった。でも、城内の廊下を見た瞬間、憂鬱な気持ちが吹き飛んだ。天井が高くて豪華だった。いくつも飾られた彫刻や肖像画に、磨き抜かれた鏡。どれだけ人が来て座るんだろうと言いたくなるぐらい、椅子やソファー、テーブルがいっぱい並んでる。まるでタイムスリップしたみたい!
「豪華ですねえ、このお城! すごい……」
「まあ、君が住む塔はそこまで豪華じゃないが」
「塔? ……王子様は塔に住んでいるんですか?」
「そうだよ。癒しの血を持つ殿下をどうしても失いたくなくて、陛下がそこへ閉じ込めてしまったんだ」
「閉じ込めてしまったんだ?」
「少なくとも、僕はそう考えている。……あれは親の愛なんてものじゃない」
こちらを振り返りもせずに、低く呟いた。よく分からないけど、私には教えて貰えないようなことが沢山あるみたい? 肩の上のバーデンが、今度は真っ黒なリスへと変化する。歩調を変えずに、またモリスが口を開いた。
「でも、今日は王妃様とのお茶会の日でね。この王城に来てらっしゃる。ああ、そうそう、失格なら家に帰ってくれ。合格したら近日中に、荷物をまとめて塔に引っ越して貰うこととなる。大丈夫かな? 急な話ですまないね」
「いえ! たった一人の弟には見捨てられたばかりですし、いつでも死ねます。い、いえ、いつでも引っ越せます!!」
「バカだな、お前。死ぬ気だったのか。よりにもよって?」
リスのバーデンが愉快そうに笑い、カラスへと変身して、真っ黒な羽根を広げる。ああ、どうしよう? 失敗しちゃった! 何も言えず、気まずく思っていると、モリスが急に振り返ってきた。限界までグリーンの瞳を見開き、じっと私のことを見つめてる。
「……そうか。なら、好都合だ」
「好都合? 何がでしょうか?」
「いいや、とにかくも殿下に気に入って頂かなければ、話は進まない……。この部屋だ、どうぞ」
「えっ!? ノ、ノックは……」
「殿下、入りますよ」
軽く呟いたあと、森にいる雌鹿と乙女の絵が彫られている、両開きの扉をゆっくり開けていった。どうしてかこの時、私のうなじは酷くぴりぴりしていた。