9.死ぬよりも何よりも、一人になるのが怖い
一旦、部屋に戻って着替えにいく。バーデンはえらそうにふんぞり返りつつ、「じゃあ、リビングで待ってるぞ」と言っていた。……まるでもう、殿下の鳥みたい。ペットよ、ペット! しょぼくれながら、カウチソファーに置いてあった黒いバッグから、適当に白いニットとズボンを引っ張り出す。こんなに綺麗なお部屋に住むことになったんだし、新しい服を買ってみてもいいかもしれない。ニットを掴みながら、辺りを見回す。
(この部屋は夜よりも、朝に見る方がずっとずっと綺麗……。素敵。シャンデリアが煌いてる)
静かに吊り下がっている銀の葉をかたどったシャンデリアが、ほのかに明るい陽射しを受け、銀色に光り輝いていた。わくわくする。新しい朝と古い匂い。どれだけ丁寧に掃き清められても、漂う埃っぽさ。建具や壁にこびりついていて、拭い切れない。それに、肌の奥に染み込みこんでゆくような寒さと薄暗さ。……殿下はここで、一体何を考えて生きているんだろう。
着ていたネグリジェを脱ぎ、カウチソファーの背へかける。衝立が欲しいな。誰かが急に入ってきてもいいように。でも、殿下ならきちんとノックしてくれそう。くすくすと笑いながら、白いニットを広げて着る。寒いから下にタイツでも履こうかな? だけど、動き辛くなるかもしれないからやめておこうっと。いざ暗殺者が来た時に、対応出来ないと困っちゃう。
(今まで、私のターゲットを護衛していた人もこんな気持ちだったのかな? でも、死ぬ覚悟は出来ていたんだろうし、責められるのがよく分からない)
ユーインが私のことを責めた。人殺しだって。もうそんな仕事はして欲しくないって。殺される覚悟が出来ている人を殺すのは、さして悪いことじゃないような気がするんだけど……。それに、嫌な人ばっかりだったし。殺してやりたいと思われて、実際に殺されるような人達を殺してきたんだから、許して欲しい。
「一種の人助けだと思うの、バーデン。ああ、いないんだった。忘れてた」
そう、私がすることは一種の人助け。依頼人が困ってるから助けるだけ。叔父さんもそう言ってた。依頼人に精神的なダメージを負わせないため、代わりに俺達が人を殺す。これもこれで立派な人助けだ、シェリー。人を守ることだけが、人を救うことじゃない。時には殺して、排除しなくちゃいけない人間だっているんだ。
脳内の叔父さんに頷き返して、笑う。……私の何が間違ってるんだろう? 悲しく思いながら扉を開けて、リビングへと向かう。昨夜とは違って、ほのかに明るかった。手の先が見えないほど、暗くはない。石造りの廊下に、ぼんやりとした明るさの夕方が訪れているみたい。
「……肩にバーデンがいないと寂しいな」
左肩を押さえつつ、螺旋階段を下る。不思議と明るかった。窓が一つも無いのに朝だと分かる、明るさにぼんやり包み込まれている。リビングの扉に手をかけると、音もなく、すぅっと開いた。そこにはレナード殿下が立っていた。びっくりして硬直する私を見て、にっこりと笑う。
「あっ、シェリー。今、迎えに行こうと思ってたところなんだ」
「そ、そうなんですね? ありがとうございます。あの、バーデンは……?」
「ベーコンエッグを先に食べてる最中。おーい、バーデン? シェリーが来たぞ!」
「へいへい」
どうでもよさそうに呟いてから、黒い翼を動かし、リビングに入ってきた私の肩に止まる。ほっとした。もう二度と帰ってこないんじゃないかって、一瞬だけそう思っちゃった。笑いかけた時、くちばしに黄身がついてるのが目に入る。微笑みながら取っていると、さりげなく殿下が私の腰に手を添えてきた。
「どうする? バーデンと同じものを食べるか? ちなみに生のトマトとレタス、ベーコンエッグに昨日のシチューを食べていた」
「バーデン!? 魔力がご飯なんだから、そんなに食べなくてもいいでしょ!?」
「嗜好品だからな。あいつの魔力も魔力で、芳醇なバターのような香りがしてうまいが、目玉焼きの濃厚さが欠けている」
「何それ? 意味分かんない。レナード殿下? 私、バーデンよりもっともっと豪華な朝ご飯が食べたいです!」
「聞く必要なんかありませんよ、レナード様。その女、さっさと追い出しましょう。じゃなきゃ、どんどん付け上がるだけだ」
「うわぁ~……!! カイ、いたの?」
「ここは俺の家でもあるからな!? ったく、あからさまに嫌そうな顔しやがって。こっちの台詞だよ……」
昨日と同じ、黒尽くめの格好をしたカイが座って、もしゃもしゃとレタスを食べていた。向かいでマグカップを傾けているエナンドが苦笑して、「まあまあ」となだめる。ふいっとそっぽを向き、カイがコーヒーを飲み始めた。コーヒーの良い香りがリビングに充満してる。私がぐぎぐぎ言いながら睨みつけていると、レナード殿下が笑って覗き込んできた。
「まあまあ、シェリー。落ち着いて。何を飲む? 淹れてあげようか」
「じゃあ、紅茶が飲みたいです! ミルクを入れて飲みたい」
「分かった。じゃ、淹れてあげよう。さっき淹れた紅茶があるから、温め直して出しても?」
「贅沢は言いません、贅沢は。ねえ、バーデン? カイを追い出してくれない?」
「シェリー、ちょっと待った! ほら、カイは俺の弟みたいな存在だから……」
「私に嫉妬してるんですよね? 小姑なんだ、小姑ーっ!」
「誰が小姑だ! それに、俺はお前の同僚みたいなもんだよ。殿下がお前に手を出すとでも? ねえ、有り得ませんよね? ちゃっかり腰に手を回してるようですが」
じろっとカイに睨みつけられ、殿下が苦笑しながら両手を上げる。あ、寂しい。別に良かったのに……。見上げてみたけど、私とは決して目を合わせようとせず、キッチンへ足を向けた。
「随分と当たりが強いな……。エナンドも助けてくれないようだし?」
「あれ? 俺の助けなんて必要なんですか? レナード殿下。そもそもの話、あの時受け入れていたら良かったのに」
「本当にそうですよ! ローザ様だってレナード様のことを、」
「もう終わった話だからやめてくれないか? ……ああ、ごめん。シェリー。何でもないよ。こっちに来て手伝ってくれないか?」
「あっ、はい! もちろん……」
殿下は殻の向こうにいるような気がする。笑いながら人を拒絶する。後ろを振り返ってみると、二人がむすっとした表情でご飯を食べていた。誰だろう? ローザ様だって。胸がもやもやする。そういえば、今まで何人もの人が挑んで玉砕したんだっけ? 落ち込んでいれば、レナード殿下が袖をたくし上げて、冷蔵庫を開ける。
「玉子は何個? 二個? それとも一個?」
「二個でお願いします!! とろとろの半熟玉子が食べたいです。端っこがかりかりってしてるやつ」
「よし。それじゃ頑張ろうかな? ベーコンと……そうだ、レタスは食べれるんだっけ? トマトは? あとキノコも食べれるかどうか、ついでに聞いておきたい」
「ん~、マッシュルームなら食べれます。あとは無理です! トマトは焼けば食べれます」
「そっか。じゃあ、無理して食べなくてもいいよ。あ、トマトの上にチーズをのっけて焼くのは?」
「美味しそう! 食べたいです」
「じゃあ、それにしようか。バーデンのより、豪華な朝ご飯が食べたいんだろう?」
「はい……」
覚えていてくれた、嬉しい。わくわくしながら殿下の傍に行くと、笑って「火を入れてくれないか?」と言われた。頷き、立てかけてあった火持ち棒を取る。暖かく揺らいでいる炎へ先端を突っ込めば、炎が大きく揺れ動いた。ぐっと力を込めてみると、何か柔らかいものが挟まる。人の眼球を摘まんでいるみたい。きっと、燃え盛っている眼球があればこんな感じよね……。掴んだ炎をコンロに移せば、また炎が三人の小人に分裂した。横で玉子をカンカンと、リズム良く割っていた殿下が呟く。
「それ、弱火にしておいてくれ。弱くと言ったらしてくれるけど、下のつまみを左に回すと弱くなる」
「つまみを……? あ、これですね。ふぉわっ!?」
「ちょっと可哀相だろ? まあ、生きてないんだけどね」
つまみを左に回してみると、にゅっとバーナーの下から黒い棒が現われ、それまで燃え盛っていた小人を押し潰した。……挟まれてる! 苦しそう。炎を弱くするから弱火なの? 首を傾げていると、手早く目玉焼きとベーコンを載せていた殿下が、鉄フライパン片手に「ちょっと悪い、のいてくれ」と言ってきたからのいた。
「よし。次は紅茶とサラダか。サラダは冷蔵庫にあるから、取ってきてくれ。あ、好きなドレッシング使っていいよ。この間三人で作ったオニオンドレッシングと、シーザードレッシングがあるから、好きなのを選ぶといい」
「は、はい。カイも作ったんですか……?」
「玉ねぎを切るぐらいしかしてないから安心して。そうだ、黒胡椒をかけても? 目玉焼きに」
「どうぞ! すごく辛いスパイス以外は平気です」
背後の二人は私達を無視して、黙々と食べている。それにしても、バーデンが静か。今は私の邪魔にならないよう、グレーの鱗を持ったトカゲに変身して、すやすやと眠ってる。あれかなぁ? バーデンも塔の魔術の影響を受けてるのかな。私はもうすっかり平気。動けるし、嫌な気分の落ち込みも無い。
冷蔵庫からシーザードレッシングを取り出したあと、ふいにキッチンに佇んで、目玉焼きを睨みつけている殿下に目がいく。リビングのシャンデリアに照らされた黒髪と真剣な表情。……こうして見てみると、普通に生きてる男性に見える。
(上手く言えないけどあの、初めて会った時の幻想的な感じが抜け落ちてる……)
それが寂しいような、悲しいような、ほっとするような、不思議な気持ちにさせられる。私がまだ塔の魔術の影響を受けてるから? なんとなく人肌が恋しい。後ろから思い切って抱きついてみれば、びくっと、殿下が体を揺れ動かした。背後ではエナンドかカイか、どっちか分からないけど激しくむせている。
「……シェリー、どうした? 気分でこうしてる?」
「はい! でも、無性に誰かに抱き締めて欲しくて。不思議ですね、魔術のせい? どれだけ明るくても暗いような感じがするし、隅っこの方からじわじわと寂しさが押し寄せてくるんです。そんな感じがしませんか? だから、血を搾り取られるだけの生活って……」
急にレナード殿下がこっちを振り向いた。呆気に取られていると、真剣な表情を浮かべ、私の顎に手を添える。あ、指先がぬるっとしてて冷たい。さっき玉子を割っていたから? それにしても、蜂蜜色の瞳が本当に綺麗。まるで、職人が作ったみたいな目の形。肌だって、白くてまろやかだし……。ふいに私から目を外して、硬直してるエナンドとカイを見つめる。にっこりと優しく、殿下が微笑んだ。
「大丈夫。二人の前で堂々とイチャつきはしないから。シェリー? 食器棚から皿を持って来てくれ。好きなの選んでいいよ」
「……はい」
心臓がどくんどくんと変な感じになる。初めて会った時とは違って、手が冷たかった。ひんやりしていた。頬が真っ赤になってる私を見つめ、くすりと笑う。
「カイがいつも使ってるのは青い皿と白い皿だから。嫌なら避けて」
「は、はい! 避けます……」
変なの、キスされるかと思った。くちびるに手を添えながら、二人の方を見てみると、何かを熱心に話し込んでいた。気になりながらも、白地に花柄模様がついたお皿を出して、レナード殿下に手渡す。殿下はのんきにふんふんと鼻歌を歌いながら、トマトにチーズを載せていた。
しばらくしてから、木のテーブルの上に目玉焼き二つとベーコンが載せられたお皿、それに温かいシチューと美味しそうなトマトのチーズ焼きと丸パン、紅茶入りのマグカップが並べられる。どういう顔をしたらいいのか分からなくて、スプーンを握り締めながら黙っていたら、向かいのカイが口を開く。
「あー、レナード様? まさかとは思いますが、観念して子供を作る気になったとか……?」
「朝から刺激的な話をしないでくれよ。気が滅入るから」
「それとも、シェリーちゃんにちょっかいをかけてるだけですか? 普段、俺のことを軽蔑した眼差しで見てるくせに!?」
「カイにエナンド。食べ終わったなら、一旦外に出てくれないか? シェリーと話があるんだ、俺」
モリスさん仕込みかもしれない、穏やかな微笑みを浮かべて言う。二人が一気に面食らった顔になったあと、私の顔をまじまじと見つめてきた。いつの間にかカラスに変身していたバーデンが、不愉快そうに翼を動かし、低く「カアッ、カア」と鳴き始める。最初に音を上げたのはエナンドだった。額に手を当て、もう片方の手をひらひらと動かす。
「分かりました! じゃあ、追い出さないんですね? シェリーちゃんのことを本当に!?」
「うん。護衛として雇ったから、追い出すつもりはないよ」
その言葉を聞いて、わざとらしくカイが溜め息を吐いた。この人、本当に嫌だ……。黒い布で顔をぐるぐる巻きにしてるし、なんか嫌な目をしてるし。
「はー……後悔しますよ、レナード殿下。よりにもよって、ハウエル家の生き残りだなんて」
「カイ! シェリーは何も覚えていないみたいだし、放っておいてやれ。それにまだ間に合うと思ってる」
「どうだか。そいつはちょっとおかしいし、もう情緒なんて発達しないんじゃないですか? おい、エナンド。行くぞ! 俺達はどうやらお邪魔みたいだからな」
「そう、かっかかっかするなって。ガキかよ」
「別に嫉妬してるわけじゃねぇよ! ただ、これまでレナード殿下がさんざん、女は嫌だ、女は嫌だって言って、神経を疑うような方法で追い出してきたくせに、急にその女とイチャついたりするから……!!」
「神経を疑うような方法って?」
「カイ……」
隣に座った殿下を見てみると、頬杖をつき、ばつの悪そうな表情を浮かべてる。椅子から乱暴に立ち上がったカイを追いかける前に、エナンドがこっちを振り返り、笑った。でも、目が笑ってない。
「申し訳ありません、レナード様。でも、あなたが悪いんですよ。シェリーちゃんの一体どこに惹かれたんですか? 不幸な出自だからですか、俺達のように」
「たとえ、お前達がぬくぬくと育った貴族の子息でも傍に置いていたよ。……かけがえのない存在だ。唯一の家族だと思ってる」
「……ありがとうございます。でも、そういう綺麗な言葉で誤魔化さないで欲しいんですけど?」
「シェリーなら本音を話せるような気がしたから。それだけだ、以上!」
うんざりしたかのように、上を向いて叫ぶ。そんな様子の殿下を見て笑ったあと、今度こそリビングから出て行った。……しまった。シチュー、もう冷めちゃったかも。慌てて口に運ぶと、じんわりとまろやかな味が広がっていった。渡されたスプーンは木のスプーンで、口当たりが良い。ほくほくしたじゃがいもを割って食べていると、頬杖を突いた殿下が話しかけてきた。
「美味しい?」
「あっ、はい。殿下はもう食べたんですか?」
「さっきちょっとだけね。朝はあんまり食欲が湧かなくて」
「へー、そうなんですね。でも、分かりますよ。私も朝は眠たくて億劫で……だけど、モリスさんからちゃんと食べるよう、言われたので食べます。確か、妊活には鉄分が必要不可欠でしたよね?」
「シェリー……まいったな、もう。さっきの話は気にならないんだ?」
「さっきの話って? ああ、ローザ様のことですか? それとも、神経を疑うような方法で追い出した女性達の話?」
「どっちも。シェリーは俺に興味があるんだか、どうでもいいんだか、よく分からないな」
「でも、それは殿下の方じゃ……?」
からかわれてるだけのような気もするし。持ち手が木になっているナイフとフォークを使って、美味しそうな焼き目がついたチーズのトマト焼きを切り分ける。中からとろっと、熱い汁が出てきた。トマトは生じゃなかったら平気! それに美味しそうなチーズも載せられてるし。じゅわっと広がるチーズの旨みを想像しながら、幸せな気持ちで口へ運ぶ。予想通り美味しかった。トマトが甘いし、チーズにコクがある。
「んんん! 美味しい……。さすがは王族ですね。いいもの食べてる」
「美味しそうな顔で食べるなぁ。一口ちょうだいって言いたくなる」
「いいですよ、食べますか? 殿下は私の主君ですから」
「主君?」
「そうです。いざとなったら、殿下の代わりに死ぬつもりです。だからたとえ、いつか私が殿下のせいで命を落としたとしても、気になさらないでください。あなたの代わりに死ぬことが、私の本望です」
「本望ねえ……生きたいとは思わない?」
「思いません。思っていたら護衛の仕事なんて引き受けません」
「したいことは?」
「えーっと、殿下の子供を生むこと? あとはユーインに会いたいです。会って謝りたいなぁ……」
多分、私が何か余計なことをしちゃったんだ。謝りたいな。どうすれば良かった? ユーイン。この仕事は続けなくちゃいけなかったし……ユーインの足を取り戻すために。あと、これまでかかった生活費を叔父さんに返さなくちゃ。まだ借金が残ってる。端っこが美味しそうに焼けた、つるぴかの白身にナイフを入れる。まず最初は白身から食べたい。黒胡椒とハーブソルトがかかっていた。口に入れると、つるんと白身が弾ける。
「おっ、美味しい~……!! 殿下? 私を見ていて楽しいですか?」
「楽しいよ。ああ、ほら、口の端っこに白身がついてる」
「いいです。食べ終わってから、口元を拭くので……」
私の話を無視して、レナード殿下が口元を拭う。何を考えているのかよく分からない蜂蜜色の瞳。こうして見てみると、少しだけ叔父さんに似ているかも。諦めきった眼差しと、漂う気だるさ。何もかもを諦めきったような顔をしているくせに、時折、嬉しそうに笑う。
でも、レナード殿下の方が若くて綺麗。ぴちぴちしてる。しんと静まり返ったリビングの中でしばし、見つめ合った。途中で目を逸らすかと思ったけど、そうはせず、ただただ静かに私のことを見つめてる。蜂蜜色の瞳がまた、物語の王子様のように透き通っていた。ここは鳥の声が聞こえてこない……。
「ねえ、レナード殿下? 一体何を考えているんですか? もう分からないから聞こうと思いまして」
「何を考えているように見える? ……でも、シェリーだってよく分からない。子供を生みたいと言うくせに、肝心なところでは逃げ出すし」
「それは……すみませんでした。でも、つまみ食いをして欲しくないんです」
「つまみ食いを?」
「はい。昨日は抱きついてきたし、さ、さっきはキスしようとしたし……。私に手を出したくないけど、ちょっとしたスキンシップを楽しもうっていう魂胆がみえみえです!」
「……バレてたか」
「殿下!!」
「でも、スキンシップをした先にそれがあるから。慣れさせておこうかと思って。誰とも付き合ったことがないって言うし」
「ああ、もう、上手く言いますね……。どう思う? バーデン。ずるいとは思わない?」
「どうだっていい」
「あっ!?」
私の肩の上であくびをしたあと、白い煙を残して消えた。ああ、どうして置いていかれちゃうんだろう? いつもいつも。……あれ? なんだっけ? 頭がくらくらする。まだ眠いのかな。耐え切れずあくびをしていると、殿下が小さく笑った。ゆっくりと私の背中に手を添える。
「ごめん、嫌だった? 嫌だったらやめるけど。それか出て行けばいい」
「殿下って優しいのか優しくないのか、ちっともよく分かりません……!! そうだ、私に話って? さっき言ってたでしょう?」
「こういうことがしたかっただけだから。あれは口実」
「……ああ、そっか。カイとエナンドとはこういうこと、出来ませんもんね」
「そういうこと」
つまみ食いは禁止! って叫んで突き飛ばそうかと思ったけど、やめておいた。ぎゅっと目を閉じれば、私に近付いてきて、おでこにキスする。優しかった。くちびるの温度と感触にそわそわする。目を開けると、自嘲めいた笑みを浮かべた。ベーコンはきっともう、冷めちゃってる。
「ごめん、シェリー。あーあ、調子が狂う……」
「調子が?」
「さっき、何を考えているか知りたいって言ってたよな?」
「はい、言いました。私の顔に穴が開いちゃうぐらい、じっと見つめてくるから」
私が冷めて少しだけ固くなったベーコンをしがんでいると、顔を伏せながら笑う。嫌われているみたいじゃなくて良かった。どんな方法で追い出してきたのかは知らないけど、ベッドに害虫を数百匹入れられたって、この塔から出て行きたくない。
死ぬよりも何よりも、一人になるのが怖い。きっと殿下は、今まで散々必要とされてきたから、この怖さがよく分からないんだ。誰も私のことを気にかけないし、見ようともしない。大勢の人が生きて動いている街中でたった一人、透明な存在になる生活を続けていると、気が狂いそうになってしまう。ああ、私、何してるんだろうって思っちゃう。
(その気持ちが払拭出来たのは、ユーインがいたからなのに……)
ずっとずっと一緒だと思っていたのに。私が育てたも同然なのに、お母さんにお願いねって言われたのに。黙々と食べていれば、急にぎょっとするようなことを言い出した。
「……ごめん。キスしたいなと思って眺めてた」
「ふぁいっ!?」
「くちびるに」
「今、にゃんへ、にゃんへ言いまひたか……!? んぐ、やっぱり殿下は処女にしか欲情しない方なんですか?」
「シェリー! ぎょっとするようなことを言うなって、違うし!!」
「っふふ、そうしてると年相応の男の子に見えますよ」
「……シェリーの方こそ。たまに俺より年上に見える」
「そうですか? ああ、そうだ。叔父さんは不気味がっていたんですよ、私のことを」
「へえ。どうして?」
「さあ、後ろめたいことがあるからでしょうか……。よく女の子は父親に似るって言いますけど、その通りで、私はお父さんにそっくりみたいです」
「ふぅん。……おじさんって? 現当主のこと?」
「はい。よく分からないけど、えらい人らしいです」
でも、あの中で一番弱いと思うけどなぁ。私が丸パンをはふはふと頬張っていれば、笑って頭を撫でてきた。
「いいこ、いいこ。可愛いなぁ」
「……バカにしてません?」
「してないよ、本気でそう思ってるから。そうだ、シチューのおかわりは? いる?」
「はい、お願いします! 殿下!」
笑いながら、差し出したカップを受け取ってくれた。私、ここで上手くやっていけそうって何となく思った。




