【番外編】日髙ゆうき、勇気をもって結婚記念のワインを購入する!?<後編>
ガラスで仕切られたショーケースの向こうには、素晴らしいワインがずらりと並んでいる。
「ええっと……あったあった! 結婚お祝いのワインならこれなんてどう?」
「シャトー・カロン・セギュール……3級格付けでしたね、このシャトーは」
大正解だった。
ソムリエ試験の最初の難関として、ボルドー61シャトーの暗記というものがある。
合格後も、きっちりシャトー名と等級を暗記し続けていて、日髙さんは本当に偉いと思った。
「予算的にも二万円ちょっとで、いい感じですね。でもなんでこのワインを?」
「実際にエチケットを見たら、選んだ理由がわかるよ」
俺は近くにいた店員さんへ、セラーを開けて欲しいと頼んだ。
店員さんは鍵を取りにバックヤードへと下がってゆく。
「そういえばなんでワインのラベルのことを"エチケット"って呼ぶんでしょうかね?」
セラーが開くのを待つ中、ふと日髙さんがそういった質問を投げかけてくる。
「もともと"エチケット"ってのは宮廷へ立ち入る際に守るべきことを書いて貼り付けた札やその作法のことを指したんだって。そこから転じて、ワインのラベルをエチケットっていうようになったとか」
「なるほど……だから、ワインにも……たしかにワインはだいたい表ラベルを読めば、どんなものかわかりますよね! 勉強になりました! ありがとうございます!」
そうして話しているうちに、店員さんがセラーのところへやってきた。
鍵を解除してもらい、カロン・セギュールを取り出してもらう。
瞬間、日髙さんは感心したような唸りをあげた。
「わぁ! このエチケット、可愛いですね! ハートマークだなんて!」
お城のようなシャトーの外観を背景に、大きなハートが描かれたワインこそ、ボルドー・メドック61シャトーの3級に格付けされている『シャトー・カロン・セギュール』だ。味も申し分なく良いし、この大きく描かれたハートの影響もあってか、贈り物として人気の高級ワインである。
「このハートマークはね、18世紀にカロン・セギュールを所有していた、セギュール侯爵ニコラ・アレクサンドルの想いを描いたものなんだって」
「想いですか?」
「当時のニコラ・アレクサンドル侯爵は1級シャトーのラトゥールやラフィットを所有していた。だけど彼は<我、ラトゥール、ラフィットをつくりしが、わが心はカロンにあり>って、とてもカロン・セギュールを大切にしてて、こうしてエチケットへハートを描くことで、その想いを表現したって話」
「……彼にとってはオンリーワンな、大事なシャトーだったってことですね」
「でもこのワインって可愛い見た目をしているけど、かなりしっかりとした赤ワインなんだよ! 作りのスタイルもクラッシクで堅牢。味わい的には男性的なワインなんて言われているんだ! セカンドワインの"ル・マルキド・カロンセギュール"は品種構成を変えることで、3分の1の値段で購入できるし、更にお買い得なサードラベルも……」
と、ついついいつも"語りすぎてしまう悪癖"が出てしまったと思い、口を噤む。
しかし隣にいる日髙さんは、何故かすごくニコニコしていた。
「ご、ごめんね、なんか喋りすぎちゃって……」
「いえいえ、勉強になりますし。それにワインのことを夢中で語ってる緑川さんって、素敵っていうか、すごく可愛いと思います」
美人な日髙さんからの不意打ちをくらい、頬が熱を持った。
この年になって俺のことを"可愛い"などと評するのは、不動さんくらいだと思っていたからだ。
「オンリーワンか……ふふ……素敵なワインのご提案ありがとうございます! 今回はこれにしますね!」
⚫︎⚫︎⚫︎
「ゆうきさ……なに絶好な機会を逃しちゃってるわけ……?」
カフェにて先日の結果報告をしたところ、予想通り姫子より辛辣な言葉を投げかけられているゆうきなのだった。
「まぁ……うん……わかってはいるんだけどさ……」
「ん?」
「なんかさ、ああいうのに託けて、匂わせたりするのって、どうかと思っちゃって……やっぱり、想いは然るべき時に、然るべき態度で望まないと……なんて……」
ゆうきは迷うことなく、姫子へそう告げる。
ニコラ・アレクサンドル侯爵は、自身の愛情を恥ずかしがることなく、ハートという形で表現した。ならば自分自身も、今抱えている想いを、匂わせなどではなく、言葉でしっかりと表現したいとゆうきは思っている。
すると姫子は、少し安心たようなため息をあげるのだった。
「やっぱ、ゆうきはゆうきだね……なんか、変な提案しちゃって逆にごめんね」
「ううん、大丈夫。おかげで、自分がどうしたいのか、ちょっとわかったから……」
「でもさ、ゆうきのそういうところはとってもいいところだけど、そのおかげで色々チャンスを逃しちゃってるのは確かだから。だから、結論は早めにね?」
「う、うん……」
――結論は早めに。
姫子のその言葉が、今のゆうきには深く突き刺さる。
焦りがあるのは確かだし、そうウカウカできる状況でもないのはゆうき自身もよくわかっている。
(……近いうちに……本当に近いうちに、この想いに決着をつけないと……!)