【番外編】誕生日のワイン
「おーい李里菜! これはどうすんだぁー?」
「それはもういらない! 処分!」
久々にフリーランスソムリエとしての仕事もなく、しかも土日だったため、李里菜と一緒に彼女の生家の片付けを行なっているのだった。
年明け早々にこの一軒家は明け渡し予定なので、ただいま急ピッチで作業進行中である。
「トモー! ちょっとこれみてー!」
別室で作業中だった李里菜が呼んできた。
向かうと、彼女は紙に包まれた2本の筒をしげしげと眺めていた。
「これってワインだよね?」
「だな。確認しても?」
「オッケー」
李里菜の了承も得られたので、まずは一本目の包み紙を剥いだ。
中身は琥珀色に変化したワインが入っていて、ボトルにはオリジナルっぽいラベルが貼られている。
「このワイン、私と同い年……?」
李里菜が指摘した通り、ラベルのヴィンテージ表記は、彼女が生まれた歳だった。
と、なるとこのワインの正体は……
「これ兄貴と晶さん……李里菜のお父さんとお母さんが、李里菜の生誕を祝って購入した記念ワインなんだろうね。いいもの出てきて良かったじゃん」
「うーん……」
「どうかした?」
「嬉しいんだけど……なんか、ちょっと色が変……?」
鋭い観察眼だった。
さすがは俺と一緒になって日々ワインに触れ合っている李里菜だと思う。
「そうだね。でも、まぁ、ワインには賞味期限もないし……」
そう言いかけて、李里菜がムスッとした顔でこちらを見ていたことに気がつく。
「トモが優しいのはわかってる。でも、今、私が聞きたいのはBTG優勝者でソムリエのトモからの意見!」
なるほど……李里菜は叔父としての忖度的な発言よりも、プロ目線のしっかりとした言葉が聞きたいのだろう。
こうして李里菜は俺のことをワインのプロとして認めてくれていて、とても嬉しく思う瞬間だった。
「このワイン酸化しちゃってるね。腐ってるわけじゃないし、飲めるけど、ぶっちゃけあんまし美味しくないと思う」
ワインは熟成させるという文化があるため、賞味期限・消費期限というものは存在しない。
そうは言いつつも、ワインにも飲み頃というものは存在する。
よってそれを過ぎてしまえば、ワインの設計段階で想定されていた味や香りを頼むことは不可能に近い。
「なんでこんな風になっちゃうの?」
「たぶん、このワインって日本のどこかのワイナリーで3000円前後で買えるものだと思う。この価格帯の酒質で20年も寝かせるのは正直厳しいんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、どんなワインだったら20年くらい持つの?」
「赤ならものすごく重厚な酒質のものかな。例えばボルドー5大シャトーとか、スーパーセカンドとか」
「5大シャトーは……ラトゥール、ラフィット、マルゴー、ムートン、オーブリオンで、いずれも1本、最低価格10万円前後だっけ?」
「そうそう。じゃあ、スーパーセカンドは?」
「ボルドー61シャトーのうちに、一級ではないにも関わらず、一級並みの評価を受けているもの。例えばレオヴィル・ラスカーズ! これも1本最低2万円から3万円!」
ドヤ顔でそう語った李里菜であった。
ちなみに大正解である。
まさか、李里菜とこうしてワインの話ができる日が来るだなんて、と感動してしまう俺だった。
「いずれも値段が高いワインが、長期熟成に向くってこと?」
「その通り。もともとあの手のワインは数十年、寝かせることを前提で醸造しているからね。対して3000円程度のワインは、日常消費を意識しているから、熟成には向いていない。だから、今李里菜が持っているそのワインは、美味しい状態をとうに過ぎているってわけ」
ここまではっきり告げて、どうかと思ったが、李里菜は存外ショックは受けてい無い様子だった。
これも俺に影響されてか、ワインを正しく理解できるようになったから、なのだろう。
「……重厚な赤、意外に、こういう記念ワインに向くものってどんなワイン?」
「そうだなぁ……マディラのような酒精強化ワインとか、極甘口のトロッケンベーレンアウスレーゼや、ソーテルヌのシャトーディケムとか……」
「これ、もしかしてそう?」
そう言って李里菜が2本目のワインを差し出してきて、思わず我が目を疑った。
「うそ……シャトーディケム!?」
ーーシャトーディケムとは、ボルドーにおいてい生産される、貴腐ぶどうという希少なぶどうを原料とした、極甘口のワインである。
ちなみに世界3大貴腐ワインの筆頭であり、お値段も数万から数十万円もする。
なんでこんな高級ワインが李里菜の生家に……と、考え、不意に昔のことを思いした。
そういえば、俺は以前、兄貴から李里菜の生まれ年のワインが見つかって、大切に保管していると聞いたことがあった。
しかも見たことも聞いたこともない銘柄で、値段も5000円程度だった。
その話を聞いた当時の俺は、ソムリエ資格を取ったばかりで、非常に調子に乗っていたので、そのワインのことを"李里菜が成人するころには飲めなくなっている" "保管ならシャトーディケムくらいじゃ無いと無理" "年号にこだわらず、娘が成人したら一緒に飲みたいワインを買うべき!"などと、辛辣なダメ出しを行なっていた。
今、思い返せば、俺は兄貴に対して、相当酷いことを言ってしまったように思う。
(しかもヴィンテージは、俺がソムリエ試験に合格して、兄貴にマウントをとってしまった年だ……だから兄貴は李里菜のためにディケムを買い直して……)
ああまで言われておきながら、ちゃんとワインを買い直した兄貴は、たとえ血は繋がっていなくとも、本当に良い父親をやっていたようだ。
そしてもう無理なのだが、あの時、兄貴へボロクソに言ってしまったことを、きちんと謝りたい気持ちさえ湧いてくるのだった。
「李里菜、ちょっとそのワインを見せて……」
「だ、だめっ!」
と、なぜか李里菜はディケムのボトルをギュッと抱いて離さない。
「ちょっとみたいだけだからさ。いきなり開けて飲んだりしないから」
「そんなことしたら、もう2度と口聞かない!」
冗談で言ったつもりが、割と本気っぽい声でかえされてしまった。
「これだけはダメっ! 諦めるっ!」
頑なであった。なんだか顔も赤いし、本気で怒っているのか?
まぁ、両親の形見なので、大事にしたい気持ちがあるのだろう。
この話題はここで終了にし、俺は別室の片付けへ向かってゆくのだった。
⚫︎⚫︎⚫︎
(なんでワインにこんなコメントを……!)
智仁がいなくなったのを確認し、李里菜は再びシャトーディケムの包み紙を剥ぐ。
"李里菜の結婚した時よう。それまで飲んじゃだめ!"
裏ラベルにはマジックでそう書かれていた。
しかも筆跡は、母親の晶のものであった。
きっと破天荒だった母親のことだから、父親が買い直した生誕ワインを勝手に、結婚した時よう、にしたのだろう。
そして"結婚"という文字は、李里菜の豊な想像力を掻き立てる。
(結婚……トモと私……お父さんとお母さんが残してくれたこのワインを夫婦として初めての夜にっ……! ああ、でも、叔父と姪の関係だし……どうなるんだろ……? でも、私ってお母さんの連れ子で、トモとは血縁関係がないから……?)
色々考えだして、1人で混乱し、やがて深いため息を吐く李里菜であった。
(私……結婚して、このワイン開けられる日が来るの……?)
と、そんな中、別室で作業をしていた智仁が、手伝って欲しいと叫んできた。
「い、今行く!」
李里菜は持参したバッグへ、両親が彼女の結婚した時ようにと秘蔵していたシャトーディケムを大事にしまい、大好きな叔父の元へとかけてゆく。
(今度、色々調べてみる! お父さんとお母さんが残してくれたシャトーディケムを、2人の望み通りにトモと飲めるかどうか!)
ここ数日間、ご支援誠にありがとうございます。
おかげさまでまだランキングに残れております。(未だに微妙なところで表紙入りしませんが……)
お礼の意味も込めまして、今少しエピソードを新規で追加して行こうと思いました。
ただ、現在かなり忙しい状況につき、この程度の長さのエピソードを週に1回、どこかのタイミングで掲載する以外は不可能です。
そうした状況ではありますが、今しばらくお付き合いいただければ幸いです。
もし、好調が維持されていれば、繁忙期終了後(11月頃)、本作のメインストーリーを動かすことも視野には入れております。
引き続きよろしくお願いできれば幸いです。