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誰が為に、ワインと向き合うのか?

「じゃあまずはウォーミングアップだ。これの品種、生産国、ヴィンテージを教えてねぇ……」


 不動さんから、俺と日髙さんへ供出されたのは、黄色味の非常に強い一杯の白ワインだった。


 あの不動さんが出して来るワインだ。

一筋縄では行かないだろう。

俺は気を引き締めて、一杯の白ワインへと向かう。


 セオリー通り、外観、香り、味わいと進め、最終評価を下してゆく……


「どうだいお2人さん? このワインは?」


「す、素晴らしいワインだと思いますっ! 本当、美味しくて、プライベートでも飲みたいくらいですっ!」


 いつになく日髙さんは張り切ってる様子だ。

そりゃ、ソムリエールにとって、不動さんは憧れの存在だしなぁ。


「ふふ、そうかい。じゃあ今度、愛らしい君を肴にこのワインを飲ませてもらおうじゃないか」


「わ、私を?」


「んふふ……君は私へ、どんな甘美な声を聞かせてくれるのかねぇ」


「あ、あ! わ、私はそういうのはちょっと!」


「何を想像していんたんだい? 私は君のワインへの感動の言葉を肴にと思っただけだが?」


「ーーっ!! あ、あのっ!」


「んふふ……ウブで、可愛いじゃないか……くふふ……」


 不動さんは相変わらずのど変態ぶりだった。

なんでこんな人が、素晴らしいソムリエールなのか……時々理解に苦しむ。

まぁ、俺も新人時代には、この人に散々こうして揶揄われた。

今のご時世だったらセクハラで訴えれば、絶対に勝訴できると思う。


「それじゃあ解答の時間だ」


「"品種はガルガーネガ"、産地は当然"イタリア!"、"ヴィンテージは2020年!"」


 【ガルガーネガ】はイタリアの北部で古くから栽培されているブドウ品種だ。

幅広いワイン造りに適応できる品種で、概ね果実味と爽やかさが特徴。

不動さんが出すワインなのだから、王道な筈がない。


「ほう、ガルガーネガねぇ……それじゃあ、ゆうきちゃんはどうだったかねぇ?」


「あの、えっと……これって"シャルドネ"ですよね? 産地は温かみに加えて爽やかさも感じるので"チリ" "ヴィンテージは2021年"で……お願いします。ちょっと液面に気泡が見えたんで、まだまだ若いかなと」


 【シャルドネ】ーー世界中に広く普及している白ワイン用ブドウ品種だ。

世界中で栽培も醸造もされているため、様々なタイプのワインが存在する。

安価なものは穏やかな味わいで、高価なものになると非常に味わい深いワインとなる。


「くふふ……あははははっ!!!」


 突然、不動さんは腹を抱えて笑い出した。

そして答えであるワインボトルをカウンターの上へ置く。


「ーーっ!?」


「どうしたんだい、智仁? 師匠の面目丸潰れじゃないか」


 不動さんが答えとして出したワインは"チリ産のシャルドネ2021年ヴィンテージ"だった。


「まま、まさか……!」


「それに比べて、ゆうきちゃんは大正解のドンピシャじゃないか! 君、良いねぇ! ますます気に入ったじゃないか!」


 日髙さんは興奮を隠しきれない様子だった。

 対して俺は、己の判断ミスに愕然としてしまっている。


「なぜこんなにも王道な味わいのシャルドネを、ガルガーネガと判断したんだい?」


「それは……ワインを出して来たのが、不動さんだったから……」


「私だから? それが?」


「王道なんて、絶対にあり得ないと思って……それに俺は決勝戦前なんで……」


「くく……あははは! 君はあれかい? "すげぇー俺にシャルドネなんて王道なワインを出すはずがない"とでも思ったのかい? 君はどれだけ調子に乗っているんだい? どれだけ思い込みが激しいんだい? どれだけ俺様なんだい?」


 何も言い返せない、俺が居た。

どんなに取り繕っても、不動さんには見透かされてしまうからだ。


「ダメだねぇ……智仁には邪念が多すぎるねぇ。こんなのじゃ優勝どころか、麗国 礼子の鼻を明かすなんてできず、逆に恥を描くのが目に見えているねぇ!」


「あ、あの、不動さん、そろそろ、えっと……!」


 隣の日髙さんが、心配そうに俺へ擦り寄ってきた。


「ちょっと、その、根を詰めて勉強しすぎちゃったかも、ですね? わかります。私も去年の試験前は、一時的にワインのことがよくわかんなくなっちゃいましたしたし……」


「……」


「でも、まだ時間はあります! だから一度体勢を立て直して、もう一度……」


「おやまぁ? 女の子に、しかも弟子に慰められてるよ。くく……良い道化じゃないか、智仁!」


「不動さん! もうやめてあげて……」


 俺は日髙さんの肩を叩いて、言葉を切らせた。


「ありがとう、日髙さん。でも、不動さんの仰ることは事実だから……」


 心が挫けかけていた。

でも、ここで立ち止まるわけには行かない。

俺は判断を誤ってしまったワインから、不動さんへ視線を移す。


「もう一度、お願いします」


「ふふ、もう後は無いよ、智仁!」


 不動さんはカウンターの下へ潜った。

ワインを注いでいるらしい。


 実際、ラベルが隠されていても瓶の形状や瓶口の様子で、ある程度ワインを判断できてしまうからだ。


 やがて不動さんが俺と日髙さんへ差し出して来たのは、真紅の美しい赤ワイン。


……落ち着け、俺……次こそはからなず……。


 俺は指先の震えを必死に堪えて、グラスの脚を掴んだ。

そして慎重に外観を眺めてゆく。


「智仁、どうして君は今、その一杯のワインへ真剣に向き合っているんだい?」


 ふと、香りを探っていた俺へ、不動さんが問いを投げかけてきた。


「どうして、ですか?」


「一杯のワインを探り、答えを示す。そんなことをして、何になるんだい? どうしてそんなに真剣なんだい?」


……今、目の前にはブラインドティスティンググランプリでの優勝と、麗国 礼子の鼻を明かすという明確な目標がある。

しかし、不動さんはそうして薄っぺらい答えを求めていない気がする。

だが、その薄っぺらい答えしかみえていないのもまた事実。


「私が君をトゥール・ドォールの後継者に指名したのは、別に君を可愛がっていたからじゃないんだよねぇ」


「そうなんすか……?」


「君はワインを通して、良く人を見ていたからねぇ。君ならトゥール・ドォールをより良くし、お客へも感動を提供できると思ったからさ」


「恐縮です」


「私にとってワインは"私と人を結ぶコミニケーションツール"さ」


「……」


「……どうして君は今、そんなにも真剣にワインと向き合っているんだい?」


 再度、不動さんから問いが投げかけられる。

 その上で浮かんだのは、ワインを通じて出会った多くの人たちの笑顔だった。



ーー俺は、ワインを楽しむ人の様子を見るのが大好きだった。

楽しんでくれる姿を見れば、心が躍った。

自分自身も生きがいを感じることができた。

これまでこの気持ちに、明確な言葉を与えられずにいた。

でも、不動さんのおかげで、この気持ちに"コミニケーションツール"という明確な名前を与えることができた。


そうか、俺が今ワインへ向き合っているのは"その先に見える誰かの笑顔のため"なんだ。


「くくっ……どうしたい、智仁。なんだかいつもの君の表情に戻って来たじゃないか」


 カウンターの不動さんの笑い方は、いつも通り不敵だ。

でも、それはいつものことだし、言葉には俺の師匠としての温かみが含まれている。


「やっぱり不動さんのお言葉はいつでも腹に"ズン!"と来ますね」


「言うようになったねぇ、坊や。さぁ、私となんかお喋りせずに……」


 俺はふたたび、ワクワクした胸中でワインを口へと含む。


 外観も、香りも、味も、高レベルでまとまっている。

これは本当に素晴らしいワインだと強く感じる。


 こんなにも素晴らしいワインは、ぜひ"李里菜"にも味わってもらいたい。



ーー俺の中で"李里菜"という、唯一の家族の存在がどんどん膨らんでゆく。


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