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もはや崩壊は止められない麗国ホテル。

「はい次! 本日の目標を!」


「ほ、本日はいつも以上にトイレを綺麗に掃除しますっ!」


「だめだ! 目標に具体性がない! 当事者意識を持て! 元気も足りない! やり直しっ!」


「す、すみません! 今日は10分以内にトイレ掃除を完了し、普段の10%増しで綺麗にし、お客様に気持ちよくご利用していただきき、来館者10%アップを目指します! 麗国ホテルのファミリーとして!」


「よし! 次やりたいものは積極的に挙手! 売上の減少は全員の責任! 当事者意識と危機意識の欠如が原因だ!」


 田上やる気コンサルティング代表の田上が宴会ホールへ怒号を響かせた。

すると集められた麗国ホテルの従業員たちは、まるで狂ったかのように大声で我先にと挙手を始める。

しかし、このやる気は一部を除いて表層的なもの。

なぜならば、この"やる気研修"は、バックヤードに隠れている専務で次期社長の麗国 礼子に監視されていて、人事評価につながると脅されているからだ。


「ふふっ、みんな元気があって良いじゃない。これで業績回復間違いなしだわ」


 そうほくそ笑む礼子は、とある男性従業員に目ををつけた。

彼は先ほどから全く挙手をしていない。

礼子はインカムのマイクを口元へ寄せる。


「田上さん。中央にいる、男の子がさっきから全然挙手をしてないわ。指導をしてあげてください」


『わかりました。お名前は?』


「あー……えっと……」


 顔は見たことがあるが名前が浮かばない。

末端の従業員のことなど礼子は全く把握していないのだ。


『大丈夫です。こちらで対処します』


「ありがと。あと改善が見られなかったら追い出しても構わないわ。会社の危機を共有できない社員は不要よ」


『承知しました』


 田上は瞬時に挙手をしてないない男性従業員の名前を確認し、怒号をあげた。


 モニター越しからも、喧々囂々とした田上と男性従業員とのやりとりが展開される。


 やがて男性従業員はドアを蹴破って、研修会場を出てゆく。


『今のは坂本という、宴会部所属の従業員で、勤続3年目です』


「坂本ね、了解」


 礼子は社員一覧から坂本の名前を探し出すと、赤ペンで線を引いた。

賞与は減額、追い出し部署への配置転換も考慮に入れる。


「会社の危機に協力しない社員なんていらないわ。なんてたってうちは、みんなが憧れる"麗国ホテル"代わりなんていくらでもみつかるのよ、ふふ……」


 まるで社員を駒のように扱う冷酷な礼子。

監視モニターの中では、社訓の大声での斉唱が始まっている。


 近い将来、田上に教育されて、危機意識を持った従業員達は奮起してくれる。

そして会社の業績回復に貢献してくれる。

そう信じて疑わない礼子だったのだが……


「また退職!? どういうことよ!!」


「一身上の都合と本人からは……」


 新しく総務部長に任命した、礼子のYESマンは、冷や汗を浮かべつつそう報告をする。

 今月に入って、既に4人目の退職だった。

 田上にコンサルタントを依頼してしばらく経つものの、従業員の退職は治るどころか、加速の一途を辿っていた。

このままでは、通常営業ですらままならない状況になりつつある。


「補充はどうなっているのよ!? やってるの!?」


「と、とりあえず来週には調理部に一名を採用予定でして……」


「一名!? そんなので足りると思ってるの!? 馬鹿じゃないの!? もっと危機意識と当事者意識を持ちなさい! あなたも田上さんの研修を受けたのよね!?」


「申し訳ございません。頑張ります」


……このYESマン総務部長が退職願いを出したのは、この数日後のことだった。


 人は抜けるばかりで、補充が追いついていない状況だった。


 ここでとりあえず通常営業優先し、派遣でもなんでも利用すれば良いもの。

しかし当たり外れの大きい派遣を使うことを、礼子は頑なに拒否していた。

むしろ"社員"という括りに、礼子は変にこだわり続けていたのだった。


 しかしどんなに"社員のことを想って"高い、コンサルティング料を使っても、状況は一向に改善しない。


「田上さん、私どうしたら……」


「もっと良い研修があります。一人当たり20万円ですが、いかがでしょう?」


「お願いよ、田上さん! 私の会社を、私を助けてっ!」


 もはや礼子以外、このコンサルティングに意味はないと分かっていた。

しかし礼子が止めない以上、田上との契約は終わることはない。


 そんなある日のことを……


「れ、礼子さん! 田上さんが捕まりました!」


「ええ!?」


 従業員が持ってきた新聞を礼子はひったくった。

そこには田上が、高額な脱税の疑いで逮捕されたと記事に載っていた。


 結局、この事件を契機に田上やる気!コンサルティングは倒産し、麗国ホテルとの関係も終了してしまった。


 それまで田上の会社へ支払った金額は一千万近くに昇っていた。

しかしそれだけ経費をかけても従業員の退職は、補充に追い付いてはいなかった。


"サービスの質が落ちた"


"なんか従業員がみんな死んだ目をしてて怖い……"


"昔は本当にいいホテルだった"


 評価サイトでも、そうした書き込みが相次ぎ、低評価が止まらない。


 ベテラン社員が大勢退職したことで、通常営業もどこかぎこちない雰囲気が垂れ込めている。


 もはや万策尽きた礼子は、日々頭を抱え、夜な夜な酒に溺れる生活をし始める。


 そして1人でワインを飲み、酔う度に、つい半年前までのことを思い出していた。


「前は彼が、ここにいたのよね……」


 酔いの中で浮かんだのは、"緑川 智仁"の姿だった。


 昔から地方の名士であった"麗国家"

そこの長女として生を受けた礼子は、生まれた時からこの家を継ぐために、父親をはじめ、数多くの親戚からプレッシャーを受けていた。おかげで若くして専務にまで上り詰めた。更にシャンパン2000本事件を見事に解決した彼女は、外では"老舗ホテルの美しすぎる若き女性経営者"として持て囃されてもいるーー尤も、この功績の大半は緑川 智仁の活躍によるのだが……


 そんなプレッシャーばかりの日々に、一時の安らぎをくれていたのが緑川 智仁だ。


 シャンパン2000本事件を機に仲を深め、かつては結婚の約束さえも交わしていた彼。

彼との結婚を意識していたのは、恋愛感情もあったが別の意味もある。

自分の意見を聞かず、自分の人生を勝手に決めてしまう父親や親戚への反発心であった。


 しかし近年、業界内外でも注目され、更に父親や親戚は歳を取り、今の礼子の勢いについていけずにいる。

もはや父親や親戚から良いように扱われる時代は終わっていた。


 だからこそ更なる高みを目指して、"緑川 智仁"を切り捨てた。

 自分は名家の人間で、あんな平凡な男とは釣り合いが取れないと考えた。

考えた抜いた筈だったのだが……


「あの男が……あんな男1人がいなくなったせいで、こんなことに? ありえないわ、そんなこと……!」


 緑川 智仁の離脱は誤差に過ぎないはずだ。

ただ少しシャツのボタンを掛け違っただけ。

掛け違ったらのなら、正しい位置に戻せば良い。ただそれだけだ。

もっとも正しい位置がわかっていればの話。

礼子はまだそのことに気がついていない。


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