中編
中編
そして月日は巡り、冬コミ当日。
『女の子が売り子をすると同人誌が数割増しで売れるらしいんだよ。しかもそれが可愛い子でコスプレもしていたとなれば本の内容に関係なく爆売れ必死とか』
コミプレ売り子を提案したのはそんな理由だった。十一月の初旬に発表されたコミケ当落において、無事スペースが取れた安達さんがテンション高く報告して、そのついでに暴露した。彼的にはコスプレも見れて売上げも上がって一石二鳥、いや、自分のサークルに女の子のコスプレ売り子を置くのが夢だったらしいから一石三鳥だったのだ。そんな欲望にまみれた提案のせいでコスプレされる側はたまったもんじゃない。しかもその対象が自分自身だとなればなおさらだ。
カシャカシャカシャ。ピローン――
「……お、お前らいい加減に……」
グシャリ。
「あ、マスター。それ僕の新刊……」
「あぁ!?」
「いやなんでもないです」
安達さんが引きつった顔で後ずさった。
ピローン。カシャカシャカシャ――
「お前らいい加減にしろ!」
机を叩き、左手の紙束を握りつぶす。また安達さんが隣で呻いているが知ったことじゃない。
「ごめんごんめん。マスターがあまりにも可愛くてさ」
「うんうん」
ようやくスマホを下ろす面々。さきほど会ったばかりだというのに、この馴れ馴れしさはなんだろう。
時刻は十四を少し回ったところ。約束通りに集まったギルドメンバーはこうして安達さんのサークルスペースへとやってきた。既に島風のコスプレをして売り子をしていた俺と安達さんの前に現われた彼らをひと目見てギルドメンバーだと分かったのは、姿は見えずとも毎日のように同じゲームで繋がっていたからなのか、それとも想像通りのオタク集団だったからなのか。それは伏せておこう。
俺を見た彼らの反応は数時間前に見た安達さんとまったく同じで、目玉が飛び出るんじゃないかと思うぐらいに目を見開き、僅かに震える声で「マスターですか?」と遠慮がちに尋ねてきた。そうだと応えると見開いた目はそのままに、小さな呻き声を伴い、さながら水槽の金魚のように口をぱくぱくとさせた。
数秒か数十秒か。しばらくそれを繰り返し、ようやく動きだしたかと思えば両手を差し出して自己紹介を始めた。そっちが先だろうと呆れつつも応えると、真冬のだだっ広い展示場だというのに彼らの血色がみるみる良くなり、同時に無駄に高まったテンションで「しゃ、写メ良いですか!?」と聞いてきたのでなんとはなしにOKと応えた。それがいけなかった。途端にスマホやら、やたらゴツイ一眼レフカメラやらを取り出し、遠慮無用に俺を撮り始めたのだ。
その結果がさっきまでの有様だ。大勢の人がいる前で大声を出したのはいつ振りだろう。隣のスペースにいる別サークルの人の視線がちょっとばかり痛いが、おかげで静かになったので良しとしよう。
「ほらみんな。隣に迷惑かかるから、前の方に」
安達さんが隣サークルにペコペコと頭を下げつつ、横に広がったみんなをスペースの前に集める。長話をする際にはスペースの中に入るか、そのまま立ち話をする場合は両隣のスペースの前を塞がないようにするのがマナーらしい。
集まったギルドメンバーは全員男だった。公言していた通りではあるのだが、いざそれを目の当たりにすると、やはりゲーム人口のほとんどは男なんだなと感慨深くなる。しかし……見た限りでは誰も彼も俺より年上じゃなかろうか。おそらく最も近くてサークル主の安達さんだと思うが、それでも社会人なのは間違いない。
「しかしマスターが本当に女の子だったなんて」
「えっ。ま、まあそりゃあ……ですよ」
本当は女の子ではないので、僅かながらの罪悪感が言葉を詰まらせる。挙動不審は疑われる元なのだが、まさかファンタジーよろしく魔法のアイテム(ハイテク)で性転換したとは思いもよらないだろうし、今は正真正銘の女だから心配することはない、はずだ。
「絶対男だってみんなで言ってたのにな」
「うん」
「男だと思ってた」
「女だとは微塵も」
「ミクロンも」
「良かった。もし女だったら俺も島風してやるよとか言わなくて……」
先頭にいた三十代前半くらいのもずくさん(もちろんゲーム名)が視線を巡らせ同意を求めると、口々に肯定していった。
――全員が。
「え? ち、ちょっと待ってください。もしかしてみんな俺のことを男だって思ってたんですか? クロノじゃなくてフィルン使ってたのに? ずっと丁寧語だったのに?」
フィルンとはプレイヤーが女性キャラクターを選んだ際に、名前変更フォームにデフォルトで入っている名前のことで、そのことから女性主人公のことをフィルンと一般的に呼ばれている。同様にクロノは男性キャラクターのことを言う。
「男が女キャラ使うことは良くあることだよ。ギルドでも七割がフィルンでしょ?」
「そうそう。ゲームでまで男の尻を追う必要はない」
「フィルンも何気にかわいいしね」
「それはそうですけど……」
実際俺も使っているからそれはなんとなく分かる。ただ俺の場合はフィルンはかわいい云々ではなく、クロノが少女漫画に出てくるようなイケメン過ぎて拒否反応が出たための消去法での選択だった。
「言葉遣いも社会人ならあんな感じの人多いから」
「一人称も私だったりな」
「あー。それだよそれ。僕はマスターが俺って言ってたから男だと思ったんだよ」
「俺も俺も」
何人かがうんうんと頷く。
「さすがに女の子で一人称が俺は希少種だかね……。ネナベならありえなくもないけど」
「あと女の子ならチャットでもなんとなく分かるし、会話の端々で女子力的な何かがちらつくんだけど、マスターはそれがまったくなかったらてっきり……」
そりゃ男だからな。とはさすがに言えない。しかしそうなるとみんな最初から俺のことを男だと分かっていたことになる。じゃあ――
「なんでみんなは俺のことずっと女だって言ってたんですか?」
先頭の男が少しだけ考える素振りを見せた後、苦笑する。
「だってその方が面白そうだから」
面白そう……?
「どうせネットじゃリアルがどうかなんてどうでもいいし、だったら女の子扱いして、もしオフ会したときに男だったらそれをネタにできるでしょ?」
「ネタ……? いやいや、だってこのコスプレ衣装、結構値段するでしょ?」
安達さんのサークルが冬コミに参加すると決まった数日後、もずくさんが『当日の衣装入手!』とコメント付きでこの衣装の画像をゲーム内チャットに流した。メンバー曰くネットオークションで落札したようで、かなりの福沢さんが消費されたとか。それを見た他のメンバーも、その衣装の出来に「下手したら十数万円するんじゃないか」云々と言っていたので、それだけの大金をはたくと言うことは、間違いなく俺のことを女だと思っていると確信したのだが……。
「ん? いやこれは『男なんで着れません』と謝るマスターが見たくて」
「それだけのために大金使ったのかよ!」
なんて勿体ない。こちとら大学生で福沢さんと言えば財布にいないときの方が多い貴重な存在(人によって差異有り)なのに。
「ははは。ちゃんと着られているしいいじゃない」
良くない。それだったら頭下げて男でしたごめんなさいしていた方がずっと良かった。
「ん、どうしたのマスター? なんかぐったりして。疲れた?」
「ええ、まあ……」
精神的にな。
「いやでもまさか本当に着てくれるとは思わなかったよ」
「だからなんで着てくれるかも分からない高額な服に大金を使うんですかね……」
ため息をつき、自分を見下ろす。今着ているのは話の通り、艦これの島風というキャラクターが着ているもので、ヘソ出しセーラーに極端に裾の短いスカートという出で立ちで……一言で言うと痴女だ。
「マスターもよくそれをOKしたね」
「これに数万円もかかってるとか言われたら断れないですよ」
「だとしても、ほら……ね?」
彼の視線が上へ下へと動く。言いたいことは分かる。とはいえ「男だから露出云々は気にしない」とは言えない。
「……我慢しています」
真冬の寒さを。回答としては間違っていない。
「マスターってレイヤー経験ある?」
「レイヤー?」
「コスプレイヤーのこと」
「一度もないです」
もずくさんが舌を巻く。
「おっさんの下心に応えるなんて……マスターは良い子なんだね」
少し後ろめたい。
「しかし……そんな格好ができるなんてさすが女の子。真冬にスカートは伊達じゃないね」
ほんと伊達じゃない。この長さはないにしても、女子高生やら女子中学生は膝上下丈で年中過ごしているのだ。正気の沙汰ではない。
「……ということでもう一枚良いかな?」
「何枚取るんだよ!」
笑いながら再びカメラを取り出すもずくさん。それを見て他のメンバーもスマホを構えた。
撮影会はしばらく続いた。