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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人魚の泪

作者: 黒兎 アリス



最初この二人が来客した時、なんて仲の良いカップルなんだろうかと店主である基樹(もとき)は思った。

ゲイが出会いを求めて集まるバー、それが基樹の城だ。だから最初からカップルのゲイというのは多少珍しさもある。

店でくっついたカップルが二人で飲みにくるのと違って、くっついてるカップルがゲイバーを利用するのは良い感情を相手がもたないことの方が多い。

理由は至極簡単で、自分という恋人がいるのに浮気相手でも探しているんじゃないか。そう思ってしまうのだ。

高槻(たかつき)と呼ばれた男は爽やかな好青年といった感じのスーツが似合う男で整った顔立ちはモテそうだった。

しかし高槻は周りの好意的な目を気にする様子もなく、目の前の恋人に夢中だった。

その男に(しのぶ)と呼ばれていたのは、物静かで穏やかそうな男で、こちらはゆったりとしたニットにコーデュロイのパンツとラフな格好だった。

きちんとセットした髪型や服装をしたら、真面目そうで味気ないシルバーフレームの眼鏡の似合う、ビジネスマンに見えるだろう淡白な顔立ちをしていた。

大切だ幸せだというような笑顔で見つめる高槻に反して、忍はもとからなのかあまり笑ってはいなかった。口元を僅かに綻ばせるから笑ってはいる、でもどこか寂しげで心配にさせられる笑みなのだ。


基樹はそういう男に弱い。かつて恋した男もそうやって哀しげに笑っていた。自分と付き合っていながら誰か他の男を思っているような、忍の笑みは、そんな切なさを感じさせた。

来店からほどなく二人は店に足を運ぶようになった。どちらかが先に来て、店で待ち合わせて飲んで帰る。勿論出会いを目的にする客からのアプローチは、1人で待つ間にそれぞれが受けていた。

高槻も忍も誘いを断り、恋人が店に来ると安堵の表情で出迎えるのだ。別段酒が好きだとか騒がしいバーが好きだという感じでもない。

高槻は声を掛けられるのが煩わしいのかバーカウンターに立つ基樹の前に座り、たわいもない会話で時間を潰している。

対する忍は1人では落ち着かないのか、カウンターの角で話しかけないでと殻に閉じ籠るように静かに飲んでいる。


その日も忍が高槻を1人で待っていた。

「高槻さんからよく忍さんの話を聞かせて貰ってるんですよ」

挨拶から、ふと高槻の話になると忍の興味が基樹に向いた。

「どんな話なんです?」

シルバーフレームの眼鏡の奥の瞳が真っ直ぐ基樹を捉える。興味の先も恋人のことらしい。

「二人が大学の同級生だったこととか、当時は忍さんが学内で一番頭が良くて近寄りがたかったとか。最初自分は忍さんに毛嫌いされてたんだとか。笑って話してましたよ」

「あぁ……。そうなんですね」

なぜか忍の顔が曇る。

「忍さんは高槻さんと出会った時どうだったんですか?」

「彼は優しかったですよ、とても。僕を大切にしてくれて、甘やかせてくれて、なんでも王子様みたいに完璧にやれてしまう人なんですよ」

「……あの……、どうしてそんなに哀しそうに話されるのか訳を聞いてもいいですか?」

踏み込み過ぎなのは重々承知の上で、それでも口にしたのは忍が助けて欲しそうに見えたからかもしれない。

その答え合わせは忍がしてくれた。

「高槻は僕が好きだから付き合っているんじゃないんですよ」

「……」

それは、と否定する言葉を基樹は呑んだ。

忍がそれを望んでいるように見えなかったから、だから変わりに頷いた。

「高槻には僕の顔とよく似た恋人がいたんです。当時の高槻は自他共に認めるくらい恋愛にだらしがなくて、よく浮気をしては恋人を傷つけていたそうです」

あのルックスでモテないわけはないか、と基樹も容易く想像できた。

「恋人はそれでも高槻の側で彼を支えていた。二人は恋人である前にライバルであり、よき理解者だったんです。高槻は司法官、恋人は弁護士を目指していたそうで学部内でも有名な二人だったと聞きます」

「高槻さんのお仕事はそれじゃあ……」

「違いますよ。目指していたのになれなかったのもその恋人のせいなんです」

忍の表情はどこか冷ややかで、高槻の元恋人に良い感情を持っていないのが分かる。

「恋人は死にました」

残酷なまでに言い切った忍を前に、基樹のグラスを拭く手が止まる。

「死んだ?なぜ?」

忍は基樹のつい溢した疑問に視線を反らす。

「高槻は自分のせいだと言ってました。自分が恋人を追い込んでしまったのだと……。大切な司法試験前に自ら命をたった恋人に高槻は今でも縛られてるんです。だから亡くなった恋人には出来なかったからと、僕の為に残業のないような仕事を選んで二人の時間をとって、王子様みたいに接する」


「高槻はまるで人魚姫に出てくる王子様になったように、幻想の僕を愛しているんです。自分が助けたかった男の影を僕に重ねている」


忍が握りしめたグラスが震えている。

「だから僕がここに連れてきたんです。僕の変わりに高槻が誰かと出会って、本当の恋をすればいいと思って」

腑に落ちないカップルの来店理由がそれか。

「高槻さんは相手がどうとか関わらず、貴方以外の男には興味がなさそうですよ。いつも声を掛けてくる男には最大限の断りで返してます。嗜めたくなるくらいあからさまにです」

恋人がいるからごめん、とか言っても即物的な出会い目的の男には効果がない。だったら一晩ヤるだけでいいだろうと食い下がられるからだ。

高槻は遊び慣れていると言ったが、断り方も容赦がなかった。

お前には一切興味はない、お呼びじゃないとすげなくあしらう。

それはいっそ清々しいまでの拒絶で、そんな相手に二度と声を掛けようなどとは思わないくらいに。

「だとしたら……僕が浮気をすれば……」

忍の呟きに「いやいや、無理でしょう」と基樹は焦って止めに入る。

「それはお互いが傷つくだけで何も残らないでしょ!」

他の誰かを想っている相手と付き合った基樹は過剰に恋人を束縛した。押し付けてはならない感情をたてに……恋人にも同じだけの愛情を求めて恋人を追い込んだ。

忍に彼のようになって欲しくはなかった。

「必要なのは高槻さんと話し合うことじゃないですか?忍さんは人魚姫じゃなく、一人の人間です。真実を話したからって泡になって消えてしまうわけじゃない」

忍は哀しげに笑った。

なぜか基樹は言葉で否定しておきながら、忍が泡のように消えてなくなってしまいそうに見えた。


フラワーショップで忍は働いている。もともとは祖母が切り盛りしていた店で、最初はアルバイトで手伝っていたのが二年前から祖母に変わって店を任されるまでになった。

祖母は念願の田舎暮らしを満喫していて、忍は祖母が暮らしていた店舗上に住まいを移した。

祖母が生活していた時は手狭に感じた部屋も、物をもたない自分が住むとがらんとしていて無駄に広く感じる。

この部屋を見た高槻は絶句していたっけ。

「テレビや本は?」

「僕はそんなのに興味はないよ」

彼は映画や読者が趣味だったみたいだけどね。

「服もこれだけ?」

彼は服にもこだわりがあって洒落てたみたいだけど……

「僕は着心地が良ければいいんだよ」

話す度に高槻の表情が暗くなる。

恋人との違いを感じさせられる。

「このベッドに二人はキツイな。ベッドは買い換えようよ」

安価なパイプベッドは大人1人でも軋む。

引っ越す前に買い換えたばかりだからと言うと、知り合いに引き取って貰うからベッドは買い換えようと高槻はそれだけは譲らなかった。

「なぁ……なんで1人用のベッドにしたんだ?」

そう口にした高槻がやけにベッドに拘っているのが不思議だった。

「だって寝るのは僕1人だろう?」

高槻の顔に戸惑う。

「なんで1人なんだよ!俺がいるじゃないか!」

だってキミはボクのヘヤにトマラナイから――

「……そうだね。そうだった……ごめん」

物のない部屋に置かれたダブルベッド、まるで必要な物がそれだけみたいで今の自分みたいで嫌だった。


高槻は恋人がまた何か悩んでいるのだと思い不安に駆られていた。忍はよく物思いに耽っている。それ自体は珍しいことじゃない。

忍の中に流れる時間は穏やかで、かつての恋人が時間に追われていたのを思えば良いことだと思っていた。

忍が恋人と自分を比べていることも、それに苦しんでいることも分かっていた。

恋人にするように忍を抱いた時、忍は泣いていた。忍は俺が好きなんじゃなく、俺に同情して抱かせてくれただけなのだ。

失った恋人の変わりだと忍は思っている。

でもそれは違う。

確かに姿形が同じでも中身が違うのは4年も一緒に過ごしていて分からない訳がない。

彼と過ごした2年の倍、俺は忍と付き合っている。

それに根本的な部分で忍と彼も違いはなかった。好きになったのは同じところなのだ。

かつての恋人も忍も変わらない。それがなぜダメなのか。なぜ忍も恋人と同じくらい愛しているでは許されないのか。

俺には二人とも同じだけ愛して、そこに優劣はつけれなかった。


「頭痛がするのか?病院は行ったのか?」

「大げさだな……。痛み止めで充分だよ」

「忍、お願いだから体を大切にしてくれ。今日は店を閉めて休んで」

忍の顔色は悪く、市販薬でどうにかなるように見えなかった。

「大丈夫だって」

高槻は無言で棒を手に取ると表のシャッターを下ろした。

「ちょっと高槻!勝手なことするなよっ」

止める間もなく高槻は今度は忍を抱え上げると2階の階段を上がりベッドに横たえた。

「もう嫌なんだよ。何が怖い?何が辛い?話してくれよ忍、頼ってくれよ。もう二度と……」

失いたくない。

高槻が泣いていた。

この涙を良く覚えている。



高槻に会って初めて見たのが、この涙だった。

「なぜ泣いているの?」

そう尋ねると更に涙は溢れ、口からは嗚咽が漏れた。

強く抱き締められた。

何度も何度も高槻は忍の前に現れては、恥ずかしげもなく愛を囁いた。

「好きだ」「愛してる」「側にいさせて」

デートと言っては小さな庭に連れ出された。

花なんて興味がなかったのに、その庭に咲く花がなぜか愛おしくて心が温かくなった。

高槻はよく泣く男だと思った。

忍が歩くだけで、食事を食べるだけで涙を浮かべた。

その瞳の向こう側に誰かがいるのだと知ったのは高槻の友人たちが訪ねてきてからだ。

自分の知らない高槻と恋人の話を聞かされる度に、例えようがないくらい苛立ち腹が立った。

高槻は弱い。強くあろうとしているだけで心根は傷つきやすく脆い。

だから高槻を突き放した恋人が許せなかった。

なぜ高槻を独りにした。

高槻の浮気は幼少期に愛情を与えられなかった反動だ。なぜ好きなら……愛していたなら高槻の全てを受け入れられなかったのか。

全てを放り投げて自分だけが楽になろうとするなんて傲慢だ。

しかも高槻に刻まれたのは深く消えない傷と恋人を愛した記憶。

そんなの忍がどんなに高槻を想っても塗り替えられるはずない。

高槻が好きだと自覚するのと同時に忍は失恋した。


住まいを移してしばらくした頃だろうか、頭痛に悩まされるようになった。そして亡霊が現れるようになった。

賢くて狡い高槻の恋人。

彼はずっと高槻のことが好きだった。

初めて彼に会ったのは高校生の時。友人に誘われて行った他校の学祭、高槻は一際目を引いていた。ステージを取り仕切り仲間に指示を送る姿に、マイクを持ち喋る声に胸が高鳴った。

友人から生徒会会長の高槻(つかさ)だと教えて貰ってから、彼の志望大学まで調べ上げた。

まるでストーカー、同じ学部、同じ選択科目、席もいつも斜め後ろを陣取った。肩を並べたくて死ぬほど勉強した。

気持ち悪がられないよう、感情を隠した。

高槻が男もいけると知ってからは友人になれるよう近づいた。

そして酔った勢いで抱かれた時は、それが一夜の過ちだとしても構わないと夢見心地だった。

何度か体を重ねて恋人にして貰えた。

ずっとずっと夢を見ているようだった。

高槻を独り占めしたかった。

しかし魅力的な男に群がる女には敵わなかった。香水の香りを残す高槻に抱かれた。

高槻の彼女だという女から誘惑された時は殺意が芽生えた。

このままだと高槻か高槻を好きな誰かを殺してしまうかもしれない。そう考えるようになった。

気づいたら飛び降りていた。

そこから長い長い時間、水の中から高槻を覗いていた。

それは透明で触れられない膜に覆われていて、自分の声は届かなかった。

高槻が泣いているのに抱き締めてやらず、高槻が手を伸ばすのにこたえてやらない。

なぜ高槻を泣かすのか、なぜ高槻を支えてやらないのか。

それから月日が経ち、膜が薄くなっていくのに気づいた。自分の声がうっすら届くようになった。

高槻を泣かせるなと言えば、お前がそれを口にするなと怒鳴られた。

支えてやれと言えば、高槻に支えはいらない手を話せと告げられる。

そして気づいた。

膜の向こう側の彼が深く高槻を愛していることを。自分と同じだけ彼を愛していることを。


高槻はベッドに無理やり寝かせた忍に寄り添っていた。忍の額に掛かる髪を優しく避けて口付ける。

「この部屋変わったと思わない?」

忍が瞳だけ横の高槻に向けた。

「あぁ、随分物が増えたよな」

「本棚を見て何か気づかない?」

言われてベッドサイドのカラーボックスに目をやる。

「恋愛小説……」

ポツリと高槻が言った。

「そう。勉強人間ってバカにしてたのに、実は恋愛小説が好きだと知ったらもっとバカにすると思ってたのに、君は笑わなかった。翌週小説が原作の映画に連れて行ってくれたよね」

高槻の体が震えている。

「あのコート、あのセーター……僕の服はチャコールグレーが多いでしょう?僕の恋人と初めてウィンドウショッピングした時に言ったんだよ。お前にはこの色が似合うなって」

高槻が肩を揺らす。

「ねぇ……司。僕は君を縛り付けたかったわけじゃないんだよ。君を責めたかったわけじゃない。醜い心でいつか君が離れていくんじゃないか恐れていた。そんな自分が嫌だったんだ」

忍、何度も高槻は口にした。

それ以外の言葉を知らないように。

「でもね、高槻。僕は君を傷つけた僕が許せない。君を縛り付けて離さない僕が許せなかった。だから僕以外の誰かが君を連れて行ってくれないかって思ったんだ。僕から君を解放したかった」

覆い被さる男の涙が降り注ぐ。

「君はどちらを愛しているんだろうか」

ぐしゃぐしゃに崩れても尚、高槻司は美しかった。見惚れるくらいに。


「どちらも忍……お前じゃないか」

嗚咽混じりの答えが返ってくる。

「お前は忍……ずっと俺のただ一人の恋人じゃないか」

手を伸ばし背中に回すと、泣き崩れた顔が降ってきた。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔に何度も口付けた。


あぁ……今この瞬間、僕は泡となって消えても構わない。




基樹は向かいに座る恋人たちに笑いかける。

「久しぶりじゃない?」

「最近引っ越しでバタバタしてたんだよ」

高槻は爽やかな笑顔を浮かべている。

「なに転勤?」

高槻は隣の恋人の手を取ると「同棲」と答えた。

「良かったですね」

基樹が忍に言うと、恥ずかしげに忍が頷いた。

「マスターのアドバイスのおかげです」

忍の顔は晴れやかで、それは曇り一つない晴れ間のようだった。

「アドバイスってなに?」

むしろ不穏な空気を醸し出そうとしている高槻に「忍さんがどれほど高槻さんを想っているかって話ですよ」と言うなり、わぁーっと高槻が声を上げた。

「なに話しちゃってんの?そういうのは直接俺に言いなよ」

忍の手を握り懇願する高槻に、

「これからはそうする」

忍は誓った。

「言葉で伝えるよ」









一気に書き上げたため誤字脱字、お見苦しいところがありましたら申し訳ありません。

基樹のバーでは他にも恋愛が起きており、現在書き出し中です。

長編を書き上げる気力がなく、次回も短編になりますが次回はアブノーマルな描写の為、年齢制限必須です。

いつか基樹の恋も描きたいのですが、しばらく彼は傍観者としての立ち位置と相成りそうです。

最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

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