08.少女と目覚めた少年
アルト村に到着してから三日が過ぎた。
その間、集は村人たちから「無口な少年」として認識され、村に迎え入れられた。
ガランからは言葉が通じないと教えられていたが、村人たちは気にすることなく、暇さえあれば集の様子を見に来ていた。
特にまだ小さくて農作業を手伝えない子供たちは、何をしてもぬぼーっとしている集が面白いらしく、小さな手で集にパンチしたり、肩に登ったりとやりたい放題だった。
村では、6歳から農作業の手伝いを任されるようになり、それよりも小さい子供は村から出ることを禁じられている。
それも当然で、村の周辺では魔物が殆どいないが、イノシシなどの害獣はちょくちょく出るし、盗賊も居ないわけではない。
なので、子供たちを比較的安全な村の中に置いておくほうが、何かと安心なのだ。
そんな子供たちの子守は、全て一人の老婆に任されている。
最長老のシルバ婆さんだ。
御歳92歳のシルバ婆さんは村一番の物知りで、子供たちに色々なお話を面白おかしく聞かせることができる。
おとぎ話は勿論、昔この村で起きた出来事や行、商人から聞いた余所の地の話。ネタは多く、シルバ婆さんの話術も相まって、誰が聞いても飽きない。
この村の人間は皆シルバ婆さんの物語を聞いて育った、と言っても過言ではない。
しかし、そんなシルバ婆さんでも、お話だけで子供たちをずっと大人しくさせることは不可能。
エネルギーの塊みたいな子供たちは、動いていなければ爆発してしまうかのような元気ぶりだ。
シルバ婆さんのお話が一段落すると、殆どの子がその場を離れ、冒険へと出かける。
そんな子供たちの目の前にやってきたのが、新しいおもちゃである集だった。
最初こそ村人たちも、集が我慢の限界に達して子どもたちを怪我させないか、若しくは子どもたちがやりすぎて集に怪我をさせないか、皆がハラハラしていた。
が、もみくちゃにされながらも微動だにしない集を見て、村人たちも問題なしと判断した。
実際、集に嫌がる様子はなく、むしろ子供たちの元気な話声に耳を澄ましている様子だった。
周辺環境に対して死んだように無反応な集だが、よく見ると真剣に皆の話を聞いている仕草をしていた。
言葉が分らないから少しでも理解しようとしてくれている、と感じた村人たちは、身振り手振りを交えながら、ゆっくりと集に話しかけるようになった。
そして、アルト村に滞在し始めて4日目。
集はついに覚醒した。
[言語学習を完了]
[言語解析率83.9%]
[言語習得率83.5%]
[日常会話における障害度:低]
[余剰脳機能を開放。言語野とのリンクを切断……成功]
[自動言語学習機能を停止。意識の覚醒にご注意ください]
「──っ!」
意識が鮮明になり、目が一気に覚める。
(終わったかー。良かったー)
自動言語学習が無事終わったことに安堵の息を吐き、集は伸びをする。
電脳インプラントを使った自動言語学習機能は、現代人にとって当り前の機能だ。
自動言語学習機能は周囲の人間の表情や動作、シチュエーションやタイミング、文字や物の形と状態などからその言語を解析し、脳に直接学習されることができる機能である。
もちろん本を読むだけでも効果があるのだが、自動言語学習機能は基本的に使用者の五感を通じて行うため、未習得言語使用者の会話を分析することで最大効果を発揮する。
つまり、村人たちの会話を多く聞くことができたのは集にとって非常に都合がよかった、ということ。
子どもたちがたくさん話しかけてくれたこともそうだが、村の皆が身振り手振りを交えて話してくれたことがかなり功を奏したと言えるだろう。
とはいえ、無茶な機能使用だったことに変わりはない。
通常、自動言語学習機能は、言語学習を補助する目的で使用されることが多い。
普段使われていない脳領域を言語野と繋げることで学習能力を向上させるので、軽度の使用であれば使用者への影響は殆どない。
だが、集のように『全開』で使用した場合、生命維持を司る部分以外のほぼ全ての脳機能が強制的に学習機能によって専有されるため、日常生活にまで支障をきたしてしまう。
この三日間、集がずっと人形のように呆けていたのは、まさにこれが原因だった。
僅か三日でガランたちが話していた言葉を習得できたのは、純粋なる力技なのだ。
(さて、早くガランさんに挨拶しに行くか)
自動言語学習の副作用のせいで、集にはこの三日間の鮮明な記憶がない。
だが、村の皆に大変お世話になったことだけははっきりと覚えている。特にガラン一家には頭が上がらない思いだ。
だから、できれば早く皆にお礼が言いたかった。
客室から出た集は、家の中を捜した。
が、今のガラン家には誰一人いなかった。
今の時間帯、大抵の村人は畑仕事に出ている。
ガランとシャーレも、帰ってきた長男──ハインと一緒に畑仕事をしている最中だ。
テーレのようなハードな労働が困難になった妊婦や老人たちに関しては、何があっても対処できるようシルバ婆さんの家に集まって編み物などの細かい仕事をしている。
そのため、家には誰もいない。
家から出てみれば、村の広場も家の中同様、閑散としていた。
広場を抜け、何気なく太陽を背に西へと向かう。
畑は村の広場を囲うように開墾されており、広場を中心として放射状に四方へと広がっている。家屋は各々の畑に近い位置に建てられており、家畜小屋も近くに併設されている。
見知った顔を探しながら歩いていると、突然後ろから声をかけられた。
「おい、お前がシュウか?」
少しハスキーな女声に呼ばれ、集は声の方に振り向く。
そこにいたのは、弓を手に持った一人の少女だった。
少女は、驚くほど美しい風体をしていた。
細長く整った眉毛に、ちょっと吊り気味な大きな目。瞳はスカイブルーで、強い意思を伺わせる光をたたえている。
スラッとした鼻梁から繋がる小鼻は、美しさの中にも可愛げがある。
小さな唇はまるでグロスを塗ったようにピンクに輝いており、すごく艶めかしい。
健康的な肌は、透き通るような白。白磁のよう、とはこういう事をいうのだろう。
これまた透き通るような金髪は、背中まで伸ばされており、サイドを編んで後ろでまとめた所謂ハーフアップという髪形にされている。
歳のころは17〜18くらいだろうか。
芸能関係者が見れば攫ってでも欲しがるだろう、グラフィックス・アイドルも真っ青な美貌だ。
少女の美しさは、なにも顔だけに留まらない。
動きやすそうな肩出しトップスから除く胸元は美しく盛り上がっており、その存在を誇らしげに主張している。
腰巻のような茶色のスカートから延びる美脚はスラリと細長く、同時に肉感的な曲線を描いている。
女性らしい丸みを帯びた肢体はアスリートのように引き締まっており、健康的な色気をかもし出している。
まさに理想的なプロポーションといえる。
「え、ええ、たぶん……」
少女の美貌に見惚れてしまい、微妙な返事を返す集。
が、少女の耳を目にして、ハッと我に帰った。
少女の耳は、細長く尖っていたのだ。
笹の葉状に尖ったその耳は、ファンタジー作品によく登場する「エルフ」という種族のそれに酷似している。
いや、むしろエルフの耳そのものといって差し支えないだろう。
見覚えがあり過ぎる少女の耳に、集の目は釘付けとなった。
技術は文化と密接に繋がっている。
旧文明時代の技術を解明・再利用するには、その時代の文化を熟知していなければならない。そのため、入所した最初の二年間は、旧文明に関する多方面の知識を学ぶ「文化研修」が行われる。
この文化研修は思いの外重要で、文化研修をさぼり気味だった集の先輩は「自転車」と呼ばれる人力移動装置の駆動原理を解析する際、当時の文化を理解できなかってせいで「なぜ自走ボードじゃなくてこんな無駄に疲れるものを使うの?」という間抜けな疑問を抱いてしまい、適当な報告書を提出してこっぴどく叱られたことがあるそうだ。
最年少の新入研究員である集も、つい一月前に文化研修を終えたばかりだったりする。
そんな文化研修で一番面白かった部分を挙げろと言われれば、集は間違いなく「大昔のサブカルチャー」だと答えるだろう。
中でも、大昔のマンガとライトノベルは集の大のお気に入りだ。
もちろん現代のマンガやラノベも好きだが、集は昔のもののほうが好きだった。
科学がまだ未発達だった大昔のマンガやライトノベルは、実に興味深い内容のものが多い。
例えば、現代の家庭では常温凍結式保存庫が普及しているが、大昔の人々は地面に地下室を掘って雪室という冷蔵施設を作って食料を保存していたという。今では考えられないことだが、当時の人達はそうして腐敗から食料を守り、飢餓を克服していたのだ。
限られた技術や物を使い、知恵と勇気で活躍する。
それは昔のマンガやライトノベルに出てくる主人公たちにもいえることで、集からすればそれは一種のロマンだった。だから文化研修中は、その手のものを読み漁っていた。もちろん、所長にばれて雷を落とされたが。
というわけで、集は昔のマンガやライトノベルに詳しい。
目の前の少女の外見は、しこたま読んだマンガに出てくるエルフという種族の特徴とほぼ完全に一致していた。
(あの耳、作り物……じゃないよなぁ。なんかちょっと動いてるし)
少女をマジマジと見ていた週だが、突如、少女に弓を向けられた。
「たぶん、だと!?」
「ごめんなさい! 確実に、俺がシュウです!」
弓を向けられて慌てる集。
そう言えばこの娘とは初対面だったことを思い出し、改めて自己紹介する。
「俺の名は黒田・集。先日ガランさんに拾われてこの村に来たんだ。君の名前を聞いてもいいかな?」
落ち着きを取り戻した集の返事に、少女は弓を降ろす。
が、警戒は解いていないらしく、視線は鋭いままだ。
「……ガランからは言葉が通じないと言われたが、普通に喋れるではないか」
「あ、ああ、それは……ちょっと色々あってね……」
「喋れるなら何よりだ」
少女は胸を張り、高らかに名乗りを上げた。
「私はアイラ。アイラ・エル・フォーレンハイトだ」
アイラと自己紹介した少女は、集の瞳をから目をそらさずに続ける。
「ところで、お前、シュウという名前ではなかったのか?」
嘘は許さない、とばかりに集を睨みつけるアイラ。
「……ああ、そういうことか。君たち風にいうと集・黒田になるのかな?」
「シュウ・クローダー?」
「いや、集・黒田だけど……まぁ、呼びづらいのなら、それでもいいよ」
「そうか。ならばシュウ・クローダーと呼ばせてもらおう」
呼びづらいと切り捨てられ、集は苦笑いを浮かべる。
どうやら、これからは「黒田・N・集」ではなく「シュウ・クローダー」と名乗ったほうがよさそうだ。
「ところでシュウ。ヒュマスで姓を持っているということは、お前は貴族か何かか?」
「……はい?」
その予想外の問いに、シュウの頭がフリーズした。