07.おじさんと迷子の少年
その日の夜、集は100人近い村人に囲まれながら村の大広場の一角に佇んでいた。
大広場は村のほぼ中央に位置し、その西側には他の家と比べて一回り大きい家があった。
集はその家を背に、ガランと並んで村人たちと対面している。
集まった男性たちはガランと似た格好をしていて、女性たちは茶色いロングワンピースにエプロンを付けた格好の者が多い。古代を舞台にした、旧文明時代の作品に登場する村人たちとよく似た出で立ちだ。
状況からして、ガランは村でもそれなりの発言権がある人物だろうと集は推測した。
ガランと村人たちが集を挟んで何かを相談し始めた。
が、やはり言葉が分からない。記憶領域に保存しているオフライン言語辞典に照らし合わせても、やはり該当する言語は見当たらない。
議論すること数分。
集はガランに促され、後ろにある大きな家に入っていく。
追い出されないということは、どうやら一応は受け入れてもらえたらしい。
(やっぱり言葉を学ぶのが先決だなぁ。危険はなさそうだし、今のうちに……)
集に対する警戒はあるものの、明確な害意がある人間は見かけなかった。
ならば、ここで集中的に彼らの言語を学び、意思疎通をスムーズにした方がいい。
そう判断した集は、右耳の後ろ──そこに埋め込まれたデバイス──に意識を集中させ、脳内で呟く。
(自動言語学習機能、起動。フルフォース・モード)
すると、脳内に音無きアナウンスが流れる。
[自動言語学習機能を起動。フルフォース・モードに設定]
[全ての余剰脳領域を言語野にリンク……成功]
[言語学習をフルフォース・モードで開始]
[脳リソースの偏向使用による認識能力の低下にご注意ください]
アナウンスと共に、集の意識は急速に濁り始め、数秒後にはほとんど失われた。
☆ ☆ ☆
クスクス草原まで薬草を摘みに行ったガランは、その帰り道で一人の行き倒れを見つけた。
一面に広がる草の絨毯の上に仰向けに倒れた、若い男だ。
年齢的には、まだ少年といった方がいいだろうか。黒ずくめの服を着た、痩せ型で色白な少年だった。側には黒くて薄い箱が転がっており、それ以外に荷物らしい荷物はない。
行き倒れか、それとも発見者を釣るために置かれた盗賊たちの餌か。
ガランは警戒しながら、その少年を暫く観察することにした。
暫くすると、少年が動いた。
ムクリと体を起こし、辺りをキョロキョロと眺めると、困惑した表情を浮かべた。
見た目と挙動が少し怪しいが、武器を持っている様子はない。体型もひょろひょろで、盗賊などのならず者には見えなかった。
怪我をしているわけではないようだが、なにか途方に暮れている様子だ。
ガランのお人好しな性格が、ムクムクと頭を出してくる。
仕方ないなぁとばかりに少年へ歩み寄りながら、ガランは大声で呼びかけた。
「お〜〜い! どうした〜〜?」
「?」
少年はこちらを振り向いたが、こちらの問いかけには反応しなかった。
近くまで近づくと、少年はこちらに話しかけてきた。
「Terutea」
「? ……てるてあ?」
「…………」
何やら言葉が通じていないみたいだが、ガランは一応聞いてみた。
「お前さん、言葉はわかるか?」
しかし、少年は困ったような笑みを浮かべて返事をした。
「Sumimasen。Anataga Naniwoitteirunoka Wakarimasen。Watashino Kotobawa Wakarimasuka?」
聞いたこともない発音だった。
「スミマ……? だめだ、やっぱり通じない。お前さんはソプネ村の者でもないな」
隣村であるソプネ村出身の可能性も考えたが、言葉が通じないということはその線もない。
恐らくは「異邦人」というやつだろう。
頭をぼりぼりと搔きながら、ガランは考える。
女顔でほんの少し声が高く、ぱっと見では15〜16歳に見える。この国では珍しいタイプの顔立ちだが、雰囲気が柔和で人当たりもいい。
遠くから観察して受けた第一印象どおり、悪い人間ではないだろう。
次に、少年の身なりに目が行く。
黒ずくめで滑らかな服は、非常に高級そうだ。
一瞬だけ貴族かとも思ったが、直ぐに思い直した。
人が善い領主のマリウス様ですら、お供を連れずに単独で村に来ることはない。ましてや異国の貴族がこんな辺鄙な村に護衛もなく一人で来るなど、尚のこと考えられない。
見たところ、マントも被っていないし、荷物もその黒い箱以外にはないようだから、旅人でもないだろう。
最も驚いたのは、少年が何の武器も持っていないこと。
この辺に魔物はほとんどいないが、それでもゼロというわけではない。
彼の正体が何にせよ、ここに残していくのは非常に危険だろう。
(放っておいて何かあったら寝覚めが悪いしな……)
ガランは少年の肩をポンと叩くと、自分に付いて来るようにジェスチャーをする。
少年は一瞬迷ったが、笑顔で頷いた。
そして自分を指差し、「Shyu」「Shyu」と繰り返し言った。それが彼の名前なのだろう。
カランは笑顔で同じように自分を指差した。
「シュウか、俺はガランだ! よろしくな!」
こうして二人は、ガランが村長を務める「アルト村」へと歩き出したのだった。
二人は日が傾く前に村へ到着することができた。
道標を越えた先がアルト村で、周りには畑が広がっている。
少々疲れ気味のシュウへと振り返り、ガランは嬉しそうに告げた。
「ようこそアルト村へ」
一応、しきたりとして、余所者が来ると村中に報せなければならない。
ガランはちょうど農作業を終えた人たちを呼んで広場に集めた。
「みんな。とりあえずこの小僧をうちで一晩泊めることにする。いいな?」
「誰なんだそのガキ?」
十代の男性が尋ねる。
「知らん。クスクス草原で行き倒れてた」
「おいおい大丈夫か? 賊とかじゃないだろうな?」
「馬鹿ね、あんた。ガランさんがそんな奴を村に連れ込む訳ないでしょ」
同じく十代の女性が、十代の男性を罵る。
「それもそうか。それに、そいつ、なんか生白くてヒョロヒョロだしな」
非常に失礼な物言いだが、言葉が通じないおかげで当の少年には伝わらなかった。
「ガランさん、もし何か必要ならあたしが用意するから何でも言って」
「カレンお前、村長の家に行きたいだけだろ?」
「うっさい馬鹿!」
カレンと呼ばれた十代の女性は顔を赤くしながらも、茶々を入れてきた十代の男性に蹴りを入れて制裁を加えた。
そんな若者たちのじゃれ合いに、他の大人たちは笑いを上げる。
「まぁガランの言うことだ。俺たちは安心して任せてればいんだよ」
「そうじゃのう。悪さをしなければ何の問題もないのう」
「みんなすまんな。そんなわけだ、よろしく頼む」
「「「へ〜い」」」
村民たちの返事を聞き、ガランは少年を引き連れ、村の大広場に隣接している自分の家へと入っていく。
少年は、何故か突然まるで魂が抜けたかのように虚脱状態となっていた。
家に上がれると分かって安心し、疲れが一気に出たのだろう。
総納得し、少年の手を引いて家の門をくぐった。
「お帰りなさい、あなた」
「今戻った、テーレ。」
家に帰ると、妻のテーレがいつもと同じように出迎えに来てくれた。
テーレは華奢な体型で、燃えるような赤毛を頭の後ろで束ねている。
ガランと同じ三十代中盤で、垂れ下がった目元が特徴の、儚げな美人だ。ガランの自慢の嫁である。
「今日は、行き倒れの小僧を一人拾った。うちに泊めようと思う」
「まぁ! 久しぶりのお客さんね!」
妻に何の相談も無く勝手に赤の他人を家に連れてきたことに、ガランが申し訳なさそうにする。
が、テーレはそんな彼を責めるどころか、とても嬉しそうだ。
「こんにちは。私はテーレ。ようこそアルト村へ」
「……あ〜、残念だが、言葉が通じないらしいんだ。それにさっきからボーっとしちまってな。疲れただろうから、何か食わせてやりたいんだが」
「ふふ、じゃあ夕食をたくさん作らないと」
「ああ、頼む。すまんな、体調はいいのか?」
妊娠8ヶ月の大きなお腹を愛おしそうに見つめながら、ガランはテーレに尋ねる。
「ええ、シャーレが手伝ってくれてるから」
「呼んだ?」
そこに、一人の少女が顔を出した。
身長は少年より頭半分ほど低い155センチで、子供らしいほっそりした体型。母親似の赤毛を右側で括ってサイドポニーにしている。切れ長で勝ち気な目元が印象的な、おっとりとした母親とは真逆の雰囲気の美少女だ。
「お帰りお父さん。……およ? 誰、その黒いの?」
「シャーレ、お客さんに向かって失礼よ」
母親に叱られたシャーレだが、お客さんと聞いて怪訝な表情を浮かべる。
「お客さん?」
「ああ、クスクス草原で拾った」
「そんな野良ネコみたいなノリでお客さんを拾ってこないでよね」
父親に突っ込みながら、シャーレは少年に向き直る。
「こんにちは。あたしはシャーレ……って、あんたなんか元気ないわね」
少年はぬぼーっと突っ立ったまま、何の反応も示さない。目の前で手を振ってみても、少年は瞬きすらしない。
古典的表現で表すならば「へんじがない。ただの しかばねのようだ。」である。
「大丈夫なの、この人?」
「分らん。さっきまでは元気だったんだがな。疲れが出たんだろう。このまま今日はうちで泊めてやろうと思ってな。客室の用意をしておいてくれ」
「はいはい」
「そういえば、ハインはどうした?」
「お兄ちゃんなら、昼頃に『ハイドブルグ』まで香草を売りに行ったよ。たぶん今日は野宿」
兄であるハインの行方を伝えると、シャーレは客室の用意に向かった。
晩餐の準備に取り掛かるテーレの後ろ姿を見送りながら、ガランは籠を置き、少年を椅子に座らせる。
少年は依然、魂が抜けたみたいになっている。
引っ張れば歩くし、椅子を勧めればちゃんと座るが、それ以外の反応がない。
一応、目は開かれているし、苦しがっている様子もない。ならば、大きな問題はないだろう。
厨房から漂い出したいい匂いに、ガランは微笑む。
もうすぐ夕食だ。