瀬奈の傷口 #2
瀬奈の部屋を出た私は、すぐ帰る気にはなれず玄関ドアに背中を預けていた。ふと夜空を見上げると、月だけが鮮明に輝き佇んでいる。瀬奈の表情もこの月のように見せてくれたら、胸に引っかかった苦しさも晴れるのに。
今日はこのまま帰ろうとドアから体を離した瞬間、瀬奈の泣く声が微かに聞こえた。私は予感していたからかそれに驚くこともなく、躊躇うこともなく背にしていたドアをゆっくりと開いた。
玄関に入ると私に気づいた様子もなく、キッチンでまだ泣いているのかその方向から泣く声がしている。無意識にキッチンへと向かう。
「瀬奈、どうしたの?」
瀬奈の背中に優しく声を掛けた。部屋に入った時から瀬奈も気づいていたんだと思う。涙も隠さずに私に振り向いてくれた。
「佐奈、帰ってなかったんだ?」
「なんか、こんな予感がしてたから。さっきも心ここに在らずみたいだったし」
瀬奈は無言で耳を貸してくれていた。だからかも、この瞬間、私は瀬奈に抱いてるありのままの想いを正直に見せた。
「私、瀬奈と一緒でよかったって思ってる。アイドルとしても、恋人としても。なんて言うんだろう、多分だけど死ぬまで一緒な気がするし、多分そうなるんだろうなって。まぁ、私の直感だけど」
でも……
「だけどね、私にも不安はある」
その言葉に瀬奈はほんの少しだけ目を開いた。それでも瀬奈の口は閉じたままで、話の続きを待っていた。
「もしかしたら、私だけが幸せな気持ちでいるのかなとか。瀬奈はこの関係を続けることに疲れてるんじゃないかなとか。ほら、私が自暴自棄になってた時に告白してくれたでしょ? それからここまで流されるまま来た感じだったから」
優しく微笑みながら首を横に振る瀬奈。
「そんなことないよ、佐奈。私は佐奈がいいから……、違う、佐奈が好きだから今もこうして一緒にいるの」
よかったって心が喜んでる気がした。ドキドキしてるから間違いないかな。瀬奈は話を続ける。
「私も不安だった。佐奈が私との関係に嫌気が差してるんじゃないかとか、ひとりになった瞬間に考える時があるの。それに……」
少し躊躇うように……
「私たちの関係が週刊誌の記者に知られたの。もう佐奈との関係も消えちゃうのかなって、それが怖くて」
そう言うと、瀬奈の目に涙が溢れてきた。それがここ最近の瀬奈から感じていた違和感だったみたい。
「もしかして、あの女性記者? それにまだ公表されてないってことは、何か言われた?」
「そう、あの有名な人。条件を呑んだら公表しないって」
「条件?」
無言で頷く瀬奈。どんな条件だったんだろう。
「それは言いづらいこと……だったんだよね。私も半分背負うから話してみて」
瀬奈の視線がゆっくりと持っていたマグカップに落ちる。
「『私と付き合ってくれたら公表しない』って」
まさかだった。あの記者も同性が好きで、それも瀬奈が良いだなんて。
「じゃあ、瀬奈はあの記者とも……」
言葉は続かなかった。それでも通じたみたいで、瀬奈は大きく首を横に振った。
「佐奈にしてるようなことは何もしてないっ! 私は佐奈しか見てないから。条件を呑んだ日から会ってもない。連絡先だけは教えたけど」
瀬奈を苦しませるなんて許せないけど、怒りに支配はされていない。それに連絡先を知っているなら好都合じゃない。
「瀬奈、その連絡先にいまから電話できる?」
何する気!って表情で私を見る瀬奈。半分背負うって言ったのに。
瀬奈は、私に促されるままスマホから記者に通話を繋ぐ。コール音が聞こえたタイミングでそのスマホを奪う。するとすぐに
『瀬奈さん、どうしたの?』
と、声が聞こえた。私は相手が言い終える前に
「初めまして、瀬奈の恋人の佐奈です。この関係が公表されても気にもしないのでどうぞご自由に! 代わりに瀬奈をこれ以上苦しませないでください!! では!!!」
それから通話を切った。こういうのやってみたいって夢がこういう形で叶うとは思わなかったけど、スッキリ爽快な気分。スマホを返しながら瀬奈を見ると「これからどうするの!?」って顔をしていた。ごめんね、勝手に決めちゃって。でも、いいじゃない。これからは堂々と交際できるわけだし。それからあることを思いついた。
「ねぇ、瀬奈。私たちのグループ名って確かハネムーンだったよね」
「……そ、そうだけど」
「じゃあ、グループ名の通りにフランスまで行っちゃおっか!」
私はさっき見上げた月のようにはっきりと瀬奈にそう告げた。