瀬奈の傷跡
幕張メッセでのライブが終わり、私たちは楽屋に戻っていた。落ち着いたら関係者への挨拶があり、それまでは二人きり。高揚感の余韻が残っているこの時間は私にとって特別なものだった。
「お疲れ様、佐奈」
椅子に座っている佐奈に淡々と話し掛ける。
「うん、お疲れ様! アンコールきつかった~」
そういう佐奈はまだ肩で息をしていた。
「はい、水」
タオルで顔の汗を拭っている佐奈にさっきまで私が飲んでいたペットボトルの水を差し出す。
「えっ!? えっと……、いいの?」
いいに決まってる、この状況を誰かに見られても気にもされないはずだから。
それからステージでの“あること”を佐奈に問いただした。
「最初のMCの時、どさくさに紛れてキスしようとしたでしょ」
瞬時に狼狽える佐奈。視線を外したかと思うと人差し指で頬を搔き始めた。
「バレてましたか……」
可愛い佐奈に免じて、ご褒美を与えてみた。まぁ、私にとってもご褒美みたいなものだけど。
「バレバレ、突然抱きついてきたと思ったら顔が近かいし、あんな目をしてたらすぐわかるから。でも、それからは我慢してたし、今日は……」
言いながら、椅子に座ったままの佐奈の足の間に左ひざを入れ上に被さる。
「私から頑張った佐奈にプレゼント」
そのまま抱きしめた。ついでに触れるだけのキスも。
唇を離すのと同時に佐奈から離れる。
「……瀬奈、私からも」
そう言いながら、椅子から立ち上がろうとする佐奈を無言で制止する。佐奈から来られるといろいろとやばい。佐奈、お願いだから察してほしい。
「これから挨拶もしないとだから、ここまで」
ブーブー不貞腐れていく佐奈。大人な時とのこの落差は何なんだろうか? 可愛いからいいんだけど。このままの佐奈をほっとくわけにもいかないので、現実に戻すことにした。
「そろそろ落ち着いた? あと五分もしたらマネージャーが呼びに来るはず」
佐奈は壁に掛かった時計ではなくスマホの画面で確認しだした。
……ん? ちょっと待って、あの待ち受け……。気になった私は佐奈のスマホを横から覗いた。
「……。佐奈?」
普段より低い私の声音に、佐奈は人形のように固まる。
「その画像、グラビア撮影の時に送ったものだよね?」
「……はい」
「佐奈だけに送ったものだから、扱いには注意してとも言ったよね?」
「……はい」
「じゃあこれは何?」
「ええと、あの……。瀬奈です」
「そうね、どう見ても私……」
あれだけバレないようにしてって言ってるのに……。
微笑みながら佐奈を窘める。
「佐奈、マネージャーが来るまでに変えなかったら……別れるよ?」
佐奈はすぐにスマホの待ち受けを変更しだした。
「……はぁ、付き合う前のクールさはどこに行ったんだろう。まぁ、好きだからいいんだけど」
小さく漏れた私の声に佐奈が反応する。
「えっ!? もう一度……」
佐奈が言い終わる前に楽屋のドアがノックされた。この時間もいったん終わり。
「ふふ。残念だったね、佐奈」
学生の頃に過ごせなかったありのままの私は、ドアノブに触れながらアイドルの顔に戻っていった。