兵士、全力で走る
舞い降りてきたのはまるで天使かと思うような存在であった。
美しい青いドレスを身に纏い、人形と見間違えるほど調和のとれた顔つき、流れる蒼い髪を風に揺らしながらその存在は他の精霊達と同じように宙から樹へと足を下ろすと此方を見下ろす位置へと立った。
『なんじゃ、ほとんど片付いとるじゃないか!』
俺達の周りに散らばる魔獣の死骸を見て天使が忌々しげに呟いていた。
『ソラウさまがおそいからだよー』
『ぼくらもまだあそびたりないんだー』
『まだいるよー』
『ひゅーむねらう?』
天使、ソラウと呼ばれる存在の物言いに周りの精霊達は不満気な声を上げていた。
しかも、獲物を狙うかのようにこちらを見ていた。
あの魔獣をまるで遊ぶかのように容易く葬る精霊達に狙われたのでは魔獣の攻撃を防ぐのに精一杯だった俺達の生き残る確率は限りなく低いだろう。いや、無いに等しい。
『ばかもの。人間を狙うなどしてはならん』
ソラウ様がそう告げると精霊達はしきりに残念そうな顔をしていたがこちらへ敵意を向けることはなかった。
精霊達がこちらに僅かに向けていた魔力が無くなったことでようやく一息つくことができる。
いや、まずは絶滅したと言われている精霊との対話だ!
「お尋ねしたいのだが貴方がこの森を統べる大精霊だろうか?」
俺は片膝を突き、王に謁見する時と同じ姿勢を取り質問を投げかけた。
背後にいる部下達も俺と同じように膝を突き頭を垂れていた。
既に精霊達の力は文句のつけようもない程に強大なことはわかっている。となればその精霊達が様付で呼ぶソラウさまの力は俺達の想像を超えるものなのだろう。
『ん? 確かに我は氷の大精霊ではあるがこの森を統べてなどおらん』
「では、あの突如現れた世界樹の主人であらせられるのでしょうか?」
『それも違うのう。あれの主人はエルフじゃ。そして我の契約者でもある』
この強大な力を持つ大精霊を従えているだと⁉︎
一体どんな化け物なんだ!
「失礼しました。我らはエナハルト帝国の騎士でございます。世界樹の主人と面会がしたく参りました」
声が震えないように注意しながら慎重に言葉を選ぶ。
大精霊の不興を買うのは何としても避けなければ。俺の命も部下の命も危ない。
『相変わらず人間は口上がまどろっこしい。会いたいのならば勝手に会えば良い。別に門番なども置いておらんしのう』
ソラウ様が森の奥を指差す。
「ありがとうございます。しかし、我らはいま疲弊しており、すぐには動けません。魔獣に襲われぬようにするためにもしばしここで休息を取ろうかと思います」
『好きにせい。いや、丁度いい』
その時、ソラウの顔に笑みが浮かぶ。
音にするならばニヤリという音が似合うような笑みだ。
「な、なんでしょう」
あの顔は覚えがある。上司がなにかロクでもないことを思いついた時に浮かべる表情だ。
『なに、お主らが安全にあそこまで辿り着ける案が思いついたのじゃよ』
『じゃよー』
『じゃよじゃよー』
頭の中で警鐘が響く。
あの天使は悪魔のような所業をしようとしていると。
『何体か精霊をつける。じゃからお主らはあそこまで走るんじゃ』
ソラウ様が指差したのは高く聳え立つ世界樹だ。
「い、一体なにをする気なんでしょう?」
『掃除じゃ。この森はちょっとばかり魔獣が多すぎるからのう。我もちょっとはっちゃけたい』
どう考えてもはっちゃけるというほうが本音だ!
どう見ても魔獣が精霊に勝てる姿が思い浮かばない。
『では魔獣を呼び寄せるとしよう』
『はーい』
ソラウ様の宣言に精霊達が気楽に返事をし、天高くに巨大な魔力の塊を放った。放たれた魔力の塊は空で轟音を響かせて破裂し、周囲に魔力をばら撒いた。
『さて、これで魔力にあてられた魔獣共がくるぞ』
『たのしみー』
『ねー』
楽しそうに会話している精霊達とは打って変わり、森のあちこちから咆哮が上がる。
森中から感じる殺気による恐怖から体が震え、歯がカチカチと音を鳴らす。
「全員走れ! 防具や荷物は捨てて構わん!世界樹まで走れぇぇぇ!」
生き残るためには走り抜けるしかない!
そう判断した俺は全力で叫び走った。
背後から爆発音や魔法が炸裂するような音が聞こえたが振り返らなかった。
もう嫌だ! 騎士なんて職業は辞めよう!
田舎に戻り畑でも耕した方が安全だ! 帰ったら辞表を提出してやる!
きっと俺以外にも同じような考えをしている奴はいるだろう。
とりあえずはいまを生きるべく俺達は全力で森の中を駆けソラウ様が言っていた世界樹を目指したのであった。