消えた指輪
「ほんまいかいな、この話……」
くりっとしたオーシャンブルーの瞳が、本から上げられた。
開け放たれた正面の窓からは、鳥のさえずりが聞こえ。
水色のストレート髪が、風に揺れる。
頬杖をつく、少女の両脇には、何冊も本が積み上げられていた。
ダレンシア王国の王女、ナジョラ ストレイカー、12歳。
お姫様は気軽に外出など、そうそう出来ない。
ということで、城でじっとすることの多い、ナジョラの趣味は読書。
ハードカーバーの古い本を、パタンと閉じ。
ナジョラはさっと立ち上がった。
「……返してこよ〜〜」
暖かい春の日差しが差し込む、城の廊下を。
スタスタ歩いてゆく、ナジョラの服装は。
深い海のようなブルーのドレスに、パステルピンクの低めのヒール。
大理石の床の上を、慣れた感じで進んでゆく。
さっき読み終えた本を、顔の前に掲げて。
心の中で、ぶつぶつ言い出した。
(あない簡単に、悪が広まるんかいな?
だいたい、人傷つけて、何がオモロいんやろか?)
重厚な扉の前でぴたっと止まり、両手で強く押し開けた。
ギーギーっと軋む音が、薄暗い空間に響く。
ナジョラは開けっ放しにして、中へ入った。
そこは、ダンスパーティなどが行われる、城で一番広い広間。
明日、13歳を迎えるナジョラの、誕生日パーティが開かれる場所でもある。
カツーンカツーンと、ヒールの音を響かせながら、部屋の奥へと進んでゆく。
(何や?
最後の力、振り絞うて。
道具に、エネルギー込めた……?
指輪に杖、腕輪、ロザリオ、ローブ……やったか?)
明日の今頃、座っているだろう席へ近づいてゆく。
深紅の絨毯の上に鎮座する立派な椅子。
その隣りには、ガラス張りのショーケースがあり。
ブラッドストーンという、世界に一つしかない宝石を使った、指輪が飾ってあった。
うさんくさそうに、ナジョラはのぞき込み、
「その指輪が、これやなんて、出来すぎちゃう?」
シーンとした、薄暗い広間をぐるっと見渡して、
「全然、ぞーっとせぇへんやんか……」
持っていた本に向かって、
「もうちょっと、ましな書き方はなかったんかいな!」
著者に一言文句を言って、扉の方へ戻り出した。
バタンと扉を閉め。
本を借りてきた場所ーー大聖堂を目指して、再び歩き始める。
建物の中から外へ出て、渡り廊下へ。
春風に乗って漂ってくる、花の甘い香りを、胸いっぱい吸い込み、
「えぇ天気や〜〜」
両腕を空へ向かって伸ばして、大きく伸びをした。
不意に聞こえてきた、軽快なワルツに耳を傾ける。
それは、明日、自分に捧げられる舞踏曲。
反対側の建物にある、音楽室へ顔を向け。
ナジョラはある少年を探し出した。
物心ついた時から、音楽の才能に恵まれ。
ピアノとバイオリンを巧みに弾きこなし。
大人たちをうならせるような、曲まで作る。
若干13歳にして、楽団員に選ばれた音楽の天才、キャロン シュトライツ。
大人たちに交じって。
線の細い、小さな体で、バイオリンを弾いている。
弓を動かす度に、彼の気難しそうな額で。
ミッドナイトブルーの前髪が、サラサラと揺れる。
肌は白く、上品な顔立ちで。
瞳はあどけなさを残しつつも、冷静で、少しきつい。
滅多なことでは微笑まない、その瞳が、ナジョラはなぜか気になって。
音楽室から曲が流れてくると、ついつい覗いてしまうのだった。
彼女の視線を感じたのか、キャロンはちらっと瞳を上げた。
だが、それが王女のものだとわかると。
バイオリンに集中するためか、彼はさっと目を閉じた。
自分を無視するような彼の態度に、ナジョラは、
「キャロンはつれへんな、いつも」
正面に顔を向けて、
「少しぐらい愛想振りまいても、ええやんか」
怒って、つかつかと歩き出すナジョラだったが。
すれ違う召使いたちが忙しそうに近づいてきては、王女の手前で一端止まり。
スカートの裾を上へ上げ、丁寧に頭を下げてゆくのを見て。
ナジョラの機嫌はすぐに直るのだった。
「ご苦労さ〜ん」
「ありがとな〜」
気さくに声をかけながら、すれ違ってゆく。
召使いたちがなぜ、急いで、大聖堂の方から来るのかを考えると。
ナジョラの顔は、どうしてもにやけてしまうのだった。
ダレンシア王国では、13歳になると。
成人と認められるため、儀式を行う風習がある。
明日、13歳の誕生日を迎えるナジョラ。
もちろん、彼女も儀式を行うわけで。
その場所が、大聖堂。
儀式の準備のため、召使いたちが忙しそうにしているのを見て。
ナジョラは心躍るのだった。
宝石のような、ステンドグラスで飾られた大聖堂が見えてくると。
騎士団たちの訓練の声や、剣が交わる鋭い音が、中庭から聞こえてきた。
「今日も、張り切っとるなぁ〜」
感心するナジョラは、ある少年を見つけ、足を止めた。
「キレイやな、いつ見ても」
一人黙々と、剣を振り上げては下ろすを、淡々と繰り返す。
彼が腕を振る度に、針葉樹のような深い緑の髪が揺れ。
額に浮かんだ汗が、春の陽射しにキラキラと輝く。
がっちりとっしているが、しなやかな体躯。
将来有望な、騎士団、最年少の中尉。
ソリル ガドラー、14歳。
先のギアラ討伐時、一人で何体も倒しすという功績を残すが。
本人は浮かれるどころか、より一層訓練に力を入れ始めた。
真面目で、謙虚。
そんなところが、少女たちの心をがっちりつかみ。
今日も、彼の訓練風景を見るために。
柱や壁の影に、女の子たちがひしめいていた。
それさえも気にすることなく、剣に集中しているソリルを前にして、ナジョラはぽつり。
「ええ太刀筋や……」
彼のルックスではなく、剣の腕前を褒め。
王女は再び歩き出した。
大聖堂の正面扉へ、真っ直ぐ進んでゆく。
「ギアラって、どんなんやろ?」
ナジョラはそこで、小さい頃ーー母親が亡くなった日を思い出した。
旅の途中で、ギアラに襲われた、ダレンシア王妃。
城へ戻って来るなり、国中から医者が集められ、治療が施された。
ナジョラは必死に声をかけたが、母親の衰弱はあまりにも激しく。
返事をするどころか、息をしているのもやっとの状態。
治療に集中するため、幼い子供であるナジョラは、部屋から出されてしまった。
そして、その夜。
ギアラに精気を吸い取られた者は、必ず死ぬという、数々の前例からもれることなく。
幼いナジョラを残して、ダレンシア王妃はこの世を去った。
ダレンシア国民全員が、悲しみに暮れた。
国王であり、彼女の夫だった、リドルフ ストレイカーは。
その日から、王国全体を覆う強固な城壁の建設を進めつつ。
ギアラ討伐の命令を下した。
こうして、国外へ出ない限り。
ここ、ダレンシア王国では、ギアラと遭遇することも。
襲われて命を落とすこともなくなった。
ダレンシアにいれば、安全という噂は、あっという間に世界中に広まり。
遠路はるばる旅をして、この国に住み着く人々が増え。
ダレンシアは世界で一番大きく、豊かな国となった。
この国では、成人と認められる13歳になるまで。
決して、国外へ出ることは許されない。
例え、王女である、ナジョラであっても。
そのため、彼女は外の世界がどんなところなのか、まったく知らなかった。
城壁に囲まれたーー井の中の蛙状態の王女は、晴れ渡る青空を見上げ、
「怪獣みたいなもんやろか? 口から火ぃ吐いたり、建物踏みつぶしたりするんやろか……?」
大聖堂の扉に手をかけ、首を傾げた。
「……何か違う気ぃするわ。想像つかへんなぁ〜」
ギギーっと重たい扉を開け、中をのぞき込む。
神聖な場所によくある、独特の雰囲気が漂っていた。
人知を超えた何かが。
確実にいるという感覚が、ひしひしと伝わってくる。
それが何かと問われれば、神としか答えようのない、圧倒的な存在力。
ステンドグラスを通して、外の光が降り注ぎ。
静寂という空間に、幻想的な色を落としていた。
「邪魔するで〜」
応える者の代わりに。
両側の壁に、規則正しく並べられた、ロウソクの炎がはかなげに揺れた。
ナジョラが中へ足を踏み入れると、背後でバタンと扉が閉まった。
目を凝らして、あちこち眺め、
「ユリア〜〜、おるか〜〜?」
大聖堂中に声がこだましたが、返事は返ってこなかった。
「なんや、おらへんーー」
探しに行こうとして、歩き出そうとすると。
後ろから、急に手がすうっと伸びてきて、背中から抱きしめられた。
「なっ、何やっ!?」
12歳の小さな少女は軽々と、持ち上げられ。
魔除けの効果があると言われている、ローズマリーの香りと。
その人の優しい香りをかいだ、ナジョラは誰だかわかり。
床から離れた足をジタバタさせ、
「おるんなら、返事せぇやっっ!」
ナジョラの声は、またもや大聖堂中にこだまし。
王女に抗議されたにも関わらず。
その人は、身分の差に臆することなく。
ナジョラの唇に人さし指を当て、優しく叱った。
「キミは、何度言ったらわかるんだい? ここでは、大きな声を出してはいけないって」
すとんと、床に下ろされたナジョラは。
一時でも、自分の自由を奪った人へ、ぱっと振返って、
「それはわかっとるけどなっ。人探すのに、大きい声出さな、見つけられへんやんかっ!」
勇ましく、いい訳をしてきたナジョラに向かって、
「困った、お姫サマだね、キミは」
そう言って、にっこり微笑んだのは、ユリア ゲオヴォリカ、16歳。
幼い頃から、目に見えないものが見え。
人の死期や、ギアラ出現を予知する能力を発揮してきた。
一日の大半を、ここ大聖堂で、祈りを捧げるという、非常に信仰深い僧侶。
柔らかい金の髪が、ロウソクの炎にキラキラと輝き。
彼が持つ、神秘的な美しさを、さらに強調していた。
ナジョラは両手を腰に当て。
自分よりも、40cm以上も背の高いユリアに向かって、
「ユリアはいつも、ウチのこと後ろから捕まえおってからに。そういうのーー」
小さなお姫様はそこで、言葉に詰まった。
「何だったかいな? こないだ、読んだ本に書いてあったんや……。セ〜、セ〜〜……何たら……??」
ユリアはくすりと笑って、
「セクハラかい?」
ナジョラはユリアを指差して、
「そうや、それやっ!! ユリアはセクハラやっっ!!」
お気に入りのリボンで結んである水色の髪を、ユリアは優しくなで、
「それじゃあ、ナジョラ姫はボクに罰を与えるのかい?」
子供扱いされたナジョラは、ユリアの大きな手を払い除け、
「せぇへんけど……。明日になったら、もう一人前のレディーや。せやからーー」
「後ろから抱きしめるの、禁止?」
王女の言葉の途中で、ユリアはかがみこみ。
ナジョラの瞳の奥を、じっとのぞき込んだ。
その行動は、まるで幼い子供がするみたいで。
自分よりも、急に子供になったユリアの純粋無垢な瞳に、ナジョラは言葉をなくした。
「…………」
純粋という名の宇宙が広がり。
新緑のような黄緑色の、彼の瞳に引き込まれてゆく。
子供扱いされることなど、もうどうでもよくなってしまい。
ナジョラはため息をついた。
「もう……ええわ……」
当初の目的である、古い本を差し出し、
「これ、返しに来たんや」
「そう、もう読んーー」
ユリアは受け取ろうとして、ナジョラの手に触れた。
その瞬間。
彼の脳裏に、違う光景がばっと割り込んできた。
今ここにいるナジョラとは違う彼女が。
目に涙を浮かべ、自分に向かって怒っている。
それは、さっきの怒り方とはまったく違っていて。
大切なものを傷つけられ、悲しみに心を震わせているものだった。
不自然に言葉を止めたユリアの顔を、ナジョラはのぞき込んだ。
「どないしたん? また、何か見えたんか?」
ユリアは淋しそうに微笑んで、
「どうやら、ボクはキミを本気で怒らせるみたいだ」
「はぁ?」
ナジョラは口をぽかんと開けた。
「今見たのは、もうすぐ起こることみたいなんだ」
ユリアは本をきちんと受け取り、目を伏せる。
(キミがあんなに怒ったのを、ボクは今まで見たことがない。
だから、これから起きることで。
キミが着ていた服は、今と同じ。
それから。
こんなに鮮明に見えるのは、すぐに起きることで。
それは、変えることが不可能に近いんだ。
だからーー)
そこで、能天気なナジョラの声が響いた。
「初めてやな、ユリアの予知が外れるなんて」
ふと気がつくと、ナジョラ姫は参列者席の机の上に座って、足をぱたぱたさせていた。
お行儀の良くない姫を抱きかかえて、ユリアは床に下ろし、
「なぜ、外れるってわかるんだい?」
ナジョラはとびきりの笑顔で、
「それはやな……明日は、ウチの誕生日やっ! しかも、ただの誕生日やないで〜。大人になるんやっ! 舞踏会にも出れるし、外国にも行けるんやっ! こない嬉しいのに、怒るなんてあらへん、あらへん!」
ユリアの腕をパンパンとたたきつつ、
「何かの間違いや、きっと」
「そう……だね」
ユリアは少しだけ笑って、小さな姫を心配させないようにした。
ナジョラは、手を元気よくブンブンと振って、
「ほな、明日な!」
大聖堂から、出ていった。
扉が閉まると。
ユリアは祭壇の方へ振返り。
ゆっくりと歩き出した、彼の瞳はひどく沈んでいて。
意識を別世界ーー見えない世界へと向ける。
いつもなら、幽霊のひとりやふたり、うろついているのが。
今日は誰もいない、不自然なくらいに。
祭壇の前にひざまずき、そっと瞳を閉じた。
小さな不安が、自分の中で、大きく広がってゆくのを感じる。
(朝から、頭の片隅がチリチリするんだ。
こんなこと、今までなかった。
とてもよくないことが起こる気がして。
どうしようもないんだ。
違うと思いたいのに、思えない。
自分とは違う誰かが、ボクに呼びかけてるんだ。
取り返しのつかないことになるって……。
でも、それが何なのか、ボクにはわからないんだ)
嵐が起きる前の静けさのように、大聖堂には静寂が広がっていた。
ナジョラはウッキウキで、渡り廊下を戻ってゆく。
(明日は、あのめっちゃ可愛いドレスが着れるんやっ!
何ヶ月も前から、準備しとったんや。
あとは、オカンの形見のブレスレットやろ?
それに、わざわざ取り寄せてもらった、首飾りに……!?)
ナジョラはぴたっと足を止めて、首を傾げた。
(ブレスレットと首飾りだけや、アクセ。
何か、足りへんな?
せやけど……。
今からじゃ、間に合わへん)
王女は、廊下を行ったり来たりし始めた。
(けど……。
ふたつだけで、ええんやろうか?
大人になるんやで?
少なすぎ、ちゃうか?)
ナジョラの脳裏に、血のように鮮やかな赤が浮かんだ。
「せや、あれや!」
国王リドルフは、執務の手を止めて。
可愛い我が娘の話に耳を傾けていた。
側に立っていた部下は困った顔をしている。
ナジョラは父親の腕を引っ張って、
「せやからな? あの広間にある、指輪をしたいねん、明日」
駄々をこねている娘の手に、リドルフは優しく手を乗せ、
「だから、あれだけはダメなのだ」
「なんでや?」
「ストレイカー王家に代々伝わるもので、誰も触れてはいけないと言われておるのだ」
「触って、減るもんでもやないやろ?」
「災いが起きるとされているのだ」
ナジョラは父親からぱっと離れて、
「何や!? オトンまで、そんなこと言いよってからに」
「触らぬ神にたたりなしだ。たくさんの人が危険にさらされる可能性のあるものを、行うことは許されんのだよ、王族として。明日、大人になるのだから、もうこれくらいはわかるだろう?」
頭をなでられ、たしなめられたナジョラは。
ぱっと手を振り払い。
「わかっとる!」
力任せにドアをバタンと閉めて、飛び出していった。
リドルフは困った顔をして、少しだけ笑い。
急ぎの仕事を再開した。
一方、ナジョラは。
大聖堂へ向かう渡り廊下を、またずんずんと歩いてゆく。
聞こえてくる、優雅なワルツとは正反対に。
ナジョラの心は穏やかではなかった。
(何や、何や!
まだ、子供扱いしおってからに!
そんなのわかっとるわ。
せやけど、明日は、特別な日やんか)
立ち止まって、ナジョラは城中に響く声で叫んだ!
「今回ぐらい、わがまま聞いてくれてもええやんかっ!!」
楽器隊の心地よいワルツのリズムが少しだけもたった。
ミッドナイトブルーの髪の奥から、あどけなさの残る鋭い瞳が少しだけ緩んだ。
バイオリンを弾きながら、キャロンは思う。
(また、彼のところに行くんだな)
大聖堂の中庭の脇を、猛スピードで通り過ぎてゆくナジョラをちらっと見て。
ソリルは手を止めて、口の端をゆがませた。
(またか……)
大聖堂を通り越して、茂みの中に立つ、王立研究所へ。
怒りに任せ、ナジョラはずんずん進んでゆく。
(こういうときは、キッカのところや。
今日はお城には、もう戻らへん!)
入り口の両脇に立っている、門番が頭を下げると。ナジョラは、
「……ご苦労さん」
少し怒った口調で、そう言って。
慣れた感じで、中に入っていった。
その部屋は、資料があちこちに散らばり、雪崩をおこし。
グシャグシャに丸めた紙が、床にゴロゴロ転がっている。
ボサボサの赤茶の髪が。
塔のように積み上げられた、机の上の資料の山からのぞいている。
すぐ隣には、一体いつ使ったのか。
カピカピに乾いた皿とフォークが置いてある。
手元の明かりだけがやけに明るく。
カチャカチャと音がする以外、何も聞こえない。
何かを組み立てているようで、それももうすぐ完成するところのようだ。
最後のネジを回し、ぴたっと手を止めた。
「よし、パーフェクト!」
椅子から立ち上がろうとすると。
背後にあったドアが、突然勢いよく開かれた。
バンッ!!
という音が聞こえたかと思うと、ナジョラのキンキン声が響いた。
「キッカ、聞いてやっ! オトンったらなーー」
「おう、ナイスタイミング!」
指をぱちんと鳴らしたキッカは、ナジョラの様子など気にすることなく。
「今、お前のとこ行こうとーー」
言葉を遮って、ナジョラはキッカのボサボサ髪を見た。
「あんた、また、徹夜したんやな!?」
「……あ、あぁ……」
キッカはぱっと机へ顔を戻し、カピカピの皿の上に書類を載せて、隠した。
それを目ざとく見つけたナジョラは、つかつかとキッカに近寄り、
「あんた、いつから食べてないんや?」
「……あ〜っと……」
気まずそうに視線を外したキッカに、顔を近付けて、
「嘘ついたら、どないなるかわかっとるんやろな?」
脅された少年は、正直に、
「3日前から、食べてない……」
息子を叱る母親みたいに、ナジョラは両腕を腰に当て、
「あかん、それはあかんで〜〜。育ち盛りやんか、キッカは」
キッカはナジョラの顔をじっと見つめた。
「…………」
(お前、また笑い取ってきて)
そんな視線など気にせず、ナジョラは大きくうなずいた。
「せや! あたしが料理作ったるわ。何か、精のつくスープでもーー」
キッカはナジョの腕を素早くつかんで、
「……いい。それだけは、やめてくれ」
がっちりと自分の腕をつかんでいる、必死なキッカに目を細め、
「そないに、強く握らんでも。冗談や、冗談〜〜。あはははは……!」
ナジョラは引きつった笑みを見せるが、キッカの真剣な眼差しは変わらなかった。
「……いや、今、本気だった」
手を振り払って、ナジョラは言い訳を始める。
「こないだは、初めてやったから、ちょっと失敗したんや」
「ちょっとじゃないだろ」
「砂糖と塩、間違えただけやんか!」
「甘いハンバーグ食べさせられた、オレの身にもなってくれ」
「お菓子や、お菓子。デザートやと思って食べれば、問題ないやろ〜〜」
減らず口な幼なじみをじっと見つめ、キッカはため息をつきながら椅子に座った。
「…………」
(これじゃ、話終わらないだろ)
ボサボサの髪を掻き上げて、キッカは話題を変える。
「また、ケンカでもしたのか?」
その言葉で、ナジョラはまた不機嫌な顔に変わった。
「そうなんや!」
国王の執務室での出来事を、ナジョラが全て話終えると。
キッカは机の上から、あるものを取って。少し笑いながら、ナジョラに手渡した。
「じゃあ、これ、アクセサリーにしろよ」
(ほら、ネタ振ったから、返してこいよ)
ヘの字型に曲がった、銀色に鋭く光る物体を見つめ。
ナジョラはキッカの心を知らずに、真面目に聞き返した。
「何や? これ」
「対ギアラ用の銃」
「ジュウ?」
初めて聞く名前に、ナジョラは不思議そうな顔をした。
キッカはナジョラをじっと見つめ、何か言いたげな顔をする。
「…………」
(笑い取ってこいって)
「…………」
(何や? あんた、ウチの出方待ってん?)
ナジョラは息を軽く吐いて、ぴしゃりと言い放った。
「ってか、これじゃ、カッコつかへんやんかっ!! うちは、騎士団員やないんやっ!」
胸をどんど叩いて、自分のドレスを見せ付ける。
「うちはお姫様なんや! 明日、誕生日パーティなんやっ!」
キッカは少しだけ笑って、急に真剣な眼差しに変わった。
「だから、何か問題が起こってほしくないんだろ?」
「は?」
「お前まで死んだら、いくら陛下だって、悲しむだろ? 親なんだからさ」
「…………」
「あの指輪、封印されてるから、飾ってあっても、平気だって話聞いたことあるぜ」
「封印?」
ナジョラはそう言って、さっき見た、ガラス張りのショーケースを思い浮かべた。
「お札なんか貼っておらんかったで?」
「フダ? 何だ、それ?」
「動きを封じるために、おでこに貼り付けるんや」
ナジョラはそう言って、おでこに手をぴしゃんと当てた。
「また、おかしな本読みやがって……」
キッカはぼそっとつぶやいて、話を元へ戻した。
「だけど、あの指輪に、ギアラと同じエネルギーが流れてるのは本当だぜ」
「なんで、わかるんや? あんたも、ユリアみたいに、予知するんか?」
「違う、これだ、これ」
キッカはそう言って、さっきの銃を見せつけた。
「それが、どうかしたんか?」
「これは、離れた相手でも、近寄らずに倒すことが出来る武器なんだ。だから、間違っても人に危害が加わらないように、特殊なセンサーをつけてある」
「センサー?」
「ギアラのエネルギーにしか、攻撃出来ないようになってる。だから……」
そう言って、キッカはナジョラに銃口を向けて、引き金を引いた。
だが、何も起こらなかった。
「それ以外のものに向けても、何の反応もしない」
ある晩のことを、キッカは思い出した。
実験するため、色々なものに銃口を向け、センサーが反応するかを確かめていた。
この国に、ギアラはいない。
そのため、ギアラ対策を練っている研究所以外で、反応が出ることはなかった。
だが、広間にあるあの指輪にだけは反応した。
しかも、とんでもない数値で。
キッカは銃の引き金に人差し指を入れて、クルクル回しながら、
「案外、その話本当かも知れないぜ」
「……そうなんか」
ナジョラは、父親を思い浮かべ、反省した。
しばらく沈黙がつづき、ナジョラがふと口を開いた。
「けど……何で、あんた、そんなん作ったん?」
キッカはナジョラに優しい視線を向け、
「それは、お前が明日になったら、外に行くこともあるかと思って。お前のこと守ーー!?」
口にしようとしていた内容が急に恥ずかしくなって、彼は言葉を止めた。
顔を赤くして、さっと視線をそらす。
「なっ、何でもない……」
ナジョラはにやにやしながら、キッカの顔をのぞき込む。
「なんや? あんた。あたしのナイトになる気やったんか?」
「……い、いや……!?」
いつも通りの幼なじみを見て、ナジョラは微笑んだ。
「ありがとな」
働きづめの国王を気づかって、側に立っていた部下が声をかけた。
「そろそろ、休憩された方がよろしいかと……」
「ふむ……」
リドルフは手を止め、素直に従った。
部下は扉の方へ行き、廊下をのぞき込んで。
護衛をしている者に、お茶の用意を伝える。
その様子をうかがいながら、リドルフは書斎机に飾ってある、亡き妻の写真に視線を落とした。
(お前が亡くなって、早8年。
あの子も、明日で成人だ。
早いものだ。
私は仕事仕事で、なかなか構ってやれなかった。
淋しい想いも、ずいぶんしてきただろう。
それなのに、わがままなど1度も言ったことはなかった。
今日が始めてだ)
机に両ひじを乗せ、組んだ手の甲にあごを乗せ、リドルフはつぶやいた。
「聞いてやっても、いいのかも知れんな……」
再び側へ戻ってきた部下に、リドルフは伝える。
「広間に行ってくる」
部下はにっこり微笑んで、深々と頭を下げた。
「かしこまりました」
大聖堂で一人、祈りを捧げていたユリアは。
片隅でチリチリとした痛みが、急激に増すのを感じた。
座っているのに、まるで船に乗っているように視界が揺れ始める。
ズキズキという痛みに変わり、焦燥感に襲われる。
(行かなくては……)
心の中で、別の誰かが呼びかける。
ユリアは頭を押さえながら、フラフラと立ち上がった。
「…………どこに行けば……?」
誰もいない空間に、弱々しい彼の声が響いた。
それに反応するように、体の内側から声が聞こえる。
こっち、こっちだ。
大聖堂の出入り口へ振返る。
外だ。
そこで、痛みは激痛に変わる。
「うっ……!」
あまりの痛みに、ユリアはひざまづいた。
床に敷かれた絨毯に、ポタポタと水滴が墜ちてゆく。
痛みのせいで、彼の額からは冷や汗が噴き出していた。
焦燥感は、さらにひどくなり。
心臓がバクバクし始める。
(行かないと……)
ユリアは力を振り絞って、ゆっくりと立ち上がった。
(大変なことになる……。
たくさんの人が……)
その言葉に、ユリアは自分の弱さを捨てた。
痛みは相変わらず続いて。
真っ直ぐ立っているのもやっとだが。
彼は強い意志を持って、自分に鞭を打つ。
「みんなのために、行かないと……」
震える手で、扉を開け。
ユリアはふらふらしながら、目的の場所へ向かって歩き出した。
「よし、休憩だ」
そう言って、ソリルを振っていた剣を止めた。
壁にもたれかかろうとしながら、渡り廊下をフラフラと歩いてゆく。
金髪、長身の紫のローブを着た、ユリアを見かけた。
「ん?」
いつもと違うものを見つけ、ソリルは動きを止めた。
すると、ユリアは急にバランスを崩し、地面にひざまづいた。
それでも、立ち上がり、フラフラと前へ進もうとする。
「少し離れる」
部下たちにそう言い残して、ソリルはユリアへ走っていった。
視界が暗くなったり、明るくなったりを繰り返し。
どんどんひどくなる頭痛に耐えながら、前に進んでゆくが。
立っていることが出来ず、また倒れようとした。
「どうした?」
がっちりと支えられ、ユリアは相手の顔を見て、
「ソリル……どうしても、行かなければいけないところがあるんだ」
「どこへ行く?」
「広間に……連れてって欲しい」
ソリル自分の肩をユリアに貸して、ふたりで歩き出した。
ワルツの演奏は止み。
城に静寂がやって来た。
キャロンはバイオリンをあごから外して、外に視線を向けた。
その先に、ソリルに支えられながら、フラフラと歩いてゆくユリアを見つけた。
キャロンは顔色一つ変えず、目だけ細める。
(おかしい……)
懐中時計をポケットから取り出し、時刻を確認する。
(14時10分……。
この時刻に、ユリアさんが出歩いてるなんて……)
広間へと続く、廊下の角を曲がるのを見て。
キャロンは椅子から立ち上がり、扉へ振返った。
(本来なら、こっちだけど……)
ユリアたちの姿が消えた、廊下の角を眺めて。
(急がないといけない……)
キャロンは窓に近付き、突然、右足を枠へかけた。
窓から出ていこうとしているお行儀の悪い少年に。
背後から優しい女の声がかかる。
「キャロンちゃん、怪我するわよ」
さっと振返って、サラサラの髪を掻き上げ、キャロンはさわやかに微笑んだ。
「大丈夫ですーー」
宮廷音楽家。運動などほとんどしない彼は。
もちろん、バランスを崩し、
「うわっ!」
頭から地面に墜ち始めた。
やっとの思いで、ユリアとソリルは広間の扉の前に到着した。
扉は少しだけ開いており、ソリルが手をかけ、開けると。
ちょうど、ルドルフ国王が、ブラッドストーンの飾られているショーケースを外しているところだった。
ユリアの頭の痛みは、全身を貫くほどになり。
手を伸ばして、阻止しようとするが。
「……封印が!」
その声は、ルドルフに届くことはなく。
指輪に、国王の手に触れた途端。
強烈な爆風が起こった。
ユリアとソリルは、後ろへ吹き飛ばされ。
一瞬にして意識を失い。
少し開いていた扉を押しのけて、廊下の壁に背中から激突し。
大理石の床にどさっと落ちたーーーー
素直にお礼を言われたキッカは、顔を赤らめて。
言葉を返そうとした時、彼の天性の勘で何かを感じた。
ナジョラへさっと近づいて、彼女を抱き寄せる。
「なっ……!?」
また、セクハラかと思って。抗議しようと口を開きかけた時。
爆音が響き、ガシャーンと窓ガラスが割れる音が響いたーーーー
床に重なるように倒れていた、キッカとナジョラ。
キッカにかばわれるように、彼の下敷きになっていたナジョラが先に、目を開けた。
「な……なんや今の?」
起き上がろうとするが、キッカが上に乗っているため、起き上がれない。
「キッカ? 目ぇ開けてぇや?」
彼の体を揺すると、カチャカチャと、ガラスの破片が床へ墜ち、
「あかん……」
ナジョラは慌てて目を閉じた。
「………いてぇ〜〜っ!」
キッカは後頭部に痛みを感じながら、ゆっくりと起き上がった。
「何があった?」
砂ぼこりが舞い上がる部屋を見渡して、彼は視線を下へ向けた。
ナジョラを押し倒してる状況に、びっくりして。
「す、すまない……」
「ええんや。ありがとな」
お礼を言ったかと思うと、ナジョラはすっとんきょうな声を上げた。
「何や、これはっ!?」
「あぁ?」
ただならぬ気配を感じて、キッカがまわりを見ると。
全てのものは色を失い、モノクロになっていた。
「どうなってるんだ?」
そこで、キッカとナジョラは気づいた。
音の聞こえ方が、いつもと違っていることに。
自分たち以外の物音が、濁っていて。
お互いの声だけが、やけに鮮明に聞こえる。
ナジョラは吹き飛ばされたガラスの群を見て、奇妙な光景を見つけた。
窓にかかっていたカーテンが、不自然に浮かんだまま止まっている。
「……時間……止まってしまったんやろうか?」
そう言われて、キッカはあたりを見渡すと。
割れたガラスの破片が、空中に浮かんでいるのを見つけた。
「………そうみたいだーー!?」
ぱっとひらめいたキッカは、大声を上げた。
「指輪だっ!! 誰かが、封印を解いたんだっ!!」
「はっ、オトンっ!!」
ナジョラは焦りを感じて。
彼は銃をベルトに差し込み、彼女の手を引いて。
ふたりは研究室を飛び出した。
頭から地面に墜ちたはずのキャロンは。
気がつくと、背中に痛みが走るのを感じた。
「いたっ………!」
自分の声の聞こえ方がおかしいことに気づき、閉じていた目を開けると。
視界までおかしくなっていた。
痛む背中をかばいながら、キャロンは言葉を発する。
「色が……なくなっている……」
そうして、彼は壁にもたれかかる状態で、自分が地面に座っていることに気づき。
よろよろと立ち上がって。
キャロンはさらに衝撃的な攻撃を目の当たりにするのだった。
自分がさっきまでいた部屋へ振返り、彼は珍しく驚いた顔をした。
「こっ……これはっ!?」
目の前に広がった光景に、キャロアは言葉を失った。
さっきまで一緒に演奏していた大人たちが。
それぞれの姿カッコウで、微動だもせず、固まっていた。
そこで、キャロアはユリアたちのことを思い出した。
ぱっと振返り。
モノクロになってしまった風景の中を、走り出す。
「ユリアさんっ!」ーーーー
奇妙な光景を目にしながら、ナジョラとキッカは広間を目指す。
すれ違う召使いや従者たちが、歩いている姿のまま固まっている。
花の近くを飛び回っている蝶々は、浮かんだまま。
中庭の噴水も、凍ったように水が固まっていた。
異様な静けさの中、ふたりは広間を目指して走ってゆく。
角を曲がろうとしたところで、自分たち以外の音を聞いた。
「ユリアさんっ!」
角を曲がって、ナジョラとキッカは同時に叫んだ。
「キャロンっ!?」
ぐったりとしているユリアとソリルから顔を上げ、キャロンは振返った。
「……君たちは、無事だったんだな?」
走りから、歩くスピードに変え、キッカは、
「……ってことは、他のやつらは……」
キャロンは首を横に振る。
「……誰も動かないんだ」
彼の後ろにぐったりと倒れている、ユリアとソリルを見つけ。
ナジョラは慌てて走り寄った。
「ユリア、ソリルっ!! まさか、あんたたちも止まってしもうたんかっ!?」
そこで、キッカの驚いた声が響いた。
「指輪がなくなってるっ!?」
「えっ!?」
ナジョラとキャロンが慌てて、そちらへ顔を向けると。
ブラッドストーンの指輪は、どこにもなく。
手を伸ばしていたはずの、ルドルフ国王の姿も見当たらなかった。