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女の首へとヘスティアを当て告げた俺だが、女は驚くばかりで返事をしない。
おいおいおい……。
武器を取り上げても話が通じないのか?
状況分かってんのかよコイツは。
呆れを孕んだため息をついて、ここからどうしようかと考えていると。
教会の入口から複数の人の気配が向かって来るのを感じた。
「こちらですガーランド卿! 英雄の墓から巨大な神力が吹き出して…」
「そこの者! 何をしている!」
ぞろぞろと数名の騎士が教会内に乗り込んできて、女とヘスティアを突きつける俺を見て声を荒らげる。
どうすっかな。
女を人質にでもして切り抜けるか?
なんて物騒なことを考えていると、騎士達の後ろから一人の男が現れる。
うざったく伸ばされた灰を被ったような長髪に左目のモノクル。
気苦労の現れか皺の刻まれた顔には疲れたような影がある。
よく知る者の顔を見て俺はほっと息をつく。
そして、ヘスティアをロザリオへ戻し空いている左手でそいつに軽く手を挙げた。
「よお、なにがなんだか分からんが生きてたわ」
自分でももっとましな言葉があったのではないかと思ったが、コイツとの間にそんな感動的な再開なんて求めてない。
とりあえず状況を教えてもらおう。
そう思い何故か俺の顔を見て固まるそいつの元へ歩いていき。
前まで行って、止まった。
「なんか老けたか? ローレン」
「スレイン………………なん、ですか」
呆然と、それこそ死人を見たような顔で八神将の一人であり戦友であるローレンライク=バーン=ガーランドは俺を見た。
***
「英歴二百十六年だと……」
「信じられないのも無理はないでしょう、といっても私は貴方の状態の方が信じられないですが」
あれから、ローレンに連れられ騎士養成学校の職員塔の最上階にある校長室の中で、俺は衝撃の事実を聞いた。
現在の年号は英歴、それも二百十六年。
俺が記憶している年号は竜歴であり七年であったはず。
いつの間にか二百年以上の時が流れていた。
それも一瞬の内に。
こんなのをどう信じろって言うんだ。
あの奈落を落ちた先で何かが起こったんだ。
なにかあったような記憶はある、だが何が起きたのか思い出せない。
もどかしい。もう少しで出てきそうなのに、思い出そうとする度に痛みが走る。
耐え難いほどの痛みが、まるで誰かに邪魔をされているような……。
「っっ……」
「どうかしたんですか、大丈夫ですかスレイン?」
頭痛に耐えきれず声を漏らした俺へローレンが心配したように問いかける。
まずいな……これ以上はやばい。
俺は自分の中によく分からない存在が居るような不気味な気配を感じ、記憶を辿る行為をやめた。
すると、さっきまでの痛みが嘘のようにすっと引いていく。
少なからず安心するが原因は分からないままだ。
小さく息を吐くと、こちらの様子を伺っていたローレンに大丈夫だと手を上げて答えた。
「奈落へ落ちた時のことを思い出そうとすると、頭が割れるほど痛む。
まあでも、思い出そうとしなけりゃなんともないから心配ねえ」
「一度詳しく検査を受けた方がいいですね……。
なんせ前例のない状態ですし、健康そうに見えて重大な疾患の可能性もある」
「怖いこと言うなよ…」
「可能性もあるという話です。
なにもなければそれでいい。とにかく検査は受けてもらいます」
嫌そうな顔をした俺へローレンが嗜めるように言う。
そのやりとりに二百年経っても変わってねえな、なんて少しおかしくなりいくらか気持ちが和らいだ。
「それで、まだ信じ切ったわけじゃねえがここが二百年後の世界だとして、あれから何があったんだ」
「順を追って説明しましょう。まずは……」
一呼吸置いて問いかけた俺の質問に、ローレンはモノクルの位置を直すとこの二百年のことをゆっくりと語った。
まず、俺が奈落へ最後の竜と落ちてから残った神将を筆頭に各国の間で対竜同盟を継続し次の竜の襲来へと備えることとなった。
竜は奈落から現れた。次がないとは限らない。
対竜同盟は十天竜と人類一丸となって戦うために結ばれた同盟。
竜を倒し脅威は去ったが、ここで同盟を破棄したら次の竜戦に勝てない。
加え各国とも疲弊していた。同族と戦っている余裕はない。
こうして同盟は継続され、今まで約二百年の間続いていると。
そして、次の竜戦に備えより戦力を増強するために、神将、聖騎士を育成するための騎士学校が各国で設立され、ここエトルリア大陸にもカルヤガルマの他に三つ、世界で八つの騎士学校が設立された。
幸いなことにこの二百年の間に奈落から竜は現れることはなく、段界に作られた奈落を監視する拠点からも竜が昇って来たという事例はない。
安寧の時代が続いている。
「八神将は……アイツらは俺とお前の他に誰が残っているんだ」
「他に存命しているのは、インバースだけです。
後の者は、皆……死にました」
「そう、か」
「安心して下さい。皆、老衰ですよ。
かつての八神将の中で長命種は私とスレイン、インバースの三人だけでした。
彼らはしっかりと自分の時を生きて、死んでいったのです」
「血なまぐさい時間ばかりだったがな」
「貴方のこれからはもう、血に塗れることはないでしょう。
そのために皆、戦ったのだから」
「どうだか」
真剣に告げるローレンの言葉に俺は軽い口調で返す。
二百年来なかったからこの先二百年も大丈夫だ。
なんて安心していられるほど図太くはない。
竜と、人類の天敵と、対峙して殺し合った者が、また来るのかも知れないそれらを忘れて安穏に生きるなんて無理だ。
少なくともそれはローレン自身にも言えることなのだけど、奴は今の言葉を俺を安心させるためだけに言ったんだろう、そう納得させる。
今の言葉が本気なら奈落から引きずり上げて思い出させてやるところだった。
竜の、夜を告げる魔王の恐怖を。
「さて、ここからはこれからの話をしましょうか」
「これから?」
「はい。何があったかは分かりませんが貴方はこの時代に蘇った。
なら、これからはこの時代で生きていくことになる。
何かやりたいことや目的などはないですか?
私の力で叶えられる限り応えましょう。
その権利を声高に主張出来るほど貴方は世界に尽くしたのだから」
優しげな笑顔を添えてローレンはそう言った。
やりたいこと、目的。
あるにはあるが、叶わないことの方が多い。
俺が生きていたのは今ではない、二百年前のあの時なのだから。
会いたくても会えない。伝えたくても届かない。
もう叶わない思いだけを抱えて何をやれって言うんだ。
それは幸せと呼べるのか。
様々な感情を巡らせながら、俺はローレンを探るように問う。
「その前にお前はどうして、よく分からんが蘇った。なんて言う俺の言葉を信じられる?
俺が嘘をついているとは思わないのか?
俺が蘇ったなら竜は? アイツだけ都合よく奈落へ落ちたのか? 原因も思い出せない、そんな都合の良いことを言う俺をどうして信じられるんだ」
話している内に知らず熱の篭っていく言葉。
ローレンを責めるように自身の怪しさを自分で語る。
そんな俺の言葉を受け、話す様子を見て、ローレンは態度を変えず落ち着いた様子で柔らかな笑顔を浮かべたまま答えた。
「背中を預けた友を見間違えるほど私の目は腐っていない」
「え?」
「貴方は間違いなく、私の知る私の友スレインだ。
そう確信したからその言葉を信じる。
それだけではいけませんか?」
馬鹿みたいに呆ける俺を見てローレンは笑う。
その姿は少し老け込んでいるが、真面目で気を回しすぎるから損な役回りばかりを請け負い気苦労の絶えない穏やかな人間、かと思えば時折直感を信じ驚くほど大胆な行動をとるかつての青年の姿と重なる。
ああ、間違いない。
ここは二百年後の世界だ。
そんで目の前に居るのは歳食っちゃいるが俺の友人ローレンだ。
本当の意味で友人との再開を果たした。
そう感じて俺は忘れていた本物の笑顔を浮かべた。
「つっても目的ねぇ……知り合いはほとんど残ってねえし、やりたいことって言われてもとくにねえな」
「枯れてますね」
「お前に言われたくはねえ」
軽口を交わしながら考える。
ふざけて言ったのは確かだが本気の言葉なのも確かだ。
それに、この時代に蘇った時点で本当の意味での自由なんて俺には最初からない。
「そうだな……一つだけ楽しいだろうなって思うことはある。
カルヤと、二人で旅に出るんだ」
「旅に……」
「昔、つっても俺にとっては少し前だが。
あいつと話したことがあるんだ。
戦いが終わって竜を全部殺したら、竜戦の中で訪れた場所を二人で巡ろうって。
そんで、あんなことがあったとか、あの時はやばかったとか、そんなどうでもいいこと話して。
最後は……故郷でゆっくり過ごすんだ」
「スレイン」
「こんな願いは迷惑か?」
「いや、そんな……必ず! 時間はかかるかもしれないが、必ず叶え______」
意地の悪い俺の願いにローレンは悲痛な顔で誓いを立てようとして、その声を途中で遮る。
分かってる。
この願いが難しいことも、迷惑なことも。
少しからかってやりたかっただけなんだ。許してくれローレン。
負う必要のない責任を感じている友人を、悲しく思い俺はそれを表情に出さないよう抑えて言う。
「この国、いや…この学校、俺に許される行動範囲はそのくらいか」
「……なにを言ってるんだ」
「二百年前に死んだはずの人間が理由も分からず蘇った。
さらにそいつは、自分で言うのもなんだが竜と単騎で渡り合えるほどの力を持っている。
そして、俺と転換器……カルヤガルマはまだ繋がっている。
俺がお前の立場なら、どうやってもそんな存在を自由になんて出来ない。
それに、カルヤがまだ俺と繋がっているってことは他の者には転換すら出来ないってことだ。
神将程の神力があれば契約した転換器以外でも転換までは出来る。
だが、契約を結んだ転換器は選んだ者以外に扱うことは出来ない。
竜に対する八つしかない武器の一つを腐らせておくわけにはいかない。
ならば、せっかく蘇ったのだし、また戦ってもらうとしよう。竜との戦闘経験もある。異質な自身の存在は人類に害なすものではないと、証明するためにも行動で示してもらう必要がある。この時代で生きていたいならもう一度、戦え。
…………こんなところか。なあローレン」
話し終え問いかけた俺の言葉に何も言えずにいるローレン。
ローレンは本気で俺に自由を与えようと考えているんだろう。
そこを疑うつもりはない。
だけどそんな個人の感情を抜いて、それこそ全体の利益を考えて対応するなら今言った行いが正しい。
救世の英雄にして竜を殺す力を持った神将。
だけど英雄はしょせん剣でしかない。
振るうのは民草に選ばれた王だ。
それが分かっているからこそ、俺の言葉にローレンはなにも返せずにいた。
「悪い。いじめすぎちまったな。
お前の気持ちは信じてる、だけど俺もそれくらいは分かってるって言いたかっただけなんだ。
それに、そこまで迷惑かけてまで自由が欲しいわけでもないし」
「聞いてくださいスレイン。
貴方の存在はあの場に居た者しか知らない。
その者達も貴方が過去の英雄だなんて考えもしていない。身元も直ぐに私が預かりました。
だから、まだ道は」
「いい、いいんだローレン。
決まったよ、願いは決まった。
簡単なことで一つだけだ。
頼む、俺を……」
「待て、待ってください! スレイ_______」
何かを察したのか言わせまいと身を乗り出すローレンを無視して、俺は胸の内で謝罪を繰り返しながら、その願いを口にした。
「殺してくれ」
言った。
言わせてしまった。
泣きそうな顔で俺を見て、ローレンは唇を噛んだ。