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6・朝鮮戦争

 1952年、遼東半島をめぐる中華民国、張一族、大朝鮮共和国の対立は戦闘ではなく、それぞれの政治的な駆け引きが中心として行われていた。これには中国共産党との関係が大きく関係していた。


 この時点で共産党は華北を支配しているものの、未だ建国には至っていなかった。一時期手を組んだ張一族が離反したため、その影響力が弱かったのも大きい。


 ここに目を付けたのがスターリンだった。彼は中国共産党と組んで張学良を暗殺する。そして、余勢をかって満州を中国共産党が占領するという計画を立てた。

 作戦を実行し、張学良の爆殺には成功したものの、すでに実権がその息子に移っていたため混乱が起きず、中国共産党は動けずにいた。当時の共産党軍では張の軍勢を破ることは難しく、馬賊の牛耳る街や村を共産党が支配するには時間がかかりすぎた。

 

 このような事からソ連軍が陸路半島へ入る道はいまだ確保できず、残る手段は治安部隊という名目で日本海を渡る事しか残されていなかった。

 このことに対して日本も黙認という態度をとっている。というのも、この時すでに対馬に影響が及ぼうとしており、座して見過ごせない状況がすぐそこにあったからという事情があった。ソ連が治安部隊として軍を投入するなら、日本も同じことが出来る。そうした思惑も働いていた。


 しかし、日本は喜んでばかりはいられなかった。すでに日露戦争から50年になるが、一部日本へ渡った朝鮮人や以前朝鮮独立を支援した日本の政治団体などは大朝鮮共和国に好意的で、水面下で支援している者も多数いた。もちろん、政府としてはせっかくの緩衝地帯が最前線となっては困るため、大朝鮮共和国を承認も支援もしていなかった。それどころか、日本海に乗り出し対馬などの日本の島々や漁場を荒らすようになると、取り締まりを行うほどであった。

 

 当然ながら、大朝鮮共和国が日本海で暴れるのは過去の海賊被害を惹起させるものであり、海上警備隊による取り締まりは苛烈を極めた。しかし、日本の支援団体によって海上警備隊の情報が流れており、逃げおおせる集団も少なくなかった。

 こうした中で起きたのが、ソ連船団襲撃だった。

 

 当時、かろうじてソ連が確保していたのはグリッペンベルク(釜山)とステッセリンブルグ(漢城)のみであった。

 そのため、海上輸送が容易なグリッペンベルクにまず橋頭保を築く事となり、大規模な輸送が行われていたのだが、1952年10月、台風を避けて港外へ避難していた船団が襲撃を受け、船もろとも大量の物資が奪われる事態となった。

 この事件を発端に大朝鮮は奪った船舶を朝鮮海軍と称し武装して日本海へ乗り出していく。

 当時、日ソの海上警備組織は旧式砲程度の武装しか備えておらず、大口径機関砲や対戦車砲を備え付けた船に対しては対抗手段がなかった。

 国際的に認められては居ないものの、海軍を名乗られては容易に手が出せない。そもそも、制圧すること自体が難しかった。

 日本の警備艦が備える旧式の8センチ砲より、新しい対戦車砲がはるかに強力なのは考えるまでもない。対戦車砲とは、ナチスのタイガーやパンター、ゲパルトといった強力な戦車を撃破するために作られた代物なのだから、何らかの対策が必要だった。その事は日ソ共に認識していたのだが、容易に海軍を日本海に入れては今後が問題になる。両国とも相手の出方を見ながらなかなか足を踏み出せずにいた。その間も朝鮮海軍の跳梁は続いていく。


 まず動いたのは日本だった。千トンクラスの海防艦を警備艦に変更し、警備隊が運用する事で条約との整合性を取った。

この時配備された海防艦の装備した砲は、第二次大戦中に開発された8センチ高角砲(両用砲)であり、条約上の制約にも合致していた。

 しかし、それでは朝鮮海軍を制圧するには至らない。


 海防艦に装備された8センチ砲は、九八式60口径8センチ高角砲だった。この砲自体は非常に優秀で、多くの艦に高角砲として採用もされている。実戦での評価も高かった。

 しかし、それはあくまで高角砲としての評価であって、数千トンの船舶を相手に効果があるかというと、甚だ怪しいものだった。

 しかも、相手である朝鮮海軍が装備した砲が100ミリや122ミリであったことも災いした。明らかに撃ち負けたのである。

 8センチ、正確には76.2ミリ砲ではどうしても敵いようがない。かといって、それ以上の砲を装備するとなると、駆逐艦を投入することになるが、それは明らかに条約違反だった。

 日本が手をこまねいているうちに1953年を迎え、朝鮮海軍の跳梁は収まる様子がなかった。

 

 そんな手詰まり感が漂う中でソ連が発表したのが、解体待ちだった旧式戦艦を警備艦として投入するという声明だった。

 日本は当然、条約違反であると批判するも、朝鮮海軍の制圧には12センチ砲以上を備えた艦艇の投入は必至であり、遠からず条約の改定なり破棄なりが必要となるのは明白だった。

 日本としてはソ連のこの発表を受けて条約改定に動くという選択しか存在せず、ある意味、マンマとソ連の思惑に乗ってしまうことになる。


 ソ連はこの時、ガングート級戦艦3隻の投入を表明し、30.5センチ砲まで認めるよう要求してきた。

 日本側は困った。30.5センチに制限されては日本で対抗できる艦艇がない。


 日本では一時期、ドイツの装甲艦に対抗できる大型巡洋艦を計画した。米ソはそれを実現しているが、日本では予算の制約から結局、建造に至らずに終わっている。そのため、30.5センチとされては既に退役してしまった前ド級戦艦の主砲を引っ張り出して新造するか、ソ連の威圧を甘んじて受け入れるという選択になってしまうところであった。

 ここで日本は賭けに出た。日本で唯一、装甲艦に対抗できる艦とされていた{金剛}型戦艦を警備艦として投入すると席上で宣言したのだった。


 ソ連には36センチ砲は存在しない。30.5センチないしは40.6センチになってしまう。拒否して対抗すると現役戦艦を投入しなければならない。そうすると日本は43センチ砲と公表している{大和}型の投入へとエスカレートすることは容易に想像できた。

 ここはソ連が妥協するしかなくなってしまった。もちろん、戦艦ではなく、駆逐艦や巡洋艦でというならもっと話は容易だっただろうが、そうした誰もが考える話を当時のソ連は許容できなかった。


 ソ連は長くドイツと戦争を行っていた。その結果、多くの駆逐艦や巡洋艦は戦没しており、今現在現役である艦は戦争後半から戦後に就役したものがほとんどであり、日本海に回すような余裕はなく、戦力維持、拡大という観点からも避けるべき事柄だった。唯一、既に退役するガングート級を用意するのが精いっぱいというソ連の台所事情がそこにあった。

 そうである以上、速やかなコリアスタンの解放には日本の提案を受け入れるしかない。そう、ソ連では結論を出したのであった。


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