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12・新たな時代へ

 2002年の北京事件を発端とした北中国内戦、そしてそこから派生した第二次朝鮮戦争の拡大。

 大連艦隊がウォンサンへ逃げ込みほとんど活動していない中で、日本はみずほ型の後継を拙速と言える速さで決定していた。


 それがいまのふそう型大型警備巡視船なのだが、なぜこうも迅速に建造に漕ぎつけたのか。


 そこには日本海軍の歴史が詰まっていると言えた。

 ふそう型の原設計は先代ともいえる日本初の国産戦艦、扶桑型、伊勢型が退役したところから話が始まる。

 1944年、尾張型戦艦の建造が決定されるとその就役を待つことなく扶桑型の退役が決まる。すでに36センチ砲では列強の戦艦に対抗する術はなく、その速力も問題となっていた。そのことから、異論はあったものの、退役は早期に始まっていく。

 ただ、第二次大戦がはじまると、同じく退役が想定されていた金剛型は更なる改装を施し地中海へと向かう事となった。

 日本にとって、米ソの大型巡洋艦やドイツの装甲艦に対抗しうる艦艇は金剛型しかなく、その後継として退役した扶桑型の36センチ砲を搭載する案が持ち上がるまでに時間はかからなかった。


 この時立案されたのがのちのふそう型の基礎となる小型戦艦案だった。フランスのダンケルク級戦艦がドイツの装甲艦を念頭に開発されたように、この小型戦艦も米ソの大型巡洋艦、巡洋戦艦やドイツの装甲艦を念頭に置いていたことは言うまでもない。そして、金剛型の後継として、あるいは旧式化しつつある妙高型重巡洋艦の後継として打ち出されたものだった。

 その要目はほぼそのままふそう型のそれである。4万tの排水量と215mの全長を持ち、扶桑型から取り外された36センチ連装砲を4基装備する。扶桑型、伊勢型合わせて24基の36センチ連装砲塔を使い都合6隻の新戦艦を建造するという計画だった。金剛型が退役すればさらに4隻追加建造も可能としていた。そうすることで妙高型重巡洋艦の代替も可能になるというのが提案者たちの主張だったのだが、残念ながら、早期にスターリングラード級の欠点が露呈した事で、わざわざ対抗策を講じるまでもないという話が行われ、この計画は潰えることとなってしまう。


 その後、幾度も計画は浮かんでは沈んでいく。

 金剛型が海上警備隊に編入されると、戦力補強のための案として2隻を建造する案が浮上した。しかし、これはすぐに消えてしまう。

 その後、1960年代にも大和型の退役に際して、沿岸砲撃火力を補強するために建造しようという話が出るが、戦艦の維持費が高い事から尾張型のみで十分として却下される。

 また、1970年代にも尾張型の維持費の高さから代替として建造案が示されるが新規建造費用の捻出が出来ずに立ち消えとなっている。

 1980年代にはとうとう尾張型の退役も視野に入っており、代替としてそれまでの小型戦艦案をディーゼルエンジンへ置き換えた新たな案が提示されることとなった。しかし、この時もその航空機運用能力のなさが問題視され公式な検討に至ることは無かった。


 このようにして常に提案され続けていた案だけに、設計も都度改良が積み重ねられており、そこに尾張型やみずほ型の運用における知見までが取り入れられて洗練されていった。

 尾張型の退役決定に際して再度ディーゼルエンジンと新たに自動装填無人砲塔を採用して大幅な省力化、乗員削減を行う案が提示されるが、軍縮の流れの中でそのような案が俎上に上ることは無かった。唯一、自動装填無人砲塔のみはみずほ型の乗員削減策として研究予算が下り、試作にまで至ることとなった。


 こうして2002年に提示されたときにはほぼ設計は完成した状態であり、すぐにでも建造できるというほどだった。

 政府はこの案が提示されるとすぐさま飛びついた。本来ならば新型艦船は計画開始から就役までに7年以上、下手をしたら10年以上かかるのだが、わずか5年で就役可能というのである。飛びつくなという方がおかしい。

 こうして2003年度予算ですぐさま建造が決まり、建造開始という運びとなった。


 それからの北中国内戦は2007年の南中国介入により一気に事態が動いた。

 2008年初頭にはロシアの支援を受ける東北部勢力の満州共和国が承認を受けて正式に発足、長城ラインを境に北側を領土とすることとなった。北西部の新彊でも共産党勢力がイスラム勢力により一掃されており、南中国は領有を放棄、南中国は旧北中国と南中国の格差問題などから完全な統一ではなく相応の自治権をもつ連邦制を採用して中華連邦と称して今に至っている。


 一方のコリアスタンだが、北中国から満州共和国が再度分離独立すると急速に補給ルートを失い、武装闘争は終息へと向かっていく。

 そのため、ウォンサンにいた大連艦隊もほとんど動く事も無くそのままロシアへ降伏することとなった。

 そこですべてが終わっていればふそう型は1番船ふそう、2番船とうえいのみで建造は終わっていただろう。しかし、実際には3番船ほうらい、そして4番船まほろばが建造された。それは、朝鮮戦争がコリアスタンでの制圧によって終わることなく、中央アジアからアラビア半島へと移動していった事にある。


 2010年2月、イエメンでの紛争再発によって過激派イスラム勢力の一団がソコトラ島を占領し、そこを朝鮮自治済州政府と名乗る事態が発生し、ソマリアやイエメンの海賊と共に周囲の船舶を襲撃し、往年の朝鮮海軍の姿がそこに出現することとなった。

 紛争地帯に突如として出現した勢力だが、他のイスラム勢力と異なりアラブ系やアフリカ系ではなく、東アジア系の人種で構成され、自らソ連時代に強制移住させられたコリア民族だと名乗っていた。故郷を失った民族のよりどころとしてイエメンからソコトラ諸島を譲渡されたと主張し、一応の政治勢力も有していることから欧米からは一種の容認を取り付けるに至る。その陰で根回しに走ったのはコリア系米人と言われているが定かではない。


 そして、朝鮮の敵として日ロを名指しし、現にソコトラ島を拠点に日ロ船を中心とした船舶の襲撃を繰り返しており、2012年には日ロの提案によって海賊行為として取り締まり決議が国連で可決され、日ロはともにソコトラ島を挟むアラビア湾のマスカット、および紅海のジブチに拠点を構えて2013年から掃討作戦を開始している。

 しかし、日ロ関係は決して良好とは言えず、両国ともあくまで日本海の延長線上という認識で海上警備組織を主体として派遣している。ただ、欧米やアラブの国々には朝鮮に同情的な国もあり、バルト諸国や北欧、中華連邦は露骨に日ロを批判している。そのため、日本と英国、フランス、そしてロシア以外に積極的にソコトラ島やアデン湾での海賊対処に参加する先進国や周辺国はない。米国も対ロ関係を理由に消極的な態度を取り続けている。


 ソコトラ島上陸作戦がいつ行われるのか、海賊対処作戦がいつまで行われるのかは未だ先が見えていない。

一応、これにて完結です。

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