私は介護がしたかった
私は正直言ってバカで怠け者である。
容姿も下の中(贔屓目を加えたら下の上)だ。
我ながら良く結婚出来たと思うと言えば想像がつくのでは無いだろうか。
バカで怠け者であるがゆえに大学受験に失敗したので、親のコネを頼り高卒18歳でパート事務員として働き始めた。それまでアルバイトすらした事が無かった。
記憶力に乏しくたいていの事は一度で覚えられないので、ひたすらメモを取る癖がある。就職した当時は何時でも何処でもメモとボールペンを持ち歩いていた。(最近はスマホ)
バカだから、何時か首になると思っていた。
首を切られた時の為に、医療事務とヘルパー2級の資格を取った。医療事務は3年、ヘルパーは半年かかった。
パソコンも頑張った。ワードとエクセル1級を取るのに5年かかった。
無謀にも独学だったが(ヘルパー除く)どうにかなった。
二兎どころか四兎追っかけたが、兎が何匹だろうと5年もかければどうにかなるものである。
最初の職場から5年半で雇い止めを喰らったが(むしろよくまぁ高卒・資格無し・バイト経験無しの人間を5年半も働かせてくれたと思う)有難い事に、パートや嘱託、臨時などではあるが今でも職に困る事はない。
「ヘルパー取ったから、いざという時は介護自分がやるよ」
「医療事務勉強したから、医療費に関してならたいていの事は答えられるよ」
「パソコン使えるようになったよ、これで在宅ワークで仕事出来るかな?」
私はバカであり、かつ古い人間なので、義両親の介護をするのは嫁の私の役目だと思っている。もちろん親の介護もするつもりで、ヘルパー2級を取った。
医療事務を勉強したのは「女性がパートで勤めやすい」と母に勧められたからだし、パソコンだってやっておけばパート勤務につきやすくなると思ったからだ。
有難い事に主人はソフト亭主関白で稼ぎもそこそこ良いし切ない事に子宝に恵まれないので、せめて介護をしたいと、そうならなくてもきちんと年老いた義両親と母の面倒をみるつもりだった。
月10万ちょっとの給料から、ちまちまちまちま節約してお金も貯めていた。普通の若い子ならお洒落に金を使うだろうが有難い?事に、バカで見た目も下の中な私はファッションとやらに一切興味が無いので、ちまちまちまちまではあるが貯金も出来ていた。
贅沢は無理だけど、たまに外食出来て服や小物を買う程度の暮らしなら母にさせてやれる、そう思っていた。
たった61歳で、母が逝くなんて思ってもいなかった。
介護を甘く考えすぎだ、ときっと言われるだろう。今現在介護をしている人達からは怒鳴られるかも知れない。
それでも、私は介護がしたかった。
歳を重ねて、しわくちゃになって、背中が曲がった母に、何処に行くにも何をするにも私の手が必要だと言って欲しかった。
母娘が連れ立っているのを見ると、羨ましくて羨ましくて泣けてくる。
母の日はダッシュで家に帰った。
お母さんありがとう、なんてもう言えないし思えない。
私は。
介護が。
したかった。