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先輩の想い


 その空気感は、涼には堪らなかった。まるで腫れ物に触れるような、ぎすぎすした空気。



 翔太が、彼女に別れを告げられていたのは知っている。

 翔太の同級生、同じ会社に勤める沖島春樹が、嬉しそうに言っていたからだ。


 春樹のことは、翔太と同じくガキの頃から知っている。

 悪い男じゃないが、少しばかり調子がいい。

 場の流れで誰にでも毒づく。自分の感情に素直で、嫌なモノは嫌とはっきり言う。


 春樹自身、彼女がいないから、翔太の破局を喜んでいるのだろう。


 もちろんそれに関しては、涼もきっぱりと注意した。

 それには春樹も反省したか、『分かりました』とシュンと項垂れていた。

 あの男のことだから、すぐに忘れるだろうが……



 とにかくいま問題なのは、目の前の翔太だ。



 こんな状況じゃ、話は切り出せない。今日は"あの話"をするために、翔太を呼び出したんだ。


 単に酒を飲むだけなら、互いの家でも出来る。

 互いの家族が介入することなく、一対一サシで話をするためにここに来たんだから。


 同時に思う、"陽一"の奴、余計な仕事を押し付けたものだと。

 こんな手段を用いて、"ムネさん"は怒りはしないかと……



「結婚なんか、別に焦る気持ちはないんですがね」

 その重苦しい沈黙を打ち砕いたのは、翔太だった。


 自ら話題を振り返し、ビールを一気にあおる。


「少し飲み方が乱暴だぞ」

 すかさず言い放つ涼。


 翔太と酒を飲むのは、今日が初めてではない。

 帰郷してから、幾度かは酒を酌み交わしたことはある。


 最初は帰郷した数日後、その流れで仕事の世話をして、同じ会社に招き入れた。



「大丈夫ですって」

 空のジョッキを置いて、問題ない、とばかりに笑みを返す翔太。


 おかわりの注文をして、ごくりと飲みだす。



 それを認め、涼も水割を喉に流し込む。


 グラスをテーブルに置いて、煙草をくわえて火を点ける。


 ふーっと空に煙を吐き出し、左手で髪を掻き挙げる。



 目の前の翔太は、危なっかしい姿だ。確かに自分では、乱暴な飲み方をしているつもりなどないのだろう。

 店内の熱気と、置かれた情況がそう思わせているだけかも知れない。


 だけど涼は、この翔太という二つ年下の男の過去を知っている。


 いまでこそ剛毛で男らしい顔つきだが、ガキの頃は女の子か、と思う程可愛いかった。


 それと裏腹に、年上だろうとかまわず意見を言う、生意気なガキ。

 昔っから無鉄砲で、熱くなると周りが見えなくなる性格の持ち主だと。


 もちろん大人になった今、そこまでの無鉄砲はしないだろうが。



 葵が厨房で洗い物をしながら、その会話を聞き入っている。


 おそらく彼女も心配してるのだろう。

 察するに個人というより、ひとりの客として。商売がら、この手の酔っ払いには敏感だから。



「まだ、踏ん切りがつかねーのか?」

 神妙な視線を翔太に向ける涼。


 ゆらゆら棚引く紫煙。その向こうで、翔太が視線を向ける。


「そりゃーそうっすよ。いきなりすぎて、自分じゃどうしようもないんです」


「電話はつながらないって話だよな。アパートも引き払ったとかで」


「春樹の奴に訊いたんすか? まぁ、本人とは連絡はつかないですよ」


 確かにそれも春樹から訊いた。あの男、女が絡む話だと、いちいち報告してくる。



「だったらいっそのこと、東京に乗り込んだらどうだ?」


「それはムリっす。そこまでしたらあいつの夢が壊れちまう」


「夢?」


「今は行政書士の仕事してるけど、弁護士になるのがあいつの夢だったから」


 確かにそれは壮大な夢だ。描いた夢を現実にしようとして、日々努力を重ねる。羨ましくも感じる素敵な夢だ。

 東京という巨大な都市が見せる夢だろう。


 しかしこの田舎町では、そんな壮大な夢を見る者はいない。

 せいぜい近くの大企業、もしくは役場や消防署、それに就寝するのが一番の夢だから。


 多くの者達は、家という根っ子に縛られている。

 特に長男。代々続く家系を守るために、この地から離れられない。


 故に仕事もそれに見合うモノ。公務員辺りが一番の出世頭だ。


 それが嫌なら家を飛び出すしかない。

 田舎の大将より、都会の兵隊の方が、いい家に住んでいる。田舎の百は、都会に行けば一でしかないということだ。


 とはいえ涼は、そんな夢想は考えたことはない。住めば都、ボロは着てても心は錦。

 それは大袈裟な言い回しだが、それなりの気持ちはあった。


 少なくとも心を売りたくないから。不自由な環境でも、家族を守る気迫はあるから。



「夢か」

 はっと気付いて、煙草を灰皿に揉み消す。


「おめーもやりたいことがあって、都会に出たんだよな?」

 思い出した。翔太にも夢があったことを。


 上目遣いで視線を向ける翔太。

「そんなの夢ですよ。ただの夢、叶わない夢」

 苦笑交じりに伝えた。


「おいおい昔っから言ってた話は、マジじゃなかったのかよ?」


「確かに俺は、それも兼ねして上京しましたよ。だけどそれは、1年もしないで挫折してんすから」



 そうだ翔太のガキの頃の夢は、漫画家になることだった。


 昔、妹の志織が言っていたのを思い出す。

『翔太はね、漫画家になるのが夢なの。お父さん達には、普通の会社に就職するって言って、上京したけど、本当はその為に上京したの』そう言って、陰から応援していた。


 しかしそんな話を訊いたのは、上京して一年と満たない。それ以来志織も、パッタリとその話題を口にしなくなった。


 察するに、その夢を諦めたのだろう。生きていくことの厳しさと、現実を痛感し、ペンを持つことを諦めてしまったのだろう。そういうことだ。



「だったらしやーねーわな。世の中にはなりたくてもなれねー職業はある。現実に向き直るのも勇気だからな」


「だけどね涼さん。俺の漫画、一度だけお披露目したことあるんですよ。大勢の子供の前でね」


「お披露目?」


「俺の彼女、行政書士の仕事してるでしょ。だからその縁で、小さな病院の院長とも繋がりがあって。そこに入院してる子供と、仲がよかったんですよ。その子供たちに、俺が手作りの紙芝居を見せてね。みんな笑顔で見てくれて」

 笑顔で言い放つ翔太。


 それを見てると涼まで嬉しくなる。


「そうか。子供らに喜ばれるなんて、やっぱり絵の才能はあんだな」

 ゆっくりと水割りを喉に流し込んだ。


「結局それがピーク。そのレベルですって」


「いや、立派だと思うぜ」


「どっちにしろ、いまさらいいんすよ。夢なんか簡単に諦めちゃったっすからね。俺は、今でも夢を追ってるあいつからすれば“ダメな男”なんですって」


「馬鹿、そんな訳ねーべよ」


 その彼女がどんな意味を含めて、そんな台詞を言ったのかは、他人である涼は知らない。


 しかしそんな悪意を籠めての台詞じゃないと感じた。



「どうだっていいっすけど」


 酒のせいか、かなり饒舌(じょうぜつ)な翔太。

 ほろ苦い過去を思い出すように、ビールをあおった。

 そして12杯目のおかわりを注文する。



 既に時刻は十一時過ぎ。


 店内には数人の客しか居らず、しんみりとした空気に包まれている。



「すみませんね。酒が不味くなりましたね」

 言って翔太は煙草をくわえる。


「そう言えば、今日はなにかあって俺を呼びだしたんですよね」

 そして煙草に火を点けた。


 確かにこの日、翔太をここに呼び出したのは涼だ。


 そろそろ話を切り出すタイミングだろう。それは理解している。


「結構飲んで、酔っ払ったんじゃねーのか? 別の日にしてもいいんだぞ」

 問題は目の前の、翔太の様子だ。


「大丈夫っすよ。これぐらいじゃ酔わないっす。これだって"まだ8杯"っすよ」


 かなり上機嫌だ。持ってこられた12杯目のビールを旨そうに飲んでる。


 自分が相当酔っていることにも、気づかない。こいつが、ここまで飲む姿は初めて見た。やはり彼女の話題は禁止だったようだ。


 これ以上酔ったら、話も切り出せない。



 水割りを口にして、喉を湿らせる涼。


「お前さ、こっちに帰ってきて半年程経つよな?」


「っすね。帰ってきたのが九月だから、約半年っすね」


「退屈だべ? お前 出不精でぶしょうだからいっつも家さ引き篭もってんべ?」


「チェック厳しいな。確かに会社以外は、ほとんど家ですね。こっちじゃ移動するのも面倒だから」

 後頭部を押さえる翔太。煙草を灰皿に揉み消した。


「だったら予定を作りゃあいいべよ」


「予定がないから困ってんでしょ」

 ゆらゆらと頭を振る翔太。煙草をくわえて、左手でごそごそなにかを探す。



 ハァーっと深いため息を吐く涼。


 どうやら翔太は、相当酔っているようだ。すっとライターを翔太の目の前に差し出す。


「だったら“サークル”どかでも、入るしかねーな」


「え?」

 はっと視線を向ける翔太。涼から借りたライターで煙草に火を点ける。



「サークルって言ったんだ、サークル」

 ゴホンと咳払いする涼。


「……つまりだ。この辺には娯楽っつーか楽しむことが少ない。お前じゃなくとも暇だってのは分かってんだよ。だから俺達はサークルに所属してんだ」


「サークルか。やっぱ分かんねー」


「月に数回集まって酒飲む。年末年始は忘年会新年会で盛大に宴会。年に一度旅行してパーッと騒ぐ。そんな感じのサークル活動だよ。たまには女だって来るぞ」


「酒飲みですか。合コンならいつでもОKですけどね」


「……地域へのボランティアもあるがな」


 そして会話が途絶えた。



 普段の翔太なら慎重になり、その会話に疑問を持ったはずだ。


 だが酔った勢いとは恐ろしいもの。


「ははは。涼さんの誘いに、俺が断る理由はないでしょ」

 ゲラゲラと笑顔で承諾した。


 その呆気ない態度には、話を切り出した涼の方が、たじろいでしまう。


「マジで入るのか? じっくり考えてもいいんだぞ」

 念を押す意味も含めて問い質す。


「だから大丈夫ですって。そんなことより飲みましょうよ、せっかくの酔いが醒めちゃうって」

 それでも翔太は、そんな話などどうでもいいようだ。


 もう終わった話だ、問題ない、とばかりに、ゴクッゴクッと小気味の好い音を響かせて、ビールを飲みだした。



「………悪いな、トビ。文句は陽一に言ってくれ……」

 ぼそりと呟く涼。

 もちろんその台詞は、翔太には訊き取れない。



 とにかくこうして、涼なりの勤めは果たした。

 後はゆっくり飲めばいい。


「おっいいなや、その飲みっぷり。んだな飲むべした」

 そして水割りのグラスを一気にあおった。


「おーっと流石は涼さん。今日はとことん飲みましょう。明日は休みだしさ」



 こうして二人は、夜遅くまで飲み明かしたのだ。



 それから一週間後『サークルの服装だ』と涼が翔太の家に届けたのは、黒地に白と赤の法被はっぴと帽子とズボン。


 法被の背中に掛かれた文字は、桜谷町さくらたにまち消防団。



 噂に名高い消防団の服装だった。






摂氏一万度の英雄たち


  第一章~終わり


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