再会した彼女と信頼する先輩
とある金曜日の夕暮れ時。
翔太は会社の先輩と二人で、町内にある居酒屋に来ていた。
店の名は“ギブリ”。
小さい店だが、焼き鳥とおでんの美味い店だ。
先輩の名は“南雲涼”。翔太の二つ年上で三十歳。
いかにも体育会系のガッシリした体付きの男。
やや長めのパーマがかった髪は、シンメトリーに右側だけ長くなっている。
翔太と違ってそれ程毛深くはなく、口元と顎にだけ、無精ひげを伸ばしている。
涼の家は翔太の隣だ。
それ故ガキの頃から付き合いがあり、よく遊んでもらったり、時には喧嘩をしたりしていた。
帰郷した翔太を、現在の会社に入れるように働きかけてくれたのも彼だ。
時刻は午後九時過ぎ。店内はそれなりの賑わいを見せていた。
「お前、今年で二十九歳だよな、志織と一緒だものな」
涼が水割りのグラスを置いて言った。
彼はかなりの酒豪だ。既に生ビールを四杯と水割り五杯をのんでいる。
「そうっすよ今年で二十九歳。志織は元気でやってるんですか?」
対する翔太は、まだ五杯目のビールだ。
それ程酒に強くはない。涼のペースに合わせた結果、少しばかりほろ酔い気分。
志織とは、涼の妹の名だ。同い年で、家が隣ということで、こちらともよく遊んだ。つまり幼なじみだ。
とはいえ大人になった今では付き合いはない。直近の付き合いは、成人式の頃。
自称小学校同級生代表、春樹によれば、現在の住居は神奈川県。そこで彼氏と同棲しているらしい。
「あいつは元気でやってるさ。このまえ電話で、トビが帰って来てる、って言ったら『あのトビがね』って喜んでいたぞ」
言って煙草に火を点ける涼。
「涼さん相変わらず志織と仲がいいんですね。今でも連絡取り合ってるなんて」
「まぁな、たったひとりの兄妹だかんな」
「兄妹ね。そんなモンすかね」
「そんなもんだ」
翔太はひとりっ子。だから兄妹の気持ちは分からない。
それでも涼達を介し、兄妹の良さは熟知していた。
涼は普段から温厚な性格の持ち主。そのうえ正義感に溢れて、腕っ節もいい。
それ故翔太にとっても信頼できる兄のような存在だ。
場に漂うのは和やかな至福の空気。
おでんの鍋から立ち上る湯気が、暖かさを演出していた。
懐かしそうに笑みを浮かべる涼。
右の拳で頬杖を突き、和やかな視線を向けている。
「おめーなら、俺の弟でもよかったのにな」
ふーっと、空に煙を吐いた。
「へっ?」
「志織と一緒になりゃぁ、俺の弟だったってことだべ」
一瞬言葉に詰まる翔太。
「冗談言わないで下さいよ」
呆れて返す。ポリポリと後頭部を掻き挙げる。
実際悪い冗談だと思った。
確かに高校の頃は、志織に対して甘い思いを抱いていたこともあった。
だがそれは昔の感情でしかない。
大人になった今では別々の道を歩み、違う人生を送っている。考えるだけヤボな話だ。
「ははは、んだよな冗談だよ。おもしれぇなおめーってやろは」
あっさりと言い放ち、水割りを口にする涼。やはり冗談だったようだ。
少し残った生ビールを飲み干す翔太。
「涼さんこそ変わらないっすよ。変に俺をいじるとこ」
そして空のジョッキをテーブルに置いた。
「来てたんですね涼さん」
誰かが涼に対し声をかけた。
「まぁな。飲ませてもらってるよ」
言って涼が、声のする方向に視線を向ける。
「今日はこれからか?」
「ええ。今の季節、送別会とか多いでしょ?」
その会話から察するに、店の店員らしい。
翔太は焼き魚相手に、格闘の真っ最中だ。
「トビ、次もビールでいいのか?」
涼が訊いた。
「っすね」
翔太が空のジョッキを手にする。
「すみません、生ビールのおかわり」
振り返って店員に告げた。
「へっ?」
そして愕然となった。思考が停止して、身体が硬直する。
そこには同い年程の店員が立ち構えていた。
亜麻色の髪、純和風なうりざね顔。紛れなく大野葵、会津で出会った彼女だった。
「あれ? あなたって」
彼女の方も翔太のことを覚えていたようだ。ただでさえ大きな目を、まるくして暫し凝視する。
ごくりと喉を鳴らす翔太。
「ウソだろ? ここの店員だったんだ」
自分でも自覚する。火照った頬が、カッと熱くなる衝動が。
既にあの日から一ヶ月ちょっとが過ぎていた。意外すぎる再会だった。
いや意外どころか、もう会えないと思っていたから奇跡的な再会だ。
一方で涼は、口を半開きにして、その二人の様子をまじまじと見つめている。
「おいおいなんだ二人共、知り合いだったのか?」
そして呆れたように投げ掛けた。
それに向き直る葵。
「ええ、少し前に」
和やかな笑顔だ。
「だよね、翔太くん」
そして翔太に振った。
その二人の会話に、翔太は現実を直視する。酔った頭も、少しだけスッキリする。
婚活に参加してることは、涼を始めとした他人には内緒の話だ。あらぬ話で噂になんかされたくない。
「そうなんすよ。たまたま出会って」
冷静を取り戻して、“それ以上言わないでくれ”とのジェスチャーを葵に送りながら、涼に伝える。
正直、自分でも混乱した行為だ。端から見れば怪しすぎる行為。
後頭部がむず痒くなって、ポリポリ掻く。
「……たまたまねぇ」
案の定、涼は怪訝そうに首を傾げる。それでもそれ以上追求することはない。
こうして普段通りの、穏やかな光景が舞い戻った。
ほっと安堵のため息を吐く翔太。
「びっくりしたよ。俺もこの店に何度か来てるのにさ」
そして話題を切り替えた。
そうだね、とばかりにウンウン頷く葵。
「私がここでアルバイトし始めたのは二カ月前くらいからだからね。だけど意外だな翔太くんがここの常連だったなんて」
「そうなんだ」
あたふたテンパる翔太を余所に、葵の方は冷静。
久々の再会だというのに妙に覚めていて、驚きの表情さえ見せはしない。
「じゃ生ビールのおかわりね」
空のジョッキを受け取ると、新しく注いで持ってくる。
こうして何事もなかったように厨房に消えていった。
「人の出会いなんて、案外単純なもんだな」
その胸中、少しだけ寂しい感情がこみ上げた。
「意味深な発言だなトビ。もしかして惚れた訳じゃねーべな」
その様子を見つめ、涼が不思議そうに訊ねる。
「違いますよ。一応俺、彼女いるし」
慌てて答える翔太。
彼女との連絡はいまだにつかない。
涼を始めとした多くの知り合いも、翔太がふられた現実は知っている。
だが翔太だけは違った。今でも彼女に対し未練はあった。
「そうか。そうだな」
それを知ってか、涼はそれ以上深くは追求しない。
翔太がそう感じる限り、そうしておくのが正解だと思っているのだろう。
ゴクリゴクリと生ビールをのみだす翔太。
「彼女の存在自体が、気になる訳じゃないですが、どうしてこの町にいるのかなって」
一息入れて言った。
煙草に火を点ける涼。
「どうしてって、なにがだ?」
ふーっと煙を横に吐き出す。ゆらゆらと煙草の煙が棚引く。
「あの子って東京の人なんですよね? なんでこんな田舎にわざわざ来たのかなって」
翔太からすれば、この町はなにもない田舎だ。
好き好んで移り住む、という感覚が理解出来ない。
「ふうーん。……つーことは、彼女が東京から来たことまでは知ってるのか」
その涼の問い掛けにコクリと頷く。
「あの子は“タマさん”の知り合いらしい。年は俺のひとつ年下。お前のひとつ年上だ」
タマさんとはギブリの店主。厨房で笑顔で調理する、四十代後半ぐらいのあご髭を蓄えた、メガネの男のこと。
住んでいる場所が大沢地区近辺で、涼とは知り合いだ。それを介して翔太も知っている。
「俺も詳しくは訊いた訳じゃねーんだが、彼女は農業をしたいってんで来たらしいぞ。現に農作業してるところ、何度か見かけたことある」
「農業ね、俺なんか逆に農家なんか嫌いだけどな」
「おめーは手伝いをしねーかんな。たまには親の手伝いしろ」
危機感を覚える翔太。まさしく図星だ。
「水割り、作りますぜ」
ごまかすように涼のグラスを引き寄せる。
「馬鹿、話を逸らすな」
苦笑いを浮かべる涼。
「感覚なんか、人それぞれってことだべ」
そして再び神妙な面持ちに成り変る。
「えっ?」
「田舎とか都会とか、そんなのはどうだっていいんだよ。要はそこになにを感じ取るか、なにをもって望むか。否定ばっかしないで、まずは受け入れろってことだ」
涼の台詞は大雑把で掴みどころのないもの。
「ふーん、流石涼さん。完全なる大人の台詞ですね」
だがそれでも翔太には、なんとなく理解はできた。
「おめーも結婚すれば分かるさ」
涼は妻帯者。六年程前に結婚していて、今では二児の父親だ。
「結婚っすか……」
その話題はあまり触れて欲しくない、そう思う翔太。煙草をくわえて火を点ける。
「おっと、すまねーな」
それに気付いたか、涼が気まずそうに言った。
そして会話が途絶える。