涙雨
ザーザーと雨が降り続いていた。
三日連続の雨は、乾いた地面に確実に染み入る。作物にとってはまさに恵みの雨。濡れそぼる木々の緑が、自然の逞しさを感じさせていた。
アサの葬儀は滞りなく行われていた。
警察と消防の鑑識によれば、彼女は出口とは逆の方向を向いて倒れていたそうだ。
つまり火事を消そうと、必死に対応した結果だ。
翔太は葬儀場の片隅で、ひとり煙草を吹かしていた。
葬儀の為に喪服を着込んできたが、ワイシャツ一枚だと肌寒く感じられる。
辺りに咲き開く色とりどりの傘の花。
アサに最後のお別れを言おうと集まった、多くの弔問客だ。
彼女は高齢だったこともあるが、多くの人々に慕われていた。
その中に紛れて、黒い傘をかざして歩いているのは宗則。ひとりだけ法被を着込んでいるから、遠くからでも目立つ。
法被は消防団としては正装だ、消防団代表として感謝状を贈る為だ。
「宗則、おめーよくもこんなとこに来れたもんだな」
宗則が受付をすまそうと、斎場の軒先に足を踏み入れたとき、誰かが言った。
それは羽織袴を着込んで、杖をついた白髪の老人だ。
西園寺という、アサに次ぐ高齢の人物、この辺では長老と呼ばれている。
「消防団のくせに、アサさん助けらんにがったなんて」
いきりたったように、杖をかざして宗則の足元を叩く。
西園寺もアサを慕う人物のひとりだ。
そのうえ例のトンビ事件のとき、孫が被害にあった人物だ。それ故今でも、宗則のことを毛嫌いしている。
場にひそひそした会話が生まれる。
「消防の会合あったばっかだったっていうべ。税金使って飲んだくれて」「宗則なんかで部長務まんのがよ。そんなもの無くても同じだべ」西園寺を擁護する長老派と、
「カスがたんな、そこまでの責任ねーべや」「西園寺さん、そこまでにしとかっし、宗則らは良くやってんぞ」それらとは一線をかくす穏健派だ。
それらの視線を一身に浴びながも、宗則は至って冷静。
西園寺のねちねちした攻撃は、今に始まったことではない。昔からことある毎に、宗則に食らいつく。
いちいち対応していたらきりがないのも確かだ。
それに叩かれたといっても非力な老人のこと、足元で犬がじゃれているのと、さほど変わらない。
「なんとか言ったらどうだ宗則」
それでも西園寺の怒りは治まらない。杖をかざして何度も宗則の足元を叩く。
「消防団の連中、酒ばっか飲んで、仕事もほったらかしにしてたんだべ。地区の協力金ばっか、せびって」
だがその台詞が宗則の怒りを引き出した。
「俺のことならいい。だけど仲間の悪口だけは言わないでもらえるかな?」
ゆっくりと振り返り、髪を右手で掻き上げる。
いつもより低い声だ。だがその低い口調が逆に恐ろしさを兼ね揃えている。
宗則を擁護する訳でもないが、あのとき宗則はアルコールを一滴も飲んでない。
飲んでいたのはノンアルコールビール。翔太が運んだから良く知っている。
涼に訊いた話だが、宗則は消防団部長として、消防団の会合の席では、酒を控えているいそうだ。全員が酔っ払っては、緊急時に備えられないからだ。
もちろん消防団はボランティア、そこまで徹底する必要はない。そのことは宗則も理解している。
だから春の検閲の時は酒を飲んでいた。
消防団を牽引するものとして、様々な思惑がそこには存在する。
「おじいちゃん、そこまでにしてよ」
奥の方から、三十代前半程の女が駆け寄ってきた。
「宗則さんは悪くないでしょ、当然消防団の方々も。必死に頑張ってくれたんだよ」
五歳ぐらいの幼子を引き連れた女。
西園寺の孫娘だ、トンビ事件のとき被害に遭った張本人。翔太の四つ年上なので、かすかに面識はある。
今現在は、隣町に嫁いでいるらしい。
「んだげんちょおめー……」
宗則に向けていた杖を引き戻す西園寺。気まずさからか言葉に詰まる。
「じいじ、静かにしねーとダメだばい」
今度は引き連れられた幼子が言った。察するに西園寺のひ孫だろう。
途端に西園寺の表情が一変する。
他の面々が見てると言うのに、目尻が垂れ下がり口角がゆるむ。
ゆっくりと腰を落として「ジュリちゃん、ごめんなちゃいね」そう言って視線を併せた。
そこにいつもの威張り散らした態度は皆無。
西園寺は口やかまし過ぎて、長男夫婦が出ていったきりだ。それ故現在ひとり暮らし。
たまに来るこの孫娘家族が、唯一の心の拠り所なのだろう。
「孫らに感謝しろよ宗則。アサさんによっく謝っとげ」
こうして西園寺は、孫達に引き連れられてその場を後にした。
結局のところ、西園寺のエゴだろう。
西園寺は地区の寄合でも、些細なことで難癖つける性格の持ち主。
条理不条理よりも、自分が目立てばそれだけで満足するタイプ。
その手の人物は、田舎に限らずどこにでもいる。
受付を済ませた宗則は、軒先に立ち尽くして懐の煙草を探る。
そして喫煙スペースの翔太の姿に気づいた。
こうして二人、喫煙スペースで煙草の煙をくぐらせる。
「なんだ、親父さんの代わりか?」
「まぁ、ウチの親父、頼まれてる仕事で忙しくて」
「そうか良雄さんも忙しいからな」
淡々と会話する二人の前で、一台のマイクロバスが横付けされる。
そこから出てくるのは五十代程の人々の群れだ。
多分に用務員時代のアサの教え子達。「アサさん、なんでこんな早くに」「仕方ねーべや、火事だったんだがら」そんなことを呟き、足早に受付に歩いていく。
「やだよな、知り合いが死ぬなんてな……」
その光景を見つめて宗則が言った。
「いい気分な奴なんていませんよ」
「だな」
そして続く沈黙。宗則が言いたいことは、翔太とて痛いほど理解する、だから言葉は続かない。
雨は降り続く。降り注ぐでもなく、打ち付けるでもなく、乾いた心を満たすような心地よい響き。
強いて言うならば涙雨。アサの死を悼んで、空が泣いていた。
「アサばあさんの言ったこと、当たったな」
宗則が空を見上げた。
「今更っすよ。どうせならもっと早く降ってくれりゃ良かったのに」
呼応して翔太も空を見上げる。
雨が降り出したのは、全てが燃え尽きた頃だった。
もし仮にあの時、雨が降っていれば、こんなことにはならなかったとつくづく感じた。
真っ白く霞む空に、煙草の煙が舞い上がり、その中にとけていった。
「あのー、里見翔太さんですよね?」
不意に誰かが言った。
「ええ、そうですけど」
それに反応して翔太はゆっくりと視線を向ける。
「ウチのお袋が、いつも世話になったそうで」
そこに佇むのは六十代程の夫婦。胸元には喪主を示す記章がかざされている。
アサの息子夫婦だ。
翔太は首を左右に振る。
「別に俺は、なにもしてないですよ。世話になったのは俺の方で」
それが本音だ。
世話になったばかりで、誇れるようなことはしていない。
「こんなことになるなら、もっと早くに、こちらに呼んでおいた方がよかったんですがね」
「お母さん、全然言うこと訊いてくれなくて」
翔太の思いも余所に、抑揚なく言い放つ息子夫婦。
その会話は少しも翔太の中には響かない。
ずっとほったらかしにしていて、今更なにを言ってるんだ? ……そう考えるので精一杯。
「お袋の携帯、見たことあります?」
不意に息子が訊ねた。
「まさか」
「お袋の携帯、大事な人の番号を、すぐに繋げる機能がついていてね……」
何故この男はそんな話をしているのだろう。
らくらくホーンとか、そういう類の話なのだろう。家族の番号を1番とかに割り当てると、簡単に通話できるやつ。
……だけどそんな話題、この場で話すことではないと感じる。
「……その1番に登録してたのが、あなたなんですよ」
だがその台詞ではっとした。
「遠くに住むボク達より、あなたの方が、馴染みが深いってことなんだろうね。それだけお袋は、あなたを信頼してたってことだ」
そして息子夫婦は、翔太に何度もお礼を言って、葬儀場に戻っていった。
「ちっ、空だ」
煙草のパッケージを握りつぶす翔太。この場所で何本も煙草を揉み消した。
吸っても吸っても空っぽな心は満たされない。
「ほらよ」
宗則が煙草を差し出す。
頭を下げ、一本貰う翔太。
それに火を点ける宗則。自らも煙草をくわえ火を点ける。
「やっぱお前、アサばあさんに慕われていたんだな」
「たまたまっすよ」
アサがどんな心境で翔太を信頼してたかは、今では知る術もない。
そしてその信頼が、重荷に感じるもの事実。




